人魔対戦
@watashihadaredesuka
第1話 摂理
人は争いを止められないと僕は思う。教養も見瓶も低い僕だけれど、なんとなくそう思う。
争いを止められないと言っても、争いを目的とした行いはたぶん無くなる、というかもともと無いと思う。
誰だって殴るためだけに相手を用意しないと思うし、そもそも殴ったり、蹴ったりすると相手も自分も痛いから、争うは目的にはならないと思う。
人が争うのは争った先に目的があるからだ。
例えば、戦争。それはお金のためだったり、領土を広めたいからだったりといろいろだ。戦争のような問世界の話じゃなくてもいい。そう、喧嘩とか。
自分の宝物やそうでなくとも持っている物が奪われたら、僕だって取り返そうと戦う。神父様は所有権の争いだねと言っていたけど、何を言っているのかさっぱりだった。それでも、自分の物だと言いあう争いの事だという事は分かった。
兎に角、人から争いは無くせない。よく父さんや母さんが、分け合いっこしなさいとか、共有すればいいっていうけれど、たぶん、無理だ。
僕の中には負けたくないっていう気持ちや、もっと欲しいっていう気持ちがある。これは他のみんなも持っているはずだ。
この気持ちがなくならない限り、人は争い続けるだろう。神父様の言葉を借りて言うなら、それは歴史が証明しているからだ。
だから、今僕の目の前で家が焼かれているのも、家族や村の大人たち、いつも威張っているガキ大将、村の子供たちが殺されているのも、きっとおかしくないのだろう。
だってこれは、人から決して取り上げることのできない争いの結果なのだから。
僕たちが弱かったから負けた。ただそれだけだ。神父様の「生きることも争いだ」という言葉から察するに、僕たちの村は、生きるための争いに敗北したから奪われるのだろう。
繰り返すけれど、これはおかしなことじゃない。自然と僕たち人間の摂理に沿った結果だ。
だから、甘んじて受け入れなければいけない………。
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