少年と案山子

 甘い味は虜にするよ。

 ずーっとずーっと此処にいればいい。

 悲しいことも嫌なことも忘れるくらいに。

 どんぶらこ、どんぶらこ。


 少年は色とりどりの妖に取り囲まれて、夢を見せられていたことに気がつく。

 此処は生と死の狭間。現世での辛い想いをした人に寄っちゃ天国に見える。夢のようなお菓子の国にだって見えるのさ。

 

 さあさ、お手をどうぞ。

 嫌なことなど忘れてしまえ。

 悲しいことも忘れてしまえ。

 どんぶらこ、どんぶらこ。

 すべてをナベに入れちゃいな。

 どろどろぐちゃぐちゃ煮込んじゃえ。

 どんぶらこ、どんぶらこ。


 おやおや、なんとも厭味なフレーズなことで……


『おやおやおや、嫌がるおのこは食っちゃいけないってルールを忘れたわけじゃなかろうよ?』

 空から前後の大きさの違う車輪を漕ぎ、ゆっくりと降りてくる。そして案山子はマントで少年を包み込み、低い空を見上げ声色を変えた。


『おっと、そこのぼっちゃんは今夜の目玉商品さね〜、案山子のダンナは他所に行ってくんねえかい? ってそのご様子じゃ簡単には事は運びそうにないねえ〜相も変わらず嫌な顔だよ』

 妖の集った場所をかき分けながら、猫のパティシエが大鍋を担いで鼻を鳴らした。


『そいつはこっちのセリフだよ。君の席は確保してあるよ? ふわふわのギモーヴのソファーに、あまーい甘いパイにミルクティー、決め手はなめらかクリームかい?』

 すると、案山子はめらめらと燃えさかる炎を指先にともし、大きく開いた口から氷の息を吐いた。


『ひいいいいい! このバケモノが〜おぼえてやがれ〜』

『どっちがだよ……妖が笑わせるね〜』


 猫のパティシエはスタコラサッサと逃げ出してしまった。他の妖たちも燃やされちゃかなわない! 凍らされちゃ生きていけねえ!

 と、あちこちにある穴に入って固く固く蓋をしめてしまった。


 少年は声が聞こえなくなったのを合図に、マントの奥から小声で案山子に話しかけた。


「僕、もう出てもいいの?」

『ああ、出ておいで……アンタはまだ戻れるさ! 帰り方は教えてあげよう。一度しか言わない、いいね?』

 案山子は丁寧に少年の前でしゃがみこむと、自分の木の枝でできた長細い指を一本少年の前に差し出す。少年は案山子の言葉にしばらく考える。


「ねえ、僕は戻らなくちゃいけない?」

『うん?』

「どうせ戻ったって良いことなんてないもの……」

『おや、驚いた答えが返ってきたね。キミは生きてりゃまだまだ何にでもなれるさ』

「いいんだ! それより……ここにいちゃダメ?」

『困ったね……』

「なんだってやるよ? 水汲みも薪拾いも……あとは、あとは……」

『そりゃどこの国のお話だい? 此処ではすべて間に合ってるさ』

「どうしてもダメ?」

『構わないが今の姿じゃまたいつか狙われるぞ?』

「その時は僕だって強くなってるよ!」

『おやおや、こいつは言うじゃないか』

「へへへ……」

『キミには負けたよ。さあ、こっちにおいで』

 案山子は少年の手を取り、青いルビー入りの目を赤いルビーに変え、自分のスーツのポケットからラングドシャのスカーフを少年のカバンに巻いてやる。


『これで君が君だって誰も気がつきゃしないさ! さあ、行こうか!』


 大きな車輪の自転車にさっと跨り少年をひょいっと肩に乗せる。ソーダ水のゼリーとミルクムースの空には、淡いアザランの星屑が光り輝く。


 惨めなことも悲しいことも忘れてしまえ。

 ミックスジュースにして飲み干そう。

 あたたかい場所を作ろう。

 苦手なことは振り向かないで横を向いちゃえ。とんとんドアをたたいて開けよう。きっと明日はお休みだ。

 とんとことんとん。とんとんとことん。

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マーブル・チョコレート 櫛木 亮 @kushi-koma

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