最終話 口が裂けてもいえないこと



「……それで、彼は殺されちゃったの」

「お姉さん、それマジな話?」

「うふふ。マジ、よ」

「こえー」

「……いやだ」


 青く、透明な秋空に朱が混じり始めたそんな時間。人気に溢れた街の中、公園内にてちらほら解散し始めた子供達の内少数が、少女の周りで湧いていた。

 怪談に、恐れを跳ね除けようと元気にしている男の子と、恐れに呑まれて顔色悪くしている女の子。その真ん中で笑っている彼女は、高橋七恵。一部始終を目にした少女である。

 いや、正確に言えば、これは少女のような何かだろうか。瞳の奥の赤色が、黄昏の光を浴びて、ちらりと蠢く。


「見られたからって、殺しに来るなよなー。っていうか、お姉さんの話に出てくる怖いの、大体全部殺しにかかってくるじゃん」

「それは、お約束だから。契約なの」

「契約……」


 どこかぼうっと呟く少女を見つけて、七恵は目を細めた。本当を語る、そればかりの作業。赤マントの怪人に求められたそれに、彼女は今のところ忠実だった。

 しかし、それも過ぎる部分がある。身内以外にも隙を見つけては語りだす七恵につけられたあだ名は、嘘つき女、電波ちゃん、七不思議。それでも七恵は物語ることを止めない。

 それは、どうでも良い彼らが、不安や恐怖に歪むのが殊の外面白いものだったから。一つたりとて求めなくなった傍観少女は、彼らの後ろに潜む魍魎共のその輪郭をくっきりとするために、怪を語る。怪談によって皆、惨たらしく死んで欲しいから。


 そんな七恵の新たな趣味の餌食となっている一人、彼女に懐いている少女は唐突に、我に返ったと思うと、また呟くように言う。


「そういえば……お母さんに聞いたよ。花子さんって口裂け女じゃないって」

「マジ?」

「うふふ。それはマジじゃないよ」

「えっ」


 親の言葉に知識は殆ど絶対だと考えている、そんな年頃。その真っ只中の少女は自分の言葉が否定されると思わなかった。

 彼女は七恵の緩い表情を、ゆっくりと開く唇をまじまじと見つめる。その中の気味が悪い程の赤に気付かず。


「どこかの怪談では、口が裂けていないかもしれないね。でも、私が見た彼女は、立派なお口をしていたよ? それこそ……ユキちゃんなんて一口で食べちゃいそうなくらいに」

「いやっ!」


 ただ淡々と事実を語るだけで、迫真に勝る。嘘が一つもないその言葉に、口裂け女の少女を思い浮かべてしまった少女は、耳を塞いでいやいやをした。

 しかし、どこか感受性の足りない少年は、気になるものをもっと具体にしたいのか、七恵に情報をねだる。


「ねー、花子さんって何処にいんの?」

「さあ、もうトイレからは自由だし、ひょっとしたら、そこら辺に居るのかもね……例えば、キミの後ろとかに」

「うぇっ」


 意識させられた途端に、少年はびくんと背筋を痙攣させた。そして、口をへの字にしてから、ゆっくりと後ろへと振り向く。


「脅かすなよー……ってマジで誰か居る!」

「あ……カコ、ちゃん。隣の女の子、誰?」


 そして、少年少女の後ろには、誰かと誰かが並んでいた。その片方は、見知った子だと判じた少女だったが、しかしもう片方は不明に思える。それこそ、大きなマスクをしている姿がまるで、話に聞いたハナコさんのようだと、少年少女は想起した。


「……誰でもいい、でしょ」


 しかし、彼女の正体を知る足立華子は、にべもなくそう言う。華子はまともに彼らと話す気はないのだ。

 華子が兄を亡くしてから、一年以上経った。しかし、それだけ。少しマトモに戻ったとはいえ、影は消えない。ましてや脳天気な同級生等と馴染むようなことなんてなかった。

 更には、首元のチョーカーが尚更華子を悪目立ちをさせる。でも、それも仕方のないことだろう。鎖の痕は、一生取れることはないのだから。そんなものを見せびらかす趣味は、彼女にはないのである。

 少し冷たい風が、彼彼女等の顔を撫でていく。極まり始めた斜光は、空を朱色に染めて、影を隠す力を失くした。暗い、誰もの凹凸すらもが、不気味である。

 しばし、沈黙が続いて。果たして、無愛想な華子の無言の圧力、そしてマスクの少女の不気味さによって怖気づいてしまった少年少女は、その場から立ち去ることを選ぶ。


「……行こうぜ」

「う、うん。お姉ちゃん達、ばいばい」

「うふふ。さようなら」


 そんなこんなを愉しんで、七恵は笑う。やがて、寄り添う小さな二つの背中が遠ざかっていくのを無感動に見つめてから、華子へと向った。


「何、あの子達、華子ちゃんの同級生だったの?」

「そう……」

「へぇ。ちょっと気にしておけば良かったかもね」


 聞けば、それだけ怪異に近づくもの。それも、嘘八百でない具体とあれば尚更に。彼らがそのうちに襲われてしまう可能性は高い。なら、気を付けて、と見知った華子の関係者くらいには一言注意しても良かったのでは、と思った。

 勿論思って、笑うばかりだったが。

 そんな七恵を、苦虫を噛み潰したかのような表情で見たマスクの少女、ハナコは影に足を入れ、踏み抜くことでその場から消えんとする。僅かな身じろぎで別離の予兆を察した華子は少し、惑う。


「あ、ハナコ。行っちゃうの?」

「じゃあね、華子ちゃん。送りはここまでだよ。出来れば、もう迷い込んで来ないでくれると、嬉しいのだけれど」

「私、迷いたくて迷っているわけじゃ……」

「知ってる。だから良いの。契約通り、毎回私が見つけてあげるから」


 それは、今は亡き勇二と結んだ契約。迷った華子を、ハナコが探すというもの。それが、あの日から今までずっと遵守されていた。

 元より、約束した時に、回数は限定していない。だから、契約を大事にするのならば、華子が迷って困った際に、毎回ハナコは出向かなければならない義務が生じることだろう。

 とはいえ、常人がそうそう迷子になる筈もない。しかし、あの日から少しズレてしまった華子は、ゴミ捨て場に知らず度々落ち込むようになった。

 気付けば、想い探して、落っこちてしまう。そう、華子の兄、勇二の死体は未だ見つかっていないのだ。


「私も、見つけたいな……」

「私がお兄さんを食べたちゃったんだって、言ったでしょ?」

「ハナコが、そんなこと、するわけないじゃない」

「分からず屋」


 華子のぷくりと膨らんだ頬を見つめ、ハナコは嘆息を呑み込む。彼女は彼女を道理すらも越えて信用している。そんなこと、初めて出会ったその時から定められていたことだ。

 被害者が、救助者を疑うはずはない。ハナコが加害者でもあることを知らずに、自分を救ってくれた幽かな記憶の中の小さな影を、華子は盲信するのだった。


「今回だって、この帰り方だと何処に出るか分からないから危ないよ、って言ったのに……」

「ハナコが居るから大丈夫に決まっているじゃない」

「って、言って引っ付いてくるんだからね」


 ハナコは噂という火種によって起こった煙のようなもの。語られたから、ある。そんな発生原理を利用してハナコはここへと殆ど一息もない間に移動していた。

 しかし、ハナコであっても、いやだからこそ、噂されている場所を操ることなど不可能。下手をすればこの世の危険地帯へ瞬間移動してしまう可能性も、なくはない。だがその危険を伝えたところで、華子は信心にて無視してしまう。

 そんなこんなは、兄ゆずりの気持ち悪いところだな、とハナコは感じた。


「それじゃあ、縁があったら、またね」

「うん。また……」


 自分のスカートの裾を掴み、感情を抑えながら華子はハナコにお別れをする。きっと、週に一度は向こうに行ってしまうことを知りながらも、悲しみは湧き立つ。

 奇しくも、失った兄の場所に座ることになってしまったおかっぱ少女を華子は家族と同じく見ていた。大事な自分の一欠片。それが離れていってしまうのは苦しい。

 そんな全てを、努めて黙って観ていた七恵は、とても愉快げに、邪魔をする。


「ハナコ」

「何?」

「さようなら」

「……ふん。私は返さないわよ。反吐が出そうだから」

「うふふ。実は私もそうなのよ」


 七恵は、別れ際に相手の心を濁して嗤い。世界が法則を破ってまでも彼女に消えて欲しいからと影が呑み込んで来る、それを利用した自分の転移と違うハナコの道空けを楽しそうに望んだ。

 そんな邪悪に気付かず、華子は少しばかり驚いた表情をする。


「仲、悪いんだ」

「そう。三角関係なの」

「ふうん」


 それが本当の言葉と、どうして判別できるだろう。またこのロリータ女は自分をおちょくろうとしているのだと、華子は雑に流した。そうして、袖にされた七恵の笑顔と一緒に、新たな問いを受け止めていく。


「うふふ。また今日も、あっちに行っていたんだ」

「そう。もう嫌になっちゃう。でも、ハナコが何時も助けてくれるから……」


 むしろ、望ましい。それを言外に隠したつもりの少女の気持ちを暴いて、七恵はにこりと笑む。

 あっちが好き。つまり華子は、世にも稀なゴミ捨て場愛好家。汚い子だなぁ、と思いつつ七恵は彼女が望む言葉をかける。


「うふふ。あの子、いい子だよねー」

「……でも何時も、契約だからって言うの。そんなこと、した覚えなんてないのに」

「ひょっとしたら、それって照れ隠しかも」

「本当に、優しいの? あの子、バケモノなのに」

「バケモノが人の幸せを望むのは、おかしいことかな?」

「おかしく……ない、かも」


 華子はハナコを参照して、そう言う。だが、そうしてから、翻して自分に視線を向けたところで、表情を曇らせる。


「でも私、人なのに、人の幸せを望めない……」

「うふふ。私も、だよ。でも、華子ちゃんなら、変われるかも……」


 またまた道化は仮面を深く被って、人のふりをして弄ばんとしていた。

 しかし、暮れ落ちていく空の果ては七恵までも暗くしていく。思わず虚しい遠くを一度望み、どうしてだかその赤馴染む全てに飽いて、彼女は珍しくも人らしく気を変えた。


「やーめた」

「何?」

「偶には、昔の私をリスペクトするのもいいかもね」

「え?」

「これから、ちょっと前までの私の望みを教えてあげるね」


 気になるでしょ、と言う七恵の言葉に、華子は頷く。柔らかな毛並みが、チョーカーが、どこか昔見つめてばかりいた犬を思い出させ、彼女は少しだけ昔に帰った。


「うふふ。私ってね。貴方が幸せなら、私も嬉しい。そんな人になりたかったんだ。けど、分かるでしょ? もう私は終わってしまっている」


 どこか悲しんで、最期を認める七恵を、華子は哀れと思う。しかし、彼女が終わった人間であるという事実に否とは言えず、押し黙る。

 そう、今回の七恵の言葉は真実。一度違えてしまっただけで全てを諦めてしまうくらいに、昔の七恵は善人であろうという自己規定に対しては本気だった。愛されたいがための自己規定。しかし、なろうとしていた間は今や尊いものにすら思え。


「そうしてくれたら、私の弔いにもなると思うの。貴女には、皆の幸せを願って欲しい」

「……考えとく」


 七恵は、自分の人生の中で一番綺麗なもので、少女を縛す。そしてそのまま、呪われよと、華子のふわふわ髪を、撫でつけた。


「それじゃあ、またね」

「うん……」


 そして、自分の言葉を消化している様子の華子を見ながら、七恵は無遠慮に髪をかき回すその左手から消えていく。一体の赤に溶けていくように、彼女は暮れ続けて。


「うふふふふ」


 笑い声ばかりが、その場に執拗に響いていった。



 赤マントも、七恵も、所詮は、人にも怪にもなりきれない道化。故に、どちらにも手を伸ばさずにいられない。そして、相手の心を逆なでして、グチャグチャになるまで驚かし、反応してくれたと、彼らは喜ぶのである。

 赤く、赤く。寂しい、と断崖絶壁の向こう側にて停まり続けながら。



「こんなところにいたのかイ?」

「次は、お前か。本当に、嫌な日」

「全くキミは、つれないネ」


 日はとっぷりと暮れて、全てが静まり返った中。交差点の真白い石塊の上にハナコは立っていた。少し高めに人の営みを見つめてみた、そんな時、そこにぬらりと人影が現れたことは、不幸であるだろう。

 お約束の様に、信号機は煌々と全てを灯して主張を強め、辺りには誰もかもが消えている。これでは、人間観察に洒落込むわけにはいかない。だから、嫌なものと向き合う羽目になってしまった。

 血に濡れた様体に開いた幾つもの洞を、ハナコは蔑んで認める。


「お前と向うのは、何年ぶりだろう。それにしても、一年前は、随分とお節介だったね」

「なに、キミを消すわけには行かなくてネ」

「そう。でも嬉しくないわ。ただ、相変わらずやり方が最低だった」

「それは、嬉しいナ」


 喜色に、誰かの面の皮が、ぐにゃりと歪んだ。それが腐れ外道であろうが、好きなものの気持ちが自分に向くのは嬉しいのだ。外れているだけ、違えているが。

 そして、赤マントの怪の皮を被っているばかりの人間は、口裂け女に擬態している花子さんを、少しだけ慮る。


「あの娘の保護は面倒ではないかイ?」

「全然。沢山の約束事があっても、それを乗りこなすことが出来れば自由だわ」

「そうカ……」


 赤マントの男にも、誤算が一つ。それは、少年勇二の残滓。華子によって、ハナコの中に残ったそれは響くように広がっている。

 暗い怪談の内にて凝るそれは、ハナコの有り体をすら歪ませているように見えた。何しろ、ここ一年で彼女が損ねた人間は、両の手で足りてしまうほど。どうにも食欲不振に思えて、想う男は心配してしまう。


「キミはもっと、生きて苦しんでもらわないと困るんだガ」

「お前に言われずとも、六つの苦は忘れずに生きていくよ」

「それなら、良いけれどネ」


 内のものが大いに曲げられようが、表に被られた眉までも歪まない。赤マントの口から散らされる言の葉に、不愉快を感じつつ、ハナコは自身に生死の二苦と四苦しか味わえない虚しさを、内に隠して思う。


「そうね。二つも、足りていない生だけれど……」


 沈む少女の口の端は垂れて、まるで見ていられないものに変貌する。老病苦こそ人生の醍醐味であるのならば、それが端から存在しない怪人というものは空しいものだと、ハナコは考えた。考えるだけで、それこそ虚しいばかりだったが。


「それがキミを苦しめるのなら、そういうものだとして、僕は構わないけれどネ」

「ふぅん。偶には良いことを言う。これも怪人の生、か」


 しかし、そんな心地からも、横で囀る人であり人でなしな男の捻くれた言葉で解放される。要は、隣の芝生は青く見える、隣の糂汰味噌ということなのだろう。不老不病など、人間には喉から手が出るほど欲しいものなのだろうから。

 人に心寄せた、それが間違っていたのだ。そんな己の不明を知りながら尚、こうして遠くを望んでしまう、その故は。それを知りたくなって、赤いマントから直接的な台詞が飛び立つ。


「彼のこと、どう思っていたのかナ?」

「そんなこと――――口が裂けてもいえないわ」

「そうカ」


 響いた本当の音色を聞いた直ぐ後、赤マントは、成人男性の皮を脱ぎ、そして老人の瞳を捨て、少女の臓腑を零し、少年の脳みそを散らかした。例え様のない醜いものばかりが、真っ赤に飛散する。そして、終には何もなくなった。

 狂っているだけの人間の、この上なく汚れた去り際にハナコは嘆息する。どちらが化物なのかと思う。対して、誇示するため、ハナコは小さいままに大きく体を逸した。私は人にそっくりでしょうと、惑わすために。


「それでも、私は人にはなれない」


 マスクを取って、少女は歪んだ口の端に指を這わす。痛みと共に感じる、滑った感触こそが、人との違い。決して癒えない傷を抱えながら、少女は生きる。


 人に近寄り、人を損ねて。心、痛めながらも。




「振られて残念ね」

「誰に懸想した覚えもないのだがネ」

「意地っ張り」

「……やれやレ」


 悪逆非道共は空を飛ぶ。ふわりふわり、ふらふらと。

 七恵も赤いマントも、何に囚われることなく、暗黒を往く。全てを眼下に敷きながら、何を上にすることもないと、強がって。彼らは、自分らを間違いとして消そうとする全てに抗って、凝固する。

 赤色は、闇より何よりも、暗く結びつく。思いこそ、違えながらも。



「ぽぽ」


 そんな地に引き付けられることすらない彼らの無力を、彼女はずっと高みから見つめていた。


「ぽぽ、ぽぽぽ。下らない人たち、だね」


 二人を高みから見下ろす一人。いや、むしろその様は正しく一柱だろうか。

 全てを見下す高子は、それこそ怪人の域をすら超えている。しかし、人につかず離れず、あまつさえ共感して笑うことすら多々あるそんな彼女は、確かに人でなしではあるが、カミサマとするには少し俗っぽ過ぎた。

 その気になれば全能に手が届く程の上背があろうとも無理に下を見つめる高子は、ゴミ捨て場に封じ込められながらも、人の子を望んで笑う。呪わしく、繋がりながら。


「ぽぽぽぽ。ああ、何もかもが、面白いなぁ」


 果たして、彼女が望むからこそ、全てが沈んでいくのか。そんなことも判らずに、世界は呪りと、廻っていた。



「全てに、呪いあれ。ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ」



 今日も人の遥か彼方上から、天を被った彼女は、見つめている。





 口が裂けてもいえないこと、了。



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