後編

秋の別荘地は思っていたより寂れていた。人気はないし、いくつか並ぶコテージや別荘には「売物件」と貼られているものもある。

 「なーんか、来るたびに寂れてきているわねー」

 「俺が買った頃は、まだ賑やかだったんだけどな。隣のコテージにアメリカ人の家族連れが来たりして、バーベキューとかやっていたぞ」

 「そりゃ、お父さんの頃はバブル期だったもの」

 次女の晴美はアウトドア向けの大きな車を鼻歌交じりで楽しそうに運転している。聞けば車も彼女の趣味なのだという。おっとりしたルックスからは想像できない。

 「さーて、もうすぐ到着しますよ~」

 「道代さん、大丈夫? 車酔いしていない?」

 「ええ、晴美さんの運転が上手だから、ぜんぜん平気よ」

 白樺林の中に建つその別荘は、小さいがなかなか凝った造りのようだ。定期的にメンテナンスを施しているのか、古いが小奇麗にしてある。とはいえ、長いこと留守にしていたツケはそれなりにあった。

 「うわ、床が砂とホコリでザラザラだわ」

 「ねー、靴を脱いで上がるにも困るわ。まずは大掃除よ。お父さん、水道の元栓開いてちょうだい。あと電源。ブレーカー大丈夫かな」

 「よし、ちょっと見てくるな」

 「あら、じゃあ私はホウキでもかけましょうか?」

 「わぁ、助かるわ、道代さん。それじゃみんなでチャッチャッっとやっちゃいましょう!」

 大掃除もだいぶ進んだ。道代は雑巾を絞り、居間に鎮座するマントルピースの上を拭こうとした。そこにはいくつもの写真立てが並んでいる。だいぶ色あせてはいるが、好美と晴美の幼いころの写真や、剛造の前妻と思われる女性が一緒に写っている写真などがあった。

 一つだけ、伏せるようにしてある小さな写真立てがあった。何気なくそれを手にした道代は、次の瞬間、首筋の後ろが粟立つのを覚えた。

 少しヤニ下がった表情の剛造と、その隣でしなだれかかるように寄り添う女性。

 間違えようもない。このくねっとした姿勢、タレ目でちょっとばかり眠そうな目つき。女性は芳子だった。二人は別荘をバックに、仲睦まじいツーショットを撮っていた。

 「ねー、晴美ぃー、2階の掃除機持ってきてくれるー?」

 好美の声でハッと我に返った道代は、その写真立てをこっそり服の中に押し込んだ。

 「ね、ねぇ、好美さん。もう、お手洗い使えるかしら?」

 「あ、大丈夫です。掃除も済んだし、水も流れますよ」

 バッグを手に、トイレに向かうと写真立てもう一度じっくり見つめた。何度見ても同じだ。間違いなく、芳子だ。恐らくこの別荘の玄関前で撮影したのだろう。季節はちょうど今くらいだろうか。房江に電話しようかとも思った。しかし、その前に詳細を知りたかった。

 道代は、大きく息をつくと、その写真立てをバッグの中に押し込んだ。


 「ふーっ、やっとキレイになった」

 「さぁ、お疲れ様でした。ハーブティ淹れたから、ちょっと一服しましょう」

 晴美がブレンドしたというハーブティは、薬草のような、漢方薬のような香りと味がした。薬効もあるのか、少しだけ道代の心の動揺を抑えてくれたようだ。

 「うーん、俺、コーヒーの方が…」

 「何言っているのよ、体にいいのよ、これ」

 「ええ、おいしいわよ、晴美さん」

 「でしょ? このあたり、天然の山菜や薬草、ハーブもいっぱいあるの。だから、この別荘は私も大好きなのよ」

 「お手入れは大変だけどね」

 「もう、それは言わないの。さーて、それじゃご飯支度しましょうか。あ、お父さんと道代さん、ちょっとお散歩でもしてきたら? その間に、私たちが夕食の準備しているから」


 「…何だか、気を使わせたみたいですね」

 「娘たちに言われると照れ臭いが…そうだな。でもいいだろう。俺も二人きりでこういうところを歩くのは嬉しいからな」

 山林の中は静かで、枯れ葉を踏む音すら優しい。ときどき、野鳥の声が遠くに聞こえるくらいだ。

 「…ねぇ、あなた」

 「何だね?」

 「本当に、私なんかが妻になっても良かったのかしら」

 「ははっ、何を言うんだよ。うちの娘たちとも仲良くしてくれるし。何より、老い先短いこの俺に付いてきてくれるのが嬉しいんだよ」

 「…実はね、私、見ちゃったんですよ」

 「何をだ?」

 道代はバッグの中から例の写真立てを取り出した。

 「それは…!」

 「前の奥様…ではないですよね、この方」

 いきなり剛造がその写真立てをひったくった。そして次の瞬間、思い切り地面に叩きつけた。

 「こんな、こんなやつの話なんかしたくない!」

 何時になく強い怒りを表す剛造に、道代は身がすくんだ。

 「俺は…俺は真剣だったんだぞ。娘たちも認めてくれた。それなのに、それなのにだぞ、あんなマネしやがって! バカにするにも程がある!」

 怒りは収まらないのか、剛造は叩きつけた写真立てを何度も踏み潰した。

 道代が何か声をかけようとした、まさにその時だった。

 剛造の背後に、何かが浮かんで見えた。

 「……!」

 総毛立つというのは、このことか。かつて詐欺がばれて逮捕されたときですら、こんな恐怖感はなかった。

 道代は一目散にその場から逃げ出した。後ろから剛造が呼ぶ声が聞こえるが、構わずに走り出した。


 剛造の背後に浮かんでいたのは、紛れもなく芳子だった。

 それも、もはやこの世の者ではない姿で。

 虚ろな目、土気色の肌、ボサボサの髪の毛。どれをとっても亡者のそれだ。金魚のように口をパクパクさせているのは、助けを求めていたのか、何かを伝えようとしていたのか。

 剛造は「あんなマネ」と言った。やはり芳子の目論見はどこかで露見して、事実を知り激高した剛造が彼女を殺したのだ。齢をとっているとはいえ、相手は男だ。年老いた女の首など容易に締め上げられたことだろう。こんな辺鄙な場所だ、死体などそのあたりに埋めておけば分からない。

 お人好しの娘たちは、自分の父親が痴情のもつれで人を殺したとは露ほども思ってもいないだろう。だから芳子に同情的だったのだ。

 胸が苦しい。急に走ったせいだ。だが一刻も早く逃げなければ。

 息が上がる。胸は苦しさを通り越して、痛みすら感じるようになってきた。心臓を鷲掴みにされるような痛みとはこのことか。痛みは急激に増してきた。もはや走るどころか、立つことすらままならず、道代はその場に倒れ込んだ。


 黒真珠のネックレスを付けた年配の女性は、道代の古い友人だと名乗った。目は真っ赤で、ハンカチを握りしめてボロボロと大粒の涙をこぼし続けていた。

 「身寄りがない」と生前から口にしていた道代の弔問客は非常に少なかった。友人だというその女性以外は、なじみの美容室の店長や、取引のあった銀行・証券会社の営業マンくらいだ。

 剛造はすっかりしょげ返っていた。無理もない、結婚して一年も経たないうちに、再婚相手が急死したのだから。それも、自分がつまらぬ癇癪を起こしたのが原因で、だ。

 「そうなんです。父の前の交際相手の話が出て、ちょっと口論になったとかで…。それで道代さんが何かに驚いたのか、急に走り出したかと思ったら、50メートルも走らないうちにバッタリ倒れたって…」

 「何しろ寂れた別荘地で、周囲に何もないところでしたからね。妹の運転する車で病院に連れて行ったのですが、その時は既に心肺停止状態だったとお医者さまに言われて…」

 二人の娘は、泣きじゃくるその女性を慰めるように話していた。

 道代の死因は心臓麻痺だと言われた。急に山道を駆け下りていったということで、年配の女性の心臓に急激な負担を与えたのだろうと言うのが医師の見解だった。

 「せっかくこんなステキなご家族ができたと、彼女は喜んでいたのに…。いつも私に電話で話していたんですよ」

 「まぁ、そんなことを…」

 「もし良かったら、今度改めてお話しませんか? 道代さんのこと。父も少しは慰めになるかと思いますから」

 「これ、私たちの携帯の番号です。いつでもお電話してくださいね」

 「…ありがとうございます、本当にお二人ともお優しいのね。いつも道代さん、言っていたのですよ。いつも食事に誘ってくれたり、お土産をくれたりと、良くしてもらっているって…」

 女性は何度も振り返って礼をしながら帰っていった。



 「…晴美ちゃん、お父さんは?」

 「お医者さまから貰った薬で、よく眠っているわ」

 「そっか。この1週間、とにかく慌ただしかったからね」

 「で、そっちは大丈夫?」

 「うん、弁護士さんに全部お任せしたから。というわけで…」

 「そんじゃ、まぁ」

  ポン!と景気の良い音がした。

 「成功を祝って…かんぱーい!」

 姉妹は、美味そうにシャンパンを飲み干した。

 「あのハーブティ、よく効いたねー」

 「もともと強心剤に使われる薬草を使っているのよ。でも、分量を間違えると心臓に影響を及ぼす毒になるの。そういう薬草やハーブって、結構多いんだよ」

 「歳も歳だし、心臓麻痺と診断されてお・し・ま・い」

 「芳子さんの時は分量が多すぎて、いきなり効いちゃったからねー。父さんが風呂に入っていた時間帯で助かったわ」

 「あの時は焦ったよねー。あわててクローゼットに隠して、夜中に捨てに行ってさ。まぁ、身元の分かるようなものは全部捨てたから。そもそもいなくなって3年も立つのに、未だに警察から問合せも来ないもん。ある意味、籍を入れる前でよかったよ」

 「お父さんは未だに、芳子さんは勝手に逃げたって信じて怒っているけどね」

 「あの山林に捨てられたなんて、思ってもいないみたい」

 「ま、彼女のタンス預金はしっかり手に入れたからいいけどさ。それにしても貯め込んでいたなぁ」

 「道代さんの遺産や保険金も相当な額よね。まぁ、こっちは、父さんが正当な相続人・受取人だから」

 「いずれ、私たちが有効に使わせてもらいますよ」

 二人は顔を見合わせてクスクスと笑った。

 あの別荘地が避暑地としてもてはやされたのは、もう遠い昔の話だ。所有者も高齢化が進み、車で遊びに来るような体力の余裕などない。結局、維持費ばかりがかさむから、みな売りに出すしかない。あの辺で未だに別荘を使っているのは、我が家くらいなもの。あんなところで人が倒れていても、誰も気づきはしないのだ。

 それに、ちょっと歩けば洞穴はあるし、草木が茂って見通しの悪い場所もある。埋めたりしなくとも放置しておけばいい。冬になれば雪が降って隠れるし、キツネやタヌキが食い荒らして骨になっておしまいだ。万が一、白骨死体が見つかったところで、今となってはどこの誰だか分からないだろう。

 「…ところで姉さん、弔問に来ていた房江さんってどう思う?」

 「名刺見たわ。宝石商って胡散臭いなと思ったけど、あの黒真珠は本物みたいね」

 「今度の四十九日法要に声かけてみようか?」

 「うん、道代さんの思い出話をしたいとでも言えば、ホイホイ付いてくるよ」

 「父さんにとっても、次のガールフレンドになりそうだし、一石二鳥よねー」

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お人好しの連れ子たち 塚本ハリ @hari-tsukamoto

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