第22話<幕間>
ピッ……ピッ……。
規則正しい電子音が小さく聞こえる、白い室内。
何本もの管が枕元を這い、様々な機器が数値を表示する。
ここはATRA研究所内の附属病院だ。
皴一つ無いシーツの中では、西洋人形のような美少女が眠っている。
ボリュームがある栗色の髪は丁寧に梳られ、真っ白なシーツの上を彩るように流れている。
「おい、ヒナ」
面会用の椅子に座った律は、眠り姫に声を掛けた。
おおよそ、病室で眠っている患者に対する言葉ではない。
「……ん。なんだ、律か……」
「なんだ、ってなんだよ。せっかく様子を見に来たのに」
「……手土産に、筐体は持ってきてるんだろうな……」
「どんな手土産だよっ!」
ゆっくりと瞳を開いたヒナ。
印象的な大きな瞳も、今は伏目がちで、小さく呟く言葉に力はない。
当然だ。
普段は1日のほぼ全てを寝て過ごしているのだ。
ベッドを降りることすら、月に数度の検査の時、ストレッチャーに乗せられて、だ。
「……久しぶりに『ENS』にリンクした心地はどうだった?」
「ん、まぁ……その瞬間は、楽しいよ。後が最悪だったけど……」
「ふふんっ、昨日はあのまま寝落ちしたらしいな」
「え、なんで知ってんの……って、またVRネットワークの中で遊んでたな」
「皆ほぼ徹夜で、研究室内を片付けていたぞ。一人役立たずだった律は、これからさぞ、第六のために尽くしてくれることでしょう……」
「うわぁ……。起きて先にこっちに顔出して良かった……。というか、ヒナも遊んでないで休めよ」
ヒナの生命を維持するために繋がれた、何本もの管の中で、黒いコードだけは医療機器ではない。
VRネットワークへと接続し、筐体にリンクするための常設装置だ。
数年前の企業抗争の時代――。
昨今の安全性が確立されてきたリンクとは違う、もっと脳にダイレクトに負荷のかかるシステムが主流だった頃。
企業抗争も末期にもなると、リンカーが肉体に受けるダメージも蓄積され、限界を超えた者たちは戦線離脱を余儀なくされていった。
ヒナも当時、次々と欠けていったリンカーを補うべく、ATRA側のリンカーとして闘技に参加した一人だ。リンカーとしての適正がなまじ高かったせいで、無茶を続け、結果、筐体から離脱できない、切断しても肉体に意識が戻らない、という重大な事故の被害者となってしまった。
2年以上の植物状態を脱し、何とか短時間、意識が戻るようになったものの、その代償は大きかった。事故から4年近く経過しているというのに、未だヒナの手足は動かず、意識の固定すら出来ていないのだ。
だというのに、何故かVRネットワーク内やリンク中は、鮮明な意識を長時間保てる。
下手をすると、何日も休まずにリンクを続けている時すらあるのだ。
その状態を知った律と、強く要望したヒナの二人によって、常時稼働型筐体のプロジェクトは始まった。
制約として、重要機密の保護を名目に、律のボディガードのような役割も与えてしまったのは誤算だったが……。
だからヒナにとって、破壊されたあの筐体は、実際にもう一つの身体なのだ。
「で、身体は大丈夫なわけ? あんな形で強制遮断されたんだ、ただでさえ弱っている身体には大きすぎる反動だ――……」
「問題ない。むしろヒナが割り込まなかったら、律は死んでたぞ」
「……それは本当に助かった、有難う。でも、あんなことが何度もあったら、ヒナの身体への影響が……」
「そう何度も起こるか。いいからさっさとヒナ様に、新しく美しい筐体を持ってくるがいい……」
最後の要求だけは、しっかりと目力を込めて宣言された。頷くを得ないプレッシャーだ。
騒動が昨日の今日で、ヒナの筐体の修復は全くの手付かずだった。
しかしそれも早めに取り掛からないといけないだろう。献上が遅くなれば、その分、意味の分からない嫌がらせが待っているかもしれない。
「じゃあ今から、修復がてら定期メンテをしよう」
「……ちゃんと正確なデータを取って行けよ。ハードウェアデザインの基本は、誤差のない、計測、だ……」
スムーズに会話を続けていたと思ったが、もう既に、うつらうつらと揺蕩うような視線になってきた。
限界が近いのだ。
眠り姫が、また、眠りの世界へと誘われていく……。
意識が途切れる前に、ヒナがVRネットワーク上へと退避したのを確認し、律は持ってきたノートパソコンを広げた。
そして、眠りに落ちたヒナに掛けられていた、薄いシーツを剥ぐ。
「また、痩せたな……」
そこには、医療用の簡易なショーツだけを着た、ヒナの裸身が横たわっていた。
元来真っ白い肌が、陽の光を全く浴びていないことで、更に透き通るような肌をしている。
ほっそりとした手足も、リハビリやマッサージの甲斐なく、また更に細くなったような気がする。
そんな、ヒナの身体をしっかりと見つめ、それからパソコンへと視線を戻した。
――リンクを切断した時に、負荷が大きくないように。
――実際の肉体との齟齬が大きくないように。
――いつか、その肉体で立って歩けるように。
定期的に、ヒナの肉体の状態と、リンクの深度をメンテナンスしているのだ。
今回の強制遮断が本当に影響なかったのかも確かめつつ、各医療機器から得たデータを入力していく。
静かすぎる病室に、律のタイピングの音だけが響いていた。
***
「じゃ、また来る」
そう言って律が病室を出たのは、30分程度経ってからだ。
ヒナはその間、VRネットワーク上に意識を移し、律の指示があればデータ計測に付き合っていた。
今は律が来る前と同じ、シーツの中で眠る自分の身体を、俯瞰しているだけ。
――早く。早くまた、リンクしたい。
次はどんなイベントがあるだろうと思うと、興奮して居てもたっても居られない。
頭の中で次々と閃く想像を、どれから試そうかと考えていると、病室の扉がノックされた。
中の患者が殆ど眠りについていると知っているだろうに、返事を待つように扉の向こうで待機する人影。
「……なんだ」
無理やり、リンクに負荷を掛けて肉体へと意識を戻す。律には言えない、荒業だ。
そして扉を開けて入ってきたのは、
「こんにちわぁー、ヒナちゃん」
ひょろりとした不健康そうな男、黒井だ。
「お加減いかがですかぁー?」
「……普通だ」
「それは重畳ー」
常にヘラヘラと楽しそうにしている黒井は、あまり本心を読ませてくれない。厄介な相手だとは思うが、ヒナにとって重要なのは、目的を邪魔する敵か、味方か。その点だけだ。
「……雑談でも、しに来たのか……?」
「嫌だなぁ、いつものデータ収集ですよぉ。ついでに雑談に付き合ってくれると嬉しいけどぉ?」
そう言いながら、ヒナの枕元にある、脳波や心電図を計測している機器へと歩み寄る黒井。
ポケットから取り出した小さな記録媒体を機器に差し込み、データをコピーしていく。
黒井の目的は、ヒナという特殊な症例の、リンクに相関するバイタルデータだ。
そんなものに興味がないヒナにとって、くれてやることは全く構わない。
……ヒナの目的さえ邪魔しなければ。
「邪魔なんてしないよぉ。とぉっても面白かったから」
ヒナの思考を読んだかのように話しかけくる黒井。
「昨日、青木くんからUSBメモリの出所を聞いてきたけど、金井くんが持っていたものだってねぇ。その金井くんは、落とし物だと筐体闘技科の恐ろしい美少女に渡された、って言っていたんだ。……それって、キミでしょぉ?」
「……そんなこと、あったかな。……ヒナは常に善行を心掛けているから、落とし物があれば、拾ってやるぞ?」
「だよねぇー。確かにあのUSBメモリは、落とし物として映像記録に残っていたよぉ。……偶然、キミが拾ったそのUSBメモリには、ATRAを狙った勢力の仕掛けたワームが仕込まれていてぇ、偶然、拾った近くには金井くんがいてぇ、偶然、一条くんが嫌いで第六研究室に行きたくない青木くんが、それに納品書を入れてあげてぇ。で、偶然、機械オンチのいくちゃんが、何も考えずに第六のパソコンにワームを感染させた……」
「……不幸な連鎖だな」
ヒナの気のない返答に、黒井はくすりと笑う。
「本当にねぇ。……そういえば、学期の最初のハッキング、牧くんの教習機は、偶然、一条くんがセキュリティホールを潰していたから、対抗できたんだよねぇ。その教習機を修正する要因になったのは、キミがセーフティに引っ掛かるプログラムを、偶然、承認して教習機に流しちゃったからだっけ」
「……律へ試練を与えることは、日常茶飯事過ぎて、覚えてないな……」
「あはははっ、愛が深いねぇー」
大仰に笑った黒井は、力なくベッドに横たわるヒナを覗き込む。
「いやぁー、ホント良くやるよぉ。色んなところにタネを蒔いて、何かが引っかかるのを待つ。燻っている一条くんが、表舞台に出ざるを得ないような状況を作り出したんだ。……ここまでくると、怖いよねぇ……?」
愉快そうに呟く黒井が、ヒナのバイタルデータをコピーし終えた記録媒体を、ポケットに戻した。
そのデータが何に使われるのかは知らないが、こんなものを欲しがる黒井も、たいがい変人だ。
「……何が怖いものか。愛、に決まっているだろう。ヒナは、律が作る筐体と、それにリンクする律の側に居られるなら、何でもいい。……律のリンクするVRネットワークに、ヒナが存在出来るその感覚は、きっとヒナにしかわからない……」
意識の限界が近づいてきた。
小さく呟くような言葉しか出せなかったが、黒井には正確に聞き取れたのか、シニカルな笑みを返される。
「麻薬、みたいなものなのかな……? 一条くんにしても、あんな恐ろしいセッティングでリンクを続けているしねぇ。……『ENS』がいくら最強と言っても、何かのアクシデントが起きたら、キミみたいに戻ってこれなくなるのに……」
意味が分からないとでも云うような黒井の表情に、笑えるものなら嗤ってやりたい衝動に駆られる。
ヒナにとっては、全く何の意味もない、杞憂だ。
リンクして、あれだけ自由な世界を知って、それ以上に何を求めたいというのか。それこそ意味が分からない。
その結果起こった今の状態だって、肉体の枷にとらわれず長時間リンクするには、最適すぎる環境なのだ。
全く何も、問題ない。
意識が肉体を離れてしまう前に、掠れた声で囁く。
「その、スリルが、リンクじゃないか……」
「…………クレイジーだねぇ」
ぽつりと呟く黒井の表情に、笑みは無かった。
キープアライブ しののめ すぴこ @supico
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