エピローグ
冬の孤独を謳ったような寒さを思い出すのが困難なくらい、温かい春が訪れた。寂しそうな灰色の樹々は、緑色の葉を着飾り、膨れたピンク色の蕾のアクセサリーを付けている。
私の胸にも、群青色のガラス玉が付いたネックレスが揺れている。貧相な胸の間で揺れているのには変わらないけど、寝ぐせまみれのパジャマ姿ではない。
軋む階段を駆け足がちに降りて、リビングのドアを開ける。
「おはよう」
新聞を読む父の前に置かれたマグカップからコーヒーの香りが漂い、3人分の朝ごはんが準備されている。今日は、カリカリに焼かれたベーコンと半熟の目玉焼き、それから炊き立てのご飯だ。
私の腹の音が、グーっと音を立てる。
「あら、おはよう。 そのスカート可愛いね」
新しい母が、優しく微笑みそういった。雪が降るような季節だったら、私は、母の小さな優しさですら野蛮に踏みにじっただろう。
だけど、今は、ポカポカと温かい日差しが日常を照らす春なのだ。カーテンの隙間から、風に吹かれる枯れ葉が見えるのではなく、塀の上で眠そうにあくびをする野良猫が見える、そんな季節。
「ありがとう。 今日は、ケーちゃんと映画を観てくるね」
私の中に、新しい母を恐れるような感情は消えていた。いや、消えてはいないのだろう……多分。
だって、新しい母との距離感はまだ掴めていないし、壊れ物に触れるような母の言動一つ一つが、煩わしく感じるときもある。
ただ、それら全てを、一人でも飲み込めるようになった。それから、ゆっくりだけど新しい母をお母さんと呼べるようになっていた。
それを私は、勇気と呼びたい。偉そうかもしれないけれど、口下手な魔女から貰った大切なものだ。
木製の椅子を引いて、朝ごはんを食べる。
心が満たされたような感情で、ごはんを囲んでいると水辺の家を思い出した。
パーカーを着たカエルの絵本の中のような家だ。
まずい、涙が零れそう。せっかく、慣れない化粧をしたのだ。
スカートのポケットからハンカチを取り出し、さりげなく目元を拭う。シャムロットから渡されたハンカチだ。
その時、父が「あ」と声を上げた。
「それ、懐かしいな」
「え?」
「それは、ママのハンカチだよ。 俺が、ママと結婚する前にプレゼントしたんだ」
父は、亡くなった母のことだけを<ママ>と呼び、新しい母のことは名前で呼ぶ。それは、新しい母が「ユキナちゃんのことも考えてあげて」と父に言って、望んだことらしい。
やっぱり、あの島は、意地悪に魔法を使う魔女に支配された島だ――それでいて、どこまでも優しさで満ちた場所。
野良猫もあくびをしてしまうような春の陽気が、あの野ざらしの箱庭にも降り注いでいたらいいのに。きっと、マーマレードと紅茶がぴったりだと思った。
そんな春の日の話だ。
野ざらしの箱庭 成瀬なる @naruse
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