第3話 勘違い

 真っ暗です。

 熱いです。

 頭を上げたかっちゃんは、何かにぶつかりました。


「いたっ」

「わかった、かっちゃん、ここ、コタツの中や!」


 たけちゃんの言葉に、かっちゃんは這って布団ふとんを押し上げ、外へと飛び出しました。床にバラバラと百人一首の札が散らばっているのが見えました。たけちゃんもその後に続きます。


「おののこまち、おののこまち」


 たけちゃんが床を探し始めました。


やなぎつばめ、柳の燕」


 かっちゃんはコタツの上の机を探し始めました。

 コーヒーが広がり、茶色い水たまりをつくっています。ほとんどの花札がかっていました。

 コーヒーを拭きとりもせず、かっちゃんは裏向けになった花札を次々にひっくり返しましたが、中に柳の燕はありません。


「あらあら、みきちゃん」


 隣の台所でかっちゃんのお母さんの声がしました。かっちゃんたちが居なくなったので、弟の幹弘はお母さんを探して、そっちに行ったようです。


「もう、勝也。みきちゃんを見てて、て言ったでしょう」


 お母さんのちょっと怒ったような声が聞こえました。電話はとっくに終わっていたようです。どうやらお母さんはかっちゃんが幹弘を見ているのをいいことに、夕飯の支度したくをはじめようとしていたみたいです。

 こんなことになってしまった原因はお母さんかもしれないのに。無理をしてコーヒーを飲んで、こぼすかもしれないのに幹弘とコーヒーを置いていくなんて。だから、こんなことになったのではないでしょうか。

 かっちゃんは考えてイライラしました。


「マミちゃんを勝たせてあげてね」


 かっちゃんの気も知らず、お母さんの声が飛んできます。


「わかってるよう!」


 答えながら、マミが居なくなったことが知れたらお母さんは気絶きぜつしてしまうかもしれないな、とかっちゃんは思いました。


「かっちゃん、あった?」

「ない」

「こっちも」


 かっちゃんとたけちゃんは部屋中を探し回りました。

 こたつの布団、床の絨毯じゅうたんの下に落ちてないかとめくりましたけれども、何も見当たりません。


「どこにあんねやろ?」

「ない、ない、ない」


 かっちゃんとたけちゃんはあせって泣きそうになりました。


「あーら、みきちゃん、ウンチでたのね。クサイクサイ」


 台所でお母さんの声がします。


「月が沈むまで、何分くらいかな」

「わからへん。マミちゃん、鬼に食べられへんやろか」


 かっちゃんとたけちゃんは、百人一首の歌人たちが「生贄いけにえ」という言葉を言うのを聞いていました。あれは、マミのことを指しているのだということはわかりました。

 丸々とした美味おいしそうなマミは鬼に食べられてしまうのではないでしょうか。


「あらあら、みきちゃん! こんなところから。面白いわねえ」


 聞こえるのんびりと驚いたようなお母さんの声が、かっちゃんはしゃくさわりました。


「ちょっと、勝也。こんなところから花札が出てきたわよ。みきちゃんの服の中」


 たけちゃんとかっちゃんは顔を見合わせました。あわてて、二人は台所を抜けて、お母さんと幹弘がいる子供部屋にけこみました。


「何の札?」


 仰向あおむけに寝転ねころがった幹弘のお尻を拭いているお母さんの横に置いてあるのは、桜の札でした。


「ちがう、桜や」

「幹弘が他の札もどこかに持っていったのかも」


 かっちゃんとたけちゃんは気づいて、あわてて台所に戻りました。

 たけちゃんがテーブルの下にもぐりこみます。かっちゃんはゴミ箱をのぞき込みました。

 幹弘は最近、なんでもかんでもゴミ箱に放り込むというイタズラをするのです。大事なかっちゃんの宿題のプリントやマミのおもちゃまで放り込んだこともありました。


「あった!」


 ゴミ箱の隅に見えたのは小野小町の札でした。


「たけちゃん、小野小町!」

「やった!」


 あとは花札の柳の燕です。

 一体、どこにあるのでしょう。


 手を洗って、台所に戻ってきたお母さんが米びつから米を出そうとして声をあげました。


「あらあら、みきちゃんたら、また」


 米びつの受け皿が満杯まんぱいでした。

 幹弘は米びつのレバーが好きで、よく触るのです。米が出てくるザアー、という音が面白いのでしょう。気が付くとお米が何合も受け皿に出ていることがあります。

 炊飯器の釜に受け皿の米をはかってあけたお母さんが、またびっくりした声をあげました。


「まあ、こんなところに。ちょっと、勝也。米から花札が出てきたわよ」


 かっちゃんとたけちゃんはお母さんのところに飛んでいきました。


「やった、柳の燕や!」


 お母さんの手のひらの上にあるのは、柳の枝葉えだはに黄色いつばさと赤いの燕の絵です。お母さんからうばうように札をとると、かっちゃんとたけちゃんはコタツに向かって走りました。

 布団をめくって中に入ると、また、薄墨色のすすき野原に出ました。


 キエエエエエエエエ!


 鳳凰がかっちゃんたちに気が付き、鳴き声を上げてこちらに飛んできます。

 その下をオレンジ色の鹿と猪が走ってきます。

 かっちゃんは空の月を確認しました。丸い姿だった月の下半分が山のに隠れてしまっています。

 前までやって来た鹿と猪に二人が飛び乗ると、鹿と猪は途端とたんに走り出しました。


「あな、おそろし」


 いつの間にか、札の小野小町がお姫様の姿になってかっちゃんの背中にしがみついていました。

 いつも、絵札では後ろを向いている小野小町。美女だといわれている小野小町の顔はどんなものかとかっちゃんは見たくなりました。ふりかえってみましたが、残念ながら、小野小町の顔は長い黒髪でおおわれていて、見えません。

 たけちゃんの猪の上では札から姿を変えた燕がスイスイ飛んでいます。


 百人一首、花札のメンバーが集まっているところに戻ってきました。


「おお、きたか!」


 すえのまっちゃんが扇子せんすを広げて、ひらひらと振りました。


「連れてきたで!」

「よし!」


 猪と鹿はまた急ブレーキをかけて、かっちゃんたちを振り落としてしまいました。


「いたっ」


「小野さんは?」


 清少納言が大きな声で聞きます。


「小野さんはどこなのよ?」

「小野小町さん、そこ」


 地面に投げ飛ばされた小野小町をかっちゃんは指しました。


「なんですって!」


 清少納言の細い糸目と眉毛がつりあがりました。


「何を言っているのよ。小野さんと言えば、雨札の『小野道風おののとうふう』さんのことに決まっているでしょう!」

「えええ?」


 かっちゃんとたけちゃんは驚いて顔を見合わせました。


「そうか、鬼の札は、雨札。柳の燕も雨札」

「あの札や! 傘持ったカエルのおっちゃんの札!」


 やっと二人は間違いに気が付きました。


「あの、おっちゃん、小野さん、ていうんか。そんなん、知らんかったわ」

「あっはっは!」


 すえのまっちゃんが大きな声で、膝を叩いて笑いました。


「こりゃあいい。小野は小野でも小野違い」


 こんな状況でも笑えるのはやはり大物だという証拠でしょうか。


「もうすぐ、月が沈むわ! すぐに戻って!」


 清少納言のいらついた声に、たけちゃんとかっちゃんは鹿と猪の背に飛び乗ります。

 そのとき、人々の隙間すきまからちらりとピンクの衣裳のマミが見えました。


「マミ!」


 マミの髪はまた伸びて、地をうほどになっています。

 ぷくりとしたマミのほおっぺたが更に膨らんで落ちています。

 だんだん、百人一首の絵札に近づいているようです。


「急がな!」


 かっちゃんとたけちゃんは再び、元の世界に向かって走り出しました。

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