退職後編11話:おー神よ、三度目の試練か?、心筋梗塞で緊急手術
2014年があけて春に、いつも通り散歩している時に胸の痛みを感じて、
かかりつけ医で診察を受けたところ、逆流性食道炎だと言われ薬を処方された。
しかし翌日も症状は良くなるどころか、むしろ悪化して胸の締め付けれるような
痛みがひどくなった、その晩遅く、あまりの痛みで地区の救急診療所に行くと、
また逆流性食道炎といわれた。2日後、あまりの痛みにたえられず、救急車を呼ぶ
のも待てず自分で車を運転し近くの大学病院に行き強引に救急で見てもった。
心臓内科の医者が、もう少し遅れたら命が危なかったといい、即手術するからと、
ストレッチャーに、のせられたまま手術室へ直行した。数時間して手術が終わり
病室に運ばれたのだが少しして食べたものを吐いて、また気を失った。
同じ先生が、あわてて同じ血管が再凝血したといい再度、手術をした。
この時は、むずかしい手術のため担当科の教授が立ち会って多分周りに多くの
先生方がいたようで質問したり教授の指示が聞こえたりして手術時間が、
とても長く思えた。教授が、まれに再凝血するケースがあると先生方に説明して、
そういう時の処置の仕方は勉強になると話しているのが聞こえた。
また心臓がどきどきして血流が強くなると手術している先生が落ち着いて、
ゆっくり息をしてと言うであり不安でたまらなくなった。そして心臓に栄養を送る
太い血管が詰まり詰まった所にステント(細い輪状コイル)をいれて血管を広げる
手術の仕方を教授が先生方に説明していた。
二回の大きな手術を経て集中治療室に十四日間で絶対安静をする事になった。
股の太い血管に穴を開けたのでトイレにも行けない。
尿カテーテルをいれてベッドに縛られた。
それでも、うとうとしてたので七日間位は特に気にならなかったが、
気がついて意識が完全に戻った頃には、いつ迄、ここにいるのか不安になった。
そして14日目一般病棟に移って少しづつ加重をかけて動き出すと筋力低下で思う
様に動けない。こんな情けない事は今までに経験した事がない程、屈辱的だった。
しかし時間をかけて徐々に歩行訓練をして行くしかない。担当の医者に言わせれば、まだ筋力があるので短い間で歩けるようになった様で良い方ですよと言われた。
そして、診察の時に、まだ、2-3ヶ所、心臓の近くの血管が細くなっている
ので時間をかけて何回に分けて追加手術が必要ですと言われた。
そして半年後と、また翌年に二回、合計4回の手術した。
2015年の秋に最終手術を無事終えた。最後の診察の時に北島は5年生存率は
どの位ですかと先生に聞くと笑いながら癌じゃないんだからステントは入れて
あるのだから半永久的ですと言った。
もし何か具合や症状が出たら来て下さいと言われた。
その後、一ケ月後検診、三ヶ月後検診を終えて後は何かあったらで来てと
いわれ、かかりつけ医に紹介状を書いて送っておくと言った。
ただ、その検診は1泊二2日で血管造影剤を入れてステントを入れた血管の
血流を見るので意外に大変だ。費用も10万円以上してその上、治療でなく検査
なので医療保険がきかないのであり、大きな出費となる。
しかし毎年定期検診をして、かかりつけ医に毎月通っていて血管が詰まってる
のがわからないのに愕然とした。また胸が痛いと言って診察しても逆流性食道炎と
誤診されたり開業医に不信をいだいた。
それを検診の時、心臓血管内科の先生に聞くと良くある事ですよと言うのだ。
まず年一回の検診では心電図も数秒分しかとらないので異常がわからない。
24時間心電図をとらないとわからない。検査値が異常にならなくても時間を
かけて血管が詰まるケースは意外に多いんですよと言った。
それに心筋梗塞と逆流性食道炎は症状が似ており一般の内科では見逃すケースも
多いと話していた。手足の末端の冷えとか色とか見て血流不全がある場合はほぼ
100%、血管が詰まりだしているのだと患者さんが自分で勉強して自分で
判断するのが一番ですよという始末だった。手術後、海外旅行は行けずに近くの温泉
に行く程度で安静にしている北島夫婦だった。
2015年5月十13日ソニーを2000株、780万円、7月2日に村田製作所
を400株、880万円で、8月18日に富士フイルムを1200株で624万円で
売却、売却総額1460万円、税引き後、795万円の利益だった。
翌年の2016年に、2011年に550万円で買ったSP500ETFを
2016年夏に売却して700万円の利益が出た。
2016年終了時点で、北島家の資産合計は、2300万円で終了した。
ただ、2014-16年に、家の再塗装、2つのトイレ交換、風呂の修理代など、修繕費に400万円と軽自動車の新車購入でがかかり、直近の資産合計、
1900万円となった。
もうすぐ、年金がもらえるので、多少、経済的な安心感は、増しそうだ。
そしてこの年に、長女に男の子が生まれて、北島家に初孫ができた。北島家は、
大喜びだった。
最後に、北島は、ここまでの自分の人生を振り返ってみて、決して後悔はして
いない。専門の化学での仕事では、新製品開発を世に出すという形で結実した。
次に、工場長の推薦と、受験した会社の社長のおかげで入社して、人とものを
売るという仕事をした。人にものを売るという仕事は自分を売り込み、相手の懐に
入り込むための綿密な作戦が必要である。その点で自分の特技のパソコン、
ソフトウェアで先生方のニーズにうまく入り込み、懐に入り、成功した。
昔の言い方で言えば営業マンとしての心技体のバランスが取れたから八年間で
売上倍増という大成功をおさめられたのだと思う。ただ、仕事の仕方がまっすぐで、
正直過ぎた生き方をしたため社内の上司を味方をつけることができなかったため、
体調を崩したときにも、会社内にとどまれなかったのだと思う。
では、うまくやれたのかというと、そんな器用な生き方はできない。
いつも真剣勝負だった。それで勝ち得た収入と地位。
体調崩したのは、不覚だったが、神様がもう頑張らなくて良いよ、休みなさいと
信号を送ったのだと思う。無理して交通事故を起こさなくて良かったとさえ思う。
恨むつもりは全くありません。
無理しては死ななくて良かったと感謝しているくらいです。
その後、株式投資の先生に教えてもらいなら、猛勉強して稼ぐ事ができるように
なり、破産しないですんだ。その他、シティバンクで、世界市場への投資、
株式の知識を広く教えてもらい貴重な体験をさせてもらった。
これからの人生は、孫の成長と、私自身が、世の中のために、何かしたい。
一つは苦学生への募金活動もう一つは小説という形で自分の考え方を問うて
みたいという願望が芽生えてきています。こういう意欲が出てきたというのは、少しずつではあるが、気力、体力が回復している証でしょう。
そう言う意味では今後も神様に感謝しつつ、ゆっくりと着実に、
残りの人生を精一杯生きたいと思っている。
最後まで読んでくれ、本当に感謝します。播磨王66。
成り上がり(青春編、営業編、雪国転勤編、帰京編、退職後編) ハリマオ65 @ks3018yk
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