「ペンフレンド」(ハッピーエンド版)

 遠い星の友達、ミウィ・トカナントリナンに出会った日のことを、遠藤ユキヒコは決して忘れないだろう。


 小学校6年の授業だった。


「みんなは、ペンフレンドというものを知っているかな? 誰か、知っている人は?」

 

 先生の声に、みんなが、


「知らないでーす」


 もちろんユキヒコも知らなかった。


「手紙というのは分かるかな。紙に文章を書いて、それをオートバイとか車で配達してもらうんです。それで、遠く離れた人と話をする、それがペンフレンド。

 顔も知らない人と、そうやって友だちになったんです。

 それでお互いのことを好きになってしまう人もいたんだ。

 今みたいなタキオン通信はない、それどころかインターネットもない、先生が生まれるよりも昔の話だけどね」


 ユキヒコは不思議に思いながら聞いていた。


 ……誰だかわからない人を好きになるなんて、昔の人は変なことをするなあ。


「この授業では、みなさんにはペンフレンドみたいなものを作ってもらいます。

 でも、いまはタキオン通信の時代。

 ふつうのペンフレンドとはちがう。

 宇宙人の友だちです」


 机に設置された学習端末が、恒星間タキオン回線に接続されたのだ。

 超光速粒子タキオンによって、遠く離れた星と一瞬で通信できるようになったのは、ユキヒコが生まれる少し前だという。

 タキオン通信が実用化された途端、さまざまな異星人が交流を求めてきて、いま地球は空前の繁栄の時代を迎えている。

 星間交流をさらに広げるために、子どもたちにも宇宙人と友だちになってもらおう、という授業が始まったのだ。


「おおっ」

「スゲーッ」


 端末に異星人の顔が表示されると、クラスメートたちが次々に歓声をあげた。

 あとで聞いた話だと、恐竜に似たギギール人、ライオンに似たシャヴァム人など、子供に受けそうな種族が選ばれていたということだった。

 しかし、ユキヒコの端末に現れたのは恐竜でもライオンでもなかった。


「あ、あの……ちきゅうのひと。はじめまして」


 妖精のように美しい、女の子だった。

 ユキヒコよりも少しお姉さん、中学生くらいだろうか?

 地球の銀髪とは違う、桜色の光沢を帯びた銀色の髪を、頭の左右で結んでいる。

 顔立ちは地球人の女の子とよく似ているが、大きな瞳は琥珀色に輝いて、両耳が短剣のようにツンと尖っている。

 それ以外の、鼻や口の形は同じ。

 同じ形なのだが、目を見張るほど端正だ。

 地球人は下手くそが雑に作った、この女の子は熟練の職人が精魂込めて作った。そう感じてしまうほどの違いがある。

 ランフォリア人。

 珍しい、地球人と瓜二つの種族。

 地球から1000光年離れた惑星に住む。

 数万年前は、たくさんの星を征服し、強大な帝国を築いた。

 いまは衰退し、わずかな生き残りが、自然と調和した平和な生活を送っている。悪く言えば斜陽の種族だ。

 当時、そんなことは知らなかった。

 ただ、


 ……なんて綺麗なんだろう!


 頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。

 美しい少女は、たどたどしい言葉で、


「あ、おかしいですね、わたしのちきゅうご、つうじてないですか。

 わたし、ミウィ・トカナントリナンといいます。

 わくせいランフォリア。ジョシュフォードしゅうの、ちゅうとうがくせいです。

 ちきゅうのともだちと、なかよくなりたいです」


 そう語るのを、ぼうっと眺めていた。

 一目惚れだった。

 授業が終わるまで、ほんの40分喋っただけで、もう彼女のことしか考えられなくなっていた。


 それから、ユキヒコはミウィの連絡先を聞いて、星間交流の授業のたびに喋った。

 家に帰ったら、親の端末を借りて、また喋った。

 学校での生活。友達との間で流行っているゲームやアニメ。家で食べているご飯。田舎のお婆ちゃんの家に行ったときの事。

 とりとめのないことを、ミウィは面白がって聞いてくれた。

 ミウィが語ってくれる、異星での出来事を聞くたびに、ユキヒコの胸はおどった。


「ランフォリアでは、アシスタント人工知能というコンピュータがつきっきりで、その言うことを聞いて生きていくんです。仕事も、結婚相手も、コンピュータに決めてもらうんです。

 地球の人たちはすごいですね、ぜんぶ自分で決めるとか、ドキドキです……」

「ランフォリアこそ憧れるなあ。それじゃ悩みとかないんじゃ?」

「悩みくらい、ありますよ。それより、地球のスポーツのことを聞かせてください。学校で格闘技をやってるんですよね!?」

「じゅ、柔道だけど……」

「こんど、投げるところを見せてください」

「ほんとに、荒っぽい話が好きなんだね……」


 自然の中に、ポツンポツンと館を作って、コンピュータに管理されて穏やかな生活を送っているランフォリア人。

 人口過密な都市に住み、戦闘的でエネルギッシュな地球人。

 お互いの文化に、深く憧れた。


「すごい、すごい、このシブヤっていうの、どれだけ人がいるんですか。全員が違う服を着て……みんな自由に歩いてる、すごい……ランフォリアでは、建物が3つ並んでいるだけでも珍しいですよ」

「そういえば、地球ばっかり見せて、ミウィの住んでるところはあんまり見てないね」

「見ます? あんまり面白くないと思いますけど……」


 ミウィが見せてくれたのは、ゆるやかな起伏のある草原。

 その中に、綺麗だけど小さな家が立っている。

 そして、その家の上に覆いかぶさるように、なにか黒くて大きなものが……

 たくさんのトゲが生えている、イガグリにも似た、巨大なものが浮かんでいる。

 空に溶けこむように、輪郭がぼんやりとしてる。

 もしかして、ずっと遠い場所……空の向こうにある?

 

「空に浮いてるのは、何?」

「ガルガスター人の宇宙艦隊ですよ。いつも衛星軌道を制圧しています」


 その言葉を口にした時のミウィは、なにかに耐えるような表情だった。

 禍々しい言葉なんだと分かった。


「ガルガスター?」

「ランフォリアが、昔、侵略戦争をやったのは知っているでしょう?」

「うん」

「ガルガスター人は、戦争でいちばん被害を受けて、ランフォリアをすごく恨んでいるんです。だからランフォリアに艦隊を送ってきて、ずっと監視しているんです」

「それ、何万年も前の話だよね?」

「5万年前です」


 地球とランフォリアの公転周期はだいたい同じだから、地球の暦でも5万年前ということになる。地球人が洞窟に住んで、石器を使っていた遠い昔。 


「いくらなんでも長すぎない? そんな大昔の事なんて、もう関係ないでしょ?」

「でも、わたしたちは、そのくらい悪いことをしたから。いまでも学校では、平和教育は最優先です。

 平和の誓いっていうのがあって、毎日、手を合わせて暗唱するんですよ。

 ……こういうのです」


 ミウィは目を閉じて、すっと背筋を伸ばして、胸の前で手を合わせる。


「 『わたしたちランフォリア人は、大いなる過ちをおかしました。

 銀河に戦争の惨禍をもたらし、多くの罪なき民を殺めました。

 いかなる手段でも償いきれない罪を、あなたたち、平和を愛する銀河の諸種族は許して下さいました。

 だから、誓います。

 恒久の平和を実現するため、諸種族の信義に応えるため、銀河において名誉ある地位を占めるため、地上軍、宇宙軍、その他の戦力を、永久に放棄します』」

「も、もういいよ!」


 ユキヒコは思わず叫んでしまった。

 なぜなら、『平和の誓い』とやらを暗唱するミウィの表情は、ひどく張り詰めて、泣き叫ぶほどの悲しみをじっとこらえているようで、見ている方の心まで切り裂かれそうに深刻だったから。


「5万年前のことを、そんなに引きずって、謝り続けるなんて……」

「でも、ランフォリア人にとっては、それがあたりまえのことなんですよ。自分たちは、自分たちの種族は、罪を償うために生きているってことが。

 ……それが嫌だと思ったことはないけれど。

 でも、何物にも縛られない地球人は、うらやましいです」

 

 澄んだ瞳で言うミウィ。

 そのときユキヒコの心に浮かんだ感情は。

 かわいそうだ。

 解き放って、助けてあげたい。

 ……でも、それだけではなかった。

 地球人だったらぜったいに忘れてしまう遠い昔の罪を、いまでも背負い続けるミウィは。

 崇高な、きれいなものに見えたのだった。

 

 何年も経つうちに、だんだんと、クラスの友達にはしない秘密の話も、するようになった。

 両親から、自分用の端末をプレゼントされて、あとは歯止めが効かなくなった。

 毎日、動画回線を繋いで、お互いの顔を見ながら街を歩いた。ご飯を食べた。

 デートのつもりだった。

 1000光年離れていたけれど、ずっと隣りにいるような気持ちだった。

 心のなかで、でもそれだけじゃだめだと、もっと触れ合いたいと、気持ちが高まっていった。


 初めて気持ちを打ち明けたのは中3の、高校受験を控えた時。


「君の事が好きなんだ。君だけが、地球の誰でもない、銀河の誰でもない、君だけが! 友達じゃダメなんだ。ずっと一緒にいたいんだ!」


 そう言われたミウィは、しばらく言葉を失った。

 そして、なぜか……「平和の祈り」のときによく似た、苦しみをこらえる表情で言った。


「わたしも、だいすきよ」

「あ、ありがとう!」

「……でもね。

 今日、学校が終わった後、時間ある? まっすぐ家に帰って。家じゃないと話せない。見せたいものがあるの」

 

 なんだろうと不思議に思った。

 自分の部屋に戻って、回線をつなぎ直した。


「家についたけど?」

「画面を大きくして。画質を最大、壁一面にして」


 言われた通り、部屋の壁全体をディスプレイに変えた。

 画面の中は、質素な家具が並ぶ、ミウィの部屋だ。


「ねえ、ユキヒコ。部活でもレギュラーだし、成績も良い。モテるんでしょ?」

「急に何を……? 僕が好きなのは君だけだって」

「わたしも、あなたは好き。

 あなたと喋ると、いつも心が明るくなった。

 好きって言ってもらえる日を、待ってた。

 でも怖かった。どうか言わないでくれと思っていた」


 画面の中のミウィは、1枚また1枚と服を脱いでいく。


「ちょ……!?」


 驚いたユキヒコが絶句しているうちに、全裸を晒した。


「……見て!」

 

 言われるまでもない。ユキヒコは息を呑んで裸身を見つめていた。

 まず目についたのは、圧倒的な、胸の平坦さだ。

 ランフォリア人は胎生だが、ふだんは乳房の膨らみを持たない。妊娠した場合のみ膨らむのだ。地球の哺乳類も大部分がそうである。

 鎖骨の下は切り落としたように平らで、ただ、みずみずしい小さな果実のようなふたつの突起だけが、強い存在感を放っていた。

 その下には、すっと引き締まった腰があり、臍下には、淡い銀色の柔らかそうな毛が密生していた。銀色の茂みの中に、ちらちらと、分厚い唇のような割れ目が覗いている。


 ゴクリと、生唾を飲み込んだ。


 胸の膨らみが全くないからといって、スタイルが悪いとは思わなかった。

 手足はすんなりと長い。子供の体型とは違う。

 ガリガリに痩せて肋骨が浮いているような体型とも違う。

 地球人とは違う生き物として、均整が取れているのだ。


「……どう思う、わたしの体?」

「き、綺麗だよ……?」

「地球の女の子たちよりも?」

「他の女なんて比べ物にならないよ!」

「じゃあ、ユキヒコも脱いで」

「な、なんで……?」

「脱ぐの!」


 有無を言わさぬ口調に、ユキヒコは逆らえず、服を脱ぐ。

 部活動で鍛えているから、だらしない肉体ではないと思うが、それでも恥ずかしくて、頬が熱を帯びるのを感じる。

 パンツを脱ぐときは躊躇したが、勇気を出して一気に下ろす。

 中に押し込められていたものが、飛び出し、跳ね上がった。

 ユキヒコの股間のものは、ドクドクと脈打って怒張し、腹を打つほどに立ち上がっていた。


「……ユキヒコの、すごいね……

 なんていうか、体の全部が、たくましくて……

 ランフォリア人は、男女ともに華奢で、性差の少ない体をしてるの。

 男の人は、いちおう、その、ついてるけど……

 大きさが何倍も違う……こわいくらい……」


 ミウィは怯えの色を見せているが、大きな目はユキヒコの股間に釘付けだ。


「……ねえ。その大きいのを見て分かった。

 わたしと、そういうこと、やりたいんでしょう?

 間違いなく、そういう欲望あるよね?

 でも。

 絶対に、永遠に、それはできないんだよ?

 ふれあうことさえ……」


 そうだ、そのとおりだ。

 この世に存在するのは「超光速通信」であって、「超光速航法」ではない。

 光より速く、宇宙船を飛ばす技術は、どの種族も知らない。

 地球の核融合ロケットでは、巨大な推進剤タンクを付けても光速の1割しか出せない。

 対消滅ロケットという、もっと高性能なロケットを持っている種族もいるが、それでも光速の9割程度。

 1000光年を渡るには、どうしても1000年以上かかる。

 ガルガスター人は確かにランフォリアまで来たが、かれらだって光速を超えることはできなかった。

 宇宙船の中で世代交代を繰り返し、子供や孫に使命を引き継いで、2000年もかけてたどり着いたのだ。

 

「わかってるさ! そんなことは!」


 もちろん、性欲はある。

 ミウィと交わる夢を見たことは一度や二度ではない。

 いま目の前で見せつけられて、劣情が膨れ上がって、脳が焼ききれそうだ。

 この、宝石から削りだしたような美しい裸体を抱きしめたい、舐め回したい。

 銀色の秘毛が密生する奥に、思い切りぶちこんでやりたい……

 そんな気持ちで狂いそうだし、それが絶対にできないのが、つらくないわけない。


「でも僕は我慢するよ! 君の心と繋がっているからいいんだ。

 一生童貞で、みんなにバカにされたって……

 我慢する! 我慢する! 我慢する!」


 ユキヒコが叫ぶと、ミウィはベッドに腰掛けて、


「……これでも?」


 いきなり足を開いて、両足の間に隠されていた裂け目を、さらに指で押し広げた。

 おどろくほど生々しい、紅色の粘膜が複雑なひだを作っていた。


「……っ!」


 それが見えた瞬間、ユキヒコは声にならない声を発して、果てていた。

 ほとばしったものがモニターまで飛んだ。

 快感はなかった。大変な失敗をやってしまったという感覚と、体の芯を抜かれたような虚脱感があった。

 

「やっぱり嘘だった」

 

 ミウィの目がすっと細くなる。

 これは恥ずかしがっている表情ではない。軽蔑でもない。

 悲しみの表情だ。


「ち、ちがう、これは、何かの間違いで、こんなはずじゃ……」


 言えば言うほど、自分の言葉が空回りしていくのが分かる。

 股間の猛ったものは、精を放ってもまったく硬度を失わず臨戦態勢だ。

 それが逆に虚しく、焦りばかりをかきたてる。

  

「わたしも好きだから。あなたが好きだから。

 だからこそ、我慢なんてさせたくないの。

 地球人の性欲がどれだけ強いものか、一生満たされないってどんなつらいか。

 そんな思いさせたくないの。

 だから、わたしのことはあきらめて」


 ミウィが言葉を切ったあと、長い長い沈黙が訪れた。

 ユキヒコは、伏せていた顔を勢いよく上げて、沈黙を破った。


「……嫌だ。僕は……そう、我慢はできない。

 行くんだ。1000光年の距離を超えて、君のところに行くんだ!

 超光速航法を実現するんだ!」

「えっ……!?

 不可能よ。できるわけがないわ。

 ランフォリアの物理学は5万年前の全盛期に、すでに完成されている。宇宙の始まりから終わりまでを矛盾なく解明してる。地球の科学なんて比較にもならない。

 その完璧な科学が、超光速航法は不可能だって言ってる」

「君たちにはできないよ。

 諦めているから。

 世界の常識に逆らわないから。

 自分たちは悪い種族だから仕方ないんだと、それをずっと受け入れて生きている人たちだから。

 僕ならできるよ。君があこがれた、地球人のバイタリティで」


 ミウィは目をそらして、


「できるわけないって言っているでしょう!?

 ……これ以上、辛くなるだけよ。

 さよなら、ユキヒコ」


 接続が切れた。

 モニターはただの壁に戻った。

 部屋中に、自分の漏らした精液の臭いがたちこめていた。

 泣きたい気分だった。

 だが泣かないで、拳を握りしめた。


「……負けるもんか……」  


 ☆ 


 そして、ミウィは、ユキヒコの事など忘れた。

 普通のランフォリア人のように、アシスタント人工知能の助言にしたがって就職し、言われるがままの相手と結婚した。

 子供もふたり生まれた。ミウィは幸運だった。ランフォリアの人口は99万人と厳格に定められ、誰かが死んで枠が空かない限り生むことは許されないからだ。

 数十年が過ぎて、生まれた子供たちも一人立ちして、孫が遊びに来るようになった頃。


 一通の電子メールが届いた。


『惑星チキュウの、エンドウユキヒコさんから電子メールが届いています。』


 アシスタント人工知能が冷静な声で告げた時、ミウィは鏡を見て、すっかりシワが増えたなあと嘆いていた。

 ユキヒコの名前を聞いて、え? と瞬きする。

 思い出すのに時間はかからなかった。

 すっと頭の中が冷え、記憶がよみがえった。


「何で……今頃?」


 アシスタント人工知能が言葉を続ける。


『635ペガサ・ガルメルの添付ファイルがあります。』

「600ペガサ? ずいぶん大きなファイルね?」


 日常生活で使うことはまずない、膨大な量だ。


「まさか……」


 嫌な予感がこみ上げてくる。


「ねえ、添付ファイルの種類は?」

『添付ファイルの……てん、てん、て、て……ピーッ!!』


 今までに聞いたこともない音を発して、アシスタント人工知能が強制停止した。


「ちょ、ちょっと、どうしたのよ!?」

 

 ランフォリアのコンピュータはきわめて安定している。こんな不具合を見るのは生まれて初めてだ。


「偶然じゃないわ。誰かにクラッキングされた?」


 メールを開けてみる。


『ひさしぶりだね。ミウィ。

 僕はやり遂げたよ。

 送ったのは、僕の全てだよ。

 人間の記憶や人格というのは、脳細胞の繋がり方のパターンにすぎない。

 僕の脳を完全に分析して3Dモデルのデータにした。

 このデータを元にナノマシンで神経細胞を結線すれば、僕と全く同じ心を持った人間を作れる。

 遺伝子情報も送ったから、心と体が揃うんだ。

 再生して欲しい。僕を。

 そうすれば今こそ、君のそばに行ける。

 楽しみだ、君のそばで目覚める日が……』


 深くため息を付いて、地球への動画回線を開く。


 画面に現れたユキヒコは、白衣を着て、ひどく老けていた。

 ミウィは顔にシワがある、初老という程度だが、ユキヒコは頭が禿げ上がり、顔には老人斑。余命いくばくもない高齢だ。

 地球人のほうが寿命が短いのだ。

 回線を繋いだ瞬間、ユキヒコは雷に打たれたように背筋をピンと伸ばした。


「ミウィ。僕のミウィ! きれいだ。君は変わらないね。メール、受け取ってくれたんだね」


 涙すら流している。

 だがミウィは冷たい声で応じた。


「ひさしぶりです。

 ええ。受け取りました。

 驚いています。

 よく地球の科学力で、そんなことできましたね。

 精神をデータ化するのは、わたしたちランフォリア人が全盛期に使っていた技術ですよ」

「……やっぱりそうだったのか。君たちが帝国を築いた方法は……」

「同じです。正確には改良型ですね。精神をデータ化して、コンピュータウィルスの機能を与えて、タキオン通信ネットワークに流したんです。そして他の星の知性種族やコンピュータを、次々に乗っ取っていく……

 こうやってランフォリアは巨大な帝国を作ったんです。

 でも、これは危険なんです。

 同じ精神を持つものが、分身を繰り返してたくさんの星に広がれば、素晴らしい統率力を発揮できるけれど、どれが本当の自分なのかという深刻なアイデンティティ・クライシスを引き起こします。

 帝国膨張が止まった時、矛盾は最悪の形で吹き出して、たくさんの種族を巻き込んだ絶滅戦争になりました。

 だから5万年たった今でも、ランフォリアは戦犯種族として危険視されているんですよ。コンピュータに管理されて、増えることすら許されないのは、そういうわけです。

 精神のデータ化と再生は、厳しく禁止されています。わたしに法を犯せと言うんですか。

 5万年間の、『平和の誓い』を踏みにじるんですか」


 『平和の誓い』では『地上軍、宇宙軍、その他の戦力を放棄する』と語られているが、『その他の戦力』というのは、主にサイバー戦力を意味するのだ。


「わかっている。危険だということは。

 でも、僕は乗り越えたかったんだ。

 だって、かならず行くって約束したから。

 そうすれば君は振り向いてくれる。

 ……それしか考えられなかったんだ……だから、何十年も、それだけに没頭した……

 不可能だと言われ続けて、全人生を賭けて、やっと実現したんだ。

 アシスタント人工知能がメールをフィルタリングしているから、それをごまかすのも大変だった。

 だから、受け取ってくれ、僕の気持ちを……

 きっと受け取ってくれると信じているよ……」

「コピーに過ぎませんよ。今そこにいるあなたの心が、こっちに移るわけじゃありません。あなたは、コピーがわたしとイチャイチャするのを見ながら、独りで死んでいくんですよ。気づいた時は苦しいですよ。その苦しみこそが、ランフォリア帝国を滅ぼしたんですよ」

「わかっている。わかっているけど、それが僕の救いだ。もう一人の僕が、君と結ばれるなら、納得して死んでいける」

 

 ミウィは理解した。

 誰の言葉も届かないと。

 この人の時間は止まってしまった。

 地球の科学水準を遥かに超えた天才。

 これだけの頭脳を違うことに活かせば、カネも権力も、いくらでも手に入っただろうに……

 わたしは……こうまでして想ってもらえて、嬉しいのだろうか。

 ……昔のわたしなら、確かに泣いて喜んだ。

 ユキヒコのことを毎日思いながら眠りについて、ユキヒコのことが好きだからこそ別れを選んだ、あの遠い日なら。

 ……わたしには夫も子供もいる。絶対に失いたくない。

 ……だから、そんなことを言われても困る。あの頃とは違う。

 そう自分に言い聞かせる。

 でも、いくら言い聞かせても、胸の中が、ズキズキと痛むのだ。

 あの頃の気持ちは、死んだわけではなかったのだ。

 ながい歳月の力で、封じていただけだ。

 だから、こう答えた。


「わたしは……」


 ☆


 地球の日本。地方都市の安アパート。

 狭い部屋にスチールのラックが並び、得体のしれない機械がギッチリと並べられている。

 死臭が満ちていた。

 真冬なのにこれだけ臭いがキツイのだから、夏なら大変なことになっていただろう。

 警察官が2人、こう呟いた。


「事件性はないようですね」

「ああ」


 かれらの視線の先には、一人の老人の死体。

 痩せて、みすぼらしい亡骸だ。 

 毛布と半纏をまとい、機械と機械の隙間にまぎれるようにして、転がっている。


「ただの孤独死です。……それにしても……」


 若い方は、部屋の中を見渡して、肩をすくめた。


「結婚もせず、友人すらいなかったそうです。機械だけに囲まれて、一人ぼっちで死ぬなんて……惨めな人生ですよね」


 そう言われて、ベテランの方の警察官は、しばらく沈黙した。

 だが言った。


「ほんとうにそうかな。

 ……じゃあ、なんでこいつは、安らかな顔で死んでいるんだ?」


 もう何一つ、思い残すことはない、という顔で……


 ☆


「おばあちゃん。ねえ、ひいおばあちゃん」


 ひ孫の柔らかい声に、ミウィは目を覚ました。

 すでに150歳。ランフォリア人の寿命を過ぎている。

 自分は車椅子に乗って、綺麗に整備された庭園にいる。

 鮮やかに咲き乱れる花、その中を伸びているレンガの歩道。

 ひ孫に車椅子を押されて散歩中、眠ってしまったのだ。

 頭上を制圧する、トゲの生えた真っ黒い球体……ガルガスターの戦闘艦さえ見なければ、とてものどかな光景だ。

 ああ、わたしは、ゆめをみていた。

 懐かしい夢を……

 シワだらけの手を伸ばして、首元にぶら下がっているペンダントを握りしめる。

 消えてなくなりそうな小さなペンダント。

 あれから数十年、肌身離さず、身につけてきた。

 夫に先立たれた時も、孫の一人が若くして亡くなった時も、それをかたく握って耐えた。


「ねえ、ひいおばあちゃん」

「なんだい?」

「おばあちゃんがいつも首に下げてるペンダント、それ、メモリーでしょう? 何が入っているの?」


 ミウィは言葉に詰まった。

 言葉にしきれない大量の思いが、一気に胸の内で膨れ上がったから。


 あのとき、ミウィは結局、ユキヒコの精神データを再生することはできなかった。

 できるはずがない。異星人をまるごと一人、創りだして、匿いながら育てていくなど……

 必ず露見するに決まっているのだ。バレれば、せっかく再生されたユキヒコは殺され、ミウィは犯罪者。家族も蔑みの目で見られる。

 それはできない、みんな大切な家族だから。

 ただし……

 ミウィはあの時、こう答えたのだ。


 『データを再生はできない。でも、ずっと持ってる』

 『あなたのきもちは、うれしいから』


 精神のデータ化技術は禁忌だ。

 持っているだけでも十分に違法、露見すれば一家まとめて破滅。

 それを、ずっと持っていると決めた。

 ギリギリの危ない橋を一生渡り続けると。

 1000光年の空間にもひるまず、5万年の呪縛にも立ち向かう、ユキヒコの真摯な気持ちを。

 受け入れることはできなくても、せめて握りしめられる人間でいたかった。

 中途半端な態度。それが正しかったかどうかはわからない。

 でもユキヒコは、ミウィがそう言うと、


『ありがとう、ありがとう』


 と、顔をくしゃくしゃにして泣いてくれたのだ。

  

「……おばあちゃん?」


 ひ孫の声。またミウィの心は現在に引き戻された。

 ひ孫の顔をじっと見る。

 桜色の光沢を持った銀色の髪が柔らかそうに伸びている。くりくりと大きな、琥珀色の目。

 むかしの自分とよく似た少女に、ミウィはこう答えた。


「……いつか、あなたに好きな人ができたら、教えてあげるね?」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ペンフレンド ますだじゅん @pennamec001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ