第4話 高子



「ええと、次はこっちかな。……うん。きっと、向こうだよ」

「また曲がるのか……随分と、ここいらは入り組んでるんだな」


 誰よりも速く駆けられる人が、鈍い他人と歩調を合わせるということはどういうことか。ゆっくりと、円かに二人は歩いていた。じわりじわりと、恐怖は迫るものだ。しかし幼子の明るさのせいで、青年は周囲に暗がりがふえつつあることに気付けない。

 ただ、口裂け女の少女ハナコは、迷い人勇二を連れることを随分と楽しんでいるようではあった。それを、鈍い勇二も察することが出来るくらいには。


「なあ、そろそろどこに向かってるのか、教えくれてもいいんじゃないか? 助けてくれる人をまず探す、っていってもこんな迷路みたいに奥まったところのどこに居るのか……正直不安になってきたよ」


 しかし、それでも勇二は、少女の不相応に古い鼻歌を遮った。そろそろ、自失していても怖い時である。目が泳いでいても見てはいけないものが映ってしまうような、そんな言いようのない不安が彼を襲い始めていた。


「うーん。今更引き返すことは出来ないし、教えてもいいかな。あのね、信じなくてもいいんだけど、私が探しているのは怪人なの。まあ、ただの怪人ならそこら中に居るんだけれど、私が探しているのは知り合いの怪人。はぁ……チャンネルが合ってて、助けてくれる人って少ないんだよね。情ペラペラの世の中だわ」


 まあ、久しぶりの会話を楽しみたいハナコの口は思いのほか軽く、勇二の疑問に答えていた。それが自答に近く、暗号じみた不可解な言葉であっても、不安定な彼は揺れる。


「えっ、ちょっと待ってくれ。怪人って……お化け、みたいなもんだろう? そんなの、どこにも居ないんじゃあ……そんなのを、探すのかい?」


 当てのないものを探すのは、遊びでもなければ無駄である。勿論、勇二の心に遊びはない。焦り、一杯一杯で、今も何処にも居ないはずの眼の前に居る怪人を見つめている。

 果たして勇二の放言を受け取ったハナコは、声に出さずに笑んでいた。牙ほど尖った八重歯を剥き出しにして、相変わらずおかしい男の子だと、受けている。


「ううん。居ないなんていうのが、嘘。ココにだって居るよ。あのねえ、勇二おにいさん…………私も怪人だよ? まだ、判らないのかなあ」

「いや、そんな……」

「やっぱり、判らないんだ。そうだろうね、前が見えていないもの。私なりに、教えてあげようかな。よし……ねえ、これはなーんだ?」


 そう言って、ハナコは己の傷を指さした。まるでそのまま刺し穿ってしまうかのように、素早くも鋭く、迷いなく。


「口、じゃないかな」

「違う違う。これは、醜くも引き裂かれて痛々しく縫い閉ざされた頬の傷跡。こんなものは、口じゃないよ。私は、これを口と認められない」


 途中にそっぽを向いたことで、スカートがひらり。勇二はおかげで断言したハナコの表情を見ることが出来なかった。


「そ、そう言われてみればまあ、そうだね。醜いとまでは思わないけれど……ごめん、少し考えなしに喋ってたよ」

「分かればいいの。それで、分かってしまえばどうかしら?」

「え………………うっ」


 そして、機嫌よく振り返ってきたハナコの口元を、勇二が再び直視することは出来なかった。当たり前のことだ。黄色い膿と歪んだ肉で出来た治癒しきっていない傷跡が、タコ糸のような太い糸で荒くキツく縫い閉じられている様を、彼はあまりに近距離で真っ直ぐに見てしまったのだから。


「あはは。気持ち悪くて、もう二度と見たくないかな? まあ、少しは私がどんなものなのか分かってくれたでしょう。ほら、マスクしたからもう大丈夫。これで、口裂け女の出来上がり」

「あ、ああ。ありがとう」


 感謝の言葉を口から出すために、勇二は相当に苦労した。手馴れた動作で、ハナコがポケットから取り出した大きめのガーゼマスクでその醜く裂けた頬を隠してくれたのだが、彼はむしろそれが隠れてしまったことにこそ大きな不安を覚えたのだ。

 あんなものが、そんなに簡単に隠れてしまうなんて、なんて恐ろしいのだろうと、勇二は、閉じ隠される意図に怖気を感じて、震えを抑えるのに必死になっていた。

 そして、辺りは暗く沈んで今やどこもかしこも闇に隠れている。今いる場所に、満月以外の光源がないということに、勇二はここで初めて気がついた。


「あ、ちょっと辺りが明るくなってきているね。これは……想像すらできないものは存在しない、ってやつの反対かな? アイツの言ってた通りなのは癪だけど、まあこれだけエッジが効いてくれば、直ぐにでも見つけられるね」

「明るくなっている、のか。あ、そういえば……この月は何時から空にあったんだっけ」

「何を言っているの? ずっと、そこにあったのに」


 空には、丸い月が一つ。そればかりが、ギラギラと照っている。勇二には、今浮かんでいる満月が、過去に何度も見た時よりも遥かに大きく見えた。それが錯覚だととても思えないのは、空を仰ぐのがあまりに久しいことだったからか。しかし月は満ち欠けするものなんていう持ち前の常識は、頭上の奇異な月を見上げていればいるだけ、たった今手にしたかのように疑わしく感じられた。


「そりゃあ、そうだよなあ……」

「まあ、さっきまでは曇っていて暗かったけれど」

「あ、だから晴れて明るく……」

「あはは。当たり」


 そして、この満月が異形であることも、確かなことである。丸く、円く、凹みも傷すらないただの鏡が、大きく天に蓋をしているのだ。

 それが少し前まで、誰かさんの疲れ果てて余計なものを気にすることが出来なくなっていた心象を映して、曇っていた。でも、きっとこれから更に晴れて、余計なものを見つめることになるのだろう。それが楽しみで、ハナコは嗤っている。


「あれ? 分からなかったけれど、ここはどこかのアパートの……裏側になるのかな」

「おー、本当だ。建物真っ暗だけど、隙間からもう少しマシな道路に出れるよ。そろそろ狭いところにも飽きてきただろうし、表に行ってみる?」

「そうしようか」


 一歩、二歩、三歩。そうしてたどり着いた塀の隙間を二人で通ってみれば、大いに視界は開けた。暗く閉じこもった今までが嘘のように、広い歩道に赤い屋根も、点っていない信号機だって満月の青い光に照らされている。


「はー……なんか、疲れたなあ」


 それだけの、有機的な動きのまるでない開けた光景に身を置くことで、勇二はほっと一息つくことが出来た。


「大丈夫。きっと、あとちょっとだから」

「そうならいいけど……にしても、静かで停電って風でもないし、本当に何か全体的におかしいんだな」


 夜も更けてきているとはいえども、どこの窓にも白や黄色い灯りがなく、街灯すら消えていることは、十分に現と離れた事態ではある。だがしかし、先ほどまでの悪夢的な妄想からすると随分と明るい現実であるために、勇二も気を緩めることくらいは出来た。

 また、ハナコも勇二と同じような心持ちであるようで、気持ちよさそうに震えながら、大きな彼の隣で小さい体を逸らしている。

 そう、伸びれば届くものだって沢山あった。そうして、彼女は全身を使いながら、蔓延る呪言の中から一つの物語を聞き取っていたのだ。


「ふわぁ。よし……隣の道路には邪魔な騒音の塊は通っていないし、音を集めるには丁度いいかな。さあて、噂を辿って、歩きましょう!」


 やがて、一つの怪談の尾ひれを捕まえたハナコは、その源に向かって歩き出す。自然、只の人間は置いて行かれる。


「あ、ちょっと」


 慌てて追いかけていく中で、よく手入れされているのか、丸く弾むボブヘアーが、勇二の目には無邪気な柴犬の尾に見えた。



「こっちこっち。早く早く!」

「ええっ、また横に入るのか?」


 真っすぐ行って、次には左右に震える。そういう文脈みちすじが、ハナコの頭には入っている。マスクの下で大きく笑いながら、ハナコは勇二をそのまま導いていく。

 やがて、煤けたアパートメントや、錆びついた工場がゆっくりと視界の端から消えていき、たどり着いた場所は行き止まりだった。


「到着!」

「はぁ、はあ……ここは……ふぅ。ハナコちゃん、君は俺をからかっているのか?」


 早足に歩きまわって疲れ果てた勇二は、目前を覆う白い壁を確認してから下を向いた。果たして足元にだって、ひび割れたアスファルトにへばりついたガムの汚れしか見て取れない。

 それもそうだろう。ここは、勇二の背丈の倍近くの高さの塀で囲まれた袋小路。二人の出会いの場よりも意味のない、ゴミすら縁遠いほど複雑に奥まった空白の場所だ。もし気の短い人がこんなところに迷い込んでしまったら、それこそ苛立たしく口内の汚物を地面に吐きつけてから引き返す以外に何も出来ないだろう。


「ふざけて……いるんだよね」


 そう、ただ止まってしまうだけの袋小路になんて、誰も何も来るべきではないのだ。こんなところを目指していたなんて、ふざけていなければおかしい。

 実のところ、勇二はハナコが稚気に浮かれて無意味に先走ってしまったのだと、言って欲しかったのだった。自分の知らないものを見ている少女が、そろそろ恐ろしくて。


「あはは。そう思うなら、もう一度お月さまを見てみたらどう?」

「どういうこ、と…………うわあっ!」


 こんなに何もないのならば、月見の邪魔をするものがあるはずもない。ただ見上げるだけに、不安なんてありはしなかった。だから、それに驚いたのも当たり前のこと。

 月に至る前に、瞳には壁面が映ってから、そうして壁の上には陰った顔が見えた。

 そう、意図不明にも、何もない行き止まりをたった今覗き込んでいる最中の顔がそこに。長い髪と線の細さから、ぼやけて見えてもそれが女性だと勇二には理解できる。だが、果たしてその顔が見定めてからどんどんと自分に向かって近寄ってきているということは、理解したくもないものだった。


「あ、ああ……」


 壁の向こう側から近寄ることが出来るのは、別に女性が首を長く伸ばしているというわけではない。その女性が、三メートルはあろうかという石壁に触れることすらなく、更に余りある上背を伸ばして曲げて、頭を下ろしているだけなのだ。ただそれだけという、恐ろしさ。

 蛇のように伸びた体は曲がり、遂には勇二の目が前を向くまで顔が下りた。それから女性は、落とさないようヒラヒラとしたボンネットに当てていた手を、今度は口元に持っていく。

 月どころか、女性の表情すらも確認する前に、勇二は思わず恐怖に目を瞑った。


「ぷっぷっぷっぷっぷ」

「わ」


 しかし、それはただ、女性が抑えられない嗤いを隠すための行為だった。思わずそれをまじまじと見つめてしまった失礼を放り出したまま、含み笑いは続いていく。

 あまりに間近で身構えてしまったために、その長い指の隙間から噴き出た生暖かい吐息が、勇二の顔を撫でていた。


「ほうらね。この人が私の知り合い。今まで私これでも一生懸命に、探してたんだよ?」


 勇二が不快感に目を開けようとする、その前に、ハナコは彼の服の袖を引っ張った。硬直した半身は少女の方に向き、反して笑い声は勇二の頭上高くに持ち上がっていく。


「えっ、ああ。そうなんだ。疑ってごめん。ありがとう」


 プツプツと漏れる吐息が遠くなっていくことを確認してから、勇二は自分を取り戻せた。久しぶりにちゃんと閉じたことで染みている目をゴシゴシとこすりながら、彼はハナコに不確かな感謝をして、間を埋める。


「えっと……」

「この人は、怪人仲間の高子たかこさん。ほら見ての通り、スタイル抜群の美人さんだよ」

「ああ、そう……なんだ」


 良いスタイルというのは、恐るべき手足の長さを指すものではないだろう。勇二は頭上遠くにある、過度の疲れ目では確かに見て取れなかった造作が綺麗であるはずの顔を見上げながら、そう思った。


「ぷっ、ぷっぷっぷっぷ。こんばんは、ハナコちゃんに勇二くん」

「あ、ええと……はい。こんばんは」


 四メートル以上の体高に対しては、声も表情すらも捉えにくい。よく分からないから、取り敢えず勇二は愛想笑いを返す。

 高子は、怪人を自称するハナコとすら明らかに違ったモノだった。世界記録どころか、物語に描かれるような巨人ぶり。しかも法則を無視しているかのようにその身は細長い。

 そんな、明確な常識外れが目の前でユラユラと揺れているのは現実感を過分に削いでいく。だから尚更、勇二は我に返れずに流されていくのだ。また今回も、ヒントに気付くこともなく。


「高子さんは趣味が覗きっていうのが玉に瑕だけど……でも、そんなピーピング大得意なところが、今回は頼もしいところね」


 まるで子供のような怪人であるハナコが歳相応にゴスロリの塔を揶揄することで、その長身はくねくねと、悩ましげにうねる。


「ぷっぷぷっぷ。やだやだ、ハナコちゃんたら酷いなあ。出来れば人間観察、って言ってくれれば優しかったのに…………ん?」


 しかしそうして僅かに間を置くことで高子は何か思い至ったのか、そんな奇行も笑いも止んだ。


「……あらあら、そっか。ただ会いに来てくれだんじゃなくて、ひょっとしたら二人とも、誰か探しているの? いいよ。アタシ、見つけるのって得意なんだ。今写真とか、あるかな?」

「あ、ありますあります。はい、これです。この写真の真ん中にいる妹を探しているんです。十日前から、ずっと見つけられなくて……」


 勇二は、急に言われたことで、それこそ新しい折り目を一つ増やすくらいに慌てながら胸ポケットから写真を取り出した。次いでにひと目平和なそれを見たことで焦りはまた空いた胸元で焚きついていく。


「ん、かしてちょうだいね」


 しかし、そんな大切なものを手元に留めておくには披露する相手との距離は離れ過ぎていた。かぎ針のような細長い指先が、勇二の手から無造作に思い出の写真をさらう。その写真を見た高子がどう感じたのかは、その喉元しか認めることの出来なかった彼には不明だった。

 ただ、遊んでいた左手がまた口元に近づいていったことで、自ずと察せたが。


「ふむふむ、へえ……ぷっぷぷぷ。ぷっ、ごめんねアタシ笑いやすいのよ。ぷぷっ、なんて微笑ましい写真なんだろうね」

「はあ……」


 片手で塞いでも湧き出るほど一般家庭が面白いのは、高子が酔狂だからか、もしくは笑い上戸な酔漢だからか。その吐息の血なまぐささを、目の中に招いて痛いほど理解した勇二には、後者でないことは知っていた。

 だから、その呆れた素面にほうけるばかりである。


「もう。勇二おにいさんの口が開いたままだよ? あきれ果てて喉カラカラにさせる気がないのなら、探せるか早く教えて」

「分かっているわ。勿論この子のことは探せるわよ。勇二くん。この子の名前、教えてもらってもいいかな。――――間違えたら、大変だしね」

「ええ? あ、はい勿論。妹は足立華子、っていう名前です。出来るなら一刻も早く見つけてやって下さい! 俺、不安で、不安で……」


 まるで天に望む様に、勇二は高子を仰いですがっている。ずっと必死で、そうして僅かの光明を掴んだ今に至っては、まるで命を投げ出すかのように、怪人という恐ろしくてどうしようもないものにだって願う。

 勇二はそれほどまでに、前後不覚の状態だった。


「うんうん、カコちゃんね。お兄さんは不安で仕方ないみたいだし……さあて、じゃあ今直ぐ探してこようかな。私はこんなに特徴のない子なら、一刻も経たない間に見つけられるよ」

「本当……いや、ありがとうございます!」


 脳裏にかすめた疑いを、勇二はさっと取り払ってから喜ぶ。相手が異形だからと、見つけたら何をするかわからないと恐れるのは差別的なことだと、間が抜けた彼はそう考えたのだ。


「ぷっ、うんうん。それじゃあね」


 そんなこんなも、全て把握しているのか、眼下に落ち込みすぎた勇二のつむじを高子は一笑に付し、蛇が巻き戻るようにするりと消えた。


「あれ、もう居ない……ハナコも何してるんだ?」


 そして、勇二が一度下げた重い頭を急いであげれば、そこには何もなく、だから感謝が届いたどうかも、不明だった。去ってから動悸が少し治まったことにすら気づかずに、そしてなにより漂っていた臭気も何もかもなかったかのように怪人が消えた原理も分からず、ただ呆然とする。目標を失った勇二は、蚊帳の外にて壁の穴にその小さな指先を差し込んで遊んでいるハナコの姿を見つめるしかなかった。


「あはー」


 視線を受けた少女は大きめのマスクでも隠し切れない口角を上げて笑い、しかしどこか心配をみせるような表情も露わにしていた。そんな風に、わざとらしく応答したことで、勇二も彼女の呆れを理解する。


「なんか問題でもあったかな?」

「おにいさんはね、素直すぎるんだよ。さっきからずっと、怪しい人の言葉を全部鵜呑みにして。もうどうなっても、知らないからね?」


 ツン、と視線を逸らして、はなこは上を見る。そこには何もなく、あるのは大きく黄色い欠けない誰かの瞳のみ。勇二が見つめる下の光景と同じく、情緒のかけらもない風景だった。

 何処もかしこも無機的で冷たく、故に、人の心配をするハナコの姿はこのゴミ捨て場から明らかに浮いていた。


「……どうなる、のかな。あいつ無事だといいけど」

「ぷっぷぷっ。心配しても無駄だよハナコちゃん。この子、自分が見えてないもの。ぷっぷ、中々おもしろい男の子だねえ」

「わ」


 そうして、どこか眩しいハナコから目を逸らすかのように彼女の視線をなぞった勇二は、去ったはずの異常な怪人と瞳を合わすこととなった。しかし、その全体は疲れ霞んだ目で見つめる勇二にとって相変わらず不明で。また、何時からどうやってそこにそびえ立っていたのかどうかも分からなかった。しかし、妹のために気にならない彼にとっては恐怖を覚える余裕もない。

 そんな彼は高子にとって、とても愉快であり、ハナコにとっては不愉快だった。しかし、好き嫌いを言っていられるのは勇二を見ての通りに余裕のある間だけ。ただ、それを知っていても、ハナコはため息を吐くことを止められなかった。


「はーあ。高子さん、まだ探しに出てなかったの?」

「聞くのを忘れていたことが、一つだけあったのよ。ねえ、勇二くん。もしアタシが調べた結果がどうあっても、後悔しない?」


 最後通告は、そっと小さく耳元で囁かれる。そんな経験なんてない一般人の勇二は、それにまた、気づくこともなく。


「はい……無事じゃなくても、とにかく居場所さえ分かれば、それで」

「なら、いいかな。ぷっぷぷぷ。それじゃ、覗き込んで来るわ」


 そう言って再び消えた姿を、瞬いた間に見逃した勇二はただ言葉を受け取って、内心に安堵していた。


「良かった、これで見つかるんだ。だって、あの人も怪人なんだろ?」

「おにいさんは、怪人ってのを随分と勘違いしているフシがあるけど……いいか。今回は間違いなく見つけてくれる。とっても、簡単にね。ま、高子さんは気の利いたオペラグラスみたいなものだと思えばいいよ」


 ハナコはその方法が一般的に呪と呼ばれるものであることを隠して、それ以外は的確に高子を表現した。優しさが、そこに隠れているのを、馬鹿になってしまっている彼は見つけることが出来ない。

 結局のところ、ハナコは嘘つきでもあり、正直者でもある。どちらの要素も、混じって不明であるのだが。しかし、それでも対話が出来てしまうからこそ、勇二は惑わされて、ハナコは迷っている。

 つまり、怪人といえども人と通じあえればそれは根本的には大差がないということであろう。いくらおかしかろうとも、アウストラロピテクスほど離れていない隣人達。物理科学、人間原理に収まらなかろうとも、誰かの恐れの中以外に彼女たちは存在し得なかろうとも、どうしてだかグロテスクにもそいつらはここにある。

 今はこのゴミ捨て場にマイナー落ちした怪人たちは、蠢き怨嗟を垂らす。そんな所に落ち込んだ人間なんてものは格好の餌である。ただ、ハナコが自然と壁に手をおいた風にして指先にて抉ったのぞき魔の赤い瞳のように、彼らは少女を恐れて勇二に触れることはできない。

 こんなにおかしくなってしまった人間以外にはダメであっても、未だ人間に影響を及ぼせて繋がれるようなハナコや高子のような力のある若々しい存在なんていうものは、中々この場にはいないのだった。だから今のところは、誰も二人に触れ得ない。


「あれ、携帯鳴ってる」

「へ?」


 そう、何も繋がることなんてない、そのはずだった。しかし、どうしてだか携帯電話は電波など通るはずのない、こんなあり得ない物以外に何もない場所で通信を受け取っている。


「華子……じゃないか。誰だっけ……ああ、高橋さんって昨日の」

「待って、私に貸して! それまで出ないで!」


 勇二にとっては、携帯がつながることなんて普通のことなのだから驚きなんてない。しかし、普通ではない場所で普通のことが起きてしまうことの、その意味をハナコは重々知っていた。


「どうし……おわっ」


 辛うじて操作する前に通じた焦り声で勇二は止まる。そして嘘のような身体能力で素早くハナコはその手からスマートフォンを奪い取れた。そう、彼が聞いて、その壊れかけの自我が粉々に砕かれてしまう前にどうにか出来たのである。


「……もしもし? 誰……って決まってるわよね」

「もちろん。当然のことながら、僕だヨ」


 機械越しの応答。それだけで、強い緊張の糸が周囲に一本張られたことを勇二でも感じ取れた。勇二はふと、耳を引きちぎりたくなったが、そんなこと考えるはずはないと、錯覚する。他には、出てきた声が男のような気味の悪い崩れた不明なものであること、それまでしか彼には気付けない。

 だから、何やら新しい怪人が現れたのかとのんびりと考えるだけで、それがとんでもなく逸脱した人間である可能性なんて思いもしなかったのだった。


「あれ……っていうことは、高橋さんは、どうしたんだろう。どこに?」


 しかし、勇二でも知人からかかってきた電話が知らない男によるものであることが、おかしいと気づくことくらいは出来る。そしてそんな事態は七恵が貸したか彼が携帯電話を拾ってかけた以外でなければ、彼女の身からそれが奪われたと考えるほうが自然であることにも、思い至った。


「キミが、なるほど。分り易いネ」

「そうよ。そんな分かりきったことはどうでもいいわ。アンタどうせ彼が聞いてるのすら上から観てるのでしょ? 答えてあげなさいよ」

「大丈夫さ問題はない。彼女には語り部をやってもらう必要があるからね。ただ、キミたちはそのまま気を変えることなく話を進めていればいいさ。ただ、それだけを釘刺して置きたくてネ」


 びちゃり、びちゃり、と言の端を滴り落としながら喋る男の、当然のように受け取っても全く理解できない言葉を聞いて、勇二の全身は怖気立つ。ああこれは、何か嫌な予感がすると、彼はハナコの方を向いた。ただ、こんな男の大丈夫という言葉を信じて構わないかと聞いてみたくなって。

 少女と少年のアイコンタクトは素早く、更に苦そうに頷いて示したハナコの仕草を彼は信じた。だが、それでも昨日出会った同級生の少女のためにも、受け取った自分の携帯電話に向かって疑問を呈さざるを得ない。通話先に存在するのが一重二重では信じられない相手であるというくらいは、彼も察せている。


「本当に、大丈夫なんだよな……」

「僕にとっても彼女は間違いなく、生き延びていなければ困る客なんだ。信じてほしいな。そんなことより個人的には、キミのほうが心配だヨ」

「どうして」

「どうしても何も、口裂け女にさらわれた人間が無事で済むわけがないじゃないカ――」


 ぷつりと、彼が思ってもいなかった言葉を残して、その電話は唐突に切れた。


「ハナ、コ?」


 いや、それは切られたのだ。しゃきんという金属の擦れる音に勇二が隣をはっと見ると、そこにはキリンを模したデザインのハサミの先を天に示すかのように掲げるハナコが目に入った。それは明らかに、通話の終わりと未だに繋がっている。


「はぁ」


 肩を落とし、ハサミを宙にかざしたままで、強い糸(意図)を早々に切断しきれなかったハナコは、嘆息する。もうちょっと、デザインより機能性を重視したものを手に入れていれば良かったかと思ったが、覆水盆に返らず。不信感がこもり始めた視線を受け取りながら、冷静にハナコはポシェットの中へお気に入りの大嫌いなハサミを戻してから、一言だけポツリとこぼした。


「最悪」


 そう、特大のノイズが混じったことによって、この物語は誰にとっても幸せな終わり方をしないことが決定した。つまらなく、当たり前の結末が訪れることだろう。

 怪人は、いつまでも人の子と遊んでいられないのだから。



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