猫の警部(猫短5)
NEO
警部マクラーレン
ギルサ王国アーデン港 23:56
港のすぐ近くにある掘っ立て小屋で、黒スーツに身を包んだいかにも「その筋」の連中が六人ほど集まり、今まさに取引の真っ最中だった。
オンボロなテーブルの上に置かれた二つのスーツケース。片方には帯封のない、使い古された紙幣がギッシリ詰まり、もう片方のスーツケースには、灰色掛かった白い粉がビニール袋に小分けされてギッシリ。通称「天使の羽根」。最近、巷で流行している禁止薬物だ。
そう、この連中は今時珍しいくらい分かりやすい取引方法をとっていたが、お互いに確実ではあった。この「魔法の粉」は、末端価格にして今渡したキャッシュの、実に数百倍に跳ね上がるだろう。安い買い物ではないが、悪い話しでなない。
お互いに無駄口は利かない。スーツケースを交換し、ほぼ同時に蓋を閉じた瞬間、いきなり掘っ立て小屋の扉が勢いよく蹴破られた。
咄嗟に拳銃を取り出す六人だったが、肝心の標的がいない。
何だって!? と焦る六人の間を一筋の黒い影が過ぎった。
「ぎゃあ!!」
六人が六人とも同時に悲鳴を上げた。思わず怯んで拳銃を取り落としてしまった瞬間、カチッと音がして全員に手錠が掛けられた。
「やれやれ、手応えがないな。罪状は分かっていると思うから言わん、全員逮捕だ」
一様に顔に引っかき傷を作った六人に、少々くたびれたトレンチコートを着た……猫が言った。そう、またも懲りずに猫だ。
そう、彼はギルサ王国警察警部、その名を「マクラーレン」という。
応援の連中に六人の護送を押し付けたマクラーレンは、一人歩いて詰め所に戻った。
……全く、退屈な日常だ。犯罪を犯すなら、少しは骨のあるヤツに出会いたいものだが、ヘタレばかりだ。
マクラーレンは警察関係者としては、少々問題のある考えを脳内でつぶやいた。実際、マクラーレンの日常は退屈だった。猫は刺激を求める生き物である。
……やはり、アイツじゃないとダメか。
マクラーレンが胸中でつぶやいた時だった。彼のデスクにある赤電話が鳴った。
「はい、マクラーレン」
この電話が鳴ったということは、用件は決まっていた。
『『X』より予告あり。アモキサ王国クランタキシン国際空港にて待つ』
「了解。十時間後に会おう」
会話はそれだけだった。
マクラーレンが自分の個室から出ると、近くにいた部下が近寄って来た。
「どちらまで?」
「ああ、アモキサのクランタキシンだ。一番速い便の手配を頼む」
マクラーレンは、トレードマークのトレンチコートを羽織りながら、部下に伝えた。
「分かりました。ファースト・クラスを……」
「おい、いい加減覚えろ。ファーストは凱旋するときだ。それまでは、エコノミーでいい」
「はい、分かりました」
それは、突然現れた。おおよそ、侵入不可能だと思われる保管庫や金庫を次々と暴き、今や全世界レベルで有名になった泥棒。それが、通称「X」である。
もはや、一国の警察組織では対抗出来ないという話しになり、各国から優秀な警官を集めて特別チームを編成する事になった。その一員にマクラーレンも名を連ねているのである。
マクラーレンを乗せた飛行機は、目的地の空港へと最終着陸態勢に入った。
「‥‥今度こそ、行けるか?」
知らずその顔には、獲物を追い詰める残忍な笑みが浮かんでいた。
『X』は必ず四十八時間前に犯行予告を出してくる。今回の標的は、このアモキサ王国の至宝とも言われる巨大ピンクダイヤ「奇跡の滴」。まあ、大胆不敵な泥棒が狙うには、いかにもなものではあるが、マクラーレンは気に入らなかった。アイツは大体意表を突いてガラクタを盗んでいく。どうせまた、ろくでもないものを盗むだろう。
彼は、事前にメールで送信されてきた資料に目を通した。当然ながら、そのほとんどが「奇跡の滴」についてだが……。
「ん? これは興味深いな……」
数十分後、飛行機はアモキサ王国クランタキシン国際空港に到着した。
アモキサ王国王立博物館は異常な厳戒態勢に置かれていた。臨時休館となり半径三キロは立ち入り禁止。現地警察の尽力により、警戒圏内の住民にも一時的に立ち退いてもらい、、完全な無人地帯を形成した。しかし、ここまでやっても、捕まらないのが「X」なのだ。
警備が「奇跡の滴」がある特別展示室に集中する中、マクラーレンは誰もいない隣の一般展示質の暗がりに潜んでいた。
読みが間違っていなければ、「X」はこちらに現れるはずだ。
「……予告時刻まで、あと二十五秒」
ちらっと腕時計を確認したときだった。フッと、館内の照明が落ちた。通常なら点灯するはずの非常灯もつかない。ただ、猫であるマクラーレンの目には、非常口誘導灯の僅かな明かりで十分だった。はっきりと人影が目の前を過ぎり、迷うことなくその腕に手錠をかけ、反対側の輪を自分の腕に掛けた。
「いい加減、観念しろ」
しかし、マクラーレンは悲しいかな猫だった。手錠で繋がったままヒョイと持ち上げられ、小脇に抱きかかえられてしまった。
「てめえ!?」
マクラーレンが声を上げるも無視され、パリンとガラスの割れる音が聞こえ、次の瞬間には凄まじい速度で走り始めた。
……おもしろい、このまま心中してやる。
手錠の鍵は本部に戻らないとない。外したくても外しようがなかった。
マクラーレンを抱えた「X」は王立博物館の屋上に出た。
「おいおい、こんな場所に出てどうするつもりだ。まあ、自ら退路を経つとは殊勝な事だ。諦めて逮捕されるがいい」
……
マクラーレンの言葉に、「X」はなにも反応しない。この無人地帯は上空も封鎖されている。うっかりヘリなんぞで入ろうものなら、撃墜されても文句は言えない。
その返事の代わりと言わんばかりに、防災用ヘリポートに向かってダッシュした。
「お、おい、ヘリなんかで飛んだら堕とされるぞ。やめろ!!」
マクラーレンも、この建物の見取り図くらいは頭に入っている。ヘリポートには、必ず一機緊急用ヘリが駐機している事も。そして、「X]の思惑も……。
しかし、「X」は気にせず屋上を駆け抜け、ありきたりな小型ヘリの発進準備を開始した。
……ちっ、本当に心中する事になるとはな。
抱えられたままヘリのコックピットに収まったマクラーレンは、内心毒づいた。
「X」については生死を問わずというのが各国の了解事項なので、容赦なく攻撃されるだろう。こんな民間の小型ヘリなど、たちまち粉々だ。
エンジンが始動すると、「X」は初めて声を発した。
「こちら『X』。マクラーレン警部の身柄を預かっている。攻撃するかどうかは、好きにするがいい」
『なんだと!? おい、マクラーレンはどこだ!?』
……この野郎、俺を盾にしやがった!!
「おい、こら、いいから撃墜しろ。俺に構うな!!」
甲高いエンジン音が高くなり、ヘリはゆっくりと離陸した。
『マクラーレンか!? 攻撃中止。攻撃中止。ミサイル一発撃つな!!』
無線の向こうで慌てふためく声が聞こえ、ヘリは夜空高く舞い上がったのだった。
「最低の気分だよ、全く……」
どこぞの離れ小島の砂浜に着陸したヘリから降りた「X」にかかえられたマクラーレンは、ため息交じりにぼやいた。
「お前、最初から俺があそこで待ち伏せしている事を前提で、今回のプランを立てていただろう?」
「どうかな?」
「X」は軽く返してタバコに火を付けた。
「ったく、つくづく嫌な野郎だ。全く、ここまで付き合わされたんだ。何を盗んだかくらい、教えてくれてもいいんじゃないのか?」
「X」は無言で大きなヒビが入っているダイヤをマクラーレンの前に掲げて見せた。
「やっぱりな。『悲劇の涙』か。本来は「奇跡の滴」と対をなすはずだったが、加工中にミスで大きく欠けてしまい、ほとんど値が付かないクズになってしまったことから付いた名前。お前さんが狙うならこっちだって思って張ったら、逆に読まれてこの様だ」
マクラーレンは、なにかどうでもいい気分でそう言った。
「まあ、ひねくれ者のあんたの事だ。読みやすかったのは事実さ。でもな、まさかいきなり手錠を持って、襲いかかってくるとは思わなかった。生まれて初めてだよ、手錠を掛けられたのは」
「X」が苦笑した。
「……複雑な気分だな。それで、これからどうするんだ?」
マクラーレンが「X」に聞いた。
「そうさなぁ、あんたの名誉もあるだろうし、一回くらい捕まってやるか。脱獄とかやってみたかったんだ」
「お前なぁ、俺をバカにしているのか。それに、警察で遊ぶな!!」
遠くから無数のヘリが接近してくる音が聞こえた。どうやら、事件は勝手に解決したようだった。
あの「X]が逮捕されたというニュースは、マクラーレンの名と共に世界中に流れた。
しかし、彼はファースト・クラスでは帰って来なかった。それどころか、貨物室で帰ってきたい気分だった。
「お疲れさまです」
部下の声にもうなずいて答えるだけで、彼は自分の個室に入った。
「一時とは言え」、「X」に身柄を抑えられるという失態は、逮捕という「手柄」の前に消し飛んでしまった。その「X」の目論見通りに。それが、マクラーレンのプライドを痛く傷つけた事は言うまでもない。
「なんて様だ……」
椅子にどかっと腰を下ろし、マクラーレンは天井を仰ぎ見た。標的に返り討ちにされると、猫は結構ダメージが大きいものだ。
しばらくそうしていると、もう鳴らないはずの赤電話が鳴った。
「はい、マクラーレン」
腐ってばかりもいられない。仕事は仕事だと彼は切り替えた。
『脱獄だ。繰り返す、脱獄だ!!』
……あの野郎。
「分かった。場所はどこだ……」
こうして、マクラーレンVS「X」の戦いは再び開始されたのだった。
(完)
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