1章-5

「絶対おかしい」


 鬱陶しい幼なじみが特別かわいく思えた朝に、金髪美女の転校生と激突し、図書室でミステリアスな銀髪美女に誘惑された。

 初乃まではまだいい。ラブコメの王道みたいな展開が実際に起こってしまいました、と笑い話にできる。しかし柊までいくとどうだ。

 誰かが『偶然も三度続けば必然だ』と言った。


 ――いや、ないない。


 誰かが意図的に幼なじみを積極的にして、金髪美女を転校させて、銀髪美女に誘惑させたのか? どうやって? どのように? なんのために? 不可能だし、意味がない。

 そう考えるとこれは――。


「モテ期、というやつか」


 人生には三度のモテ期が訪れるなんて話を真に受けるわけではないが、それがいっぺんにやってきたような気分だった。

 そしてそれは継続中であるらしい。

 下駄箱の蓋を開けると、そこにはかわいらしい封筒が置かれていた。

 光成は固まった。


 ――俺は死ぬのだろうか。


 真剣にそう思った。幸運がつづきすぎている。運に総量があるとすれば、前借りしすぎてすでに赤字になっているのではなかろうか。


 ――俺はきっと校門を出たとたんタンクローリーに轢かれて死ぬ。轢かれなくてもなにかしらの理由で死ぬ。あるいはすでに死んでいて、これは走馬燈的ななにかかもしれない。


 思考が危うい方向へ行きかけたのを、光成はぶるぶるとかぶりを振って追い払った。

 周りの目を気にしながら封筒から便せんをとりだした。そこにはこう書かれている。

『伊達光成様 体育館裏で待ってます 留萌五花』


 ――体育館裏……。


 光成はぶるりと震えた。

 幼なじみ、転校生と激突、図書室で手が触れあう、体育館裏……。


 ――王道すぎないか?


 仮に本当にモテ期が来ているのだとしても、女の子と出会うきっかけは、実際はもっと自然でさりげないものではないのか。クラスメイトだからなんとなく、とか、同じ部活だからなんとなく、とか。

 なんだかこれじゃあ――。


「ラブコメじゃねえか」


 何気なくつぶやいたその言葉が、一連の状況を現すのにこれしかないと思えるほどしっくりきた。


 ――待て、待て、落ち着け……。


 深呼吸をした。


 ――出会いくらい誰にでもあるだろ。勝利者と敗北者を分けるのはむしろ、出会ってからの接し方じゃないか? それに、一度に四人と出会えたからといってよりどりみどりってわけじゃないだろ、ラノベじゃあるまいし。柚葉はともかく、初乃と柊さんは出会ったばかりだし、この手紙の娘は顔すら知らない。まあでも……。


 光成は目をつむった。


 ――みんなと交流を深めて、そして、誰かと自然に『そういう関係』になれたら最高だな……。


「なにこいつ、笑ってる、きもっ」


 ギャルギャルしい格好の女が光成に簡潔な罵声を浴びせて玄関を出ていった。


 ――お前とは交流してやらん……!


 光成は背中に向かって念を送った。


 ――ともかく、ラブレターの主に会ってみよう。


 もう一度、ラブレターに目を落とす。

 よく見るとおかしな手紙だ。事務的すぎる。どんな気持ちで、どんな目的で光成を呼び出すのかわからない。それに『留萌五花』という娘を光成は知らない。こんな変わった苗字なら忘れるはずがない。

 しかしその怪しさは逆に、この手紙がフェイクである恐れも打ち消してくれている。モテない男子をからかうために手紙で呼び出し、のこのこ体育館裏へやってきた彼を囲んで笑いものにする、あの悪行。もしそれであるならば、もう少し手紙の文面を凝った色気のあるものにするはずだ。


 ――ま、俺にそんないじめを受けるほどの存在感もないけどな。


 自虐ではない。事実を述べたまでだ。なのに少し涙が出た。


          ○


 光成は気を取り直して体育館裏へ向かう。体育館からは、なにを言っているのかよくわからないかけ声や、床を打ちつける音、そして靴底のこすれるキュ、キュという音が聞こえてくる。

 丈の高い雑草の生える地面を踏み、体育館裏へ足を踏み入れた。

 体育館とブロック塀とのあいだに、小柄な少女が腕を組んでたたずんでいる。身長は百五十センチくらいだろうか。ふわっとボリュームのあるショートカットで、幼い顔立ちをしている。須部石高校の制服を着てはいるが、中学生、下手をすれば小学生に見える。


 ――あの子が留萌五花……?


「伊達光成さん。急に呼びだしてすいません」


 小柄な身体にお似合いの甲高いアニメ声だった。

 彼女は光成を知っているようだった。緊張しているのが、口をきゅっと結んでいる。


「君が留萌さん?」


「五花でいいです。お時間は大丈夫ですか」


「うん、まあ、うん、問題ない」


 暇で暇でしかたないのだが、予定がゼロであると正直に申告するのははばかられた。高校生活に敗北した光成にも、一片のプライドは残っていたらしい。


「単刀直入にうかがいますが」


 五花はごくりと生唾を飲みこむ。


「彼女はいらっしゃいますか」


「い、いないけど」


「よ、よかったー」


 五花はほっと胸をなでおろした。


 ――来た。


 交際相手の有無を確認、いないとわかってからの安堵。


 ――もうこれは確定と言っていいのではないか。


 恋の告白である、と。ならばつぎの台詞は決まっている。

『ずっとあなたが好きでした……。付き合ってください!』

 これだ。

 ――しかし、ここで多くのラブコメ主人公は慌てたり、逆にがっついたりしてチャンスを棒に振ってしまう。俺は違う。この場合、慌てず騒がず、誠実に答えるのが最適解だ。

 つまり『お友だちからはじめましょう』だ。

 無難でなにが悪い。これはラブコメではない。


 ――俺はこのチャンスを逃さない……!


 五花は言った。


「その調子で頑張ってください」


「お友だちからはじめま――はい?」


「はい?」


 五花は怪訝な顔をした。ふたりのあいだに妙な沈黙が流れた。


「その調子って……どの調子?」


「あ、すいません。先走りましたね。その調子というのは、そのまま誰とも付き合わずに過ごしてくださいということです」


 光成は愕然とした。


「……あ、あのさ」


「はい」


「初対面だよね?」


「ええ」


「……なんでそんなひどいこと言うの?」


 光成の頬に熱いものが流れた。五花はぎょっとする。


「え、な、なんで泣いてるんですか!?」


「だ、だって君が……お前は一生、女性の柔肌に触れられない人生を送れって……!」


「そんなこと言ってないじゃないですか!」


「じゃあなんなの。なんで君は俺の孤独を願うの?」


「わたしが願っているのは世界平和です」


「意味わからん。なんで恋人のいない、いたこともない俺が平和を乱すんだよ。そういうのは不特定多数に粉をかけてる佐藤みたいな奴に言えよ!」


「誰ですかそれは」


「いやすまん、私怨が入った。――そうか、君はあれか、ボランティアスタッフを募集しているのか。俺がフリーなら手が空いてるし、スタッフが増えれば平和に貢献できるし」


「いえ、ボランティアは関係ありません」


「じゃあ宗教の勧誘か? うちは実家が寺だから無理だぞ」


「あ、うちもです。座禅の姿勢がきれいって褒められたことあるんですよ」


 えへへ、と笑う。


「すまん、嘘だ」


「なんで嘘ついたんですか!?」


「そうやって断れって母親に教わったんだよ。というかボランティアでも宗教がらみでもないとするとなんなんだ」


「つかぬことをうかがいますが、いま複数の女性と『いい感じ』になっていませんか」


 光成は図星を指されてうろたえる。その様子を見て五花は難しい顔になった。


「いいですか、伊達光成さん。それ以上、仲を深めないでください。あの調子です」


「またかよ。今度はどの調子」


「朝と昼にふたりの女性と急接近していたじゃありませんか。あのときのように、いかにもモテない接し方をしていれば問題ありません」


「見られてたのか……。というか、俺は一生懸命モテようと頑張っていたつもりだけど」


「ええええええ!?」


 五花はこの世の終わりみたいな顔をした。


「え、なんなの、なんでそんなおっきい声出すの。俺なんか変なこと言った?」


「いえ、その……」


 五花は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


「くじけないでくださいね」


「俺、そんなダメだった……?」


「ま、まあ大丈夫ですよ。来世があるじゃないですか」


「今生では無理な感じですか……?」


 今度は光成がこの世の終わりみたいな顔をする番だった。五花はパンパンと手を鳴らして「話をもどしましょう!」と、とり繕うみたいにことさら大きな声で言った。


「わたしは――いえ、留萌一族の女は、毎日同じ夢を見ます。木の夢です。その木は少しずつ少しずつ生長していきます。一族の女はそれを見守るんです」


「やっぱり宗教じゃないの」


「先祖はシャーマンだという話ですから、あながち違うとも言い切れませんが」


「で、なんで見守るんだ?」


「異常が起こったときに対処するためです。――枝の先に、大きな青い実が成るんです。それが異常の初期段階。その実は徐々に大きくなり、赤く熟し、そして……重みに耐えられなくなった枝は折れる」


「よくわかんないけど……。折れるとやばいのか」


「未曾有の大災厄が起こると伝えられています」


「で、君はその『青い実』が成った夢を見たからここに来た、と?」


 五花はうなずいた。


「まあ、信じられないでしょう。でも証拠があります」


 五花はバッグからスマートホンをとりだした。


「じゃーん! こっちに来るときにお婆ちゃんに買ってもらいました! 一番新しいやつですよ! 六インチですよ!」


 六インチのスマホは五花が持つとタブレットに見えた。彼女はぎこちない手つきで操作する。


「これです」


「『ラブノート』……?」


 ウェブ小説サイト『小説家になりたい』に投稿されている小説のタイトルらしかった。


「これが?」


「この小説……というか、あらすじを読んでみてもらえますか?」


 光成はスマホを借りて、あらすじに目を通す。


『どこにでもいるふつうの高校生・伊達光成は、昼休みの図書室で美しい銀髪をした少女・星置柊に突然、手を握られる。「手相に興味があるんだ」彼女はそう言うと光成の手相を見る。ふたりにはエロスとアブノーマルの相があった。「気が合いそうだね。いや、性的嗜好かな」。エロスとアブノーマルのラブコメ、開幕』


 ――なんだ、これ……。


 昼休みの出来事が小説として投稿されている。投稿日時は昼ごろ、柊と出会う少し前だった。

 ほかのエピソードも確認してみた。


『どこにでもいるふつうの高校生・伊達光成は、登校中、金髪の美少女と激突する。パンツを見たことをとがめられると思いきや、少女は言った。「わたしのパンツを見たときのあなたの気持ちを述べよって言ってるの!」。少女・千歳初乃はその日、光成と同じクラスに転校してくる。どうやら彼女には特殊な事情があるようで……?』


 エピソードはまだあるようだった。画面に触れる指が震える。


『どこにでもいるふつうの高校生・伊達光成には幼なじみがいる。旭川柚葉というその少女は快活、元気だけどどこか抜けている女の子。光成は彼女のことが苦手で距離をとっていたが、あるときから急に柚葉が積極的になりはじめ……。胸がきゅんとするようなピュアなラブストーリーがはじまる』


 投稿者の名前は『はるせみ』。

 光成は口を手で押さえて考えこむ。五花が言った。


「身に覚えがありますよね?」


「……ああ」


「執筆者――我々一族は『語り部』と呼びます――が物語った内容は現実となる。一種の言魂です。そして語り部は、その三人のなかにいる」


「三人のなかに……?」


「だから慎重になってほしいということです。『彼女』はそうとは知らずに神に近い力を行使しています。あなたが雑に扱おうものなら彼女は傷つき、世界の破滅を物語るかもしれません。ほかの誰かに知られれば、私利私欲のために悪用されるかも。そうしたら彼女は無事でいられるでしょうか?」


「要するに彼女――はるせみは触れてはいけない、ってことか?」


「そうです。慎重に距離を保ちながら、しかし傷つけないよう離れすぎず、彼女を探し出し、執筆をやめるようそれとなく誘導する」


「難しいな、それは。しかしそいつはなんで俺をラブコメの主人公にしたんだ?」


「わかりません。しかし過去の語り部は皆が皆、愛を物語ったと言います。そして愛の物語でしか現実は改変されない」


「なんでまた」


 五花は襟足の毛を払った。


「愛は世界を変えるんですよ」


「うわっ」


「うわってなんですか!」


 五花は顔を真っ赤にして抗議した。


「お前ちんちくりんだからそういう仕草死ぬほど似合わないな」


「ひとが気にしてることをずけずけと!」


 五花は涙目になる。光成はあごに手をやった。


 ――投稿者の名前は『はるせみ』……春蝉? それともHARUSEMIで、アナグラムになっているとか……。


 頭をひねってみるが、三人の名とはつながりそうもなかった。五花は期待に満ちた目で光成を見あげた。


「なにか妙案が?」


「う~ん、そうだな……。なかなか楽しかったよ」


「はぃ?」


「中二病もほどほどにしとけよ。俺みたいになるぞ」


 光成は背を向けた。


「じゃ、帰るわ」


「え、ちょちょちょー!」


 五花はまた光成の腕にすがりついた。


「またまたまたー! そんなひとの悪い。冗談ですよね?」


「いや、本気だけど」


「っていう冗談ですよね!」


「いや、冗談抜きのやつ」


「からのー?」


「いや、からの、とかないから」


「で、でもでも! 小説は読みましたよね。予言してたんですよ! あれは嘘だと?」


「星置さんと会ったのは昼だぞ。準備する時間は充分にあっただろ。ついでに言っておくと俺が『どこにでもいるふつうの高校生』って観察眼なさすぎだ。俺が標準なら日本の未来が暗すぎるわ」


 五花の笑顔が徐々にしぼんでいき、うつむいてしまう。小さな手が光成の腕から離れ、だらんと垂れさがった。

 つぎに顔を上げたとき、五花の顔は笑顔にもどっていた。


「そ、そうですよねー。現実が改変とか……それこそ小説のなかだけにしとけって話ですよねー!」


「……」


「そうです、全部冗談です! 楽しんでいただけてよかったです。時間とらせてすいませんでした」


「ああ、じゃ」


「それでは」


 光成は踵を返した。

 最後に見た五花の顔、目元は見えなかったが、口元が堪えるようにきつく結ばれていた。

 ぢくり、と胸が痛んだ。それは柚葉が例の笑顔を見せるときの罪悪感に似ていた。

 こんな気持ちを抱えたまま日常にもどったら?

 それはきっと骨折よりも痛い。

 光成は立ち止まった。


 ――これはシミュレーション……。中二病オカルト女子を傷つけないためのシミュレーションだ。


 そう自分に言い聞かせ、踵を返した。

 五花が顔を上げる。光成は彼女の目の前に立っている。


「冗談だ」


 光成は言った。しばらくぽかんとしていた五花の目に涙がたまりはじめる。彼女は目をごしごしと拭いて笑った。


「じょ、冗談でしたかー! 引っぱりすぎですよ」


「実はな……俺は人間ではない」


「……はぇ?」


 悲しそうな顔をしていたと思ったら笑って、笑ったと思ったら今度は目を点にしている。ころころ変わる顔に光成は笑いそうになりながらも表情を引き締めた。


「異星『アミラス・ノヴァ』から転生してきた異星人で、ゆえあって『伊達光成』としてこの世界に潜伏している。『ジン』を――おっと、詳しくは言えないが、同じくこちらにやってきた敵を探しだし、倒さねばならん。俺の、光る拳『シャイニングフィスト』でな。まあ、有り体に言えばヒーローみたいなものだな」


「ひ、ヒーロー……」


「伊達光成――伊達政宗の伊達に、光に成る、だぞ? どことなく主人公っぽいと思わなかったか?」


「お、思いました」


「だろう。俺にも使命がある。しかし幸い敵はいま大人しい。ならば、別の危機――君の言う『未曾有の大災厄』を防ぐのはやぶさかではない。ヒーローだからな」


「さすがです」


「これで秘密を共有する者同士……運命共同体となったわけだ。よろしく頼むぞ、五花」


 五花はこくこくと頷いた。微笑んでいるのに涙は浮かんでいるし、鼻の頭は真っ赤だ。


「もう冗談はなしですよ」


「もちろん。約束だ」


 固く握手をする。


 ――やっぱり、中二病には中二病で対処するのが正解だな。


 五花の話は、にわかには信じられないことばかりだ。しかし彼女の表情は……あの悲しそうな表情が、嘘とは思えなかった。それなら信じたつもりで行動してみよう。それで五花の笑顔が買えるなら安いものだ。

 後悔はしていない。きっと断ったほうが後悔をしていたから。

 いや、正直に言おう。


 ――めちゃくちゃわくわくしてきた。


 この感覚は、あのときと――高校の入学式と同じ高揚感だった。まぶしい未来に向かってひた走っていた、あの感覚。


 ――戦って……今度は、敗北しない。俺は……俺の人生の主人公になる……!


 与えられたリベンジのチャンスをものにするために、光成は行動を開始することにした。

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