病巣



 巨大な蜂の巣のようだ。歪な球体に掘られた穴の一つ一つが眠りについている。

今日も一人。その巣で就寝することになった。職員が直方体の部屋に案内するのをモニター越しに見つめる。今回は若い女だ。彼女は案内された部屋のベッドに腰掛け、職員の話を聞いている。

 十分経っただろうか。職員は部屋から出て、右手を上げた。合図だ。私はモニターの下にある大量のボタンの中から数個、押して、キーボードでエンターを押す。

たったそれだけ。それだけで彼女は数十年。もしかすると数百年もの眠りにつくのだ。起きたらきっと新しい文明が挨拶するかもしれないし、新しい国になっているのかもしれない。そう思うと少し羨ましい反面、寂しく感じた。

 彼女は何のためにこの旅に?モニターにさっきにの彼女の寝顔を映し出し、私が聞くと、近くのスピーカー、合成音声が「サルコイドーシスの治療です」と答えた。ヒューヒューと、彼女の喉が鳴っている。マウスでクリックすると次の寝顔。痩けた頰、顔色の悪い男だ。数日前に来た彼は、肝臓が石になってしまう奇病だそうだ。

「所長。一週間後には各地の病院でプリオン病の治療が開始されるそうです」

 合成音声に従い、数十個の部屋の眠りを覚まさせる。彼らは長くて百五十年。短くても三十年眠っていた。寝起きの彼らの元へ職員を遣わせる。

 職員に連れられて、ぞろぞろと巣から遠ざかる彼らの顔は晴れやかなのが過半数。あとは不安げだ。子供がなきながら、部屋から出てきた。

「ママ……どこ……」

 彼は三十年前の入所者。裕福な家庭で七年過ごして居たそうだ。家族は父母に妹。妹には、十になる子供がいるとのことだ。スピーカーから声が寂々響く。

 何もなく数時間。二号塔は眠りにつき。一号塔へ。

 その塔も巨大な蜂の巣が吊り下げられている。二号塔と違うことは。数十年は住人が目覚めることがないということか。システムに異常がないことを確認し、ひと段落。顎を撫でるとポロポロ、鱗のようなものが落ちた。

 一号塔の。不老不死を望む彼ら彼女らは、四千六百三人。凍ったように眠る寝顔は安らかで、死んでいるようだ。

 定時。作業着を脱ぎ、マスクをつけ、キャスケットを目深にかぶった彼は居酒屋に向かった。

 顔馴染みに挨拶し、ビールを頼む。乾杯して、マスクを下ろし、ぐいっと飲んだ。

 今日はプリオン病患者が目覚めた、と呟くと男が、治療開始するんだったな。と返した。男はポロリと落ちた私の鱗を見ている。

 五年前。居酒屋の彼らに聞かれたことを思い出した。お前は入所しないのか、と。なんと返したのかは忘れたが。彼らが嬉しそうな悲しそうな、複雑な顔をしたことは覚えている。

 何故そんな顔をしたのか。未だにわかってはいない。ただ、今も変わらず飲み続けてくれている。ジャーキーを食べるために口を開けると、マスクに擦れて、また鱗が落ちた。

 二つの巨大な塔は町の中心に建っている。他の町の住人は夢の塔と呼んでいるらしい。この町の住人は病巣と呼んでいるのだが。そこの所長である私は疫病神だそうだ。

 ふふ、となんだか滑稽で笑うと、飲んでいた女に何かいい事があったのかと聞かれた。

 なぁんにもないさ。


 電気を付け。モニターを見る。夜勤の職員が眠たげに去って行った。「本日は一号塔、二層のパイプ交換です」音声が私に言い、それに小さく頷いた。

 入所者全員の健康管理、機材の管理。システムチェック。二十年前のパイプの交換。それが疫病神の仕事だ。モニターを眺め、マスクの上から顎を撫でる。鱗が落ちた。

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取るに足らない小噺 喜市 @noctis7010

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