第4話 おしまい
コタツから二人は飛び出ました。
「カエルのおっちゃんの札!」
叫んで台所に走りこむと、弟の幹弘が、おっぱい、おっぱい、と言いながらお母さんの
幹弘はもう一歳を過ぎましたが、まだ
「お母さん、花札の傘をさした男の人とカエルの札を知らない?」
まな板の上で野菜を切りながらお母さんが振り返りました。
「そのへんに落ちてるんじゃないの? よく探してみなさい」
もういやというほど探し回りました。きっと、この台所のどこかにあるのです。
かっちゃんは戸棚を開けて、お鍋やフライパンの重なっているところを探し始めました。幹弘は一人でここを開けて、よくお鍋を取り出したりして遊んでいるからです。
お鍋の
「そんなところにあるわけないでしょう?」
お母さんはあきれた声でいいながら、夕ご飯のサンマの開きを焼こうと魚焼きグリルを引き出しました。
「あらあら」
お母さんの声にかっちゃんとたけちゃんはそっちを見ました。
「びっくりしたわ、こんなところにも。みきちゃんは困った子ねえ」
グリルの網の上に
幹弘はたまに、グリルも引き出しては遊んでいるのです。
「あったああああ!」
二人は叫んで、かっちゃんが札をつかみ取り、コタツの中に飛びこみました。
まだ、穴は移動していなかったのでしょう。穴から出ると、すぐ前に猪と鹿が居ました。
空を見ると、月はすでに半分以上、その姿を山に隠しています。
「急いで、戻って!」
声をかけると、鹿と猪もわかっているのか、全速力で駆け出します。
「よかった、間に合いそう」
「うん、セーフや」
かっちゃんとたけちゃんは息を切らしながらにっこりと笑い合いました。
かっちゃんの後ろには、小野さんこと「小野道風」が目を白黒させて座り、必死に鹿にしがみついています。オレンジのカエルはひょこひょこと鹿の背を移動して、鹿の頭の上に座ります。
「ああ、怖ろしや。鬼のにおいがするぞ。そこまで近づいておる。あな、怖ろし」
小野道風がつぶやきました。
目の前に地獄の扉と集団が見えます。みんな、待ち構えて一生懸命、こちらに向けて手を振っています。
「小野さま!」
「お早く!」
小野道風は鹿の背からひらりと自ら飛び降りると、
「待たせて済まぬ、
と叫びました。
用意していたのか、蝉丸が出てきて、モップのような大きな筆を小野道風に渡しました。
小野道風はとても字の上手な名人です。
地獄の門を再び閉じる呪文をその筆で書こうというのです。
「ところで! 禁断の儀式を行った者はすべてここにおるだろうな!」
字を野に書きながら小野道風が叫びました。
「儀式を行った者が揃わんと、効果はないのじゃぞ!」
「あっ」
気づいたかっちゃんの声に、小野道風が足を止めました。
「みっきー」
たけちゃんがかっちゃんの顔を見て呟きます。
「お主の弟か! やれ、何をしておる、早くつれてこんかい!」
今度こそは余裕がなかったのでしょう。すえのまっちゃんがとうとう、怒鳴りました。
かっちゃんが急いで鹿にまたがるその瞬間、人の間から見えた妹のマミの顔に、かっちゃんは心臓が止まりそうになりました。
しもぶくれ、おちょぼ口、ぼやけた眉、細い線の目。
なんて顔になってしまったのでしょう!
百人一首の絵札そのものの顔ではありませんか。
「見た!? たけちゃん、マミの顔?」
鹿にしがみつきながら、かっちゃんは泣きそうになって言いました。
「あんなへんな顔になっちゃった、どうしよう!」
昔は美人とされていたあの顔。でも、あんな顔の女の子なんて、もうかっちゃんの世界には一人もいません。
マミがかわいそうでかっちゃんは胸がつぶれそうになりました。
「大丈夫や、かっちゃん! もしものときは、俺が責任とって、マミちゃんと結婚したる!」
たけちゃんが力強く言いました。
コーヒーをこぼした責任を深く感じているようです。
三回目の正直で穴に投げ飛ばされた瞬間、見た空はもう薄暗く、月の入りは間近でした。
コタツから出たかっちゃんは、すぐ近くでトランプを取り出しては放り投げている弟の幹弘を抱っこしました。機嫌よく遊んでいた幹弘は突然のことにびっくりして泣き出しました。
構わずに、かっちゃんはコタツに戻りました。
穴から出て、確認した正月国の空は月が頭をほんの少し残している程度。
ああ、間に合うでしょうか。
行ったり来たり。何回、往復したのでしょう。
かっちゃんもたけちゃんも猪も鹿も、汗だくで息が切れ、心臓がやぶれそうなほどです。
この間、図書室で読んだ
「走れメロス」。
たしかこんな話ではなかったでしょうか。
落ちないようにとかっちゃんと鹿の背に挟むようにしている幹弘は、怒って
「来たか!」
小野道風のところに戻ると、正月国のみんなが集まっていました。
花札、百人一首のメンバー、空を舞う
最後の点、を打った小野道風がかっちゃんを見て言いました。
「
その言葉どおり、地獄門の扉の
同時に恐ろしい唸り声のようなものも聞こえ始めました。
あれは、鬼の声でしょうか。
かっちゃんはあわてて、ぎゃあぎゃあ泣き叫ぶ幹弘を抱き直しました。ゆすって、歩き回ってみますが、完全にヘソを曲げてしまった幹弘はもがいて、かっちゃんの顔をぶちました。
「まんまー! まんまー!」
お母さんがいればすぐに泣き止むのでしょうが、もう一度戻って連れてくる時間はありません。
「おっぱ! おっぱ!」
また眠くなってきたのかもしれません。
「どうしよう」
かっちゃんは
「……せや!」
たけちゃんは思いついたように辺りを見回しました。
「すえのまっちゃん! セクシーなおばちゃんはどこ?」
「なに、せくしぃとな……おお、そういうわけか!」
すえのまっちゃんには、たけちゃんの考えがすぐにわかったようです。
「これ、堀川! 前へ!」
「おばちゃん、みっきーを抱っこしてあげて」
たけちゃんの言葉に、かっちゃんは幹弘を堀河に預けました。
「おっぱい、おっぱい」
堀河の胸に抱かれた幹弘は、手慣れたように衣の合わせ目に手を入れました。
お母さんがいないときは、伯母さんやおばあちゃんのおっぱいでも欲しがる幹弘です。
堀河のおっぱいを探しだすと同時に幹弘はぴたりと泣き止み、引きずりだしたおっぱいの先を口に含みました。
「
すえのまっちゃんが、冷や汗をかいた、と扇子でパタパタと仰ぎました。
野に書いた小野道風の文字たちが動き始め、ゆっくりと立ち上がりました。
燕が一つずつの文字を
その度に、開きかけていた扉がじわじわと閉じ始めました。
黒い光はゆっくりと中へ吸い込まれていきます。太い鬼の指も扉から離れ、引っ込んでいきます。
『あな、
身の毛のよだつようなおどろおどろしい声が聞こえたのを最後。
燕が「封」の文字を貼り、扉は完全に閉じられました。
「やったー!」
わあっ、とみんなは手を叩いて大喜び。
桜の
かっちゃんとたけちゃんも手を打ち合わせました。
「やれやれ、これにて一件落着」
パタパタ、と扇子であおぐ、すえのまっちゃんの姿がぼやけ始めました。
月がいよいよ沈むのです。
幹弘を抱いた堀河も。
小野小町と並んでいるマミも。花札の鳳凰も。猪も、鹿も。
全てがにじんで、ゆっくりと溶けていきます。
お互いの顔がぼやけていくのを、かっちゃんとたけちゃんはホッとして見つめました。
『主らに最後にお願いじゃ。気に入った札に折り目をつけて、目印にするのはやめてたも』
すえのまっちゃんの声が遠くから聞こえました。
『あと、我らも花札も
マミは気に入った小野小町の札をすぐ分かるように、折り曲げて折り目をつけていました。かっちゃんも好きな蟬丸の札に折り目をつけていました。
たけちゃんの家には一枚足りない花札が二箱置いてありました。一枚足りないそれは、遊ぶことも出来ず、ただの置き物になってしまっていました。
「分かりました、ごめんなさい」
「もうしません、すえのまっちゃん」
二人は
* * * * *
気がつくと、かっちゃんとたけちゃんは元の部屋に居ました。
元の顔に戻った妹のマミはご機嫌な様子で歌を歌い、散らばった百人一首の札の中から、お姫さまだけを探して集めています。
弟の幹弘は部屋の入り口でトランプの山をぐちゃぐちゃにかき混ぜています。
かっちゃんとたけちゃんは、ぼんやりとしてコタツに見合って座っていました。
目の前の机には花札が散乱していましたが、不思議なことにこぼれたコーヒーは
拭き取る手間は
お母さんに怒られるだろうな、と予想していたかっちゃんは良かったと思いながら、たけちゃんと一緒に花札を片付け始めました。
「すえのまっちゃんはやっぱり、ええおっちゃんで面白かったな」
「小野道風さんは字が上手いね」
札をまとめてケースに戻しながら、二人は笑い合いました。
あんなに走ったので、二人とも
「ああ、汗かいてもうたわ。なあ、かっちゃん、何か飲み物くれる? 」
そう、たけちゃんが言ったとき、タイミング良くお母さんがお盆をさげて部屋に入ってきました。
「マミと幹弘を見てくれてありがとう。二人ともおやつにしましょう、ミックスジュースよ」
お盆の上にはなみなみと注がれたグラスが三つ。ミキサーで作った美味しそうな
わあ、とかっちゃんとたけちゃんが喜びの声をあげました。
と、その時です。
お母さんが、幹弘の出したトランプの山に気がつかずに踏んでしまい、ツルッと滑ってしまいました。バランスを崩したお母さんは、側にいた幹弘の頭を蹴飛ばしてしまいました。
グラスが倒れ、ミックスジュースがお盆から床のトランプへと
「……わああああああああああああーーーーー!」
一瞬の間を置いて、幹弘が火がついたように泣き出しました。
途端に。
ボワン。
白い煙がトランプの山から飛び出し、笛の音とともに中から一人の男の人が現れました。
手に横笛を持ち、吹き鳴らしています。
ものすごくかっこいい男の人でしたが、着ている服が道化師そのものだったので、すぐにジョーカーだと分かりました。
「悪魔が来たりて笛を吹く。南蛮果実を混合した
ニヤニヤとしたいやらしい笑みで、ジョーカーは尻もちをついて驚いているお母さんに声をかけました。
「ああ、また振り出しや」
かっちゃんとたけちゃんはうんざりして、ため息をつきました。
お正月国と地獄の門 青瓢箪 @aobyotan
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