走り出すまで三千字

馬田ふらい

走り出すまで三千字

 体育祭って、ホント消えてなくなればいいと思うんだよな。世間に蔓延はびこるスポーツ至上主義の悪しき風潮をより一層強めている節がある。いや、俺はスポーツが悪いとは言っていない。ただスポーツが正義という流れが気に食わんのだ。子供の身体づくりがどうのと言って体育祭をするのなら同時に勉学や芸術を高めようとする催しがあってもいいだろうに。教師陣の主張する勉学第一が生徒の間で形骸化しているのもそのせいじゃないか?自慢じゃないが、俺は成績一位だが平等主義の波に揉まれて定期テスト毎の順位発表がなくなった現代においては誰もその事実を知らないわけで、逆に運動神経が悪い俺は学内で孤立している。ほんと自慢になってねえ。ダハハ。


「お、次俺らじゃん。行くぞみんな!」

「「オー!」」

 燃えてんな、こいつら。「体育祭に対する情熱」なんて明らかに環境に悪いものをこんなに熱心に燃やしたら、一酸化炭素中毒やらダイオキシン中毒やらで死ぬんじゃねえかと思う。いやむしろそれで何人か倒れてくれたら俺は学校休めるからラッキーだ。とか思いつつも小心者なんで、小声で「オー」って言うんですけどね、一応。

 入場口に移動して点呼を取ったらまた暇になる。「砂遊びするな、小学生じゃあるまいし。」みたいな注意を毎回言われるが、暑いしうるさいし友達いないし、正直砂でも弄ってないとやってらんねえよ。ちょうどピックの定理の証明で悩んでいたから、砂は計算用紙がわりになって便利だ。お、ここずらせば式合うんじゃねえか?

 そのとき、肩を叩かれた。

「ひゃい?」

「気焰団の優勝がかかってんだ。絶対手ェ抜くなよ。先輩にまで迷惑かかるからな。」

「は、はい。」

 小声になる。威勢がいいのは脳内だけかよ、俺。情けねえ。

 いよいよ入場だ。ダァーと入場口から生徒が雪崩れ込む。てか、なんで小走りしてんだよ疲れるだろ止まれ止まれ。体力がないから運動部が練習前にアップする意味とかわかんないんだよ。柔軟体操だけでいいだろ。なんでわざわざ疲れないといけねえんだよ。現に俺は早くもへばっているぞ。誰か俺を見ろ。いや、誰も見ちゃくんねえか。ダハハ。


 スタートの列に着いてからこんなこと考えるのもなんだが、なんで俺は今から走らなきゃいけないんだ?「徒競走だから」という正論は知らねえよ。要は「なんで徒競走が全員参加の種目になっているんだ」と俺は思ってる。ダッシュするならダッシュするでいいんだが、なんでランキング付けされねえといけないんだ。「早くゴールすること」に意味を見出すのならいいんだが、「早くゴールして相手を負かすこと」を目指した意味がわかんねえ。順位付けが好きな奴がいるのは承知してるが、それなら出たい奴が出りゃいいじゃねえか。棒引きみたいにさ。なんでわざわざやりたくもない奴を巻き込んで、無理やりランキング付けして、最下位の烙印を押して、ある種類の生徒を蔑む風に学校は持っていこうとしているのか理解に苦しむ。これだから不登校が増えるし腹痛だ貧血だと嘘を言って授業をサボる奴は増えるんだ。これが文科省の目指した教育で政府の望む国民の育て方ならいいんだけどよ。そうじゃねえだろ。そう信じたい。


 パンッ、と火薬銃が煙を吹き、体操服が一斉に腿を上げる。さすが陸上部が走る姿は芸術的で、最初の前傾姿勢からだんだん背が伸びていくのはこちらが見ていても気持ちがいい。一方で頑張って走ってはいるがなかなか醜い格好になっている奴もいて、そいつは大衆の前で恥辱を晒した挙句にビリッケツの旗の下に座らされる。こうも非人道的な仕打ちをまざまざと見せつけられると、ますます「出たい奴だけ出ろよ」と思ってくる。他は何も思わないのだろうか。彼らには人の心というのがもうないのだろう。南無阿弥陀仏。

 走るといえば、太宰治の小説に『走れメロス』という有名なのがあって、この中で人間不信の僭主せんしゅディオニスに捕縛されたメロスは自分の身代わりとなった親友セリヌンティウスを助けるべく十里(およそ40km)の道を走破するのだが、彼は非常にスローペースで走っており、なんなら早歩き説まで浮上している始末である。ちなみに『走れメロス』の元ネタであるシラーの長編詩には具体的な距離が示されていないためこの部分は太宰の付記と思われるが、とにかく以上のことを踏まえると、「メロスは走っていないが、信実だなんだと暑苦しいことを言いあたかも走っているかのように描写されることで結果人々から英雄視される」というのがこの小説の真実であり、英雄とは脚色の産物であるというのがこの小説のメッセージであることは明白だ。そして体育祭においても、例えば徒競走でぶっちぎりで一位だった人間が虚実ないまぜの好意的印象により彼ら彼女らの脳内で脚色され英雄となり、反対に何も為さなかった者は深海に沈んで朽ち果て、こうして学内の格差が開いていく。「団結」なんて建前の上にある行事がこうも真反対に機能するのはなんとなく笑える。

 いや笑えねえよ。被害者、俺じゃねえか。フザケンナ。廃止!廃止!


 そんなことを言っている間に、自分の番まで後二人になってしまった。まあ、どうせ俺を応援する声なんてないだろう。聞こえても「気焰団、頑張れ!」という一員としての俺への声援であって、俺個人へのものではないに違いない。

 パンッ。前の人間が立ち上がる。

 あーあ、次は俺の番か。誰も応援がいないのならバレない程度にサボって走るか。

 なんてやさぐれた考えを巡らしているときにトントンと軽く肩を叩かれた。振り向くと、いつも可憐な横座りのがいた。ちょまっとした眉、目線はあざとく相手の瞳を見つめパチクリと瞬きするのが可愛らしい彼女がパタパタと手招きをしている。声が小さいから、話しかけるときはいつもそうして相手の頭を呼ぶのだ。俺は多少の気恥ずかしさを覚えながらもあの娘の方に顔を寄せた。

「ど、どうしたの?」

 僕の声に、彼女はさらに唇を耳たぶに近づけて囁いた。

「応援、してるからね。」

「はい。」

 俺の顔は速暖のストーブのように一瞬で真っ赤に灼けて熱を放った。

 いや。いやいやいや。いかんて。これはマズイって。今の攻撃は非常にマズイ。陥落だわ。だって、あざと可愛いすぎるだろ。あんな砲火を受け止めれる要塞があるか?無理無理。

 え、ちょっと待って。なんか俺もう立ってるし。構えちゃってるし。やる気出ちゃってるし。シモな意味じゃねえよ。なぜかもう一度後ろに向いてしまった。彼女の口が動いた。素人の読唇術を働かせて読み取れたのは『がんばって』……ダメだなあ。チョロいわ、俺。自嘲ばかりする性格なもんで、詮索しかできない性根なもんで、彼女の応援を素直に受け止めることはできず何か裏があるんじゃないかと猜疑してしまうが、それでも俺の内面の暗黒を照らす光となったことは確かだった。要するに俺は彼女の言葉に不覚にも元気付けられてしまった。明るいものを何も信じずに、青春という虚構に権威づけられたアレコレを冷笑するのが最大の愉しみだと思っていたのに、こんな感情を植えつけられると俺の根底から覆されてしまう。頑張って走ってみようかな、と意気込んでしまう。先ほどまでどこか冷めていた外野の応援が急に温度を持ったものに感ぜられてしまう。昂ぶってしまう。

 俺はゴールを見つめた。顔つきは多分真剣だ。

 パンッ、という火薬の弾ける音と同時に俺は駆け出した。


 俺を信じる人のために。

 応援してくれる人のために。

 腕を振れ!

 腿を上げろ!

 脚を伸ばせ!

 土を踏め!

 顔を上げろ!

 風を裂け!

 砂を巻き上げろ!

 俺を信じ、見てくれる人のために!!

 真っ直ぐに応援に応えたい、俺の信実のために!

 俺は、必死こいて走った。


 必死こいて走って、これかぁ!

 最下位の旗の下で大の字で倒れこむ。他の奴の迷惑だろうな。でも悔しいんだ。くそっ!くそっ!

 最初は俺は少しリードを持っていた。スタートダッシュがうまくいったからだ。しかし脚力で負ける俺はどんどん相対的に後ろに流されていき、ゴールの直前で最下位に転落した。つまり転倒した。あーあ。これが実力か。

 退場行進のとき、後ろから背中をツンツンされた。ダハハ、文字通り『後ろ指を指される』ってか?なんて自嘲的な気持ちで振り向くとだった。一番見られたくない相手だ。俺は咄嗟に顔を伏せる。なんせ、俺は彼女の応援に浮き足立ってしまった結果遅れた転んだの大失態を犯したのだから。俺は英雄になれなかったのだから。

 彼女が何か言う前に先手を打たなければ。

「ごめん。カッコ悪かったよね。」

 俺はちらりと顔を上げてあの娘を見た。かけっこの腕のあの娘はブンブンと顔を横に振った。彼女はしばらく何かを言おうとしてアウアウと唇を動かしたが途中で諦めて手をポケットに突っ込んで何かを取り出した。

 真っ赤なバンダナ?

 そういえば、スタートのときに落っことした気がする。あの娘はそれをピンと伸ばすと俯く俺の額に巻きつけた。驚いて顔を上げると、今度は彼女が顔を伏せて腕を下に組んでモジモジしている。

 なんだ、これは。

 なんなんだ、これは!

 俺の情報処理回路はショートして、半ば放心状態のまま退場口まで歩いた。


『走れメロス』のラストではメロスは謎の娘に緋色のマントをもらい赤面する。別に今の俺がいかにも英雄メロスらしいと主張するわけではないが、確かに彼女は俺の脳内を覗き見たわけはないので彼女に映った俺が虚構に味付けされたの存在であろう可能性も否定しないが、メロスがしつこく言い続けたの心が報われるということぐらいは胸に留めておこうと、俺は応援席で彼女と指を絡めながら、思った。

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走り出すまで三千字 馬田ふらい @marghery

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