エピローグ
「夏日の既往より、冬日の今日へ」
それからニ週間の月日が経ち、入院から一ヶ月もしないうちに穂乃華は病院を退院した。
季節は二月。バレンタインデーはとうに過ぎ、うるう年でもない本年はあと一週間くらいで三月を迎える。それでもまだ雪が降るほど寒く、桜の開花は四月中旬くらいになるだろう。
すっかり冬になった夏峰島を歩く三つの影。
最初の目的地は夏峰山の墓地だった。時期としては少し早いが、穂乃華がどうしてもというので行くことになった。商店街で花を買い、山を登って墓の前に立つ。
「お父さん、お母さん……」
あの事故で死んだ穂乃華の両親。藤崎家と書かれた墓石の近くにある石板にはご先祖の名前の中に夫妻のも刻まれてあった。
買った花の半分を添えて拝んだあと、夏峰橋へとやってきた。前には合った夏と冬の境界線はなく、覚えていないとどこかそうであったかを忘れてしまう。
境界線は俺が止音に願った場所を境にしてできていた。だから、俺は忘れることなんてできず、ここだとすぐにわかる。さすがに道路の真ん中に添えるわけにいかず、歩道の端に残りの花を添えた。
「あたしは余計なことをしたのかな」
後ろにいた紫苑が拝んでいる俺たち二人に話しかけてきた。弱気な彼女は初めてだ。人間になりつつある紫苑は体だけじゃなく、心も人のように揺れるようになっていた。
俺は振り返って銀髪の少女を見る。以前より少し背の高くなった彼女がそこにいた。人間になって成長するようになったらしい。穂乃華も時間を早めたおかげか、身長が伸びて胸も大きくなった。急激な成長に周りは驚いたが、美夏だけは胸が負けたと騒いでいた。
「時間を止めたことか? それとも止めた時間を動かしたことか?」
「どっちもよ。昔のあたしなら思わなかったのかもしれないけど、ふと思うの。あれで良かったのかなって。はは、自分でも嫌になっちゃう」
力なく笑う紫苑はどこか儚い印象を受ける。
なるほど明るいはずの彼女が最近ぼーっと考えていたのはこういうことだったようだ。
「そんなことないぞ。止音が止めなければ穂乃華は助からなかった。止音が動かさなかったら俺たちは過去に止まったままだった。余計なことは何一つしていない。その逆だ。俺たちに手を差し伸べ、救ってきた。止音は実に神らしいことをしてきた。だから紫苑が気に病むような神じゃなかったぞ」
「そうだよ。いつだってわたしたちを見てくれていた。あなたに感謝する人は大勢いるけど、あなたを責めるような人はいない。それに結果的にこうしていられるんだからそれでいいじゃない。そう思わない? 紫苑ちゃん」
「キョウジ……ホノカ……」
俺たちに言われて驚いたあと、ゆっくりと笑顔になっていく。ふっと短くため息をついてからしゃべる。
「ダメだね。元神様がこんな弱気じゃ。もっと自分に自信を持って生きていかなきゃね。なんか不安になるの。さっきのこともそうだけど、これからのことも。有限になってしまったからどうしようかって迷う」
「それが人間ってもんだろ。わからないから不安になる。限られているからこそ、輝くものがある。無限ではわからない有限の美しさと儚さ。今はまだ戸惑うかもしれないけど、慣れる時は来ないかもしれないけど、それが生きていくってことだからな」
「キョウジって大人だね」
ほぉ~っと感心した様子でしゃべる。穂乃華はほぇ~っと俺を見ていた。
「は、当たり前だろ。それなりに苦労してきたんだぜ。人間では俺のほうが先輩だからな」
「確かにそうね」
ふふっと笑う。
「ああ、お前は人間としては新米も新米だ。これから俺たちが色々と教えていってやるよ」
「お願いします、先輩」
美夏のノリで答える紫苑。やっと調子が戻ってきたみたいだ。
穂乃華は再び花のほうに視線を向けていた。
「そういうわけで毎日楽しくやってます。お父さん、お母さん」
彼女は笑いあう恭二と紫苑に視線を移す。
「きっとこれからも楽しくやっていけそうな気がする。がんばるから見ていてね」
つぶやいたあと、二人の輪に加わった。
「たぶん神音の森に新しく神がやってくると思う」
目的地へと向かう途中で紫苑がポツリとそんなことを言いだした。
「神が? そうなのか? 紫苑は気まぐれで残っていて、他の神は必要としてくれる人のもとへ行ったって」
「うん、そうなんだけどね。神が住む森に神がいないなんてことはないんだよ」
「そういうものなの?」
穂乃華もいまいちピンときていないようだ。
「そういうものよ。今まではあたしの縄張りだって時間を止めて主張してたから寄り付かなっただけだから」
恭二の願いは神から見ればそういうことになっていたらしい。紫苑にそういうつもりはなかったのは言うまでもない。だが、そう見られても仕方ない。
時間の神が島の時間を止めていた。私が支配しています。そう言っているとしか思えない。
「だから神による椅子取り合戦が始まるかもよ」
「おいおい、それって神同士がドンパチやりあうってことか? 勘弁してくれよ」
神同士は仲良くできないのだろうか。もしかして神がいなくなって止音が残ったんじゃなくて、他の神を止音が追い出したんじゃないだろうか。
自分だけが物好きだから残った、というのは恭二が止音から聞いた話である。これが悠里から聞いた話なら確実だったろう。
「下手したら島がもっとおかしなことになるかもね」
「まじかよ……」
思わず頭を抱えてしまった。
「まぁ、それはそうなったときに考えようよ。ね? 恭ちゃん」
「そうだな」
まだ可能性があると言うだけで確実に起こるわけじゃない。神を観測できるのは神音の当主の恭二と神の眼を持つ悠里、そして、元神で力の残ってる状態の紫苑。
これだけいれば仲裁くらいはきっとできるだろう、たぶん。
そして最後の目的地に到着する。
藤崎家。穂乃華がここに戻ってくるのは実に五年ぶりだ。年末に掃除したとはいえ、ホコリがまた溜まっているかもしれない。
紫苑は悠里と約束があるとどこかに行ってしまった。あの二人は前からの付き合いもあってか、本当に仲がいい。美夏と真冬は相変わらずだし、先輩は大学に行くための準備で忙しい。まぁ、あのイケメンはどうでもいい。
家に入ろうとした穂乃華は玄関のドアに手をかけて思い出す。
「あ、そっか」
自分がこの家の鍵を持ってないことに気づいたのだ。
「ほら、これ」
ポケットから取り出したものを玄関に立つ彼女に投げてやる。
「わっ、と……あ、恭ちゃんが持ってたんだ」
「んや、町長から預かってただけ」
この家の鍵はやっと本来の持ち主の手に戻ってきたのだ。
「うん、ありがたくもらうね」
鍵穴に入れてまわし、カチャリという音が鳴る。
玄関へと入った彼女は元気よく、天国にいる両親に報告するように大きく言う。
「藤崎穂乃華、
END
夏日の既往より、冬日の今日へ きーたん @ki-tan
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