私の先輩が吸血鬼なお話

 放課後の生徒会室で私はブラウスをはだけさせる。ついさきほどまで親友が居た部屋で、ただの先輩でしかない彼女に肌を晒しているという事実は背徳感が込み上げてきて、頭が熱くなる。

 赤くなっている顔を見て彼女がクスリと笑う。

「もうこういうことをするようになって一年も経つのにまだ慣れないんだね」

 楽しそうに笑う彼女にイラっとする。こうやって下着が見えるくらい大きく服を脱いで胸まで見せているのにまるで動揺していないという事実を見せつけられているみたいで。

 みたい、なんて言ってもそれは事実でしかないのだろうけれど。

 潜めた眉を見てそんな顔しないでよって困った顔をされて少しだけ胸がすく想いになる。この人には笑顔が似合うとは思うけれど、いつも浮かべているその笑顔をぐちゃぐちゃにして歪んだ顔を私に向けて欲しいって想いも私には有る。

「そういう顔が似合ってますよ」

 出来るだけ楽しそうな声音になるように意識して彼女に言うと、とうとう彼女の顔には「不快」と言う二文字が浮かび上がる。その表情を見て私の心に冷静が戻る。

 そこら辺の誰かと同じようにしか感情を向けられないくらいなら嫌われた方がマシだって考えが有って、それじゃまるで好きな人に意地悪をする小学生の男子みたいな幼稚さだなって思う。

 とは言え文字通りのことでは有るんだろうけれど。

「もう良いから黙ってよ」

 彼女がそう言って牙を私の肩に突き立てる。普段だったら牙を刺す前に舌で肌を舐めて快感に浸してゆっくりと準備をするのにこうしてキレさせてする時はそんなことをしないから普通に痛い。

 けれどこうして痛いと生きているような感じがする。自分の意思で彼女を受け入れてると実感出来るからたまにはそう言う時が有って良いと思う。それに、痛みが有れば嫌なことを忘れられる。その熱い痛みから血がドクドクと抜けていくのを感じる。命が溶けて吸われて体から熱が抜けていく感覚が有る。それがどうしようもなく気持ち良くて結局意識が曖昧になる。


 力が抜けて目の前の彼女にもたれかかるようによろける。普段ならそこで止まるのに、彼女を怒らせて吸わせている時はおしおきだと言わんばかりにこの行為を続ける。そうなると明らかに体が悲鳴を上げて意識が飛んで完全に倒れるまで吸うのを辞めない。

 今回もそうなって私は意識を失った。

 

 そろそろ起きなよ、と体を揺さぶられて目が覚めた。

 目を開けると見覚えが有るけれど、明らかに学校のモノとは違う天井が広がっていた。視界がぼやけて上手く思考のピントが合わないなりに状況を理解してありがとうと礼を伝える。

 彼女が私の血を吸い過ぎた時にはこうして彼女の部屋にまで私を運んでくれてベットに寝させてくれる。生徒会室から私の彼女の部屋まで運んでくるのは大変だろうにそうしてくれるのはきっと罪悪感からだ。

 シーツからする彼女の甘い匂いに身を委ねてわざわざ彼女の手を煩わせてしまったことへの罪悪感を誤魔化す。

 

 私と先輩の間に有るのはただの利益関係だ。

 偶然、彼女が吸血鬼と人間のハーフである事実を知った私は彼女に血を差し出して、彼女は私以外の血を飲まないようにしている。

 生徒会長でキラキラと輝いている先輩にとって私は普通に生きていたらただの優秀な後輩の友達にしか過ぎないまま。けれど、彼女が吸血鬼で私がソレを知っていて、いつでも血をあげられるという事実だけが私に価値を与えてくれる。

 彼女の美しさならその気になればいくらでも自分から血を捧げたいと思う人間はいるように思うけれど、今の所はそう言う人間は居ないらしい。それはただの偶然なのかあるいは彼女のポリシーなのか?そもそも嘘なのか、いくら考えてもその答えは出なくて気が滅入る。

 私が彼女の正体を知ったのは彼女が携行用の血液パックを持っていたからで、それは彼女が用意しているモノか、もしくは誰かが用意しているモノなのかは知らないままだ。

 私はただの人間だからそれがどう言う意味を持つのかは厳格には知らないけれど初めて私の血を飲んだ後に彼女が呟いた「生の血はこんなに美味しいんだ」って言葉が今も頭の中にこびりついている。

 その声は普段の凛とした声じゃなくてどこか酩酊しているような声音で聞いた瞬間に明らかに普通じゃないと分かるモノだ。

 だから、私は彼女にこの契約関係を持ちかけた。


「週に四回、私の血を吸わせるから血を飲むのはそれだけにして」


 そんな契約。本当だったらこんなの守る必要なんて無いし、そもそも持ち掛けること自体がバカげているけれど。それでもそのどこか浮ついている気持ちよさそうな声が私の常識を壊した。

 初めて見た「本物」を私のモノにしたいと思った。遠くから眺めていた時に有ったモノは確かに「恋」だったのに、こうして彼女に近づいた瞬間にそれは「恋」だとか「愛」なんていうモノからかけ離れてしまった。

 自分でもバカげていると思う。だから本当は断られて終わるはずだった。

 それなのに先輩はあっさりと受け入れてしまってそんな関係が始まった。


 放課後に生徒会室に行ったり、休みの日にわざわざ学校に行って彼女に血を吸わせる。血を吸われるのは気持ち良くて、それだけでこの契約を結んだ価値が有るように思える。どうしようもなく感じる生物としての格の違いによる屈服感に身を委ねるのは楽だ。純粋な人とヴァンパイア交じりのハーフとしての種族としての格差、そしてスクールカーストトップの天才である彼女とそこら辺に居るようなモブでしかない私との人間としての差。そしてそんな彼女がこの時は私だけを見てくれることへの優越感。それだけのために自分の血を——体を売っている私はどうしようもなく最悪だ。

 だけど、それを受け入れている彼女も同じくらい馬鹿だと思う。


 そんなに私の血は美味しいのだろうか?それとも直接血を吸えるのが私だけだからそれを受け入れているのか。じゃあ、私の他に血を吸える人が現れて、その人の血の方が美味しかったら私を捨ててしまうのか。

 考えれば考える程にそうなるのが自然な気がして嫌な気分になる。数えきれないほどに数を重ねた吸血行為は最早彼女にとってはただの食事でしかなくて、最初の頃に感じた緊張や興奮はもう見いだせない。

 だから、からかって挑発してそうやって彼女の感情を無理矢理に引きずり出して日常になったこの時間に意味を持たせたいと願ってしまう。

 もしもこの時間が食事以外の意味を持つようになればそんなイフを少しは考えなくて済むようになるのだろうか。そう考えてしまう。そしてそんな理由で彼女を不快にしていたらそれは「特別」になるかもしれないけれど「捨てたくなるだけ」の「特別」にしかならないことだって分かっている。それでも私は辞められない。


「ごめんね。またやりすぎちゃった。最近、こういうこと増えちゃってるね」


 申し訳なさそうな先輩の声がして意識が現実に戻る。

 私を膝枕して髪を撫でながら謝る彼女の顔を長く綺麗な黒髪が作る影が覆い隠してしまっていてその表情ははっきりとは見れない。だから、彼女が抱いている感情を推し量るには声色から推測するしかない。声だけで判断するなら本当に申し訳ないと思っているような気がする。


「別に気にしなくて良いですよ。私が失礼なことを言っているだけなんで」

「だとしてもだよ。こうして時間を取らせている以上、不満を感じる気持ちは分かるから」

「何を言っているんですか?そもそもこの関係を始めたのは私からですよ。だから時間を取らせているって言うのは違いますよ。ただムカついたから皮肉を言っているだけです」

「……そう。でも、ごめんね」


 そう言って彼女は口を閉じた。

 私、もう帰れるんでそう言って体を起こした。無理しないでもう少し横になってたら良いのに。そう言われて私は別に大丈夫ですから、と返す。

 別に家に帰らなくちゃいけない理由も用事も無いけれど、彼女と同じ部屋に長い時間居るのは気まずさがどうしても勝ってしまう。


 だって、制服からパジャマに着替えている先輩はとても魅力的で見ているだけで心臓が暴れだす。パジャマ姿の彼女を見ているとシースルーの生地の奥にうっすらと透けて見える肌に触れたいと思う。もたれかかる時に感じる柔らかさを思い出させるような滑らかな体を感じたくなる。

 私の血じゃなくて私の手で彼女の理性を溶かしたくなる。雪みたいに綺麗な肌を熱で真っ赤に染めて、私の口で花を咲かせてしまいたくなる。私の胸の上に有る傷痕みたいに彼女に私の存在を刻み込みたいという欲求が込み上げてくる。

 

「折角なんだからもう少しここに居たら?」


 そんな私の考えに気付いているのかいないのか彼女は笑ってそんなことを口にする。なんで今回に限ってそんなことを言うのかが分からなくて困惑してしまう。

 こんな風に彼女の部屋に運んでもらうことは有っても今まで制服姿で待っていて目を覚ましたら水だけ飲ませてさようならだったのに。

 今回に限ってわざわざパジャマに着替えて、もう少し待ったらなんて言ってくる。

 いつものから外れた時間は私が求めていたモノなのにいざ目の前に振ってこられるとどう対処すれば分からなくなる。

 手に入らないから欲しがっていただけなのに。

 素直に差し伸べされた手をとれる人間だったら良かったけれど、素直に頷けない私が居てその手を振り払ってしまう。


「明日も学校が有るんで。色々とやりたいことが有るので帰ります」


 そう言うと彼女はそっか、と諦めたように笑った。その微笑に胸が痛んで、けれどそれすら一瞬の錯覚だと抑えつける。また、と言って私は彼女の部屋から飛び出した。


 家に帰る。

 誰も居ない家はいつも通りの空間でその空虚さに安心してしまう私が居る。

 ご飯を食べて風呂に入って、明日の分の宿題をやらなくちゃ、と教科書を広げても中身が頭に入ってこなくてすぐに飽きる。元々、私は頭が良い方じゃない。

 最初から無かったやる気はどれだけ教科書と向き合っていても湧いてこなくて、だからと言って眠気も出てこなくて余計なことばかりが頭をまわる。

 一人が良い癖に独りで居ると寂しさが込み上げてきて、誰かの存在を感じていたくなる。スマホを手に取って、十二時も過ぎているというのに親友の美夢に電話をかけた。

 出るか出ないかは半々だったけれど幸いにも彼女は電話に出てくれた。


「もしもし。どうしたの?急に電話なんてしてきて」

「もしもし。ゴメンね寝てた?」

「別に寝てはいないけれど。ちょうど今ベッドに入った所」

「そっか。ゴメンね。ただちょっとだけ声が聞きたくなって」

「ああ、そうなんだ。いつもの?」

「まあ、そんな所」

「しょうがないっちゃしょうがないんだろうけれど、度が過ぎると普通にウザいから気を付けなよ」

「うん。分かってる。でも返事をしてくれてありがとう」

「本当にしょうがないよね、君は」


 溜息をつきながら、呆れながら、それでも相手をしてくれる親友の声に安堵感を覚える。こんなのはただの甘えでなんなら依存しているだけなのに、それでも辞められない私が居て本当にどうしようもない、と思う。

 それから他愛のないことばかり話をする。学校で有ったこと、嫌だった授業とか楽しかった授業の話、一緒に入っている生徒会のこと。彼女とならいくらでも話したいことが湧いてきて口が止まらなくなる。

 ふわぁ、とあくびが同時に出てきてそれに二人で笑う。

 そんな優しい時間をそっと閉じてスマホを充電器につないだ。部屋の照明を落として目を閉じる。

 親友の声が今も脳裏に反響して、その優しさにそっと身を委ねた。


 

 そんな夜の次の日には彼女はわざわざ私の家まで来てくれる。別にそこまでしてくれなくても良いのに、と言っているけれど私がしたいだけだからって言ってくれるから私は素直にそんな好意に甘えている。

 二人で話しながら歩く通学路は少しだけ明るく見えて楽しくなる。

 そうして学校を歩いていると先輩が登校していた。彼女が今日の日直なので少し早めに学校に来ていたから、こうして登校中に先輩の姿を見るのは初めてだった。


「おはようございます。会長」

「おはよう美夢。この時間に会うの珍しいね」

「そうですね。まあ、日直の日しかこんな時間には来ませんし」

「あー、なるほどね。確かにそうかも。ところで隣に居るのはお友達?隣に居るのをよく見かけるけれど」


 そう言って先輩が私に声をかけてきた。放課後の関係は秘密のモノでそれが無ければ私達は無関係なままだからその質問は普通のモノではある。けれど彼女の口から私を知らない人のように扱われるのは嫌だった。

 我ながら面倒くさい人間だと思う。


「そうですよ。私の美夢がいつもお世話になっています」


 笑いながらそう言って彼女の腕を抱きしめる。美夢はこんな所で辞めてよって言いながら肩を押してくるけれどそれを無視して抱きしめる腕に力を込める。


「へえ、仲良いんだね。美夢のそんな楽しそうな顔初めて見た」

「そうなんですか?このくらい当たり前ですけど。もしかして先輩困らせてばっかりで笑顔を見たことなかったり?」

「いや、別にそういうわけじゃないけれど」

「ねぇ、どうしたの?失礼だよ。ごめんなさい、普段はこういうこと言う人じゃないんですけど……」


 美夢が困ったように私に言う。まあ、らしくないとは思う。わざわざ喧嘩を売るようなことをする必要は無い。普通に失礼だし、友達を使ってマウントを取るなんてみっともない。でも、なんとなくやりたかった。

 ほら、先輩が少しだけ不機嫌そうな顔をしている。ざまあみろって思う。


「ごめんなさい。冗談ですよ。ちょっと調子乗っちゃいました。美夢が先輩のことを楽しそうに話してたので嫉妬してただけです」

「そうなんだ?まあ、美夢には助けられてばかりだからね。彼女が生徒会に入ったせいで自由時間が減ってるのも事実だろうしあんまり気にしてないよ」

「そうだったら良いんですけど……」


 そう言って気まずそうに私の方を見る。そんな彼女にごめんごめんと言って、先に行くからゆっくり話しててと言い残して図書室に向かう。

 

 授業を受けていたらスマホに通知が来る。

 血を吸わせるのは一日置きの間隔で、という話だったから今日も先輩に呼ばれるのは意外だった。それに今日は生徒会室ではなく彼女の部屋、だ。結果として彼女の部屋に行くことは有っても最初から彼女の部屋に呼ばれることは滅多に無くてそれに違和感を覚える。

 だからと言って断るって選択肢は無くて美夢に今日も用事が入ったから一緒に帰れないって送る。

 

 放課後になるまで長い授業を適当に誤魔化す。ただでさえ退屈な授業は放課後に先輩に出会うことが決まるとさらに長さと退屈さを増してしまう。黒板に書かれる文字を何も考えないでノートに書き写す。言葉の意味は漠然と分かるモノではあるけれどそこまで体に馴染む感じはしない。

 こんな風にしているから私は馬鹿のままなんだろうなぁと思うけれどじゃあ、どうすれば良いかなんて分からないから困る。

 ただ流れていく時間を見つめて一日が終わる。

 

 放課後に彼女の部屋に向かう。学校から自分の意思で直接、その部屋に行くことはあまり無くて普段とは真逆に流れていく景色に違和感を抱いてしまう。

 インターホンを押して彼女の部屋に入る。


「急に呼んじゃってごめんね」

 

 彼女は私の顔を見てそう言った。

 貼り付けている笑みは綺麗で、その顔からは彼女が何を考えているかは分からなかった。


「別に大丈夫ですよ。特に用事が有るわけでも無かったので」


 何を言えば良いのかを探りながら当たり障りのないことを言う。いつものように軽口の一つくらい言えれば良いのだけど、張り付けたような笑顔が恐くて大人しく振る舞うしか無かった。優しい時にしか強気に出れない私はそれなりに小物だと思う。


「そっか」

 

 そんな私に彼女が軽く微笑む。そして小さく口を動かした。それはあまりにも小さくてなんと言っていたのか分からない。訝しそうにしている私を見て彼女は気にしないで、と言った。まあ、そもそも聞かせる気が無いということなんだろうと思う。

 別に私も聞こうとは思わないけれど。


「それで、今日も血を飲ませれば良いんですよね?」

「うん、まあ、そうだね。いつも通りお願い」


 私が聞くと彼女はそう答えた。

 そんな風に頷く彼女はいつも私が見ていた彼女でそれを見て少しだけ落ち着く。私の知らない彼女を見るのは楽しくて嬉しい癖に同じくらい不安になってしまう。その不安定さはきっと私のわがままだ。

 私はブレザーを床に脱ぎ捨ててブラウスのボタンを外しながら彼女に近づく。彼女のキラキラと輝いている瞳を見ていると早く血を吸われたくなって彼女の傍に進む足が早くなる。こんな風に感じるのは初めてで不思議に思うけれどそんな違和感も彼女に血を吸われたいって衝動に飲み込まれていく。

 ベッドに座っている彼女が吸いやすいように胸元を開いて彼女の前で跪く。その姿を見て満足したように頷くと一気に視界が暗くなった。彼女の手が私の視界を覆ったからだ。こんなことは初めてで思わず手を払った。確かに手が当たった感触が有って目を覆っていた手の圧迫感が消えたけれど視界は暗いままだ。

 

「そんな驚かないで」


 いつの間にか落とされた照明に驚いていると耳元からそんな声が聞こえた。

 囁かれるような、と息のような声が鼓膜を揺らす。その震えが耳から体に染みこんでくるようで背筋にしびれが走る。

 その感覚が気持ち悪くて彼女の肩を押し飛ばす。


「ねえ、どういうつもりなんですか。こんなこと」

「こんなことって。別に普通のことだよ。緊張しすぎだって、いつもやっていることでしょ?ああ、視界が暗くていつもより感じている、とか?」

「……そうじゃないですけど。こんな風に部屋に呼んでまですることじゃないでしょ」

「それこそ、生徒会室でするようなことでもない」


 楽しそうに彼女が言う。暗すぎて彼女の顔は見えないけれどきっといつも通りの笑顔が広がっているのだと思うとそれを見たいと思う。


「今更すぎるでしょ」


 それを見せてくれない彼女にムカついて私は彼女に下らない言葉を投げつける。

 そんな私の言葉に彼女は溜息をついた。もう黙りなよ、と呟いて彼女の手が私の頬を捉えた。

 何をするかなんて分かり切ったことでその予感を現実にするように柔らかい感触が私の唇に触れる。いつもより暗い空間でのそれは記憶に有るモノよりも柔らかく感じてしまう。

 そっと舌で唇を舐められる。それに応えるように口を開くとさらに中に入って来る。少し前までは当たり前のモノだった感触がなぜかやけに懐かしくて意識を集中させられてしまう。

 そっと流れ込んで来る彼女の甘さに意識が曖昧になって来る。世界との境界がぼやけてきてその中に有る気持ち良さにさらに縋りたくなる。

 

 グチュグチュと音を立てながら舌を絡ませていると息が出来なくなってきて酸欠がひどくなる。するとそれが分かったのか舌が抜けて唇が離れていく。急激に入って来る酸素に思わずむせて咳こむ。目の前に居る彼女のバニラみたいに甘い香りが口の中に入ってきてさらに体が熱くなる。今まで少し熱くなることはなかったのに、と不思議に思いつつも熱に頭をやられてくらくらしてる。

 またザラザラした感触が首を撫でる。ぬめった感じが気持ち悪くて、通り過ぎた気持ち悪さがピリピリと痺れに変わる。その痺れから力が抜けていく。そこから倒れてしまいそうになって倒れ切らないように彼女の肩を掴む手に力が入る。ギュッと握ると彼女が着ていた制服に力が加わって皺になる。

 目が虚ろになって、暗闇がさらにぼやけていく。そんな世界の中で痛いほどに強い彼女の制服を握る感触が私に現実を示してくれる。

 もっと力を抜きなよ、と耳元で囁かれて耳がなぶられる。その気持ち悪さに目が覚めて彼女を突き飛ばしてしまう。


「そう言うの気持ち悪いから辞めてください」

「そう?気持ち悪いなんてひどいじゃない。傷つくんだけど」

 

 彼女は首を傾げた。暗闇に目が慣れてきたのかぼんやりと輪郭が見えて、気配で大まかな動きは見える、気がした。

 傷つく、なんて言ってるくせに声色が楽しそうで明らかに遊んでいるのが分かる。何がしたいんだろう?と思う。

 そうしていると彼女を突き放した手を握られる。指を一本一本交互に搦めてまるで恋人のように手が繋がられる。そのままギュッと引っ張られてベットに組み敷かれる。とっさのことすぎて何の対応も出来ず大人しく彼女に乗られる形になる。

 力強くベッドに押し付けられるせいで彼女に握られている手が痛くなる。


「ねえ、こんなの今までしたことないですよね。どういうつもりなんですか」

「ふふ。どういうつもりも何も無いよ。でも、まあ、こうして君が震えているのを見るのは好きかな」


 そう言って言葉を止めた。口を開くと真っ白な牙が見える。ああ、また血を吸われるのかと思う。いつもと同じことをするだけなのになぜか恐い私が居る。そんな私を見下ろす彼女はいただきます、と言ってその牙を首筋に差し込んだ。プツンと首の肌が裂けて牙が体内に刺さるのが分かる。今まで味わったどの吸血よりも力強く彼女に血が流れていくのが分かる。

 念入りに嬲られた肌は痛みを訴えることもなくただただ熱だけを訴えている。

 死に体が近づいていくのがどうしようもなく気持ち良くてか細い声が漏れる。声が零れれば零れる程に吸われる力が強くなって興奮しているのが分かる。

 情熱的に求められていることへの快感に血が抜けていくことへの興奮が私の中で混ざり合って意識がドロドロに溶けていく。

 

 目が覚めても彼女はまだ私の上に跨っていた。気絶している間につけられていた部屋の照明が開いた私の視界を焼く。目をパチパチさせて光に目を慣らす。いつもなら目を覚ましたらある程度は体力が戻っているのに今回はまだ気怠くて全身に力が入らない。

 手を軽く動かしているとまた手がからめとられた。温かくて柔らかい手の感触が気持ち良くて握りしめた。


「血を吸いすぎちゃったかな。全然力が入ってない」


 彼女が楽しそうに笑った。

 いつもより多く血を吸ったからか普段よりも全体的に綺麗に見える。


「なんでこんなことをしたんですか?死ぬかと思ったしこういうのは違うじゃないですか」

「……なんでだと思う?」

「質問に質問を返すのは反則だと思いますけど」

「まあ、それもそうかもね。でも私は答えたくないんだよ」


 そう言って目を細める。彼女は舌で自分の唇を舐める。その姿は妖艶で目を取られる。ブレザーのボタンを一つ、また一つ外して肌が見える範囲を広げていく。それを止めようとしても力が入らない体じゃ止めることが出来ない。

 そんな私を嘲笑うかのように彼女は指で開いた肌を撫でる。撫でられた所から熱がしみ込んで来る。血を吸われるのとは別の気持ち良さが出てきて変な気分になる。だけどこんなことをするのはそれこそ恋人のように感じる。


「言いたくないなら別に言わなくても良いですけれど、こういうのはしないって約束でしょ」

「別にじゃないでしょ。ただ触れているだけじゃん」

「だとしてももう私には吸えるほど血が残っている訳じゃないし、吸血を除いた触れ合いなんて私達の間には無いはずですよね」

「そう?殺す気になればもっと血は吸えるし、そう言うのが一番美味しいんだよ」


 そう言って彼女はにっこりと笑った。


「なんでそんなこと知っているんですか?……まさか誰かの血を殺すほど吸ったんですか?」

「……そうだけど。だったら何?」

「他の人の血を吸わない。それが私達の契約だったはずですよね。約束を裏切ったんですか?」

「アハハ。へえ、そういうことを言うんだ。殺したことじゃなくて血を吸ったことに文句つけるの?」

「……先輩が誰かを殺したとかそんなのどうでも良いですけれど、私の知らない人の血を吸ったのは赦せないんですよ」


 そう言うと彼女は何かに焦がれるようにうっとりとした笑みを浮かべた。


「何それ。もしかして嫉妬してる?血を吸われた人間に対して」

「別にそういうわけじゃないですけれど。ただ約束を破られたことが赦せないだけです」

「それを嫉妬って言うんだよ」

「違いますよ」

「まあ、どうでも良いけれど」

 

 そう言って彼女は顔を体に這わせる。ザラザラした感触が過ぎていって通り過ぎた所が濡れて熱くなる。体がぐつぐつと煮えるような感触が有って体が熱くなる。その気持ち良さに溺れてしまいそうになってしまう。それが嫌で彼女を止めたくなる。

 体が動かないから顔を歪めて睨みつける。


「良いね。その顔。そうやって顔を歪めている君が可愛いよ」


 そう言って笑って私がいつも言っていることを返して来た。分かって言っていた言葉だけど思った以上に不愉快で舌打ちしたくなる。


「そうやって私だけを見ててよ。ずっと」


 私に視線を合わせて彼女が告げる。その声が切実で私を求めているように感じれてしまう。


「そんなことを言うの辞めてよ。ねえ。私ってちょろいからそんな風に言われると愛されているように感じちゃう」

「そう言ってるのが分からない?」


 彼女は悲しそうな顔をして言った。愛されてる、なんて風に好きな人に言われてそれをあっさりと受け入れられる人間だったら良いのになんて感じる私が居た。

 好きって言われて喜ぶ私と、それを拒みたがる私が居て矛盾しているなぁと感じる。


「分からないし、そう言うのは求めてないんですよ」


 私は彼女に言葉を返した。真っすぐにあなたを愛せるならばこんな風にはなっていないはずで、それは私達が共有していた幻想だと信じていた。

 私が血を与えて、あなたはソレを吸う。愛情なんて形の無いモノじゃなくて食欲と言う必然性が私とあなたを繋ぐ鎖で在るべきで、だからこんな関係性が成立しているのだと。


「だって好き、なんて感情が無くても上手くやれていたじゃないですか私達。だったらこのままで良かったのに」

「上手くやれていたように見える?」

「見えてましたよ。分かりやすい利害関係で結ばれていて。私はあなたの食欲を満たしてあなたは私の性欲を満たして。それだけの関係で楽だったじゃないですか」

「性欲って。吸血行為にそういう意味を見出していたようなモノじゃん。だったもっと露骨な行為も許せば良いのに」

「それは違うんですよ。ただの食事行為としての吸血だからこそは赦せるんです」

「何それ。どういうこと?」


 彼女は握る手に力を入れる。


「愛とか恋なんて曖昧じゃないですか。だったら分かりやすい方が気持ちが良い。繋がる理由も、捨てられる理由も」

「捨てられるって。別に私はあなたを捨てたりはしないよ。ずっと一緒に居たいって思ってる」

「でもそんなのは今だけですよ。どうせいつかは捨てられる。だから最初からそんなモノは要らないんです。もっと私をモノとして見て」

「なんでそうなるの。そんなの寂しいよ」

「寂しくて何が悪いんですか?それで良いじゃないですか。期待なんてしたくないし夢も見たくないんですよ。愛なんて知らないし要らない。ただ私を見て欲しいし求めて欲しいだけ。ただの独占欲なんですよ。一人は冷たくて寂しいから、誰でも良いから傍に居てくれる人が、私を見てくれる人が欲しかっただけ。だから私は血を差し出すことで縛れる先輩を選んだんです。綺麗で美しくて、それでいて私が縛ることのできる先輩を」

「だったら美夢はどうなの?彼女だって君の友達で君を見ているじゃん。彼女だけじゃ物足りなかったの?」

「彼女は親友です。友達なんですよ。でも友達だなんて、友情なんていつかは消える。今は消えてないだけで、今も友達なのはなんなら何かの間違いでしかないんですよ。それに頼るだけじゃ安心出来ないんです」

「ふざけないでよ!私だけならまだ良いよ。結局、私たちは血でしか繋がってないから。でもさ美夢の友情を信じれないってなんなの。彼女はいつも君の事を気にかけてるよ。君の話だってよく聞く。君のこと大好きなんだなって感じてる。それを信じられないなんて彼女を馬鹿にしているようなモノでしょ。なんで君はそうなの」

「……先輩は知ってます?彼女の親は私の親の後輩らしいんですよ」

「……急に何の話?」

「ただの事実ですよ。彼女は親から言われているんです。私と仲良くするようにって。だから彼女は私と友達になったんです。彼女がそう言っていたのを聞いたんですよ。それなのに信用出来るわけないじゃないですか」

「始まりはそうだったかもしれないけれど、今もそうだとは限らないじゃない。人の気持ちは変わるよ」

「そうかもしれませんね。人の気持ちは変わることも有るでしょうよ。なんなら今は美夢も私を好きでいてくれていると思います。でも、だからこそ友情だとか愛情なんて信用できないって話になるんです。マイナスからプラスに変わったんならプラスだってマイナスになるじゃないですか。だから契約で良いって話なんです」


 そう言うと彼女は表情から色を消した。じっと視線を合わせて何も言わずに私を見つめている。


「だったらなんで大人しく血を吸われなかったの。ただの契約で良かったなら私を挑発するように文句を言って揶揄って。そんなことをする必要なんて無かったでしょ?それで私が君を嫌いになって契約を終わらせたらどうするつもりだったの?」

「そうしたら、それで良かった。理由が分かって、明確な形で終わるならそれはそれで良かったんですよ。どうせ終わるなら理解して、納得して終わりたかったから」

「…………馬鹿じゃないの。終わるのが恐いなら終わらないように努力しなよ。足掻きなよ。なんで自分で終わらせようとするの」

「もう捨てられるのは嫌なんです。意味も分からないままに捨てられて終わらせられて、そんなのはシンドイし痛いから。だったら私から捨てたい」

「そんなのおかしいよ。狂ってる」

「捨てられたことがないから分からないんですよ。先輩には」


「失敗作」


 彼女がぼそりと呟いた。


「私の親が私に使う呼び方。人間以外の紛い物。ルックスも能力も高いのは人間じゃないから当たり前で、吸血鬼としての特別な能力である吸血も満足に出来ないからそう呼ばれてたの」

「でも血を吸えてたじゃないですか」

「言ったでしょ。君が初めてだって。それまでは血を吸えなかったし、吸えるようになっても君のいうことを聞いて吸わないようにしていたの」

「でも吸ったんでしょ?もしかして家族の扱いに耐え切れなくなって契約を破った私を赦してください、とでもいうつもりですか」

「別にそう言うつもりはないよ。どういう理由が有ったとしても契約を破ったのは私の選択だから。それにあんな連中の事をまだ愛せる程に良い人でも馬鹿でも私は無いから」

「だから分かるって言いたかったの。他人から見捨てられる気持ち」

「でも先輩にはたくさんの友達が居るじゃないですか。誰も信頼できない私とは違いますよ」

「馬鹿じゃないの。私だって同じだよ。自分が吸血鬼であることを誰にも話ていないしそれをバラせば今の生活は消えると思っている。今の私が居る世界は嘘だらけの砂上の楼閣でしか無いって分かってる。それでも私は今の私が好きだよ。だから頑張って隠しているんだよ。自分を」

「だからやっぱり先輩と私は違いますよ。私はそんな風に頑張れないんです。そんな曖昧なモノを愛せないんです。もう良いよ。理解できないでしょ、甘ったれっておもっているでしょ、だからもう捨ててください。あなたは私には眩しい。あなたは素敵です」


 私がそう吐き捨てると彼女は笑った。


「そうやって紛い物でしかない私をそうと知って認めてくれる君が私は良いと思ったの」

「そんなの別に私じゃなくたって良かったじゃん」

「でもそうなったのは君とだった。ねえ、それが全てなんだよ。偶然かもしれない、きっと他の誰かで代用できることなのかもしれない。でも、あの時にあそこに居てああ言ったのはアナタだった。それが運命ってことなんだよ。だから私は君が好き。君の隣にずっと居たいし、君の特別で居続けたい」


「それだって一瞬の気の迷いかもしれない」


 私のその言葉に彼女は言葉を詰まらせる。どうせ反証なんて出来るわけがない。今は確かでも未来は決まってなくて、そんな未来に曖昧な気持ちを持ち込めるわけなんてないんだから。それでも隣に誰か居てくれることを望むなら、その関係を幸せな時に無理矢理終わらせるか、気持ち以外の確かなモノを作るしかない。 

 だからこその契約だったのに、彼女がそれ以上を望んだなら、受け入れたら終わるしかない。


「そこまで言われたらもうしょうがないね。この関係は終わり」


 彼女は笑ってそう言った。その言葉に胸が引き裂かれるくらいに痛んだけれどあくまで私は加害者で、泣くことが赦されるわけはない。そんな身勝手な私がさらに嫌になる。

 そんな私を見て彼女はさらに笑みを深めた。


「本当にバカ、そんな風に傷つくなら最初からそんなこと言わなければ良いのに」


 どうしようもないくらいに、初めて聞く優しい声で言われて縋りたくなる。

 彼女が口を開く。牙がギラギラと輝いていて首筋に突き刺さる。せめて最後にとびっきりの吸血を、そう言わんばかりに深く牙が刺さる。

 今まで以上に体の奥底から血が吸われる感覚が有る。力が抜けて快楽に意識が溶けていく。きっとこれ以上ないくらいに幸せで本当に死ぬかもしれないと思う。

 体が優しく撫でられて吸血の快楽の中にそれ以外の気持ち良さも混ざって快楽のキャパが溢れてプツンと意識が飛んだ。






 目が覚める。いつも感じる気だるさが無くていつもより意識がしっかりとしている。感覚が冴えていて、今まで見てた世界と根本的に違うような気がして恐くなる。


「おはよう」


 そんな自分に困惑していると彼女が楽しそうに声をかけてきた。

 その姿を見ていると今まで感じていたのとは段違いに心臓が暴れる。苦しいほどに胸が震えて彼女に触れたくなる。意識が曖昧になって彼女の事だけしか考えられなくなって体が勝手に動く。その体を無理矢理止めて彼女を睨む。


「へえ、本当に変わるんだ」

 

 そんな私を見てケラケラと笑う。


「眷属化って知ってる?血を吸って誰かを殺した後に血を流し込むことでその相手を半分吸血鬼にするの。それをすると契約を結んだことになってされた相手はヴァンパイアハーフになって、主を好きになる。まあ、専門の血液タンクになるってやつだね」

「なんでそんなことを」

「だって信用出来ないんでしょ?形に残るモノが欲しかったんでしょ?だからしてあげたの。君のような自己暗示染みたおもちゃみたいな契約じゃなくて本物の契約を」


 楽しそうに笑う彼女に何も言えなくなる。私が願っていたことではあるけれど明らかに変わった自分が恐い。彼女に血をあげるのが義務になっているような気がして吸われたい、というのが意思ではなく衝動になっている。


「吸われたくて吸われたくてしょうがなくなってくるでしょ?辛いよね。苦しいよね」

 

 うっとりとした声をあげて彼女は私に近づいてくる。私のブラウスを力づくで破いて肌を晒した。彼女の甘い香りがいつもより強くして口の中まで甘くなってくる。

 彼女の全てが鮮やかに感じて体が震える。


「一生、私に縛り付けてあげる」


 その甘い囁きが私に染みこんでいく。

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百合のネタ帳 ゆーぎり @mizakimisae

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