ディストピア前夜

@kuronekoya

真夜中に兄から電話がかかってきて

 私は兄の目を見て答えることができなかった。


「1,000万、貸してもらえないか?」



 兄のひとり息子が交通事故に遭った。

 加害者は掛け金の安さだけが取り柄の、評判の悪い保険にしか入っておらず満足な治療費を払うことはできなかった。

 もちろん裁判で支払い命令を出させることはできるだろう。だが、相手にそれを支払える収入がなければ懲役期間が延びるだけ。こちらは逆恨みされるだけだ。


 運の悪いことに、甥はその事故で内臓に致命的な損傷を受けた。

 怪我が治った後も生涯通院する必要があり、投薬や人工臓器のメンテナンスなどで毎年1,000万円くらいずつかかり続ける。


「任期付きの研究員じゃ、お前の言う新保険の保険料なんか払えないよ」


 国の制度改革が行われる前の正月に飲んだ時、「新制度対応の保険に入れ」と口を酸っぱくして言う私に、苦笑いしながら兄はそう答えた。


「病気になったり怪我をしたりしたら、それはその時。寿命が来たって思うことにするよ」


 そう言った兄は、あの事故の加害者と五十歩百歩の保険にしか入らなかったのだ。

 いや、入れなかったのだ――そんな保険にしか。

 私は、自分自身はもちろん妻子にも、私が掛金を払って「新制度対応保険」に加入させた。


 事故に遭ったのが私の娘だったとしたら、費用の心配などすることなく、最高の治療を受けさせることができただろう。

 だが、最低限のカバーしかしていない兄の入っていた保険では、見舞金程度の一時金と、今後は月々の掛け金と大して変わらない額の保険金が支払われるだけだ。


 治療費の1,000万円くらい工面はしてやれる。

 だが、その後の一生続いていく治療費はどうする? 10年続けば1億円、高級官僚たる私でもそこまでの援助は無理だ。

 わずかばかりの年金と私からの援助で暮らしている両親は言わずもがなだ。


 私たち若手官僚が主導した制度改革。

 雇用や各種規制を緩和し、人材の流動化を促す。

 医療、介護・福祉、自動車事故や損害保険の自由度を上げる。

 家族や親族の扶養義務と、逆に家族単位での税制控除もなくした個人主義。

 小さな政府を目指し、あらゆる分野で国の関与を少なくし、民間の競争原理を最大限活かすこと。

 少子高齢化社会に突入したにも関わらず国債の償還が嵩み、身動きの取れなくなったこの国では唯一取り得るオプションだったはずだ。


 しかし、その結果はどうだ?

 終身雇用制はなくなり、安定した収入が見込める者とそうでない者とに社会は二分した。

 こうして新制度対応の保険に入っていない者が事故に遭ったり大病を患えば、家族はその人を切り捨てるか、そのカネを捻出するために一族郎党路頭に迷うしかない。


 甥の事故の加害者も、賠償金も満足に払い終えないまま借金を重ねて自己破産するか、悪事に手を染めるしかないだろう。もしかしたら人生に悲観して自殺や一家心中をするかもしれない。

 だからといって、それで甥の治療費が賄えるわけではない。不幸な人が増えるだけの話だ。



「治療費の1,000万は出させてもらおう。返す必要はない、兄弟じゃないか。だが……、その後の治療費までは無理だ」


 私は兄の目を見て答えることができなかった。


 翌日、兄は息子の生命維持装置を外す同意書にサインして、妻とともに命を絶った。

 後日弁護士から、加害者一家が行方不明になったと聞いた。



 死んで身辺整理する者などまだ行儀がいい方だろう。

 夜逃げのようにして闇社会に身を隠す者も増えるだろう。くだんの加害者一家もそうかもしれない。


 保険だけではなく、今後は警護サービス加入も検討した方がいいかもしれない。

 私だけではなく、もちろん妻子にも。


 fin

 

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