エピローグ 夢の中で
如何にも邪悪で巨大な悪魔が、四本の屈強な腕にそれぞれ剣を携えて仁王立ちしている。
全体的に漆黒の体躯、頭から生やした禍々しい四本の角、口からは凶悪な牙が覗いていた。
上半身も人の体とはかけ離れたシルエットだが、下半身に至っては獣のそれだ。
俺の目から見ても、その悪魔はレベルが高く強大な力を持っているのが分かった。
そして何よりも驚いたのは、その悪魔を見るのが初めてだったと言う事だった。
世界中を旅して、魔界にさえも行き来している俺でさえ、初見の魔物がまだいたと言う事に驚きを隠せなかった。
「うおぉ―――っ!」
その悪魔と対峙していた人間のパーティ。
四人の内の一人が、手に持った剣を振りかざして悪魔へと跳躍した。
美しい光沢を放つ、如何にも強固な鎧を全身に纏っているとは思えないその動きは、熟練の戦士でも舌を巻く程のものだろう。
左手の盾を前面に押し出しつつ、既に右手の剣は攻撃態勢に入っていた。
彼の、その姿がぼやける程の素早い動きから繰り出された斬撃を、しかしその悪魔は、いとも簡単に受け止めて往なした。
「はあぁ―――っ!」
悪魔の注意が、突撃した戦士の青年へと向いた間隙をついて、もう一人の精悍な青年が一気に間合いを詰める。
龍をモチーフにした刺繍の刻まれた、如何にも拳法家の好む衣装を纏い、驚く程の軽装でその青年は戦いに赴いている。
だが、俺にはその理由が分かっている。
拳法家は己の肉体全てを武器とし、防具とする。
熟達した拳法家は、余計な武器や防具は身に付けなくとも、驚くべき程の防御力に信じられない位の素早さ、そして恐ろしい程の攻撃力も有しているんだ。
果敢にも悪魔の懐へと潜り込んだ青年は、その漆黒の身体に無数の拳撃を見舞った。
僅かに悪魔の表情が苦悶に歪んだ。
放たれた拳の速さとは裏腹に、一撃が随分と重たい攻撃だったのだろう。
「閻帝の息吹っ! 焔姫の吐息っ! 灼熱の炎弾となり我が敵を押し包めっ!
隙を見せた悪魔の顔面目掛けて、後方より蒼い炎の弾幕が放たれた。
赤い炎よりも高温を示す蒼い炎魔法を使ったのは、大きなツバの付いた三角帽子に、緻細な意匠の凝らされたマントをはためかせた、美しい女性の魔法使いだった。
翻ったマントの下にも、不可思議な模様が刺繍されたチェニックが見え、彼女の纏う衣装全てが、何らかの魔法効果を持つ物だと言う事が窺い知れた。
ただ、その衣装の露出度は魔法使いにしては随分と高く、大きく開いた胸元からはその豊満な胸が今にも零れ落ちそうで、思わず魅入ってしまった。
俺の想像が間違いなければ、彼女は魔法使いと言うよりも「魔女」なんだろう。
その存在は殆ど知られておらず、今となっては魔法使いと混同されて忘れられた存在となっている。
だがその魔力と、魔法への精通度は、どんな魔法使いをも上回っている。
その「魔女」が放った攻撃は狙い違わず、その殆どが悪魔の頭部で爆ぜ、瞬く間に悪魔の頭は蒼い炎に呑み込まれた。
「ゴッ……ゴオォ―――ゥッ!」
悪魔の咆哮が周囲に響き渡る。
怒号でも威圧するのでもない、明らかな苦悶の叫びから、その一連攻撃が悪魔にダメージを与えている事が分かった。
レベルキャップ間近の俺から見ても手強い事間違いない悪魔相手に、彼等は見事な連携と強力な攻撃力で圧倒している様に見えた。
だが、悪魔もただ黙ってやられている訳ではないようだ。
二本の腕を駆使し、戦士と格闘家の青年へ同時にそれぞれ剣を振り下ろし、もう一本の手を魔女の女性へと向け、詠唱無しで氷塊を放ったのだった。
それは尋常で無い程の速さで繰り出され、未だ態勢の整っていない前衛の二人は勿論、魔法を行使した直後で動きの止まってしまった魔女の女性も到底躱し様の無い攻撃だった。
「神の御名において顕現するは、魂で紡がれし
だが、悪魔の攻撃が彼等に届く事は無かった。
魔女の女性よりも、更に後方で位置していた人物の唱えた防御魔法が、悉くそれらの攻撃を防ぎ切ったのだ。
美しい金髪を
強力な防御能力を持つ魔法盾だが、一つ作り出すだけでも相当な魔力と魔法力が必要だ。
それを3つ同時に、しかも瞬時に顕現するとは、彼女は余程高位の僧侶なのだろう。
「クリークッ! ダレンッ! 一旦退いてっ!」
魔女の女性が、前衛の二人へと声を掛ける。
その声を聴き、辛くも悪魔の攻撃から守られた前衛の二人は、態勢を整えるべく大きく距離を取った。
攻撃に固執する事無く、状況を把握した見事な指示だった。
「イルマッ、助かったっ! ありがとうっ!」
そして、戦士の青年クリークから感謝の言葉が飛ぶ。
その気持ちは恐らく他の二人も同様だろう。
イルマはその声に頷いて答えた。
だが、その目は悪魔の一挙手一投足から離しておらず、更に広範囲をも警戒している事が窺い知れるものだった。
戦いはまだ始まったばかりだろう。
今、一気に畳み掛けるのは無謀と言うものだ。
それを考えれば魔女の女性、ソルシエの判断も間違いのないものだった。
「さぁ、仕切り直しだっ! 行くぞっ!」
戦士クリークはそう啖呵を切り、それに呼応して他の三人も各々動き出したのだった。
「あいつら……強くなったなー……」
一目見ただけでは、目の前で戦いを繰り広げるパーティが、まさかクリーク達とは思いも依らなかった。
それ程見事な連携と高い攻撃力だったんだ。
でも、一つ分かった事があった。
これほど成長しても、あいつらは俺の言った事を確りと守って、今も実践している。
それも、信じられないくらい高いレベルでだ。
今の彼等の「トータルレベル」は、かなり高いと窺い知る事が出来たのだった。
そして俺の中に、不思議な感情が芽生えていた。
彼等が素直に、そして強く成長した事が、俺には殊の外嬉しい事だったんだ。
再び俺の眼前では戦闘が繰り広げられている。
彼等に、俺の存在は気付かれていないらしい。
と言う事は、これは未来の光景か、俺の夢の中か……。そう言えば俺、イルマ達を見送った後、木陰で昼寝したんだっけ……。
「うふふ……あなたもこういう夢を見るのね?」
見事な一進一退の攻防に見入っていた俺の背後から、聞き覚えのある女性の美しい声が聞こえた。
「……やっぱり……これは俺の夢なんだなー……」
俺は戦いから目を逸らす事無く、後方の声にそう答えた。
そんな態度をとる事は本来なら不敬なんだろうけど、俺と彼女の付き合いは短くない。
俺がこんな態度をとっても、今更気分を害する様な彼女でもないだろう。
「ええ、そうよ。これが未来の光景か、あなたの願望なのかは知らないけれどね?」
戦いに注視する俺の隣まで来たのは、実に十数年ぶりに現れた光の聖霊様だった。
「流石は現勇者のあなたが指南しただけはあるわねー。彼等の誰が次代の勇者になっても、あなたに見劣りする事は無いわねー」
そういった聖霊様は、眩しい物でも見る様に目を眇めて戦う彼等の姿を見た。
「……それにみんな可愛いし……だろ?」
目の前で戦うクリーク達は、恐らく現実から数年後の姿なんだろうな。
クリークやダレンは精悍な顔つき、ソルシエやイルマは美しい女性に成長しているものの、その顔つきには僅かに幼さも残している。
丁度少年が大人へと成長する途中の様だった。
「うふふ……ええ……彼等はどの子も。とーっても可愛らしいわー……」
頬を赤らめて、まるで恋する乙女の様な瞳を湛えて聖霊様はそう零した。
俺はその姿を見て、苦笑と共に小さく溜息を洩らした。
「……でもね、勇者となるのは、何も私の趣味で選ばれる訳じゃないのよー?」
頬に手を当ててウットリした眼差しのまま、彼等から視線を外す事無く聖霊様はそう呟いた。
俺はその言葉に、少なくない驚きをもって聖霊様の方へと視線を向けた。
今まで俺が持っていた認識では、勇者は精霊様に選ばれるとばかり思っていたのだ。
だからその選ばれる者も、将来性は勿論だが、聖霊様の趣味も多分に含まれてると思っていたんだ。
「……天命……。勇者は正しく、天がその選別を行うのよー。私達はその選ばれた勇者の後押しをするだけ……」
なる程、そう言う事もあるかもしれない。
俺は新しく知らされた事実に驚きはしたものの、妙に納得して特に疑問は持たなかった。
これがまだ若い頃なら、色々と思う事もあったかもしれない。
精霊様よりもその後ろにいる天……神に会いたいと思ったかもしれないな。
でも、今はそんな事もどうでも良かった。
誰がどう振る舞おうと、結局は勇者に任命された「俺がどうするか」が全てなんだから。
「……それで……どうするの? こんな夢を見る位だから、あの子達を勇者直々に『次期勇者候補』として育てるのかしら?」
そう問われて、俺はどうしたいのか全く考えていない事に気付いだ。
こんな夢を見るんだから、クリーク達の誰かが神の啓示を受けて勇者となり、俺の後を継いで世界平和の為に奔走する事を、少なからず望んでいるのかもしれない。
その反面、俺はまだ勇者と言う立場を捨てるつもりはない。
別に未練もないし、出来るなら早々に勇者と言う立場を辞退したいとも思ってる。
でも今はまだその時じゃない。
俺にはまだやり残した事があるし、何よりもキリが良くない。
中途半端で投げ出してしまっては、後々俺が後悔しそうだと思ったんだ。
「……まだ……わからないなー……」
だから、俺は素直にそう答えた。肯定も否定もしない、出来ない。
本当に自分の気持ちが、今は分からなかったんだ。
「……でも……」
でも、目の前で見事な戦いを繰り広げているクリーク達を見ながら、一つだけ思い至った事がある。
「……そうだなー……精霊様が……神が見ても、申し分ない程の戦士達に鍛え上げる位はしてもいいかなーって……今は考えてるなー……」
俺の視線の先では将来の、そして俺が思い描いてるんだろうクリーク達が、強大な悪魔と一進一退の攻防を繰り広げている。
まだまだ未熟だけど、それでも俺の知ってるクリーク達から考えれば、それは見事な戦いっぷりだ。
少なくとも、これ位のレベルになるまでは、俺が力添えしても良いと思いだしていたんだ。
「……そう……。彼等が次の勇者に選ばれれば……良いわねー」
期待の籠った嬉しそうな瞳をクリーク達に向けて、聖霊様も俺の言葉に同意してくれた。
長い戦いを経て、クリーク達は悪魔を倒す事に成功した。
時間は掛かったものの、彼等に大きなダメージは無く、更には余力すら残しているようだった。
互いに無事を確認し合い、そしてお互いの健闘を湛えて、クリーク達は先を目指してその場から立ち去って行く。
その姿は、俺から見ても少し頼もしい程だった。
「……ん?」
歩き出したクリーク達の最後尾を行くイルマが不意に立ち止まって、こちらへとゆっくり振り返った。
「……これって……俺の夢なんだよな……?」
じっとこちらを見るイルマの方を俺達も見つめながら、そう聖霊様に問いかけた。
「そうよー。間違いなく、ここはあなたが今見ている夢の中よー」
じゃあ俺達が見ている彼等の、イルマの行動は、俺が頭の中で造り出したものなんだろう。
当然、イルマが振り返ると言う行動も、俺が意図した事かどうかは兎も角、俺の脳内で造り出された行動の筈……なんだ。
暫くの間こちらを見つめていたイルマは、再びクリーク達の方へと向き直り歩いて行き、そしてその姿は見えなくなった。
「まぁ、人間の精神には、神様でも不可解な部分が存在しますからねー。何らかの形で、彼女の意識や精神があなたに干渉しているのかもしれませんねー」
聖霊様の言葉で、俺にも明確に分かった事が一つだけあった。
「……そうか……」
こちらを見たイルマの眼差し、力の籠ったその瞳には、何かを俺に訴えかけるものが含まれていると感じていたんだ。
だけど聖霊様の話を聞いて、何となくそれが何かを気付いたんだ。
「……あいつらを育ててみるか……」
幸い彼等も、勇者やその役目、勇者的なポジションに憧れている節がある。
勇者である俺が彼等を教育すれば、自然と時期勇者を育てる事になる筈だ。
俺はあいつらに戦い方、生き残り方をレクチャーするつもりだけだったけど、聖霊様と話して、そしてイルマの目を見てそう思うようになっていた。
「あいつらを……俺の後継者として……」
もっとも、そう思って育てた所で、神が彼等を認めなければ意味はないんだけどな。
ただその事を口にした事で、すぐ横に立っていた聖霊様が優しく微笑むのが分かった。
俺が今見た夢の様に彼等が育ってくれれば、俺もクリーク達に勇者としての使命を譲っても良いと思った。
どうやら目覚めるのだろう、形を崩してぼやけていく周囲の世界を感じながら、俺はそう考えていた。
了
俺勇者、39歳。 綾部 響 @Kyousan
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