1章-4
昼休み、昼食をとったあと光成は図書室へ向かった。
噂の転校生、千歳初乃を見ようと、別のクラスどころか上の学年の生徒までやってきて廊下は一杯で教室に入れないし、入ったところで初乃の周りに光成の居場所はない。
だから図書室に避難したのである。しかしとくに読みたい本があるわけではない光成は、室内をぶらぶらあてどもなく歩き、書架に並んだ背表紙に目を滑らせるだけだった。
――お?
ある一冊のタイトルに目を止めた。
『ひな壇芸人に学ぶ 絶大な存在感の出し方』
よくある自己啓発書の類だ。この手の本を読んだからといって人格ががらっと変わるわけではないことはわかっている。わかっているが、タイトルに惹かれてしまうのも事実だ。光成は吸い寄せられるように手を伸ばした。
その手が、横から伸びてきた手に触れた。
はっとして手を引っこめ――られなかった。
光成の手はしっかりと握られてしまっていた。
ひんやりとした手だった。白く長い指が光成の手をからめとっている。
手の主である少女は、気怠げな表情にうっすら悪戯っぽい笑みを浮かべて光成を見つめている。ショートボブの銀髪には所々黒のメッシュが入り、ほっそりした肩にアコースティックギターのケースを提げていた。彼女もまた『ふたつの意味で』見たことのない生徒だった。大人っぽく見えるが、ネクタイをしていないので学年はわからない。
陽性の柚葉や初乃とは逆の病的な香りのする美しさに、光成は身をこわばらせた。
そのうち手を離してくれるのではと思ったが、まったくその気配がない。彼女は少し痛いくらい光成の手を強く握り、じっと目を見つめてくる。
「あ……」
光成はやっとのことで声を出した。
「すいません。本……先にどうぞ」
同じ本に興味を持ったのだろうかと思った。
「違うよ」
彼女の声は吐息が混じりの、まるでフルートのような声だった。
「本は関係ない。わたしは君の手を握るべくして握ったんだ」
「そ、そうですか」
我ながら間抜けな応答だと思った。
「い、いや、なんで……?」
「なんでだと思う?」
――ええ……? なんなのこのひと……。
図書室で女の子が男の子の手を握ってくる理由……?
――それは……、そりゃあ……、その……。
「す、す、好……」
「手相に興味があるんだ」
「思ったとおりっ」
声が裏返った。
「どうしたんだい? 手が汗でたぷたぷだよ?」
「さっきスポーツドリンク飲んだんでっ」
「そう。変わった体質だね」
ふふ、とフルートの声で笑う。
「さ、開いて見せて」
まるで催眠術にでもかかったみたい、光成は素直に手を開いた。
手のしわを彼女の細く長い指がつっとなぞる。背筋がぞくぞくとする。心臓がばくばくと脈打つ。くすぐったくて腰が砕けてしまいそうだ。
「ふうん」
彼女が指を止め、あるしわを示した。
「こことここ。珍しい線がふたつもあるね」
中指と薬指のつけ根あたりの線だ。
「奇遇だね。実はわたしにもある」
広げた彼女の手のひらにも、たしかに似たような線があった。
「さて、なんの線だと思う? ヒントは一次的欲求」
と、顔を覗きこむ。
――なんか……わかってきたぞ。このひとは、俺をからかってるんだ。そして慌てる俺を見て喜んでる……。
光成は頭をフル回転させた。
――こんな状況で『一次的欲求』なんて言われたら、どうしたって性的欲求だと答えたくけど、多分、誘導だ。「君はエッチだね」って俺をからかうつもりなんだ……!
光成は不敵に笑った。
「わかりましたよ……。食欲とか、そういうやつでしょう」
「エロスとアブノーマルの線だよ」
考えすぎて、裏目に出た。
「気が合いそうだね。いや、性的嗜好かな」
固まる光成に、彼女は背を向けて手をひらひらと振った。
「わたしはいつもだいたい第二音楽室にいる。その気になったら来てほしい」
いったん立ち止まって顔だけ振り向ける。
「そう、言い忘れていた。わたしは星置柊という。君の名は?」
「伊達、光成です……」
「光成くんか。以後よろしく頼むよ」
柊が去ってからも光成は、自己啓発書の棚の前で立ち尽くしていた。
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