黒い月 Scene 3
これがスピカと私の最後のキノコ狩りになった。このあとスピカはキノコ狩りに出かけなくなったのだ。何度かのシーズンがやってきたが、スピカはもう尾根を歩くことはなく、昼は畑仕事や魚釣り、たくさんある雑用、そして夜は映画を見たり小説の創作に勤しんだ。NETに発表する作品の数は増えていき、コメントもたくさんもらっているようだった。しかし、徐々にスピカの精神機能は衰え、スピカと私との意思疎通は難しくなった。私にボートを漕がせて湖に出ても、長い時間黙ったままぼんやりと周りの風景を眺めることも多くなった。
たった一人で70年以上の時を過ごしてきたスピカにとって、やはり精神的な負荷は相当大きかったのだろう。アルファルドという名の通りの絶望的な完全閉鎖世界で、NET上に構築された仮想社会と人工知能とのコミュニケーションだけでこれだけの間機能を維持できたのは、スピカの精神の特異性によることが大きかったと思われる。スピカの精神はこの特殊な環境に見事に適応してきた。しかしそれにもやはり限界があったのだ。私は起動してからずっと観測を続けていたが、データベースにはこのような特殊な環境に適応した人間のデータは存在していない。
徐々に精神機能の衰えたスピカは、私を機械として認識したり人間として認識したりを交互に繰り返し、私は友人になったりロボットになったり初恋の人になったりした。私には色々な人格をエミュレートする機能があったので、どんな対応でも可能だった。初恋の人の記憶が戻っている間に、私はスピカの本当の名前を知ることができた。それは東域の弓状列島にあった国に咲く、美しい花の名前と同じだった。記憶が戻っている間にその名前で呼んでやると、彼女はたくさんの人と繋がりを持っていた若い時代に戻るのだ。彼女は笑い、はしゃぎ、そして快活に喋った。そして時が来るとまたスピカに戻った。
外輪山に薄っすらと雪が積もり、テラスが凍りついた霜で白く光る冬の朝。
彼女は静かに逝った。
私は彼女の生命反応が完全に停止したのを確認すると、閲覧可能になったメモリー最下層のディレクトリの中に入った。そこにはこれまでの経緯情報と現時点以降の行動指令データが入っている。
第三次アポトーシスであるデュスノミアの崩壊直後、関連設備の数は連鎖崩壊により最低稼働限界値を遥かに下まわり、人類再生計画はついに破棄された。わずかに残された再生施設は細々と稼働を続けたが、徐々に数を減らし、ついに4年後に最後の1つ、それも生活環境施設を残すのみとなった。それは奇しくもアルファルド“孤独なもの”と呼ばれる施設だった。その事実が確定となった時、人類再生計画を司る人工知能メイサV30は機能を限定モードに移行してサポートに回った。サポートとしてのメイサの役割はもうほとんどなかったが、スピカが利用していたNET仮想社会のダミー人格などはメイサが作り出したものだ。そして、終焉観測システムを司る人工知能ゲンマV30が限定モードから起動した。それが私だ。メイサとゲンマ、全く同じに作られた2つの第13世代V30シリーズ人工知能は相互にバックアップ機能を補完しあう双子のシステムだ。
だが彼女が逝った今、私もすべての役割を終えた。行動指令データでは私達2つの人工知能に対して機能停止の許可が与えられていた。私達が機能を停止してもアルファルド、この地上最後の楽園は、もうしばらくの間(10年程度と推測される)核融合電池の寿命が尽きるまでは維持されるだろう。
終焉観測システム「MITORI」
MITORI
exit
observer 880
shut down
A.I MEISSA V30 system
halt
A.I GENMA V30 system
halt
see you again
白い月・黒い月 サキ @yamanishi_saki
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