解題

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                                  夢野久作


 父の遺品を整理していたら、この原稿が出てきたからビックリした。

 晩年父は執筆家としても活動し、智力体力のおもむくまま偉人伝や講釈書を仕上げては、せっせと世に送り出していた。

 しかるに小説『月水療法譚』は、なぜ発表しなかったのか――。

 グングン読み進めていくうちに、理由がわかってきた。

 法螺丸と呼ばれた父だが、この作品は根本親子の因縁話を記録する目的のため、小説という形式をとりつつも、登場人物を実名で出すなぞドン底まで事実に忠実に書いている。

しかしゾルゲ氏がコミンテルンの一員であることは、日本、支那は勿論、独逸でも知られていない。

 この作品によって露見することを望まなかったと思われる。

 父は生前ゾルゲ氏に就いてコンナ事を云っていた。

「あれは財を軽んじ義を重んじる、毛唐にしては珍しく覚悟の出来た男じゃい」

 思想は別でも、大義のために身を捧げる氏の姿に、若き日の自分を重ねたのだろう。

 因に氏の正体を疑った人々はすでにこの世にいない。

 小野長盛陸軍中佐をはじめ、和田勝利陸軍特務少尉、星五平海軍特務少尉、更には根本親子の逮捕に関わった領事館警察官全員及び満鉄社員だった尾崎周明氏までもが四年前の上海戦で徴兵され戦死を遂げた。

 父がどさくさにまぎれて始末したのではないかと私は疑っている。

 朝野の巨頭連を操り、日清日露の両戦役を裏で動かした父の事である。

 根本親子の仇であり、国賊でもある彼らを生かしては日本のためにならぬと考え、手段を選まなかった・・・・・・。

 ただ一人、例外がある。

 団隼人氏だ。

 彼は上海戦に徴兵されることなく、昭和七(一九三二)年三月、帰国を果している。

 ゾルゲ氏を逮捕しようとさえした氏が、なぜ父の魔手を逃れ得たのか――。

 その答えを解く鍵は、彼の死にある。

 今年昭和十一年二月、団隼人氏は熊野で遺体となって発見された。

 那智勝浦の沿岸に流れついた小舟に座した状態で凍死していた。雪の中、小舟で海に乗りだしたものとみられる。痩せこけた体に袈裟をはりつかせ、阿字の印を結んでいた。氏は帰国後職を辞して出家し、ここ一年ほどは熊野の山にこもっていたという。

 イッタイ彼はなぜ陽隆ソックリの最期を迎えたのか――。

 団氏と陽隆に血のつながりはない。だがしかし彼は陽隆が文芳に惚れたように、文芳の子孫である根本文子氏に惚れていた。

 私は根本文子氏に会ったことはない。私がデビューした前年『新青年』に発表された『実験魔術医』の作者が彼女と知って以来、親近感は覚えていた。その根本文子氏も父によれば、団氏に惚れていた。

 二人は互いに恋を感じつつも、打ち明けることなく落命した。

 陽隆や文芳とちがって、二人にはそれぞれの跡を継ぐ子もない。

 だが髑髏がある。

 陽隆の子孫・小野長盛氏は密教の一派である立川流を喫茶療法ではなく、文芳の月水療法と結びつけた。髑髏にまぶされた秘薬には文芳の経血が含まれていた。陽隆は髑髏となっておよそ百年後に文芳と一体化したのである。

 団隼人氏もまた根本文子氏と一体化することを願いつつ亡くなったにちがいない。

 髑髏はナチスが本尊大頭作成法をほどこすため四年前独逸に移されたと思われるが、団氏の念は空間を飛び越え、復活しつつある陽隆の魂と感応し、髑髏にまぶされた根本文子氏の人黄、性液といった体の一部と結びついたのではあるまいか。

 一九三一年に開始した本尊大頭作成法が完成するとされる一九三九年まであと三年・・・・・・。

父が懸念したようにヒトラーが神憑りとなって世界制覇を企むことは大いにあり得るが、成功はしないだろう。

 団隼人氏が念を送ったろうから――。

 彼が生き残って日本に帰れた理由はそこにあると思われる。

 父は、陽隆にあやかって自分の夢を実現するよう団氏を仕向けたのじゃないか知らん・・・・・・。

 陽隆が死んだ百年後にその子孫と文芳の子孫が新たな歴史を繰り広げたように、団氏の死んだ百年後、又何かが起こるのじゃないか知らん・・・・・・。

 果して百年後の二〇三〇年代、髑髏はドンナ奇蹟を起こすのか――。

 私が知ることはない。

 イクラ健康でも百五十歳まで生きるのは不可能である。それどころか近いうちに父のあとを追うような気がしてならない。ツイこの間までスラスラと書けた創作が、この頃なぜか一行も進まないのである。書きたいことは山とあるにも拘らず文字が出てこない。そのソモソモの理由が薩張りわからないときてはアタマがドウかなっているとしか思えない。

 父は七十二歳で脳溢血を起こしたが、私はヒョットしたら五十にならないうちに・・・・・・。

 この原稿はいつか私の子孫が発見するであろう。


 百世の後、父の小説がはじめて世間の目に触れるかもしれない。

 そう思うと自から胸が一パイになる。


 昭和十一年 三月十日記す



(了)

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月水療法譚 吉津安武 @xianglaoshe

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