番外話その二 七恵の不思議②



 将来的に赤マントに口裂け女の少女、ハナコという怪談を生かすためのストーリーテラーとして被害者を知り適正があるからと選ばれて。そして、悪意の全てを平気で直視し語れるように赤く染められてしまう七恵。

 しかしその前、中学二年の時分は当然の様にそんな役割など持ってはいなかった。

 その頃の七恵ははただ、優れたどこか影のある小さな少女として、人気を博していただけ。ちょっと違った人間として、不通に生きていた。まさか自分が人でなしになるなんて思わずに、真っ当になろうと折れ曲がった心を伸ばして。


「芳子」

「良平くん」

「うわあ……」


 そうして無理に前を向きながら知らずひと気を避けて歩いていると、先に見つめ合う件の設楽したら芳子と馬場良平の姿を発見してしまう。

 運動部の掛け声と、吹奏楽部の楽曲が遠くに響く中、放課後の校舎裏にて恋人が二人。七恵の節穴の瞳であっても分かるくらいに彼彼女等はいかにもな雰囲気を醸し出していた。

 思わず出てしまった声が小さかったのは、両方にとって救いだっただろう。


「早く、静かにここから退かないと……」


 幾ら人間観察好きの七恵とはいえ、近距離で出歯亀を行うほど無粋でも危機管理能力が低い訳でもなかった。むしろ、下手に絶好のシチュエーションを乱してしまい、二人の恨みを買ってしまうことを小心な少女は恐れる。

 そして、七恵がゆっくりと後ずさる中、その行為は行われた。


「うわ……キスした……」


 最初は僅か当たる程度の接吻。それが何回も続いて、啄むようなものに変じたと思えば、二人の影は重なった。背中に回された手は、情熱的に開かれる。


「わわ」


 恋人になってそれで終わりではなく、続きがあるもの。自分には関係ないからと、そのことから目を逸していた七恵は同級生が行った少し桃色な刺激に慌てる。


「……セーフ」


 しかし、無駄に能力のある七恵は心の揺れぐらいで注意を忘れることなどない。足元に幾つか落ちていた小石に接触することすら避けて、物陰にそして路へと戻ることが出来た。

 もしも、七恵が少しドジで、人の険を多く誘っていたら、もう少し彼女の道は違っていたに違いない。紆余曲折あろうとも、その方が真っ当に至る可能性もあっただろう。だが、やはりもしもはないのだった。

 嫌に弾む胸元と一緒にその手で動悸を押さえようとしながら、七恵は零す。


「私がオッケーしていたら、あんなこと、しなければならなかったんだ……」


 七恵はモテた。飾らずとも外見に気を付けていて、露出しているその能力の多くが高いものであり、そしてその全てに引け目を持ってひけらかさない少女。その中身のおかしさにさえ気付かれなければ、彼女は魅力的に映るのだろう。

 イタズラから告白。男子どころか年上の男の人による好意によるアプローチさえ、七恵は経験していた。だが、一人きりを好む彼女はたどたどしく慕情を見せる後輩から、一方的に愛を語る痴漢までの全てを否定して来ている。

 生まれてからこれまで、触れ合いというものの経験があまりに少ない七恵は、深く繋がりを求める彼彼女を眺めてから、モヤモヤする胸中から一つだけ想いを表せる言葉を見つけて、呟いた。


「……ばっちいね」


 七恵は、いやいやをする。頭と一緒に彼女のポニーテールは毛先を宙にて左右に遊ばせ首元で流れた。恋も愛もそれを行うに至るための過程であり、交わるための必然であるというのは彼女も知っている。

 いや、獣のように貪り合う両親によってそれを幼少から判らせられてしまっている、という方が正しいのだろうか。

 嫌いな二人の真似をしたくない、故の性に対する潔癖。そして、それだけでなく七恵は繁殖行動自体に対してあまり肯定的ではなかった。何しろ、それで自分のようなものが生まれたのだから。


「知らないからこそ、ちゃんとした家族を作りたかった、とか二人共言ってたけど」


 どうして不幸から不幸が生まれるのはこうも当たり前のことなのだろうか。彼らだって、幸せを願って七恵を生み出した筈であるのに。

 臆病にも、喧々囂々としてその都度思いを確認しなければ共にあれない不完全な者達。それに挟まれて、果たして少女はどう生きれば良かったのだろう。

 普通に、なりたかった。七恵は皆と一緒が望ましかったのだ。それでも、どう足掻いたところでそうなることは出来ずに、考える。


「私はきっと、愛されたいのだろうね。でも、あんな風に普通に愛し合いたくもなくて……欲張りだなあ」


 恋愛から立ち去りながら、七恵は歩む。頭の中で会議にかける必要もないくらいに、自分は落第。であれば、現況もおかしくもなんともないだろうな、とは考える。

 そう、人は遠くに、自分は独り。青春の声と音が遠くにある中、ただ自分のことばかりを考えている。それでいて構って欲しいと思っている厄介な子供なんて、愛されるわけがないのだ。そう、七恵は錯誤している。己が愛の結晶であることも忘れ。


 空はまだ暮れには遠く、どこまでも明瞭に晴天は澄んでいた。おどろおどろしさの欠片も見当たらない、そんな平常に埋もれられず、ただ七恵は嘆息する。己に寄ってきている人影に、気づきながら。

 出来れば彼が不審者で、自分を括ってくれないかな、とふと思いつつ。


「あ……ごめん。ちょっと、良い?」

「えっと、何かな」


 そして、自分に向けられた声に応じた七恵が見たのは、普通の人。よく分からない、男の子だった。全体に大雑把な容姿は美しいとは見えなくて、しかし醜いと言うには歪みが足りず。

 ただそこにあっても、嫉妬も意識もされないそんな少年だと、彼女は理解する。

 だから七恵は、ああ彼は私の理解者にも加害者にもなってくれないのだろうな、と真っ平らに変化のない面のうちで落胆した。


「良平の奴、知らないかな。どっか行っちゃってさ。確か違うクラス、だったよね。名前は……」

「高橋七恵だよ」

「そっか、高橋さんって君か。良平が同じクラスになったって、一時うるさかったな……俺は足立勇二。良平とは馬鹿やらせて貰ってるよ」

「馬場君とはお友達、なんだね」

「ああ。小学からの仲だよ」


 だが、七恵が余計な感想を持っていようとも、まともに対面したのが初めてであれば、自己紹介が行われるのは当然。

 きっと仲良く出来ないだろうな、と感じながら少女は少年を見た。対面に思慮深さは感じ取れない。もっとも、そこまで考えずとも話しながら勇二も聞いた通りに綺麗な子だな、とは思っている。

 因みに、この出会いと会話を、一方は長く覚えていたが、片一方は直ぐに忘却の彼方にしてしまっていた。満たされ過ぎていたら、それ以上容れるとはち切れてしまうから余計なものは捨ててしまうのも道理。

 この出会いは、捨てられる。それを、何となく七恵は気付いていた。

 とはいえ、一期一会をないがしろにするようなことはない。口を開いて、七恵は勇二に答えた。


「それで、馬場君、かあ……ううん、どうしようかな」

「え、何かあったのかい?」

「何か、しているというか……うん、きっと見られたら良くないと思う……」


 しかし、上手に応えられたか、といえばそうでもない。先程の情事を思い、少し頬を染めながらぼそぼそと語る七恵の説明は要領を得なかった。


「よく、分からないな……」

「分からない方がいい、ことなのかもしれないね。彼も平気にはしているから、出来れば探すのを止めてくれた方が優しいと思うよ」

「うーん。そういうもの、なのか?」

「起きているのは、悪いことじゃあ、ないから」


 悪いことではない。生命の誕生への助走は、急いだり行き過ぎたりしなければそれは間違いなく良いことだろう。だが、性の発露は恥ずかしいと、秘されるのもまた自然。

 どうして隠す側に自分が回っているのか、不思議に思いながら、七恵は適当な言葉で勇二を煙に巻く。

 首を傾げながら考えるニキビが目立つ少年の顔を眺めながら、七恵はこれで大人しくしてくれる筈はないだろうなと、思う。

 好奇心に動かされ、無闇を恐れないのが、子供。同類であるからには、不明を許せない心が分かる。さて何と言えばこの子は納得してくれるだろうかと彼女は色々考えていた。


「そっか、分かった。じゃあ俺、帰るよ」

「え……」


 だが、普通の少年は、まあそれでもいいかと、気にしない。友人は沢山居るし、拘る意味も特にないのだ。それに、少しの暗さで怯えてしまうほどに、勇二の周囲は暗くもなかった。

 しかし、孤独な七恵は、多少粗雑であっても許されるような人付き合いが理解できない。それでいいのか、と質問したくとも怖くて出来ずに、そうして血迷う。

 残り僅かな青空の間を使って帰ろうとする整いきらない背中に、七恵は問いかけた。


「あの、足立君、ちょっと良い?」

「ん、何かな?」

「足立君は、普通ってどういうものだと思う?」


 どうせ助けを求めるのならば、行けるところまで。そう感じてしまった七恵は、顔を朱くしながら勇二に一番よく分からないことを尋ねた。その自然な頬紅に思わず愛らしさを覚えてしまった少年は少し外を向いてから、言う。


「普通、かあ。それは俺や高橋さんみたいな、皆のことを言うんじゃないかな」

「足立君に……私も?」

「そりゃそうだよ。だって、高橋さんには別に羽根が生えている訳でもないし、悪いことをしているわけでもないじゃないか。それなら、普通だよ」


 異常、認められないもの以外が普通であると、勇二は何の含みもなくそう語る。その通りならば、高橋七恵は当たり前の普通でしかない。そう伝えられて、少女は胸に痛みを覚える。

 これまでずっと、自分は憐れまれて助けられるべき存在ではないのかと七恵は思っていた。だから、彼女は救われて普通になりたかったというのに。


「……ちょっと、乱暴なくくりじゃないかな」

「そうかな。それでも皆がよく言うほどには、人って外れていないものだよ」

「ひょっとして、足立君は人間って皆平等だと思っている?」

「まあ。たとえばそれこそ目が潰れる程醜くかったりしなければ」

「そう……」


 勇二が口にしたたとえは、最早人間を越えた穢れ。そんな許されないものが存在しないのだとすれば、彼の世界はきっと丸いのだろう。誰もが、繋がれる可能性を秘めているように見えているに違いない。

 勿論、そんなことはあり得ないと、七恵は信じている。全ては勝手で、自分の為に広がっているばかり。助け合いというのは、そのための接触を荒立てないための成り行きでしかないと思っている。だが、それでも少女は思わず言ってしまうのだ。


「その考え方は、素敵だね」


 愚かである。その思い込みは何時か裏切られるのが当たり前。学び途中の暗く歪んだ視界は、きっと危ない。

 だが、七恵はそれが美しくも思えた。良く言えば素直に人を愛せる、そんな無垢であるとも取れる。構って欲しくなくて、皆の幸せを願ってしまうような歪んだ自分とは大違いであると、考えた。少し闇色であっても、同じく真珠であることを判らずに。

 美しく綻んだ、少女の顔。そのはにかみが自分の言葉の成果であることを、勇二は誇らしく思う。だが、過剰に惹かれはしない。普通に、彼には別に好きな人が居た。心は、ここにない。


「ありがとう。それじゃあ俺、行くよ」

「さようなら」


 手を振り、分かれる。交わした言葉の全てを少女は意識し、少年は忘れた。彼にとってこんなものは、ありふれた一ページに過ぎないものだから。

 去っていく遠い背中にかける声はない。勇二を好きには、なった。七恵にしては珍しい感情である。だが、それでも抱きしめたいとは思えないのだった。横に振っていた右手を、彼女は下ろす。


「ああ、なりたいなあ……」


 勇二のように、人を信じることの出来るモノになりたい、とは思う。だが、七恵は怖くて避けてしまう。それは、胸の内の暗闇を知られたくないから。

 七恵が善意のようなもので覆ってひた隠しにしているのは、血の赤が変貌してもはやどす黒い、全てに対しての瞋恚。彼女なりに求めて、それで一度たりとて助けてくれなかった世界に対する、悪意がそこに満ちていた。


「いい人に、なりたかったなあ」


 そう口にするが、実は七恵は世のいい人に劣らないくらいに、全てが幸せになってしまえばいいと心から思っている。だがそれは翻せば、もう自分を傷つけないでという悲鳴の末路の結論だった。


「普通……」


 不通で歪んでいて、他人と合えない。それでも、七恵は何時か誰かが救ってはくれないかと思っている。何にせよ自身のことなのだ。その願いは決して捨てきれない。それこそずっと、絶望に全てが裏返ってしまうまでは。


「普通、平凡って何なんだろう?」


 美しき少女の形は、未だ甘い。何時からか暮れ始めた陽に朱く染まりきらない様子の七恵は、幼稚にも空へ問いかけた。だが、独りであれば、当然のように不思議への答えは返ってくることはない。


「私は何時か、それになれるのかな?」



 この日から、七恵の懊悩は始まった。


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