綺麗な灯に焦がれてた


 …………………ピチョン



 音が流れてた。

 何かが落ちる音。

 命が、熱が、赤が、心が。

 落ちていく。

 抜けていく。

 零れてく。

 私を構成するものが私から離れて綺麗な花を咲かせる。

 あんなに私の中で暴れ狂って、私を焼き焦がしていたものがこんなに鮮やかに世界に残るのなら、私の人生も捨てたモノじゃない。

 そう思えた。

 痛みは有るけれどそれ以上に咲き誇る花の美しさに見惚れる気持ちが強かった。

 けれどそれを眺めてる力も私には残っていなくて、世界が闇に包まれていく。

 べちゃり。

 光も音も無い世界で私が最後に感じたのは生ぬるい何かに倒れこんだ感触だけだった。



 目を覚ました。

 いつもの夢だ。またか、と口の中で言葉を転がす。私の死ぬ夢。

 寝るときに着けているリストバンドを捲る。傷一つ無い自分の腕に少しだけ安心する。

 あの子が褒めてくれた私の腕に傷が無いことに喜びを覚える。

 汗まみれになったTシャツを着替えてシャワーを浴びる。

 外を見て、その暗さにうんざりしてため息をつく。

 何度も繰り返し見ている夢。それなのに慣れることはない。風呂場に置いてある剃刀を見るたびに夢の中での衝動が顔を出す。どす黒くて、醜くて、くだらない感情。


 始めてその夢を見たのは私の幼馴染が付き合い始めた日の夜。小学校から中学、高校とずっと傍に居た私たちの間に始めて深くかかわりを持った他人が入り込んできた瞬間だ。

 彼女、日向灯は根暗な私と違って明るくて優しくて皆の人気者だった。普通に生きていたら一生関わることはないような相手だったけれど、親同士が仲が良くてその付き合いで一緒に居た相手。だからこそ私はきっと惹かれていた。友達を越えた親友として。それは奇跡みたいにあやふやで歪な関係だった。

 何が有っても、誰を失っても、最後まで私と一緒に居てくれた人。

 恋人になりたいとかは無くて、ただ彼女の一番で居れればそれだけで良くて、それをずっと叶っていたはずだった。

それで良い、そう思えてた。

 彼さえ居なければ。

灯に出来た恋人の存在が私の押し殺してた気持ちに色をつけた。

ずっと友達で居たいと思えていたのに。


こんな死にたくなるような罪悪感すら知らないままでいれたのに。

 名前すら知らない誰かが恨めしい。けれどきっと彼だからこそ灯を笑顔に出来ることもあって、それが分かっているから彼をどうにかしようとは思わない。けれど灯を殺すなんてことはもっとありえなくて、私はどうしようもない気持ちを押し殺してた。

 それから私は灯と距離を取るようになった。親友からただの知人に。彼女自身も彼との恋愛に夢中で私との時間を減らしていたし、そうやって少しずつ少しずつ距離が開いていって今では私たちはただの同級生だ。それでも彼女自身は幸せそうで周りから聞こえるのは彼女の恋愛の成功の賞賛と私という束縛から解放された彼女への祝福の言葉だった。


 それらの声が嫌で嫌で耳を塞いで一人で思い出だけを頼りに、一人きりの日々を生きていた。

 けれどそれが終わるのも一瞬で、私はついに見てしまった。

 彼女が彼と幸せそうに手を繋いで歩いているところを。


 前まではそこに居たのは私だったのに。


 勿論、そんなのはただの八つ当たりでしかなくて、だからこそ何をするわけでもなくてただただ逃げ出した。帰り道で買った安っぽい傘を投げ捨てて土砂降りの中、ただただ走っていた。

 走りつかれて足を止めるとそこは子供のときに彼女とよく遊んでいた公園だった。

 最近は危険防止のためとか言って多くの公園から遊具が消えているけれど、その公園は嫌になるくらいに変わっていなかった。

 それが無性に悲しく思えたけれど、どうしようもなかったから何も見ない振りだけして通りすぎた。

 そして帰って、その日からずっと同じ夢を見ている。


 私が死んでしまう夢を。


 回想を終えてノートを閉じる。最初は夢の内容を書いてたけど結局は同じ内容だからもう書いてない。だから見たことだけ書いてすぐに閉じる。夢の回数を―――死んだ回数をひたすらに積み重ねているだけのノート。

 それはびっくりするぐらいに不吉で、不毛だ。けれどそれ以上にそんなものに酔いしれている私はもっと最悪で、けれど私にはそれしか出来ることが無かった。

 黒く黒くノートに線が引かれていてどんどん穢れていく。

 自分の死で「正」を積み重ねていく私が余りに滑稽だ。

 そのノートを棚の中に仕舞って立ち上がる。LINEを開いて随分と長いこと動いていないトーク画面に進む。

 そこには確かにあの頃にしていた会話が有って、それを眺めながらなんだかなあって気分になる。そんな自分から逃げるように画面を閉じる。

 あんなにキラキラしていたのに、いやきっと輝いていたからこそもうそれを見ることは出来なくて虚しくなってしまう。

 私の彼女に対する想いがその程度だったのか、と。

 そういうモノだったのか?と思い悩んでしまってどうしようもなくて、だったら全部消してしまえば良いのにそれすら出来なくてそんな自分が嫌いで大好きだ。

 ぐだって机に突っ伏してボーっとする。手元のリモコンで照明を落として、スマホから音楽を流す。新しく知った曲も、昔に聞いていた曲もランダムに流れてきてその度に感情が揺れる。

 そんな自分に酔っているだけの時間。多分、これが現実の私にとってのリスカと言うか自傷のようなモノだ。

 ……疲れたな。


 そうしているとカーテンから陽の光が差し込んできた。

 朝だ。結局、まともに寝れなくて頭が痛んでいる。

 体を伸ばすとバキバキ音を立てる。

 そして雑に準備だけして私は家を出る。誰にも会いたくなくて朝早くに学校に向かう。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「おはよう」

 家を出ると声をかけられた。それは随分と久々に聞く灯の声だった。

「おはよう。久しぶり」

 そんな風に声を返したけれどその声は何処か空虚に響いた。それでも返せた。そのことに安堵する。

「確かにこうしてみると久し振りだよね」

「ずっと彼と一緒に居たからね。灯は。彼と一緒に登校しなくて良いの?」

「まあ

ね。それにずっと彼と一緒に居るばっかりって事でも無かったからね。他の子とも一緒に行動してたよ」

「それもそうか。でも結局、聞きたいこととしては変わらないけど。なんでわざわざこんな時間に居るの」

「久々に話がしたかったんだよ」

 そう言って笑った。半年以上も話さなかったくせに話したいからなんて身勝手な理由で話しかけてきたことに対する不満も有ったのにその笑顔を見るだけでそんなものが溶けていく。ああ、そっか。そう言う事か。なんて風に分かってしまう。

「今までずっと話してこなかったのにね」

「そんな風に言わないでよ。そもそも君が私の事を避けていたんでしょ?」

 そう言われると何も返せなかった。避けていたのは事実だから。

「自分から話しかけない癖に話しかけなかったからキレるなんて身勝手じゃない?」

 そんな風に言葉を重ねてきた。別に元から私から話しかけたことなんて少なかったのに。それなのに平然とそう言った彼女に少しゾッとした。そんなことすら覚えていないぐらいに私との日々が彼女にとっては薄っぺらいものだったのかもしれないって恐怖が襲ってきた。

 言われるまで、私にはそんな考えはなくて彼女が私に話しかけてくるのが当たり前だと思っていたから。周りの人が何て言おうが、周りの人に何て言ってようが心の底ではきっと私は彼女にとっての特別で、親友なんだと当たり前のように思っていた。


 けれどそんなのは思い込みなのかもしれない。

深読みしてる自覚と止まらない思考による焦燥で私が満ちていく。

 私が彼女と言葉を交わすと言う事は結局の所、こういうことだ。勝手に言葉の裏を読んで動揺して、裏切られた気分になって死にたくなる。それが分かっていたから私は彼女を避けていた。彼女が私をトップに置いていると明確に示せていた時期ならここまでは酷くなかったのに。

違うかもしれないと言うことを知るのが恐かったから避けていた。

結局、夢から覚めるのがひどく怖かっただけだ。


「元からそんなんだったでしょ?」

「そうだったっけ?別に意識してなかったよ」

「そっか」

「どうでもいいでしょ。そんなこと」

「それもそうだね」

 私は言葉で仮面をつけた。どうでも良い事でしょ?貴女にとっては。だったら私にとってもそうじゃなくちゃね。そんなこと出来ないから苦しいのだけど。こんなに惨めでも、それでも貴女と居れる時間が愛おしくて離せないからそうやって誤魔化す。

 本当にバカだ。

 手を繋ごうとしてでも出来なかったから手を戻して強く握る。彼女の手はもう私のモノでは無い。そんなことは分かってるし知っている。それでも伸ばしかけたのはきっと……。

「私さ、幸せなんだよ。今が」

 そんな私に彼女は言う。そう言う彼女の横顔が本当に綺麗で私は何も言えなくなる。

「おめでとう」

 それでも勝手に口が動いた。そんなこと言いたくなかったのにそれでも言えてしまう自分が恨めしい。貴女が幸せならそこに私が居なくても良い、なんて風に全く思えないような私なのに。それでもそう言えなくちゃ私はきっとあなたの傍に居られない。それも事実だ。

「好きな人が居て、色々な人と話が出来て新しモノが知れて、楽しいことが出来て退屈から遠い所に居る。こんな今が」

「そっか。まあ、確かに君の世界は広がったよね」

「うん」

 皮肉めいた言葉になったかもしれないと自己嫌悪に陥りそうなセリフですら彼女を揺らすことは出来なくてこういう所でもきっと彼女と私は繋がれていないのだと思う。


 そこからは何も話さないで二人で歩いた。

 懐かしい距離感で、懐かしい香りを感じていた。

 一瞬だけの、いつも通り。

 何一つ言葉に出来ないままに終わる。

 学校に辿り着いた。上履きに履き替える。

「じゃあね」

 それだけ言って私は教室に向かう。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 彼女と別れた後、私は屋上にいた。授業を受ける気にならなくてサボった。

 空を見上げると透明な青だった。力強く輝く太陽が余りにも眩しくて思わず目を逸らす。逸らした先にあるのは町の景色だった。夏の日差しに照らされた町はキラキラ輝いていて思わず息を零した。

 チャイムが鳴る。

 むなしく鳴り響く鐘の音を聞きながら町を眺めている。

「綺麗だよね」

 そうしていたら声をかけられた。

「なんの用ですか先生」

「連れないね。私は先生だよ生徒に話しかけるのに理由なんて要らないだろう?」

 そう言って現れた女性は保険の先生である家熊言葉だ。

 私の夢について相談していて、その関係で他の人よりはよく話をしていた。私が授業をさぼった時は大抵、屋上にいる。これは家熊先生も知っていることだ。多分、担任が彼女に連絡を取ったのだろう。そして私が居るかもしれない場所ということでここに来た、のだと思う。そういうことは前にも有った。

「まあ、君のサボりはこっちで適当に合わせておいたよ」

「そうですかありがとうございます。身代わり役はいつもの彼女ですか?」

「まあ、そんなところ。いつも通りの手筈だね」

「いつもって程じゃないでしょ」

「それを君が言うな」

「それもそうですね」

 そう言って笑う。保健室には普段は先生と保健室登校のエリート、闇凪栞の二人がいる。彼女たちは生徒と教師で有りながらそういう関係らしい。最近は女同士でうんぬんなんてのは減ったらしいけれど教師と生徒でって言うのは今でも厳しいと思う。

けれど二人は幸せそうで、そんな二人を見るのは私の幸せだった。けれどそれは同時に恋人のイチャイチャを見せられているということで少しだけ胃が痛くなる。灯もきっと彼氏とこんな感じなんだろうなって思って。

「何か有った?」

「……灯と話をしたんですよ」

「あぁ、成る程ね。何でわざわざそんな事を?それは辞めた方が良いって言ったよね」

「……それは彼女が通学路で待ってたから」

「違うね。それは彼女と話す理由にはなっても避けなかった理由にはならない」

力強く彼女は言った。言い訳するな、とその視線で強く訴えている。

「厳しいんですね。もっと優しいかと思ってたんですけど」

だけど私ははぐらかす。素直に言うのが嫌だったから。

「当たり前でしょ。彼女と話をしたらそうなるのは目に見えてたし、だから絶対に話すなって言ってたの。それを破ったお前に優しくは出来ない」

 強い口調とは裏腹に気だるげに言った。けれどその態度が逆に彼女の本気を示しているように思えた。

「……ゴメンなさい」

「っだから。はぁ……。しょうがないか」

 それでも謝ることしかしない私に苛立ったかのように彼女は頭をかきながら言ってため息をついた。私は黙ってそれを眺めていることしか出来ない。

「……それで。日向さんと話をして何か分かった?」

 一転、優しげな声で尋ねられる。

「何かって?」

「答え、だよ。君にとって日向灯は何なのか?私が初めて君に会ったときに聞いた問いの答え」

「……そんなの分から」

「分かってるでしょ?だからここに来たんだ君は。彼女と話をして、彼女と居る時間にまた触れて、その結果としてここに居る。全てを投げ出せるこの場所に」

「何を言って……」

「私はね。終わらせるべきだと思ってる。君が思ってる以上に君はギリギリだ。だから距離を取っておいた方が良いって思ってた。けれどまた関わったならもう見逃せない。これ以上はもうダメだ」

「……」

「もう分かってるでしょ?目を逸らしているだけだよ君は。誰が見たって君にとって日向灯は」

「五月蝿い!五月蝿いんだよ!そんなの最初から知ってたよ。分かってた。だけど、もうどうしようもないじゃん。手遅れだったんだよ。何もかも。最初っから無理だったけど!元々許されてなかったけれど!それが錯覚だって、この想いを肯定できるようになった時には、もう……」

「でも、それは」

「辞めてくださいよ。そんなの何の慰めにもならないじゃないですか」

「……そうだね。確かに何もかもが遅すぎた。もっと早く私達に君が会ってたら君は動けたのかもしれない。けれど、そもそも私達が出会えたのは君が手遅れだったからだ。だから、君は本当にもうどうしようもなかったんだね」

 そして彼女は私を抱き締めて、頭を撫でてくれた。彼女の温かさと柔らかさに涙が溢れてきた。心に溜まってたものが次々と流れ落ちていく。ドロドロに煮えたぎっていた情念が透明な涙に溶けていた。言葉にして、誰かにぶつけてそれだけで私は救われた。

 そんな簡単な自分が可笑しくて、だけど振り切れた気分である今はとても幸せだ。


結局、私はもう失恋していて、禁じられた想いは叶うことなんて有り得ないんだってようやく認められた。


 散々泣いて、泣いて、泣いて、全部流しきって見上げると世界が綺麗に見えた。

 透明で、真っ直ぐな輝きに包まれている。

「……ねぇ、先生。この世界ってこんなに綺麗だったんだね」

「そうだよ。この世界は綺麗だ。ね?失恋の一つや二つなんてこの世界の前じゃ些細な事だと思わない?」

「いや、それは無い」

 真顔でそう答えると彼女はキョトンとして、そして笑った。その笑い声につられて私も笑った。

「大丈夫だよ。君がその痛みを過去のものに出来るまで見ててあげるから」

 そう言う彼女はとても優しい笑顔だった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 放課後に裏門で私は一人、門に寄りかかっていた。あんなに青かった空は夕陽に照らされて鮮やかな橙に染まっていた。柔らかくて温かい光は見ていて心が安らぐ。優しい光だった。

「おまたせ」

 そうして待っていると灯がやってきた。

「そんなに待ってないよ」

「そう?だったら良かった」

 そう言ってはにかむように笑った。

「……なんか良いこと有った?」

 彼女は少し不思議そうに尋ねてきた。

「何で?」

「いや、なんか表情が明るい、と言うか少し晴れ晴れとしてるような気がするから」

 戸惑いがちに言われて嬉しくなる。うん、間違いない。私は灯のことが好きだ。それを受け入れた私には素直にそれが嬉しくなる。にやけそうになる顔を無理矢理引き締めて答える。

「うん。ちょっとね」

 そう言うと追求を諦めたのかあっさりふーんとだけ言って言及を辞めた。

 実際に続けられたら困るのに辞められるとそれはそれで嫌だった。そんな私が身勝手だなって思えて笑えてくる。

「それで、何の用?」

「別に。ただ、灯と少しだけ話がしたかっただけ」

「何それ?恋人みたい」

「友達だったら普通でしょ?」

「そうかな?」

「そうだよ」

「だったらそう言うことにしといてあげる」

「何様だよお前は」

「私様だよ。当たり前でしょ?」

「そう言う所、灯っぽい」

「どういう意味なの」

「どうもなにもそう言う意味としか……」

「おい!」

 そう言って馬鹿みたいな話をしてる。元通りになれた感じで楽しい。

 こんな感じの会話を続ける。それだけで私は幸せなんだから、振り切るってのは本当にスゴい。現実は何も変わってないのに素直に幸せだって思える。

 灯、君との時間は例え私が貴女の一番じゃなかったとしてもいとおしい。

 手を差し出した。それを見た彼女は軽く微笑んで私の手を握り返した。

 柔らかくて温かい感触がただただ嬉しかった。


「あのさ。今日、親が居ないんだよね。うちに来ない?」

 わたしの家が見えてきた時、灯がそう言った。

 私はそれに迷うことなく頷いた。今まで会えなかった分を埋めるように彼女の傍にな居ることを私が欲していたから。欲望に任せて頷いたけれどその癖ちょっと躊躇いを覚えた。いくらなんでもいきなりお泊りは少しだけ気が引けた。

頷く時に迷いは無くても頷いた後にはちょっと後悔してしまう。後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。

ただバカなだけとも言えるけど。

 けれど答えてしまったのを取り消すことも出来ないので彼女に着いていく。

 そのまま道を歩いて彼女の家に向かう。彼女の家に着くと鍵を取り出して差し込んだ。

ガチャリと音が聞こえて扉が開く。鍵が外れる音はこの家に私達が二人きりであることをひどく意識させられて緊張する。形式だけとは言え友達どうしなんだから別にそう言うことをするわけでもないのに。

 久々に来たこの家は懐かしかった。家の香り、玄関の明るさ、少しだけ色の付いた照明。その全てが昔と変わってなくてそのことに安心感を覚えた。

「私の部屋に居て」

 それだけ言って彼女はキッチンへと向かった。

 私は覚えている通りの道をたどって彼女の部屋に向かった。

 その後、ラフな格好に着替えた彼女と彼女が入れてくれた紅茶を飲みながら下らないことを話し続けた。


 すっかり時間が経って気づけば陽は落ち切って真っ暗になっていた。

 じゃあ、風呂に入ってくるねとだけ言って彼女は部屋を出ていった。この時にようやく私は気が付いた。あ、そう言う事じゃん、と。お泊りをするってことは風呂上がりのと時間を過ごすことであり、私も彼女の家で風呂に入ることだと言う事を。それを完全に忘れていた私はシンプルにバカなのでは?と思うけれど今更、彼女の家から出ていくわけにはいかなくてどうしようと頭を抱える。

 一端、落ち着こうと深呼吸をするけれど思いっきり息を吸うと今までほんのりとしか感じなかった彼女の香りが思いっきり意識されて混乱がさらに加速される。頭の中が湯だったように熱くなってあーもー、くそっとどうしようもなくなる。

 着替えも持ってきてないから彼女のを使うってことでもあって、あ、これ、もうダメだってなった。

 そうやって悶々としていると風呂から上がった灯が部屋にやってきた。しっとりと濡れた髪とシンプルなシャツと短パンから覗く少し火照った素肌が目に毒だった。風呂上りの好きな人の破壊力は本当にヤバい。存在だけで私の正気をゴリゴリと削って来る。見たい思いと見過ぎると正気がやられそうな不安の間で呆然と見続けている。視線を切りたいのにキレなくて引力が強すぎるぜ、とか言ってみる。うん、完璧に思考回路がバグっている。

 ほら、早く入ってきなよ、と言われてあ、はい。なんて風にきょどりながら答える。着替えとかは置いてあるから、そう言われてはーいと答えた。

 そして風呂に入るけれどここからは余りにアレなので自主規制。

 風呂から上がって彼女の部屋に戻った。

 クーラーがガンガンにかかっていた。環境に悪いなって思いつつも涼しくて癒された。そんな部屋でベットの上に転がりながらテレビを見ていた。

「何の番組、見てるの?」

「テレビじゃなくて動画だよ」

 そう言ってスマホを見せてきた。スマホとテレビを繋げてテレビで動画を見るなんてシステムが有ったなって思い出す。そこでは頭の軽そうな人たちが楽しそうに遊んでいた。大学生配信者で有名な人達で私としては少し苦手だった人達だ。

「これ、好きなの?」

「別に好きって訳じゃないんだけどね。アイツが面白いって言ってたから」

 つまらなそうに画面を眺めながら言った。灯の生活の中に彼女の彼氏の影が有る。当たり前の事実は私の浮かれていた心を覚ますのに充分すぎる現実だった。

「でも、これやっぱ私は余り好きじゃないなあ」

 そう言ってテレビの電源を落とした。なんと言うかそんなことで嬉しいと思ってしまう私が居て、そんな醜さが嫌だった。

「ま、隣に来なよ」

 そう言って彼女はベッドを叩いた。躊躇いを感じていたけれどいつも通りのことだと自分に言い聞かせて彼女の隣に座った。

 そんな私に寝っ転がれば良いのに、と苦笑したけれどそれ以上は何も言わずに口を閉じた。くるっと転がって仰向けになってぐっと体を伸ばす。するとシャツがぐっと持ち上がってお腹が見えた。真っ白な肌が眩して目を逸らすと薄いシャツを持ち上げる二つの膨らみが見えてもっと目を逸らした。

 くるくると頭を回す私は可笑しかったのか彼女はそんな私を見てクスクス笑った。

 

ご飯を食べて、明日の課題を終わらせて、話をしていた。

誰の授業が分かりやすいとか、新しく出来たタピオカ屋が美味しいとか、そんな下らないこと。

けれど夜も大分深まってきていてのでそろそろ寝よっか、そう言って彼女は枕元に有るリモコンを手に取ってボタンを押した。すると照明がすうっと絞られて一気に暗くなる。このくらいで大丈夫?それとも完全に消す?と聞かれる。

「これで良いよ」

私がそう答えると直ぐ様に「そう。じゃ、おやすみ」

 そう言って彼女は目を閉じた。彼女の寝息が聞こえる。私はドキドキで全く寝れないと言うのに気楽だなって苦笑いする。信頼と言うか、それ以前にそんなことを考える対象ですらないと思われているんだろうけれど。そう思うと少しだけ胸が痛む。

 割りきれた振りをしてもやっぱり無理だなって呆れる。それでも少しだけ気が楽になっている気がして、それは私にとって確かに救いだった。

 彼女から目を話して反対側を向く。背中越しに感じる彼女は興奮よりも安らぎを与えてくれるみたいで大分落ち着いてきた。

 ゆっくりとふわふわと意識が緩んできてようやく寝れそうだなって思った。明日と言うか今日が休みだったら良かったのに、と思うくらいには長い間起きていたけれど。

 意識が曖昧になっていてようやく眠りかけた時に声がした。

「……大好きだよ美夜」

 呼ばれたのは私の名前だった。

 その声に一瞬で眠気が取れて頭の中が彼女に満たされる。それだけ彼女の寝ている時の蕩けた声は魅力的だった。

 バッと振り返って彼女の方に体を向ける。気持ち良さそうな寝顔はとても綺麗で触れることすら躊躇ってしまうほどに儚げだった。

「……ね え ……君…は…?」

 途切れ途切れに聞こえる無垢な声に私の心は吸い寄せられる。

あぁ、もうダメだ。

その声に私の心は囚われてグズグズに溶かされる。

諦めたはずなのに、捨てられたはずなのに、失うことで赦されたはずなのにまた手を伸ばしてしまう。

失恋を取り戻してしまう。

理性と言うブレーキが壊れた状態で。


「好きだよ」

 そう呟いて私は彼女にキスをした。

 それが私のリミッターを壊した。甘く優しく濡れた音は破滅の音だった。

柔らかなその感触はひどく甘美で幸せになってしまう。だから、その先ももっと、もっとと欲望のままに触れたくなって、けれど彼女の服に触れたその瞬間に彼女が目を覚ました。

彼女の視線と私の視線が交わる。

少しの沈黙が二人の間に流れた。

「ゴメン」

 それに耐えきれなかった私は一言だけ言い残してベットから抜け出した。

 そのまま借りてたパジャマを脱ぎ捨てて制服に着替えた。そうして家を飛び出てがむしゃらに走って肌寒さを感じる朝の街を走った。


 もう、全部、なにもかもが繋がった。

燃えるような欲情と痛いぐらいの朝の冷気が私の頭を皮肉なくらいに活性化させて理解させてくる。

私が見続けていた夢の意味。

 いつも通りに鍵が空いている家の扉を押し開いた。こんな朝早くから私の親はどこに居るのだろう?そんなことは考えるまでもなく明白で、そんな私達の現実に吐き気を催す。

 それでも灯の声の残響が込み上げてきて体が震える。そんなぐちゃぐちゃの心で私は台所に向かう。

 そこに置いてある包丁を手に持った。そのままふらふらと風呂場に向かった。

 このままだったらきっといつか私は灯を犯す。彼女への想いを捨てる前に私が耐えきれなくなって灯を犯す。

 他の誰でもない、私が私を信じられない。

 だから、これでお仕舞い。

 取り返しのつかなくなった後じゃなくてその前に引導を自身に渡す。

 本当に最っ底で最悪の答えだけど、私が彼女を守るにはこれしかないから、これを選ぶ。


 さよなら。


 私は包丁で私の腕を切り裂いた。




 ピチョン

 ピチョン

  ピチョン

  ピチョン

  ピチョン

  ピチョン

 ピチョン

 ピチョン

 ピチョン

  ピチョン

  ピチョン

  ピチョン

 ピチョン

  ピチョン

  ピチョン

 

 …………………ピチョン



 音が流れる。

 何かが落ちる音。

 命が、熱が、赤が、心が。

 落ちていく。

 抜けていく。

 零れてく。

 私を構成するものが私から離れて綺麗な花を咲かせる。

 あんなに私の中で暴れ狂って、私を焼き焦がしていたものがこんなに鮮やかに世界に残るのなら、私の人生も捨てたモノじゃない。

 そう思える。

 痛みは有るけれどそれ以上に咲き誇る花の美しさに見惚れる気持ちが強い。

 けれどそれを眺めてる力も私には残っていなくて、世界が闇に包まれていく。

 べちゃり。

 光も音も無い世界で私が最後に感じたのは生ぬるい何かに倒れこんだ感触だけだった。


 今度の夢はもう目覚めることは無い。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 そして彼女の人生は終わりを告げた。

 私は日向灯。

 どこにでもいる普通の女子高生だ。ただしどこにでも居るからと言って何の物語を背負っていないわけではないけれど。

 線香をあげる度に私は思う。と言っても立派なことじゃないけれど。

 彼女には、いや、私達には立派な墓を建ててくれる人なんて居ないから。彼女が眠っているのは私が適当に作ったショボい墓でしかないけれどそこはご容赦頂きたいモノだ。と言っても彼女はもう死んでしまっているのだから誰にも文句は言われないのだけれど。

 私だって最初から全部知っていた。彼女が——美夜が私を愛情と呼べる想いを抱えていたこと、そしてそれに罪悪感を抱いていたことを。

 だって私達は親友で、女同士でそして何より――。

 思考に耽っているとじゃりっと砂利が擦れる音がした。


「日向美夜の墓はここかな?」


 そんな風に言いながら一人の男がやってきた。

「そうだけど。今更、何をしにきたの?お父さん」

「何をって、可愛い娘の墓参りだよ」

 男はあっさりと言う。それに対して思いっきり咬み合わせた歯が音を立てた。

「ふざけんな」

 私は彼に吐き捨てた。

「ママがしっかり育ててくれていると思ってたんだよ」

飄々と彼が言った。そこに疑問なんて無いかのように。

「ご生憎様。美夜の母は母と遊び歩いていたよ」

「すっかり仲良くなったんだな。アイツら」

 おかしそうに笑ったその男が憎くて殺してやりたくなった。

「ふざけるな。あの二人はそうするしかなかったんだよ。お前が捨てたから」

「重い女どもだ」

「お前が軽いだけでしょ気持ち悪い」

「どいつもこいつも恋愛を神聖視しすぎなんだよ。バッカみてぇ。もっとシンプルにやりてぇかどうかで判断するぐらいで丁度良いんだよ」

「黙れよクズ。お前のその節操無しのせいでこんなことになったんだから」

それを聞くと彼は薄く笑って訪ねてきた。

「異母姉妹同士の恋愛、ねぇ。アイツはそれを知っていたのか?」

「最初からお互い知ってたよ。美夜の母と私の母はお前に捨てられた者同士で、私達はお前の子供であって血の繋がった姉妹だって。そうやって出会わされたんだから」

「かー、因果なモノだねえ。運が良かったのか悪かったのか」

「最悪に決まってるだろ。馬鹿かお前は。お前がそんなふざけたノリで私達を産んだからこんなことになったんだよ」

「それもそうか」

 それだけ言ってため息をついた。私もアイツも。

「ま、ここに居てもしょうがないし?花も供えられたし俺は帰るわ」

 そう言って彼はこの場所から立ち去った。相変わらずの身勝手さにうんざりする。

 それなのに供えられた花は綺麗でそれがまたむかついた。

 そう、私と美夜はあのクズとクズに魅了された女達の下に産まれた姉妹だ。半分だけ同じ血を持っている。

 お互いの母は母同士で依存することでアイツに捨てられた傷を舐め合っていた。どうせなら娘にその依存を少しでも愛情として与えてあげれば良いのに、と思うけれどそんなまともなことが出来るような人ならあんなクズに騙されたりはしないかと諦めていた。


そんな家庭で産まれて家族に愛されなかった私はそれでも誰かの愛を得るために道化を演じていた。けれど同じ境遇である美夜と一緒に居る時は自由に振舞えた。同じ境遇の彼女はどんな私でも受け入れてくれると信じていたから。

私だってその関係性に甘えていたんだから結局、私には母達を蔑む権利なんて無いのだろう。そう思う。だからって何かが変わる訳でも無いけれど。無意味なことだ。


 そんな訳で私は彼女が私への恋慕で苦しんでいるのを知っていた。

だから彼女がその苦しみから離れる方法として彼氏を作った。単純に彼女が私への恋心を捨てる理由を作れればそれで良かった。きっと美夜にとって私への想いはそれ自体が毒だから。

 私としては彼女の心を受け入れられるけれどそれすら彼女には苦しみになるから。

 狙いは成功していたのかは分からないけれど、結果として私達は距離を取るようになった。ここまでは計算通りだった。


 けれど彼女の居ない欠落に私は耐えられなくて彼女を誘ってしまった。

本当に弱いのは私だったってわけだ。


 そのまま私と一緒に堕ちてくれれば良かったのに、彼女は堕ちきれなくて最後に羽ばたいた。

 だから私の選んだ道は間違いだったってことだ。


 だから、コレは私への罰なのだろう。

 美夜のために見知らぬ他人を利用した私への罰だ。

 

本当に大切なものを失う結末が。


 風が吹いた。夏の香りがして心地よかった。

 花束が揺れた。その中からカタカタと堅い何かが擦れる音が聞こえた。

 花束を慎重にかき分けるとそこには黒くていかつい、いかにもなモノが置いてあって流石に笑った。

 あのクズ、最後の最後にこんなモノを置いていきやがった。

 それを握るとずっしりとした重みを感じた。本物なんて始めて触れるけれどなんとなく、コレには人を殺すだけの質量が有ると感じた。

 片手でよく映画みたいにテレビみたいにこめかみに押し付けた。

 安全装置を外す。

 カキンと音がした。

 後は引き金を引くだけだ。

「おやおや。随分とぶっそうなモノを持っているじゃないか」

 いざ、引き金を引こうとするとそんな声が聞こえた。

「……貴女は?」

「私かい?私は家熊言葉だ。日向美夜のカウンセラーと言えば分かるかい?と言うか君達の保険の先生でしょう?」

「そうでしたっけ?どうでも良くて忘れましたよ。けれど、ああ、貴女が。美夜に会いに来たんですか?」

「そんな所だよ。まさか死ぬとはね」

 皮肉気に笑った。

「その割に余り驚いてなさそうですけどね」

「うん、まあ、有り得るかな、とは思っていたから」

「そうなんですか?あの日、学校での彼女は憑き物が落ちたようなような表情をしていてそう言うのからかけ離れた所にいたように見えましたけれど。多分、貴女のおかげで」

 そう言うと彼女は笑みを消した。

「あんなの本当は第一段階でしか無いのだけどね。けれども何も無ければそれで問題なかったはずなんだ」

「……そうですね。何もなければ、ね」

「キミでしょ?彼女を壊したのは。彼女を壊せるのは君しかいないんだから。私達じゃ日向美夜を壊せも救えもしない。出来たとしても君に一瞬で覆させられる。バカげた話だよ」

呆れたように彼女は言った。そんなのは当たり前の話だ。

「結局、美夜はそう言う人だったって話ですよ」

私の言葉に彼女は首を振る。

「彼女は変わりかかかっていたんだよ。もう少しでそんな彼女から脱却出来ていた。けれどそれを君は許せなかったんだろう?」

「何の話ですか?」

「さあね?私は何も知らないよ。けれど君が彼女を殺したって事だけは分かってる。彼女の心を壊すと言う形でね。大方、誘惑でもしたんだろう?それに美夜は負けてそれが許せなくて罪悪感で自殺した。そんなところだろ?」

「まるで見たように言うんですね」

「他に考えられないだけだよ」

「そうですか。でも貴女の想像にお任せしますよ。私が何を言ってもしょうがないですし」

「あっそ。で?それで彼女の後を追うつもりなの?」

「どうしたいんでしょうね?生きるべきだってのは分かるんですけど私としては死んでしまいたいんですよ。少なくても貴女が来なかったら引き金を引いていました」

「それじゃ、私は邪魔をしたのかな?」

「どうなんでしょうね?」

言葉が止まる。

 余りにも中身の無い会話だ。グダグダとくだらないことばかり話してる。

 もういい加減、終わらせるべきだろう。

 私は笑った。


 BANG!!


 大きな音が鳴り響いた。

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