sweet chocolate time

花岡 柊

Sweet Chocolate Time

 今日のタイちゃんは、いつにもないほど真剣だ。大きなショッピングモールに付き合わされたかと思ったら、一つずつ吟味するようにして手に取る数々の品。目が真剣過ぎて、半歩ほど後ろに立っている私は、さっきから苦笑いを浮かべていた。

「そこまでしなくても、いいよ」

 嫌味にならないよう笑顔を浮かべ控えめに言ってみたけれど、タイちゃんてば聞く耳を持たない。

「駄目だよ、葵さん。こういうのは、ちゃんとしなくちゃ」

「ちゃんとって、言っても……」

 そもそも、タイちゃんから私へっていう時点で、間違ってるじゃない?

 タイちゃんがどうしてこんなに真剣になっているのかというと、年も明けた一月半ばに、涼太が言ったひとことが始まりだったらしい。


        ∞ ∞ ∞ ∞


 平日の夜。缶ビールを手土産に、涼太が家にやって来た。飯も食い終わり、ちょうど風呂上がりだった俺は、その缶ビールを快くいただく。プルタブを開ければ、炭酸が勢いよく飛び出し、テンションが上がる。弾ける音に誘われるまま、俺は缶に口をつけ喉に流し込んだ。

「うんめ」

 炭酸に顔を顰め、喉を通っていく苦みがたまらない。

「太一さ。ねぇちゃんから、バレンタインのチョコって、貰ったことあったっけ?」

 残業でもあったのか、仕事帰りの涼太はスーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイを外したあと、俺と同じように缶ビールを口にして喉を鳴らしてからそんなことを言いだした。

「バレンタインチョコ?」

 突然の質問に、俺は缶ビールから口を離し、涼太をまじまじと見た。

 何の脈略もなく放たれた涼太からの言葉だったが、俺を動揺させるには充分な内容だったからだ。

 どうやら、涼太と付き合っている彼女が、いつも市販のチョコをくれるらしく、たまには手作りもいいな、なんていう惚気話だったのだけれど。考えてみれば、こんなに長く葵さんのそばにいながら、俺って義理チョコさえ貰ったことがない……。

 毎年毎年、バレンタイン間近になると、性懲りもなくソワソワとしてきたけれど、葵さんが俺にチョコをくれたことなど一度としてなかったのだ。

 その代わりのようにおばちゃんからは、某有名高級チョコを毎年貰っていた。高いだけあって、あれは美味いんだ……、ってそういう話じゃなくて。

 葵さんが俺にチョコをくれたことがないという、とても悲しい現実に俺は肩を落とす。

 どんだけ眼中になかったかって話で、考えると落ち込まずにはいられない……。

「チョコなんて、貰ったこと……ない」

 沈んだ声で缶ビールの穴に向かってぼそりと零すと、涼太が笑う。

 少しも面白い話じゃないだろう、という目を向けたら、気にするなというようにタンタンと肩を叩かれた。

 話を振っておいて、それはないだろう。

 恨めしげな俺の視線を交わし、涼太はまたビールを喉に流し込んでいる。

 涼太の話では、葵さんはお父さんや涼太には、毎年ちゃんとチョコを渡していたという。それは市販の物だけれど、そこに俺が含まれてこなかったっていうのは大問題じゃないか!

 これは、どういうことだ。いや、どういうことも何もないのは解っている。付き合っていたわけでもないんだから、チョコを貰うなんてことがあるはずはないけれど。だからと言って、義理チョコさえなかったというこの事実に、今頃になってかなりショックだ……。

「涼太……。俺、今ひどく傷ついた……」

「え? あ……ごめん」

 イジケル俺を見て、涼太が急いでフォローする。

「軽い気持ちで話しただけで」とか。「そんなに落ち込むなよ」とか。色々言ってくれてはいるけれど、今まで貰ったことがないという現実に直面した俺は、やはり落ち込まずにはいられない。

「普通、これだけ長い間近くにいたら、気持ちがなくても義理チョコくらい、くれるものだよな?」

 泣きそうな顔で涼太に訴えたら、「気持ちがなくてもいいんだ?」なんて余計な突っ込みをされてしまった。思わず、「いや、それは言葉のあやで……」モゴモゴ。

 誤魔化すように、ビールを再び喉に流し込む。さっき開けたばかりだというのに、もう飲み切ってしまった。動揺し過ぎだろうか。

 涼太には最終的に、「あのねぇちゃんに、女子的な何かを求めるのは、無理があるってもんだよ」と笑ってすまされてしまった。


 そんなことがあったから、俺は決めたんだ。

 貰えないなら、あげるのみ!

 力強く拳を握り、薫に連絡をして、簡単でいておいしいチョコのレシピをメールで送ってもらった。薫お墨付きの、俺でも作れるチョコレートケーキらしい。俺でもってところに引っ掛かりはしたものの、薫にはいろんな意味で敵いそうもないので、素直にレシピをいただいた。そうして、それに必要な材料を、バレンタインを控えた今日、葵さんと一緒に買いに来ている。

 本当なら当日に作って渡す方がいいのだけれど、残念なことに今年のバレンタインは平日だ。仕事終わりで時間もないそんな時にチャレンジして、大好きな葵さんへ渡すチョコレートケーキを失敗するわけにはいかない。

 そんなわけで俺たちは週末を利用し、仲良くショッピングモールへ買い物に来ていた。

 まずは、モール内のスーパーでチョコや砂糖なんかの材料からだ。

 チョコレート一つにしたって色々な種類があって、よーく考えながら、材料を一つずつ決めてカゴに入れていく。粉砂糖やグラニュー糖、卵に――――。

「へぇ、リコッタチーズ?」

 カゴに入れた材料を手にして、葵さんが俺に訊ねる。

「バターでもいいらしいんだけど、折角だから教えてもらったように作ろうと思って」

「薫君?」

「うん」

 応えた俺を見て、葵さんがくしゃりと笑うから、堪らなく愛おしくなって抱き締めたくなった。

 スーパーの通路だから、なんていうことに構うことなく、葵さんに向かって手を伸ばして抱きしめようとしたら、タイミングよく? スッとしゃがみ込まれてしまって空振り……。

 空を切った手の行方に苦笑いを浮かべていると、足元ではしゃがみ込んだ葵さんが俺の空振りに気づきもせず、別の商品に気を取られて眺めている。

 いまいちやることが決まらないぜ、ちくしょー。

「器具とかは、どうするの」

 スーパーで食材を買った後、モール内を歩きながら葵さんが訊ねる。

「任せてよ、葵さん。前にカップケーキを作った俺を侮らないでよ」

 得意気に顎を突き出すと、ケタケタと笑われた。

 ん? 今の笑うところなのか?

 まー、いいや。

 ボールにヘラに、電動の泡立て機だってある。

「あ。チョコを流し込む型がないや」

 危ない、危ない。あれがなければ、チョコレートケーキを焼くことができないじゃないか。

「ねぇ、タイちゃん。温度計は、あるの?」

 底が外れるタイプのケーキ型を手に取り見ていた俺に、葵さんからの鋭い指摘。さすが葵さん、目の付け所がシャー○だね。

「そうか。温度計も、買おう」

 こうやって、買い忘れたものがないか、二人で確認しあいながら購入し。その後、葵さんちへとやって来た。

 どうして葵さんの家かといえば、数日前に俺の家にあるオーブンの調子が悪くなってしまったからだ。

 それに、「折角だから一緒に作ろうよ」なんて可愛らしい笑顔で提案されてしまえば、パブロフの犬のごとく何度もうなずいてしまうのが俺だ。惚れた弱みか。

 好きな人の喜ぶ姿を見たいから、作ってから渡すというのもいいけれど。それは、オムライスやカップケーキで経験しているから、今度は一緒に作る喜びを味わいたい。

 料理が得意な葵さんだから、きっとお菓子作りだってスペシャルにうまいはずだ。

 期待を込めて、二人でキッチンに立つ。

 薫からのレシピをスマホの画面に表示して、手順を踏んでいく。チョコを湯銭にかけ、グラニュー糖を少し加えて卵白を泡立て、ヘーゼルナッツを細かく砕く。泡立てている間、湯銭は葵さんに任せる。そうして溶けたチョコレートに、常温にしておいたリコッタチーズと砕いたナッツを入れて混ぜ混ぜ。泡立てた卵白の泡を潰さないように、チョコを入れて混ぜるっと。

「こんな感じかな?」

「うん。よさげ」

 ニコリと笑みを向ける葵さんが可愛すぎて、俺のテンションが上がっていく。さっきスーパーで空振っているだけに、部屋に二人でいると気持ちが盛り上がらずにはいられない。

 型に流しいれ、百六十度で四十分じっくり焼く、と。

 オーブンのスイッチを入れて、満面の笑みで葵さんを振り返る。

「出来上がるまで、暇だね」

 含みを持たせる言い方をしたのだけれど、葵さんというのはこういうことにあまり気がついてくれない。

「じゃあ、洗い物を済ませちゃおうか」なんて、言ってシンクにあるボールに手を伸ばすから、腰に手をやり引き寄せた。

「そんなの……、あとでいいからさ」

 甘い声で囁くと、俺の気持ちに気づいたのか、葵さんの顔が急激に赤くなっていく。可愛いな。

「……タ、タイちゃん」

 驚く葵さんの顔を覗き込み、掬い上げるように唇を奪った。チョコレートの甘い香り漂う部屋で、俺たちは甘いキスを繰り返す。

 最初は驚いた顔をした葵さんだけれど、優しく啄ばむように何度も触れていけば、瞼が下りて俺の背中に手が回る。このぎゅっとしがみ付かれる感じが、たまらなく愛しさを煽るんだ。

 さらりと柔らかな髪の間に手を滑らせ、かき上げ耳にキスをする。カプリと甘噛みすれば、葵さんの声が漏れた。

「タイちゃ……ん」

 恍惚とした声音で名前を呼ばれれば、その唇を塞ぎ愛しさにキスは深くなる。

 抱き寄せていた葵さんの体をスッと抱え上げ寝室へと向かうと、突然のことに少しだけ目を大きくして驚いているから、「大丈夫だよ」って見つめた。

 俺は葵さんのことを、絶対に放したりしないから。

 もしも、間違えて葵さんが手を放してしまったとしても、俺は絶対に放さないよ。どんな奴にも絶対に渡さないし。俺は、負けない!

 居もしない敵を想像して力む俺の心を知ってか知らずか、倒れ込んだベッドの上で俺の首に腕を回し抱きつく葵さん。

 華奢な体に覆いかぶさり、じっくりと焼きあがっていくチョコレートケーキの甘い匂いに包まれながら、俺たちも甘い時間を過ごした。


 葵さんの滑らかな肌に寄り添いながら余韻に浸っていると、キッチンから焼き上がりを知らせるオーブンの音が消えてきた。

「タイちゃん、焼きあがったみたいだよ」

 俺の心臓の音でも聴いているみたいに、葵さんが胸に埋めていた顔を上げる。この見上げるような上目遣いの瞳で見つめられると、浸っていた余韻が余韻じゃなくなるんだよなぁ。反則だよ、その目。

 第二ラウンド開始!

 体勢を変えようとガバッと俺が起き上がったのと同時に、葵さんがまるで猫みたいに、ベッドと俺の隙間からスルリと抜け出してしまった。

 引き留めようと慌てて伸ばした手は、買い物のときと同じく空を切る。

 葵さ~ん。

 ベッドのそばで羽織ものをひっかけた葵さんが、オーブンの中を覗いている。

 素肌に羽織ものだけって、それ誘ってるとしか思えないんですけど、違うんですか?

 俺の気持ちになど気がつかない葵さんは、いつものマイペースだ。

「タイちゃん。入れっぱなしにしてたら、硬くなったり、焦げたりしないの?」

 焦げる? そ、それは困る。せっかく作ったのにここまできて失敗なんて、薫に何を言われるか。

 急いで脱いだものを身にまとい、デカい手袋(ミトンていうのを、あとから葵さんに教えてもらった)をした。

 オーブンを開けると、熱々の湯気と甘い香りを目いっぱい漂わせて出来上がったチョコレートケーキに二人で目を細める。

 型から外すと、葵さんが丁寧に切り分けてくれた。

「コーヒー、淹れよっか」

 エスプレッソメーカーの準備をしている葵さんの横で、真っ白なプレートやフォークを用意する。

 切り分けたケーキを皿に載せると、葵さんが茶こしを使って粉砂糖で綺麗に飾りつけをしてくれた。チョコレートケーキに降り注いだ粉砂糖は、まるで雪のようだ。

 淹れたてのコーヒーと、出来上がったばかりのケーキをテーブルに置けば、ちょっとしゃれたカフェにでも来たみたいだ。

「木山さんのところにも、負けない感じじゃない?」

 あまり深く考えないのが葵さんのいいところでもあるけれど……。

「ここで、その名前出す?」

 恨めしい顔を向けると、葵さんが慌てたように、「ごめん、ごめん」と謝っている。

「そんな葵さんには、お仕置きです」


        ∞ ∞ ∞ ∞


 目の前にあるケーキは、まるでカフェにでもあるような出来栄えで素敵すぎた。木山さんのところにだって負けないんじゃないかと勢い込んで言ったら、タイちゃんに恨めしい顔を向けられてしまった。

「ごめん、ごめん」

 考えなしで口にする癖は、なかなか治らない。

 苦笑いを向けていたら、タイちゃんがすっくとダイニングの椅子から立ち上がった。

「そんな葵さんには、お仕置きです」

 え?

 考える間もなく、タイちゃんは座る私のそばに来ると身をかがめてキスをする。

「ケーキの前に、もう一度葵さんを食べてやる」

 ニヤリといたずらに笑うタイちゃんに、一瞬で顔に熱がいく。

 あっという間に降りてきた沢山のキス。

 深く絡めとられる舌に、気を取られていれば大きな手が素肌を滑り降りていき、抗うことなんてできない。

 こうやって、私はいつだってタイちゃんの虜なんだ。

「大好きだよ、タイちゃん」

「知ってる」

 勝ち誇ったような笑みを向けられるのは少し悔しいけれど、惚れた弱みだよね。

 たくさんのキスと甘いチョコの香りに包まれて、この甘い時間はまだまだ続きそうだ――――。

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