猫のパティシエと媚態カーニバル

 大きな長細いテーブル。白いシュガーのお花のテーブルクロス。細かく削れたナッツの香りがあちらこちらからする。香ばしくて、少し渋くて、良い香りだけが鼻の奥に残る。香りは不思議と心に棲みつく。


 ゆったりとじっくりと知らないうちに。


 安心してね、此処にはお酒はありません。

 此処はオトナがいない国。

 誰も咎めはいたしません。

 好きなようにすればいい。

 迷うことなどありません。



 甘いパイをひとくち頬張れば、まるで天国にでも行った気分にさせてあげる。


 これは約束。指切りげんまん。


 甘いパイは初恋の味? なんてこったい、馬鹿おっしゃい。

 甘いパイは夢の味。いくら食べても飽きません。おかわり自由に、さあどうぞ。



 少年は不思議な音楽と歌声のような囁きに、心も身体もゆらゆらと揺れた。


 三段重ねの銀のお皿には、きらきら光るお菓子がいっぱいだ。その中でも少年は蜜がたっぷりとかかった蜂の巣の形をしたパイが気になったようだ。指先で、ひょいと摘んだ小さなパイは、『食べておくれよ』と彼を見上げた。


 悉く誘惑は止まらない。


 するとそこに、猫のパティシエがふんわりと泡立てたクリームを蝶々の皿に乗せて、不器用にひょこひょこと近づいてきた。


 『ぼっちゃん、ぼっちゃん。クリームはいかが? 甘くて美味しいクリームはいかがかな?』


 桃色のまるまるとした鼻先をひくひくとさせ、猫のパティシエは甲高い声と共に、ニヤリと笑う。


「クリームは食べたことがないよ、お母さんもお医者さまも身体に悪いって食べさせてくれなかったよ。……食べても良いの? 怒らない?」


 『なあにをおっしゃいますか。怒るはずがありません。此処はオトナがいない国、ぼっちゃんのお好きにすればいいんですよ』


「ナイショにしなくてもいいの? 本当に食べてもいいの?」


『ええ、それはもう思う存分に』


 その言葉に少年は激しい恋情を覚えたように恍惚な表情を浮かべ、指先に縹色のクリームをすくい取り、指先についたクリームに目を輝かせた。


 ひとくち食べれば口内に広がる、甘ったるい油と、ねっとりとしたミルクの臭みが舌に残る。少年は空嘔しそうになるが猫の手前それをやめた。だけど、此処には嘔吐をしたとして僕を咎める人はいない。誰もいない。


 激越な口調の怒鳴り声も此処にはない。そう思うと少年はホッと胸をなでおろした。


 少年の隣で猫のパティシエは不敵な笑みをこぼす。柔らかな前脚でエプロンの端をキュッと掴む。黄金色の目は細くなり、白い立派なヒゲはピンと上下に動く。



『ではでは、ぼっちゃん。のちほどのちほど、またあとで』


 そう言うと、ふくよかな腹と少し偉そうな尻尾を震わせて、猫のパティシエは小さく会釈して何処かに消えていった。



 今夜の目玉商品はナニかいな?

 立派に出来上がる料理はダレの手に?

 それはそれは、あとの、お楽しみ。


 それでは、暫くお待ちください。


 軽快なリズムに心躍らせる。少年は夢中でカーニバルの見世物に感興をそそられた。



 夢は夢で、覚めた時に辛い思いをするよ。

 何事も先蹤に従いたいものだよ。

 さてさて、そろそろワタシの出番かな……


 ひと通りを眺めていたチョコレート塔の案山子がプレッツェルの杖をくるりと回すと、ヴィエノワのマントをひるがえし、紅茶の渦巻きムースのハットを深く乗せた。



 もういいかい?









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