Case 1 都界の高校に通う女子高生

「明子、彼氏とか作らないの?」

電車の中で、ネイルの手入れをしながら由香里は私に問いかけた。

「うーん、今はいいかな。外暑いし。由香里は?」

「私は明子とかとだらだらしてるのが好きだから別にいいかなーって感じ」

「分かる。だらだらしてたいよねー。暑いし」

由香里からのよくある適当な振りを適当に返そうとしたが、外が暑いから彼氏がいらないという返答は自分で言ってて馬鹿っぽいなと思ってしまった。


7月半ばに差し掛かった高校二年の夏。もうじきくる夏休みへの期待感と、もう高校生活も折り返しなのかと思う一抹の寂しさを私は感じていた。


由香里とは高校一年の時に同じクラスになって知り合った。入学したての頃、50音順で並べられた席で私と由香里は隣同士だった。最寄りの駅が二駅しか離れてなかったことや、同じ帰宅部として、自然と一緒に帰ることが多くなり、今では親友と呼び合うまでの中になった。登下校は大体いつも一緒だ。


「でももう高二の夏だよ?未だに彼氏無しは焦らない?」

まだこの話終わってなかったのか。私は心の中で小さくため息をついた。

「でも、もう高二の夏だし、高校生活もあと一年半しかないじゃん?その大事な時間を私は自分や由香里のために使いたいわけよ」

「確かに、明子いいこと言うじゃん」

よかった。会話を逸らすことに成功した。

「そっかー、もうあと一年半しか無いのか。焦るわあ」

「結局焦るんだ」


電車での私と由香里の会話はいつもこんな感じ。特に深い事を話すでもなく、突然思い浮かんだ事を突拍子もなく話し始め、それを脊髄反射で返す。

こんなだらだらとした時間は私は好きだ。何を話したかなんてほとんど覚えてないけど、きっとかけがえのない時間なんだってことは分かる。



「でもあと半分しか高校生活ないと思うとやっぱり焦るよね。ほら、空も同じく焦ってるから今日は雨模様だし」


ネイルの手入れを済ませた由香里はおもむろに空を見上げた。


ここ数日は梅雨の影響で雨の日が続いていた。暑さと湿気が混じった季節が嫌いな私にとって、この時期は地獄そのものである。


雨といえば、私の最寄駅である「七福駅」では、「レンタルアンブレラ」と呼ばれる、無料傘貸し出しサービスがあるという噂がある。詳しいことは知らないけれど、雨の日になったら傘を貸してくれるらしい。なんて都合のいい人なんだろう。


でも、なぜそんな事をしているのだろう。

私達にとっては大変嬉しい事ではあるけど、慈善事業としては見返りが少ないのではないだろうか。富豪の気まぐれか、はたまた傘屋さんの賞味期限の切れた傘の処理とか。どちらも現実味が薄い。てか傘に賞味期限はないし。


私の最寄駅から二駅しか最寄が変わらない由香里に、レンタルアンブレラのことを知ってるのか聞いてみることにした。


「ねえ、由香里。レンタルアンブレラって知ってる?」

「えー、知らない。なにそれ?」

由香里はどうやら知らないようだ。噂が好きなゆかりでも知らないとなると、この慈善事業は本当に七福駅でしか行われてないのだろうか。しかも秘密裏に。

「七福駅でね、雨の日になると傘を貸してくれる人が現れるって言う噂があってね、それをレンタルアンブレラって呼んでるの」

「なにそれ、超優男じゃん」

「そうなの。優しすぎるよね。男の人かどうかはわかんないけど」

「えー、絶対男だよ。傘貸してあげて濡れながら走って帰るのはいつだって男じゃん?」

「漫画の中ではそうだけど、確かにそう言われると男の人の気がしてきた」

「でしょー。んで、女に傘貸してあげて、あわよくば感謝の印的なのでランチとか行けたりしないかなーって企んでるの!!明子ダメだよ近づいたら。傘だけ奪って帰るのよ」


由香里の偏見が凄い。傘奪っちゃダメでしょ流石に。

さっきまでのレンタルアンブレラへのイメージが完全に崩されて、気持ち悪い男の人が出会い目的で傘を貸し続けているというイメージになってしまった。


恐るべしレンタルアンブレラ。見つけ次第110番。



「明子の今の話を聞いて、やっぱり護衛としての彼氏が必要な気がしてきた」

また彼氏の話に戻ってしまった。全ての会話はここに収束してしまうのか。

そんなような話をしているうちに由香里の降りる駅に着いた。

「じゃあね明子。また明日。変な男には気をつけてね」

「わかったから。じゃあね由香里」

由香里がホームに降りて行き、しばらくして私も最寄駅に到着した。


ホームに降りると、学校を出た時より雨脚は強くなっていた。

「凄い雨だなあ」

連日続く雨の中でも過去一の雨が降っている。

早く帰ろうと私は早足で歩き、ICカードをかざして改札を抜けた。


「あれ、無い」

階段を降りて傘をさそうとした時に私はようやく傘がないことに気がついた。

私の傘は折りたたみ式ではないので、忘れたらすぐ気がつくはず。下校の時には確かに私の右手に握られていた。


「確か右手に、握って……あ」


思い出した。ネイルだ。

由香里がネイルしているのを見て、私も退屈しのぎに電車内でネイルしたんだった。その時に傘を置いたまま忘れてしまったんだ。

何という失態。傘は忘れるわ雨でネイルは剥がれるわで一石二失態。新しい四字熟語ができてしまった。正確には五字熟語か。どっちでもいい。


「絶対止まないよなあ」


ホームのベンチに座り込む私。燃え尽きたジョーの様だ。


でもまだこの駅には希望がある。レンタルアンブレラだ。

こんな豪雨だ。来ないはずがない。傘貸し放題である。

私は男の人を待ち続けた。出会い目的で傘を貸し続けている、不審な男の人を。

でも、どれだけ時間が過ぎても男の人は現れなかった。


何分待っただろうか。私はスマホを取り出して時計をチェックする。


「まだ40分しか経ってないのか」

体感では8時間くらい。それだけの虚無感を私は感じていた。

だらだらしてる時間は好きだけど、これは辛い。



もう仕方なく近くのコンビニまで走って、傘を買って帰ろう。そう決意したその時だった。



「お嬢さん。傘はお持ちですか?」


突然、背後から優しい声が聞こえた。

来た!本当に来た!JKも範囲内なんだ!

私はゆっくり振り返る。


「いえ、傘がなくて困っていたんです!…って、女の人!?」


そこにいたのは、薄汚いジャケットを羽織った、髪と髭の長い男の人ではなく、流れるような美しい黒髪に青を基調としたワンピースを身にまとった。綺麗な大人の女性だった。


「あら、男の人の声に聞こえたかしら」

「いえ!その、何といいますか……」

ふふっと笑う女性に、さっきまでなんて失礼な想像をしてたんだと私は後悔した。

「レンタルアンブレラをしてくださる方はてっきり男の人だと思ってたので、大変失礼致しました」

「まあ、そういうことでしたか。ということはレンタルアンブレラについてはご存知なんですね」

「はい、噂程度には」

気になってしょうがない私は休む間も無く尋ねた。

「その、あなたが傘の貸し出しをしている、レンタルアンブレラと呼ばれる人なのでしょうか?」

私と女性との間に少しの間が生じた。二人しかいない改札口では、雨の音だけが響いていた。

「ごめんなさい。それは私じゃないの。私も、この傘を貸してもらったのよ」

そう言って、女性は鞄から黒い折りたたみ傘を取り出した。

「レンタルアンブレラにはいくつかルールがあってね、一つは、雨の日には必ず携帯すること。もう一つは、貸してもらった傘は困っている誰かに貸し出さなければならないこと。私に傘を貸してくれた人がこのルールを教えてくれたの」

「そうやって、どんどん傘が色々な人の手に渡っていくのですね」

「そういうことみたい。そして、次はあなたの番」

そう言うと、女性は私に折り畳み傘を差し出した。

「あなたはこれから雨の日には自分用とこの傘の二つを携帯して、困っている人がいたら迷わずこの傘を差し出すの。そして私が話したこのルールを次の人にも話すこと。これがレンタルアンブレラの最後のルールよ」

「困ってる人なら誰でもいいのですか?」

「まあ具体的なルールは知らないけれど、おそらく次に繋げてくれる人がベストだと思うわ。でないとここまで傘が出回ってないと思うの」


確かに、この黒い折りたたみ傘が途切れることなく大勢の、傘を欲する人の手を渡り歩いていることは、普通に考えて凄いことだと思う。

以前、ニュースで見たけど、自販機の横に置かれたレンタル傘の返却率は10パーセントにも満たなかったとか。それに比べてこの傘は、返却率というのは少しおかしいけれど、百パーセント他の手に移っている。普通ではない。


「わかりました。必ずルールを守ります。私も、次の人にバトンを繋げます」

私は女性から渡された傘を受け取った。

何人もの人の慈愛に満ちたこの傘を、私はとても愛しく思えた。

「ありがとうございます。私はこれで失礼致します。このご恩を忘れません」

私は傘を差し、女性に別れを告げて駅を出た。

傘を求めた虚しい四十分余りが、かけがえのない思い出になるだろうと、私は確信したのだった。



雨の止まない七福駅で

今日も傘は人の手を渡る

夏の日も冬の日も

次は貴方の手の中へ

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七福駅のレンタルアンブレラ ななかみん @nanakamin_c

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