第4話

 そこにいたのは小学校の低学年くらいだろうかという背格好の、女将によく似た魚顔をした少女でした。もっとも、この少女の鼻梁は母親である女将よりも細く小高く張り出していて、顔全体が縦に薄い本物の魚を思わせる造りではありましたが。

 この少女は車いすに座っていました。だから私は勝手に、彼女は足が悪いのだと勘違いをしてしまったのです。

 彼女の下半身は海に似た青い色のバスタオルですっぽりと覆われており、足元がどうなっているのかは見た目だけではわからないようになっていました。

 もちろん、私はこれをじろじろとつぶさに見たわけではありません。障害のある子供に見世物を見るような後期のまなざしを向けるのは不躾で行儀の悪いことだと思ったので、ちらりと一瞥して彼女の全体像を眺めただけです。

 むしろ母親である女将の気持ちを傷つけるような失礼はなかっただろうかと、私はそちらばかりが気になりました。だからそっと横目で女将の表情をうかがったのです。

 女将は、ぎょろついた魚眼をキラキラさせてわずかに興奮している様子でした。もちろん表情には変化などありませんが、わずかに頬が紅潮していました。

「どうです、素晴らしいでしょう?」

 私は女将の言葉の意味を拾いそこなって、「はあ」とあいまいな返事を反しました。だけど女将がすっと片手をあげて青いタオルケットを指すから、彼女がたたえていたのは自分の娘のことであったのだと気づきました。

「素晴らしいでしょう、祝福された子なんです」

 女将はそのまま、振り向いて私の顔を真っすぐに見つめました。

「あの体、惰魂様とそっくりでしょう?」

 その時の私は『惰魂様』というものを知りませんでしたから、やはり適当に相槌を返すしかありません。

 そのとたん、女将の目玉がギョロっと――本物の魚のように眼窩の中をぐるりと回ったのです。

「あれ、お客さん、惰魂様をご存じなんですか?」

 知らないとは言いにくい雰囲気になってしまいました。私はうつむいて小さな声でごまかしを言いました。

「名前だけは」

 女将はこれを素直に信じたようで、何度も大きく頷いていました。

「そうでしょうとも、偉大なる惰魂様が知られていないなんて、そんなことがあるわけないですもの」

 女将のものいいから、私は『惰魂様』というのはおそらくこのあたりの信仰を集める『何か』であると考えました。神社みたいなところに祀られている神様のようなものだろうと。

 これは遠く外れた考えではなく、実際に惰魂様は桝内の中だけで信仰されている神様でした。ただ惰魂様は、神社に祀られるような形骸化された神という観念ではなく、実在する脅威としての神なのです。

 それを最初に教えてくれたのは、車いすに座った少女でした。

「ふうん、名前を知ってるの? 惰魂様の?」

 見透かしたような声に、私は少しだけ嫌悪を感じました。こちらを見下したような大人びたものいいが勘に触ったのです。

 相手が小学生だということは承知していましたし、大人である私が子供である彼女に腹を立てるのも狭量な気がしていました。だから私はあくまでもあいまいに、自分の感情など一つも出さぬように、作り笑顔を浮かべていました。

 少女は魚のようにまあるい目玉をぐりっと動かして、私に手招きしました。

「もっと近くに来てよ。私の話が聞きたいんでしょ」

 何もかも、すべてお見通しといった感じの横柄さで、さらにつけくわえて。

「全部教えてあげるわ、惰魂様のことも、あなたの『彼』のこともね」

 私は『彼』というその一言を聞いただけで浮かされたような気分になってしまって、ふらふらと少女の前へと進みました。

 ああ、どうして私は浅薄なのでしょうか、もっと注意深く見ていれば、こんなに近づいてしまう前に、この少女が明らかにおかしいことに気づいたはずでしょうに。

 少女は金色の目をしていました。瞳が金色なのではなく、普通の人間であれば白目である部分が、手作業で丹念に打った金箔を貼ったみたいに柔らかく光る金色だったのです。そして匂い――家じゅうに漂っていた生臭い匂いの根源はこの子であると、私は確信しました。

 私が不気味な子供の外見に惑わされて、その子を貶すようなことを言いだしたと思われますか? 

 いいえ、違います。だって、それはおよそ人間の体からするようなにおいではなく、本当に鼻をつまみたくなるような『悪臭』だったのですから。

 どんなに不潔にしていても人間の体臭であれば、汗と皮脂と、それの発酵した酸化臭であるはずです。

 ところが少女の体から発する匂いは、その大部分が死んだ魚の臭いでした。それも腐って内臓が見えるくらいに溶けかけた、腐魚の臭い――それに潮の香りがわずかに混じっていて、この少女のそばにいると、死んだ魚が無数に浮かんだ不吉な海を思い浮かべずにはいられませんでした。

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