第16話

「“事実は小説よりも奇なり”って言うけどなぁ。まさかこんなことになるたぁね」

「ほんと……まさかね」

 カウンターで、源三と楓が驚きの声をあげる。

 そのふたりに挟まれて、朱音あやねは肩身が狭い。

「でも、戸籍上がそうだっていうだけで、血の繋がりがあるかどうかは……」

「それでも、私のお姉ちゃんってことは確かだわ」

「やめて~~」

 楓のような美人にそう言われると、穴を掘って入りたくなる。それでも彼女はニッコリ微笑んで言う。

「えー? 私はお姉ちゃんができて、うれしいけどな」


 あれから数日後の休日。

 あの直後は、 “雨の海”に来づらかった。

 しかしいつまでもこれではいけない。思い切って来てみると、すでに事情を知った楓がそこにいた。


「父と子の再会は、おっかさんには話したのかい?」

 源三の言葉に、朱音とロイさんは、同時に首を横に振った。

「いやいやいやっ、それはっ!」

「無理無理無理っ、絶対嫌っ!」

 どうせかき回されるだけだと、知っている。

「あ……そっか、清美……さん、だもんな」

 当時のことは源三も知っている。しかし朱音の母親だから、敢えてさん付けをしたのだろう。朱音は苦笑いをした。

 

 あの父娘の再会から、朱音は少し考えていた。

 この源三が言った言葉について。

 

――ようやっとふたり、想いが成就したのかな?


(想っていたのは、あたしだけじゃなくて、ロイさんも……?)


 ロイさんを見る。相変わらずハンサムだ。

 目元に皺を寄せて、笑っている。

 見ていたら、ロイさんと目が合った。

 静かにニッコリと微笑んでくれた。


(まあ、いっか……)

 朱音はわかっていた。 

 これは“失恋”。

 あの数え歌で親子だってわかった時に――

(ちがう)

 出会った時……いや、もっともっと昔。

 パパちゃんと暮らし始めた頃、自分が生まれた頃。

 その時すでに、この恋は終わっていたのだと。

 この恋は、始まった時にはすでに終わっていたことを、朱音はちゃんとわかっていた。


「あ、そうだ」と、源三が朱音に訊いてきた。 

「あのな、ふたりのこと、ネタにして書いていいかな?」

「え? 書く? 何に?」

 その朱音の反応に、楓が驚く。

「え? 朱音ちゃん、知らないの?」

「何を?」

「いや、あの」

 源三が苦笑いしながら間に入る。

「楓ちゃん、いいんだよ」

「でも」

  

「ちわーっス」

「あっ」

 そこへ、村上が現れた。

「朱音サン、来てたんスか……え?」

 珍しい、村上の驚愕顔。

「ん? どうしたの?」

「あっ、あっ、あっ」

 村上が、源三を指さしている。

「ちょっと歌音クン、失礼でしょ!」

「えっ、な、何でここに高峰源三がっ?」

 源三が苦笑いしている。

「歌音クン、源三さんのこと、知ってるの?」

「高峰源三っスよ! 直木賞作家の!」

「え?」

 キョトンとした顔で、朱音は周囲を見回す。

 ロイさんも、楓も、苦笑い。

「オレ、高峰先生の『珈琲物語』がすっげえ好きで! それでコーヒーにこだわるようになって……あ、この店がモデルだったんスかね? すっげえ!」

 興奮している村上を初めて見た朱音は、ただひたすらポカンとするだけ。

 村上は朱音に同意を求めるが、反応が鈍いことに、今度は怒り出した。

「えっ、ひょっとしてアンタ、知らないで高峰先生と話してたんスか! モノ知らずもいい加減にしてくださいよ!」

「えっ? えっ? なんでキレるのよ!」

「知らねえよ! あ、高峰先生、今度本持ってくるんで、サインお願いしまっす!」

「えっ? じゃあ、書くって、小説か何かに?」


 朱音は困って、ロイさんの顔を見た。

 相変わらずのハンサム。

 その眼差しはあたたかく、明るい光のように朱音を包む。


(あたしがずっと欲しかったのは、これだったんだろうな)

 ずっと、ずっと憧れていた存在。


「お父さん」だなんて、まだ呼べないけれど。


(了)

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玉子とお味噌とカツオだし ハットリミキ @meishu0430

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