「ペンフレンド」(ハッピーエンド版)
遠い星の友達、ミウィ・トカナントリナンに出会った日のことを、遠藤ユキヒコは決して忘れないだろう。
小学校6年の授業だった。
「みんなは、ペンフレンドというものを知っているかな? 誰か、知っている人は?」
先生の声に、みんなが、
「知らないでーす」
もちろんユキヒコも知らなかった。
「手紙というのは分かるかな。紙に文章を書いて、それをオートバイとか車で配達してもらうんです。それで、遠く離れた人と話をする、それがペンフレンド。
顔も知らない人と、そうやって友だちになったんです。
それでお互いのことを好きになってしまう人もいたんだ。
今みたいなタキオン通信はない、それどころかインターネットもない、先生が生まれるよりも昔の話だけどね」
ユキヒコは不思議に思いながら聞いていた。
……誰だかわからない人を好きになるなんて、昔の人は変なことをするなあ。
「この授業では、みなさんにはペンフレンドみたいなものを作ってもらいます。
でも、いまはタキオン通信の時代。
ふつうのペンフレンドとはちがう。
宇宙人の友だちです」
机に設置された学習端末が、恒星間タキオン回線に接続されたのだ。
超光速粒子タキオンによって、遠く離れた星と一瞬で通信できるようになったのは、ユキヒコが生まれる少し前だという。
タキオン通信が実用化された途端、さまざまな異星人が交流を求めてきて、いま地球は空前の繁栄の時代を迎えている。
星間交流をさらに広げるために、子どもたちにも宇宙人と友だちになってもらおう、という授業が始まったのだ。
「おおっ」
「スゲーッ」
端末に異星人の顔が表示されると、クラスメートたちが次々に歓声をあげた。
あとで聞いた話だと、恐竜に似たギギール人、ライオンに似たシャヴァム人など、子供に受けそうな種族が選ばれていたということだった。
しかし、ユキヒコの端末に現れたのは恐竜でもライオンでもなかった。
「あ、あの……ちきゅうのひと。はじめまして」
妖精のように美しい、女の子だった。
ユキヒコよりも少しお姉さん、中学生くらいだろうか?
地球の銀髪とは違う、桜色の光沢を帯びた銀色の髪を、頭の左右で結んでいる。
顔立ちは地球人の女の子とよく似ているが、大きな瞳は琥珀色に輝いて、両耳が短剣のようにツンと尖っている。
それ以外の、鼻や口の形は同じ。
同じ形なのだが、目を見張るほど端正だ。
地球人は下手くそが雑に作った、この女の子は熟練の職人が精魂込めて作った。そう感じてしまうほどの違いがある。
ランフォリア人。
珍しい、地球人と瓜二つの種族。
地球から1000光年離れた惑星に住む。
数万年前は、たくさんの星を征服し、強大な帝国を築いた。
いまは衰退し、わずかな生き残りが、自然と調和した平和な生活を送っている。悪く言えば斜陽の種族だ。
当時、そんなことは知らなかった。
ただ、
……なんて綺麗なんだろう!
頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
美しい少女は、たどたどしい言葉で、
「あ、おかしいですね、わたしのちきゅうご、つうじてないですか。
わたし、ミウィ・トカナントリナンといいます。
わくせいランフォリア。ジョシュフォードしゅうの、ちゅうとうがくせいです。
ちきゅうのともだちと、なかよくなりたいです」
そう語るのを、ぼうっと眺めていた。
一目惚れだった。
授業が終わるまで、ほんの40分喋っただけで、もう彼女のことしか考えられなくなっていた。
それから、ユキヒコはミウィの連絡先を聞いて、星間交流の授業のたびに喋った。
家に帰ったら、親の端末を借りて、また喋った。
学校での生活。友達との間で流行っているゲームやアニメ。家で食べているご飯。田舎のお婆ちゃんの家に行ったときの事。
とりとめのないことを、ミウィは面白がって聞いてくれた。
ミウィが語ってくれる、異星での出来事を聞くたびに、ユキヒコの胸はおどった。
「ランフォリアでは、アシスタント人工知能というコンピュータがつきっきりで、その言うことを聞いて生きていくんです。仕事も、結婚相手も、コンピュータに決めてもらうんです。
地球の人たちはすごいですね、ぜんぶ自分で決めるとか、ドキドキです……」
「ランフォリアこそ憧れるなあ。それじゃ悩みとかないんじゃ?」
「悩みくらい、ありますよ。それより、地球のスポーツのことを聞かせてください。学校で格闘技をやってるんですよね!?」
「じゅ、柔道だけど……」
「こんど、投げるところを見せてください」
「ほんとに、荒っぽい話が好きなんだね……」
自然の中に、ポツンポツンと館を作って、コンピュータに管理されて穏やかな生活を送っているランフォリア人。
人口過密な都市に住み、戦闘的でエネルギッシュな地球人。
お互いの文化に、深く憧れた。
「すごい、すごい、このシブヤっていうの、どれだけ人がいるんですか。全員が違う服を着て……みんな自由に歩いてる、すごい……ランフォリアでは、建物が3つ並んでいるだけでも珍しいですよ」
「そういえば、地球ばっかり見せて、ミウィの住んでるところはあんまり見てないね」
「見ます? あんまり面白くないと思いますけど……」
ミウィが見せてくれたのは、ゆるやかな起伏のある草原。
その中に、綺麗だけど小さな家が立っている。
そして、その家の上に覆いかぶさるように、なにか黒くて大きなものが……
たくさんのトゲが生えている、イガグリにも似た、巨大なものが浮かんでいる。
空に溶けこむように、輪郭がぼんやりとしてる。
もしかして、ずっと遠い場所……空の向こうにある?
「空に浮いてるのは、何?」
「ガルガスター人の宇宙艦隊ですよ。いつも衛星軌道を制圧しています」
その言葉を口にした時のミウィは、なにかに耐えるような表情だった。
禍々しい言葉なんだと分かった。
「ガルガスター?」
「ランフォリアが、昔、侵略戦争をやったのは知っているでしょう?」
「うん」
「ガルガスター人は、戦争でいちばん被害を受けて、ランフォリアをすごく恨んでいるんです。だからランフォリアに艦隊を送ってきて、ずっと監視しているんです」
「それ、何万年も前の話だよね?」
「5万年前です」
地球とランフォリアの公転周期はだいたい同じだから、地球の暦でも5万年前ということになる。地球人が洞窟に住んで、石器を使っていた遠い昔。
「いくらなんでも長すぎない? そんな大昔の事なんて、もう関係ないでしょ?」
「でも、わたしたちは、そのくらい悪いことをしたから。いまでも学校では、平和教育は最優先です。
平和の誓いっていうのがあって、毎日、手を合わせて暗唱するんですよ。
……こういうのです」
ミウィは目を閉じて、すっと背筋を伸ばして、胸の前で手を合わせる。
「 『わたしたちランフォリア人は、大いなる過ちをおかしました。
銀河に戦争の惨禍をもたらし、多くの罪なき民を殺めました。
いかなる手段でも償いきれない罪を、あなたたち、平和を愛する銀河の諸種族は許して下さいました。
だから、誓います。
恒久の平和を実現するため、諸種族の信義に応えるため、銀河において名誉ある地位を占めるため、地上軍、宇宙軍、その他の戦力を、永久に放棄します』」
「も、もういいよ!」
ユキヒコは思わず叫んでしまった。
なぜなら、『平和の誓い』とやらを暗唱するミウィの表情は、ひどく張り詰めて、泣き叫ぶほどの悲しみをじっとこらえているようで、見ている方の心まで切り裂かれそうに深刻だったから。
「5万年前のことを、そんなに引きずって、謝り続けるなんて……」
「でも、ランフォリア人にとっては、それがあたりまえのことなんですよ。自分たちは、自分たちの種族は、罪を償うために生きているってことが。
……それが嫌だと思ったことはないけれど。
でも、何物にも縛られない地球人は、うらやましいです」
澄んだ瞳で言うミウィ。
そのときユキヒコの心に浮かんだ感情は。
かわいそうだ。
解き放って、助けてあげたい。
……でも、それだけではなかった。
地球人だったらぜったいに忘れてしまう遠い昔の罪を、いまでも背負い続けるミウィは。
崇高な、きれいなものに見えたのだった。
何年も経つうちに、だんだんと、クラスの友達にはしない秘密の話も、するようになった。
両親から、自分用の端末をプレゼントされて、あとは歯止めが効かなくなった。
毎日、動画回線を繋いで、お互いの顔を見ながら街を歩いた。ご飯を食べた。
デートのつもりだった。
1000光年離れていたけれど、ずっと隣りにいるような気持ちだった。
心のなかで、でもそれだけじゃだめだと、もっと触れ合いたいと、気持ちが高まっていった。
初めて気持ちを打ち明けたのは中3の、高校受験を控えた時。
「君の事が好きなんだ。君だけが、地球の誰でもない、銀河の誰でもない、君だけが! 友達じゃダメなんだ。ずっと一緒にいたいんだ!」
そう言われたミウィは、しばらく言葉を失った。
そして、なぜか……「平和の祈り」のときによく似た、苦しみをこらえる表情で言った。
「わたしも、だいすきよ」
「あ、ありがとう!」
「……でもね。
今日、学校が終わった後、時間ある? まっすぐ家に帰って。家じゃないと話せない。見せたいものがあるの」
なんだろうと不思議に思った。
自分の部屋に戻って、回線をつなぎ直した。
「家についたけど?」
「画面を大きくして。画質を最大、壁一面にして」
言われた通り、部屋の壁全体をディスプレイに変えた。
画面の中は、質素な家具が並ぶ、ミウィの部屋だ。
「ねえ、ユキヒコ。部活でもレギュラーだし、成績も良い。モテるんでしょ?」
「急に何を……? 僕が好きなのは君だけだって」
「わたしも、あなたは好き。
あなたと喋ると、いつも心が明るくなった。
好きって言ってもらえる日を、待ってた。
でも怖かった。どうか言わないでくれと思っていた」
画面の中のミウィは、1枚また1枚と服を脱いでいく。
「ちょ……!?」
驚いたユキヒコが絶句しているうちに、全裸を晒した。
「……見て!」
言われるまでもない。ユキヒコは息を呑んで裸身を見つめていた。
まず目についたのは、圧倒的な、胸の平坦さだ。
ランフォリア人は胎生だが、ふだんは乳房の膨らみを持たない。妊娠した場合のみ膨らむのだ。地球の哺乳類も大部分がそうである。
鎖骨の下は切り落としたように平らで、ただ、みずみずしい小さな果実のようなふたつの突起だけが、強い存在感を放っていた。
その下には、すっと引き締まった腰があり、臍下には、淡い銀色の柔らかそうな毛が密生していた。銀色の茂みの中に、ちらちらと、分厚い唇のような割れ目が覗いている。
ゴクリと、生唾を飲み込んだ。
胸の膨らみが全くないからといって、スタイルが悪いとは思わなかった。
手足はすんなりと長い。子供の体型とは違う。
ガリガリに痩せて肋骨が浮いているような体型とも違う。
地球人とは違う生き物として、均整が取れているのだ。
「……どう思う、わたしの体?」
「き、綺麗だよ……?」
「地球の女の子たちよりも?」
「他の女なんて比べ物にならないよ!」
「じゃあ、ユキヒコも脱いで」
「な、なんで……?」
「脱ぐの!」
有無を言わさぬ口調に、ユキヒコは逆らえず、服を脱ぐ。
部活動で鍛えているから、だらしない肉体ではないと思うが、それでも恥ずかしくて、頬が熱を帯びるのを感じる。
パンツを脱ぐときは躊躇したが、勇気を出して一気に下ろす。
中に押し込められていたものが、飛び出し、跳ね上がった。
ユキヒコの股間のものは、ドクドクと脈打って怒張し、腹を打つほどに立ち上がっていた。
「……ユキヒコの、すごいね……
なんていうか、体の全部が、たくましくて……
ランフォリア人は、男女ともに華奢で、性差の少ない体をしてるの。
男の人は、いちおう、その、ついてるけど……
大きさが何倍も違う……こわいくらい……」
ミウィは怯えの色を見せているが、大きな目はユキヒコの股間に釘付けだ。
「……ねえ。その大きいのを見て分かった。
わたしと、そういうこと、やりたいんでしょう?
間違いなく、そういう欲望あるよね?
でも。
絶対に、永遠に、それはできないんだよ?
ふれあうことさえ……」
そうだ、そのとおりだ。
この世に存在するのは「超光速通信」であって、「超光速航法」ではない。
光より速く、宇宙船を飛ばす技術は、どの種族も知らない。
地球の核融合ロケットでは、巨大な推進剤タンクを付けても光速の1割しか出せない。
対消滅ロケットという、もっと高性能なロケットを持っている種族もいるが、それでも光速の9割程度。
1000光年を渡るには、どうしても1000年以上かかる。
ガルガスター人は確かにランフォリアまで来たが、かれらだって光速を超えることはできなかった。
宇宙船の中で世代交代を繰り返し、子供や孫に使命を引き継いで、2000年もかけてたどり着いたのだ。
「わかってるさ! そんなことは!」
もちろん、性欲はある。
ミウィと交わる夢を見たことは一度や二度ではない。
いま目の前で見せつけられて、劣情が膨れ上がって、脳が焼ききれそうだ。
この、宝石から削りだしたような美しい裸体を抱きしめたい、舐め回したい。
銀色の秘毛が密生する奥に、思い切りぶちこんでやりたい……
そんな気持ちで狂いそうだし、それが絶対にできないのが、つらくないわけない。
「でも僕は我慢するよ! 君の心と繋がっているからいいんだ。
一生童貞で、みんなにバカにされたって……
我慢する! 我慢する! 我慢する!」
ユキヒコが叫ぶと、ミウィはベッドに腰掛けて、
「……これでも?」
いきなり足を開いて、両足の間に隠されていた裂け目を、さらに指で押し広げた。
おどろくほど生々しい、紅色の粘膜が複雑なひだを作っていた。
「……っ!」
それが見えた瞬間、ユキヒコは声にならない声を発して、果てていた。
ほとばしったものがモニターまで飛んだ。
快感はなかった。大変な失敗をやってしまったという感覚と、体の芯を抜かれたような虚脱感があった。
「やっぱり嘘だった」
ミウィの目がすっと細くなる。
これは恥ずかしがっている表情ではない。軽蔑でもない。
悲しみの表情だ。
「ち、ちがう、これは、何かの間違いで、こんなはずじゃ……」
言えば言うほど、自分の言葉が空回りしていくのが分かる。
股間の猛ったものは、精を放ってもまったく硬度を失わず臨戦態勢だ。
それが逆に虚しく、焦りばかりをかきたてる。
「わたしも好きだから。あなたが好きだから。
だからこそ、我慢なんてさせたくないの。
地球人の性欲がどれだけ強いものか、一生満たされないってどんなつらいか。
そんな思いさせたくないの。
だから、わたしのことはあきらめて」
ミウィが言葉を切ったあと、長い長い沈黙が訪れた。
ユキヒコは、伏せていた顔を勢いよく上げて、沈黙を破った。
「……嫌だ。僕は……そう、我慢はできない。
行くんだ。1000光年の距離を超えて、君のところに行くんだ!
超光速航法を実現するんだ!」
「えっ……!?
不可能よ。できるわけがないわ。
ランフォリアの物理学は5万年前の全盛期に、すでに完成されている。宇宙の始まりから終わりまでを矛盾なく解明してる。地球の科学なんて比較にもならない。
その完璧な科学が、超光速航法は不可能だって言ってる」
「君たちにはできないよ。
諦めているから。
世界の常識に逆らわないから。
自分たちは悪い種族だから仕方ないんだと、それをずっと受け入れて生きている人たちだから。
僕ならできるよ。君があこがれた、地球人のバイタリティで」
ミウィは目をそらして、
「できるわけないって言っているでしょう!?
……これ以上、辛くなるだけよ。
さよなら、ユキヒコ」
接続が切れた。
モニターはただの壁に戻った。
部屋中に、自分の漏らした精液の臭いがたちこめていた。
泣きたい気分だった。
だが泣かないで、拳を握りしめた。
「……負けるもんか……」
☆
そして、ミウィは、ユキヒコの事など忘れた。
普通のランフォリア人のように、アシスタント人工知能の助言にしたがって就職し、言われるがままの相手と結婚した。
子供もふたり生まれた。ミウィは幸運だった。ランフォリアの人口は99万人と厳格に定められ、誰かが死んで枠が空かない限り生むことは許されないからだ。
数十年が過ぎて、生まれた子供たちも一人立ちして、孫が遊びに来るようになった頃。
一通の電子メールが届いた。
『惑星チキュウの、エンドウユキヒコさんから電子メールが届いています。』
アシスタント人工知能が冷静な声で告げた時、ミウィは鏡を見て、すっかりシワが増えたなあと嘆いていた。
ユキヒコの名前を聞いて、え? と瞬きする。
思い出すのに時間はかからなかった。
すっと頭の中が冷え、記憶がよみがえった。
「何で……今頃?」
アシスタント人工知能が言葉を続ける。
『635ペガサ・ガルメルの添付ファイルがあります。』
「600ペガサ? ずいぶん大きなファイルね?」
日常生活で使うことはまずない、膨大な量だ。
「まさか……」
嫌な予感がこみ上げてくる。
「ねえ、添付ファイルの種類は?」
『添付ファイルの……てん、てん、て、て……ピーッ!!』
今までに聞いたこともない音を発して、アシスタント人工知能が強制停止した。
「ちょ、ちょっと、どうしたのよ!?」
ランフォリアのコンピュータはきわめて安定している。こんな不具合を見るのは生まれて初めてだ。
「偶然じゃないわ。誰かにクラッキングされた?」
メールを開けてみる。
『ひさしぶりだね。ミウィ。
僕はやり遂げたよ。
送ったのは、僕の全てだよ。
人間の記憶や人格というのは、脳細胞の繋がり方のパターンにすぎない。
僕の脳を完全に分析して3Dモデルのデータにした。
このデータを元にナノマシンで神経細胞を結線すれば、僕と全く同じ心を持った人間を作れる。
遺伝子情報も送ったから、心と体が揃うんだ。
再生して欲しい。僕を。
そうすれば今こそ、君のそばに行ける。
楽しみだ、君のそばで目覚める日が……』
深くため息を付いて、地球への動画回線を開く。
画面に現れたユキヒコは、白衣を着て、ひどく老けていた。
ミウィは顔にシワがある、初老という程度だが、ユキヒコは頭が禿げ上がり、顔には老人斑。余命いくばくもない高齢だ。
地球人のほうが寿命が短いのだ。
回線を繋いだ瞬間、ユキヒコは雷に打たれたように背筋をピンと伸ばした。
「ミウィ。僕のミウィ! きれいだ。君は変わらないね。メール、受け取ってくれたんだね」
涙すら流している。
だがミウィは冷たい声で応じた。
「ひさしぶりです。
ええ。受け取りました。
驚いています。
よく地球の科学力で、そんなことできましたね。
精神をデータ化するのは、わたしたちランフォリア人が全盛期に使っていた技術ですよ」
「……やっぱりそうだったのか。君たちが帝国を築いた方法は……」
「同じです。正確には改良型ですね。精神をデータ化して、コンピュータウィルスの機能を与えて、タキオン通信ネットワークに流したんです。そして他の星の知性種族やコンピュータを、次々に乗っ取っていく……
こうやってランフォリアは巨大な帝国を作ったんです。
でも、これは危険なんです。
同じ精神を持つものが、分身を繰り返してたくさんの星に広がれば、素晴らしい統率力を発揮できるけれど、どれが本当の自分なのかという深刻なアイデンティティ・クライシスを引き起こします。
帝国膨張が止まった時、矛盾は最悪の形で吹き出して、たくさんの種族を巻き込んだ絶滅戦争になりました。
だから5万年たった今でも、ランフォリアは戦犯種族として危険視されているんですよ。コンピュータに管理されて、増えることすら許されないのは、そういうわけです。
精神のデータ化と再生は、厳しく禁止されています。わたしに法を犯せと言うんですか。
5万年間の、『平和の誓い』を踏みにじるんですか」
『平和の誓い』では『地上軍、宇宙軍、その他の戦力を放棄する』と語られているが、『その他の戦力』というのは、主にサイバー戦力を意味するのだ。
「わかっている。危険だということは。
でも、僕は乗り越えたかったんだ。
だって、かならず行くって約束したから。
そうすれば君は振り向いてくれる。
……それしか考えられなかったんだ……だから、何十年も、それだけに没頭した……
不可能だと言われ続けて、全人生を賭けて、やっと実現したんだ。
アシスタント人工知能がメールをフィルタリングしているから、それをごまかすのも大変だった。
だから、受け取ってくれ、僕の気持ちを……
きっと受け取ってくれると信じているよ……」
「コピーに過ぎませんよ。今そこにいるあなたの心が、こっちに移るわけじゃありません。あなたは、コピーがわたしとイチャイチャするのを見ながら、独りで死んでいくんですよ。気づいた時は苦しいですよ。その苦しみこそが、ランフォリア帝国を滅ぼしたんですよ」
「わかっている。わかっているけど、それが僕の救いだ。もう一人の僕が、君と結ばれるなら、納得して死んでいける」
ミウィは理解した。
誰の言葉も届かないと。
この人の時間は止まってしまった。
地球の科学水準を遥かに超えた天才。
これだけの頭脳を違うことに活かせば、カネも権力も、いくらでも手に入っただろうに……
わたしは……こうまでして想ってもらえて、嬉しいのだろうか。
……昔のわたしなら、確かに泣いて喜んだ。
ユキヒコのことを毎日思いながら眠りについて、ユキヒコのことが好きだからこそ別れを選んだ、あの遠い日なら。
……わたしには夫も子供もいる。絶対に失いたくない。
……だから、そんなことを言われても困る。あの頃とは違う。
そう自分に言い聞かせる。
でも、いくら言い聞かせても、胸の中が、ズキズキと痛むのだ。
あの頃の気持ちは、死んだわけではなかったのだ。
ながい歳月の力で、封じていただけだ。
だから、こう答えた。
「わたしは……」
☆
地球の日本。地方都市の安アパート。
狭い部屋にスチールのラックが並び、得体のしれない機械がギッチリと並べられている。
死臭が満ちていた。
真冬なのにこれだけ臭いがキツイのだから、夏なら大変なことになっていただろう。
警察官が2人、こう呟いた。
「事件性はないようですね」
「ああ」
かれらの視線の先には、一人の老人の死体。
痩せて、みすぼらしい亡骸だ。
毛布と半纏をまとい、機械と機械の隙間にまぎれるようにして、転がっている。
「ただの孤独死です。……それにしても……」
若い方は、部屋の中を見渡して、肩をすくめた。
「結婚もせず、友人すらいなかったそうです。機械だけに囲まれて、一人ぼっちで死ぬなんて……惨めな人生ですよね」
そう言われて、ベテランの方の警察官は、しばらく沈黙した。
だが言った。
「ほんとうにそうかな。
……じゃあ、なんでこいつは、安らかな顔で死んでいるんだ?」
もう何一つ、思い残すことはない、という顔で……
☆
「おばあちゃん。ねえ、ひいおばあちゃん」
ひ孫の柔らかい声に、ミウィは目を覚ました。
すでに150歳。ランフォリア人の寿命を過ぎている。
自分は車椅子に乗って、綺麗に整備された庭園にいる。
鮮やかに咲き乱れる花、その中を伸びているレンガの歩道。
ひ孫に車椅子を押されて散歩中、眠ってしまったのだ。
頭上を制圧する、トゲの生えた真っ黒い球体……ガルガスターの戦闘艦さえ見なければ、とてものどかな光景だ。
ああ、わたしは、ゆめをみていた。
懐かしい夢を……
シワだらけの手を伸ばして、首元にぶら下がっているペンダントを握りしめる。
消えてなくなりそうな小さなペンダント。
あれから数十年、肌身離さず、身につけてきた。
夫に先立たれた時も、孫の一人が若くして亡くなった時も、それをかたく握って耐えた。
「ねえ、ひいおばあちゃん」
「なんだい?」
「おばあちゃんがいつも首に下げてるペンダント、それ、メモリーでしょう? 何が入っているの?」
ミウィは言葉に詰まった。
言葉にしきれない大量の思いが、一気に胸の内で膨れ上がったから。
あのとき、ミウィは結局、ユキヒコの精神データを再生することはできなかった。
できるはずがない。異星人をまるごと一人、創りだして、匿いながら育てていくなど……
必ず露見するに決まっているのだ。バレれば、せっかく再生されたユキヒコは殺され、ミウィは犯罪者。家族も蔑みの目で見られる。
それはできない、みんな大切な家族だから。
ただし……
ミウィはあの時、こう答えたのだ。
『データを再生はできない。でも、ずっと持ってる』
『あなたのきもちは、うれしいから』
精神のデータ化技術は禁忌だ。
持っているだけでも十分に違法、露見すれば一家まとめて破滅。
それを、ずっと持っていると決めた。
ギリギリの危ない橋を一生渡り続けると。
1000光年の空間にもひるまず、5万年の呪縛にも立ち向かう、ユキヒコの真摯な気持ちを。
受け入れることはできなくても、せめて握りしめられる人間でいたかった。
中途半端な態度。それが正しかったかどうかはわからない。
でもユキヒコは、ミウィがそう言うと、
『ありがとう、ありがとう』
と、顔をくしゃくしゃにして泣いてくれたのだ。
「……おばあちゃん?」
ひ孫の声。またミウィの心は現在に引き戻された。
ひ孫の顔をじっと見る。
桜色の光沢を持った銀色の髪が柔らかそうに伸びている。くりくりと大きな、琥珀色の目。
むかしの自分とよく似た少女に、ミウィはこう答えた。
「……いつか、あなたに好きな人ができたら、教えてあげるね?」
ペンフレンド ますだじゅん @pennamec001
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