機は熟す前

週明けの翌日、その日から再び平常通り授業があったが、先週行われた中間試験の答案返却が同時にある。一週間かけて全ての答案が返ってくる訳だが、その度に喜ぶ人や嘆く人、中には集団になって阿鼻叫喚の様を見かけることもある。

高校に入学して初めての試験、俺の場合平均点は超えているものの、特別良いとも言い難い。所謂、普通というやつだ。


一方、両サイドの二人。

杣谷くんはクラス内の最高得点・学年最高得点をいくつか叩き出し、おそらく平均点を上げている原因と言われている事だろう。クラス内順位はもちろん、学年順位も上位は間違いない。

隣のクラスの天野さんと一緒に勉強していた三村くんは点数こそは高くないものの平均点は一応超えているので追試は免れた。この一週間のテスト返却は毎度祈っていたが、全て返ってきた今は元気そのものだ。


クラス内を伺うとちらほら安堵やそうでないため息も聞こえてきたりしている。この光景だけは中学の頃から何処も一緒で変わらないのだな。


そして全教科返ってきた金曜日の放課後、楠木先生から告げられた。


「赤点を取った教科に関してはそれぞれ補習や課題などがあると思うのでそれに従ってください。ちなみに私の数学は課題を出します」


クラス内で赤点を取ったであろう男子生徒があからさまにがっかりする。そしてそれ以外の男子は“ざまあみろ”という感じで笑いかけていた。


「課題には期限を設けますが、出来たら私の所へ提出しに来てください。答え合せをします」


赤点男子は静かに喜び、赤点でない男子は歯を噛み締めていた。隣の三村くんも然り。楠木先生の受け持つ数学だった場合は赤点を取った方が良いのかと分からなくなった。ただその時の喜びはあるものの、後々それは成績という現実的な数字になって表されるからな。

赤点教科のなかった俺たちは特に課題や補習もなく、来週からは暫く試験とは無縁の日々を送れるかと思っていたが、7月の夏休み前に今度は期末試験がある。その範囲は来週からの授業内容が範囲になるそうなので、学生である以上試験と無縁というのは無理らしい。


そしてさらに6月といえば、衣替えの季節でもある。

男子はただ学ランを脱いだだけ。ズボンの生地が少し薄くなる程度で見た目の代わり映えはない。一方女子は半袖シャツの上にベストの着用を義務づけられているものの、好きな女子の夏服姿に色めき立つ男子も珍しくない。じめじめとした日本の梅雨は明けると、その先には暑い夏が待っていた。


「不二子は夏服とやらにはなりませんの?」

「夏服というか、半袖シャツは着るわよ。あとは…夏は、ノースリーブかな」

「まあ、なんて破廉恥な響き…!」


いやノースリーブという言葉は別に破廉恥ではないです。


「不二子ののーす、す、スリープ?は楽しみですわね」

「その上にカーディガン羽織るけどね」

「まあ、なんて破廉恥な響き…!」


もういちいち突っ込むのも疲れた。


楠木先生にやたらとべったりなこの女性、いかにも七福神が一人、弁財天様だ。そして俺は現在、数学準備室に呼び出しをされていた。いつぞやの死神の話だろうかと思っていたのだが。


「私、中原くんに大事な話をしていなかったの」

「だっ大事な話…?」

「うん。あのね」


「不二子、まさかこんな貧相な男を…!?」


弁財天様お黙りになられてください。変な期待をしてはならないと思う反面、急に心臓がばくばくと速く脈打ち始めた。放課後の二人(+神様一柱)での数学準備室、こんな場面にどきどきしない男がいないわけがない。生唾を飲んで話の先を勘ぐる。


「中原くん、実は体育祭委員なんだ」

「……は?」


告白だなんて思っちゃいないさ。楠木先生は生徒に絶大なる人気を得ていても何の問題も起こした事のない立派な教師なんだ。そんな人が一生徒である俺にそんなこと言う訳がない。そんなことは、分かっていたんだ。

それにしてもだ。


「あの、ちょっと話が見えないのですが…」


楠木先生は語った。

俺が校舎の窓から落ちた翌日、学校を休んだ日だ。その日のホームルームの時間で委員会決めをしなければならなかったのだが、俺が休みということでどうしようかとなった矢先。こんな妙案が出された。


「三村くんが体育祭委員なんだけれどね、中原くんと二人でもいいかって聞いてきたの」

「でも委員会ってどれも男女二人ですよね?」

「体育祭委員の仕事内容って大まかに言えば男子と女子、それぞれのクラスリーダーがいればまかなえるから三村くんなら女子の方任せても大丈夫かなって。女子でやりたがる子もいなかったから、一度それで話し合いが終わったのよ」


そして現在6月になり、


「そしたら、中原くんにこの話するの、先生すっかり忘れてて。ごめんね」


くそう、怒るに怒れない。そんな思考を口に出来ない俺を他所に弁財天様が何故先生が謝らなければならないのか理解できないと楠木先生を擁護していた。神様こんな贔屓許されるのかそれ。人の子に対し皆平等であれ。

ただ今の話だと委員は俺一人という訳でもないし、確かに三村くんには俺だけでなくみんなを率いてくれるリーダーシップを発揮してくれるだろう。何もかも全部彼任せ、ということはないが上手く行きそうな予感はしていた。


「その事もあって三村くんも準備室に来るよう呼んだのだけど…」


放課後の掃除やら何やらを終えてからにしろ、確かに遅過ぎる。というか楠木先生に呼び出された彼の思考、安易に想像出来てしまった。

そして数分後、主に楠木先生と弁財天様が雑談している最中、準備室のドアを誰かがノックした。「失礼します」という声はまさしく三村くん。部屋に入って来た彼の姿を見るなり、主な変化といえば髪型が明らかにワックスで綺麗に整えられ、制服もいつも着崩している所をびしっと決め込んでいた。入って来た勢いで風に乗って微かに香水のような香りもする。普段の彼とは違い、この数十分でかなり気合いを入れて来たのだろう。


「お待たせしました、ふっ不二子先生……って、ああ! 何で中原がいんだよ!?」

「え? いやだって、体育祭委員の話を…」

「先生! 先生は、俺たち二人を一緒に呼び出したんですか!?」

「そうだけど。だって、体育祭委員の話だし…」

「た、体育祭委員…?」


ここでようやく楠木先生は事の経緯を呼び出した理由と共に彼に告げた。そして彼は愕然として床に膝をついた。


「あ、あんまりだ…!」

「私ちゃんと言ったわよ? そうしたら三村くん、“分かりました”って元気よく返事してくれたのに」


彼は呼び出された事自体が嬉しくて、何の話をするかは最早興味なかったのだろう。せっかく整えた髪の毛をくしゃくしゃと掻きむしり、そして徐ろに俺の隣に腰掛けた。弁財天様が大笑いしているが、彼には視えていなくて心底良かったと思っている。


「まあ、とりあえず二人にちゃんとこの話はしたし、さっそく来週の月曜日の放課後に委員会の集まりがあるみたいだからよろしくね」


楠木先生の切り替えはとても早い。


「くそう、こんな事なら身支度とか掃除とかしてねえでとっとと来りゃ良かった。そしたら少しでも二人きりになれたのに…」


掃除はサボったら駄目だろ。


「ふんっ、愚かな考えだこと。不二子と二人になんてさせるもんですか。そんな事をしようものなら、妾が天罰を下します」


神様の天罰はガチじゃねえか。


三村くんが視えていない以上、あくまで今この場にいるのは三人という体で話を進めなくてはならない。ただし俺の視界にも耳にも弁財天様の姿はあるし声は聞こえてしまうのでややこしくなる。お願いです、少しお静かになさっていて頂けませんか。じゃないとそろそろ神様に対してですけれどツッコミをしたくなってしまいます。


「まあ、何だ。中原よ、俺が勝手に体育祭委員に巻き込んじまって悪かったな。もし面倒なら俺一人でも出来るから気にすんな」

「いや、気にしないでよ。寧ろ三村くんがいてくれれば心強いし、俺でも何か役に立てればとは思うけど…」

「ははっ、なーに言ってんだよ! 委員は俺らだけど、体育祭は俺たちだけで頑張るもんじゃねえしな。けど、一緒にやんなら頑張ろうぜ!」

「うん」


彼のこういう所、本当に心強く感じる。漫画を描いた時だって真っ先に助けてくれて、彼の言動が俺を含めたみんなを動かしてくれた。せっかく一緒にと俺を選んでくれたんだ。頑張ろう。


そしてその日は先生の元を後にして、週明けの体育祭委員会。

体育祭は6月末。各学年・各クラス毎に様々な競技で競い合うが、競技は個人と団体とある。個人競技には借り物競走、100m走など。そして団体は


「目玉企画としてはクラス対抗リレー、そして全員参加の大縄跳びで回数を競い合います」


この二つはこの学校で体育祭が始まって以来変わらず続けられて来た伝統競技。そして一番盛り上がるし、何より団体なので点数の配点が高かった。点数差によっては一発逆転の大チャンスになりかねる。

リレーに関しては今後クラス毎に練習日を複数日設けられるので、校庭のトラックを利用しての練習。大縄跳びは一クラスにつき一つ大縄を貸し出され、朝練・昼休み・放課後など、クラス毎に練習をしてほしいとのことだった。これらの練習の際に指揮を取るのが体育祭委員の仕事でもある。


「それと、男子は棒倒し、女子はムカデ競争もあります」


いつも思っていたことがある。漫画とかたまに見ると、棒倒しをしている男子が上裸になるのは何故なのだろうかと。ただしそれも格好いいイケメン男子なので、多分上裸担当はうちのクラスでは三村くんと杣谷くんだろうか。

その後は競技参加者の待機列の案内や開会式・閉会式の司会進行など、当日の役割分担を決め委員会は終わった。次に集まるのは本番の数日前。それまでは練習等、全て各クラスの委員に指揮が委ねられた。


この話は翌日火曜日、ホームルームで話された。

具体的には競技内容とその競技に誰が出るか、それを決める。進行は三村くんに任せ、俺は黒板に名前を書き留めた。

個人競技があらかた決まると団体競技の話に。


「つうわけで、男子の棒倒しはぶっちゃけ練習方法がないのでぶっつけ本番で」

「まじかよー」

「三村、棒借りて来いよー」

「んなこと言われても無理だっつうの。そこは男の意地見せろお前ら。で、大縄は当日一週間前までは放課後練習出来ればと思う。もちろん都合あるから出れる奴でいいよ。リレーは次の体育の時にタイム計らせてもらえるらしいからそれで順番決めます。何か質問とか意見ある人ー?」


誰も特に異論はなかった。昨日の委員会の後、俺たち二人で少し話し合っただけなのに彼はここまできちんと意見をまとめてくれた。その誠意は自ずとクラス内に男女問わず伝わっているのだろう。


「んじゃまあ、質問とか出て来たら俺か中原に聞いてください。次の体育が明日なので、とりあえず大縄跳びの練習を今日の放課後からやります。用事ある奴はそっち優先してもらって、途中に帰るのもアリなんでなるべく参加お願いします!」

「「「はーい」」」


話し合いが終わった所でチャイムが鳴った。昼休み前だったこのホームルーム、女子たちは各々集いながらこんな話が聞こえた。


「うちのクラス三村くんが委員で良かったよね」

「他クラスの男子より断然格好いいしリーダーシップあるし。もうほんと目の保養」

「でも他クラスの女子で誰か体育祭で告るみたいな話あるらしいよ」

「まじ!? えーでもそういう行事とかチャンスだもんねー」

「うちらもこれを機に近づくチャンスじゃない?」

「え、やばそれ!」


そっか、高校生だもんな。体育祭だもんな。

羨ましいとかそういう感想よりもまるで他人事のように興味しかなかった。そりゃそうだよ、この年頃だもん、色恋沙汰の一つや二つあって当然だ。何なら先週も三村くん自身が楠木先生に色めき立っていたが、思えばあれは色恋というより憧れや羨望に近いのかもしれない。この体育祭で三村くん、さらに杣谷くんにアピールしてくる女子は多くいるかもしれない。本当にそんな人気者二人と友達になれていることが今更ながら不思議で仕方がない。


「中原ー、飯食うぞー」

「あっ僕飲み物買いに行きたいんだけど何かついである?」

「いいよ、みんなで行こうぜ」

「うん。俺も買いに行く」


本当に彼らがいなければ、この高校生活どうなっていたのだろう。友達作りに初っ端失敗をしているので、今頃ぼっちだったかもしれない。

彼女たちからの羨望の眼差しを微かに感じながら、俺は彼らの元へ向かうのだった。





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徒然なる日々には奇妙が満ちる 古町小梅 @koume_machi

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