第11話 フェネクスと妖皇宮

「さて、──アーヴェントはどうしてる?」

「眠らせましたよ?」

 おま……当たり前のようにさらっと言ったな?


「眠っている間は魔力の生成も抑えられますし、そのほうがいいかと……起こしましょうか?」

「いや、かまわんが」

「では、この間に申し上げたいことが一つ」

 ん? アーヴェントが眠ってる間にと言う意味か。


「仕えさせて頂く身ではございますが、夜伽のお相手は出来かねますので」

「いらんわっ!」

 しれっとした顔でとんでもないことを言う奴である。なんか、とんでもないやつを引き取ってしまった気がしてきたぞ。


「あら、不自由は感じられませんか? お独りでしょう?」

「今のところ感じないが?」

 興味もないというのが正しいかな。って、なにを言わせるんだ此奴は。…黙らせていいか、おい。しかも何か満足気なんだが。


「ふふ。私にも枷を下さいますか?」

「いや、必要ないだろ」

 ちょいちょいと私の心臓に繋がる鎖を示してやると、驚いたようだった。まあ、そうだろうな。アーヴェントと同じく煌めく枷が、ソワレにも繋がっているのだから。


「──…いつの間に…」

 いや、最初からなんだが。…ああ、名を呼んだから、何か誤解したかな?


「隷属の枷は、魂相手の術だからな。掛かったときにお前が共にいたなら、おかしなことではないよ」

 ま、二人いることに気づかなかったのは迂闊だが、それだけのことだ。…うん。幸いだ。改めて隷属の枷とか、魔力が喰われすぎる。

 さて、これからどうするかな。

 この空間自体、実はせいぜいが持って数日だ。魂の発生に伴って出来るらしいが、魔素が薄く広がることで成り立っているだけである。

 妖魔の身体は魔力を凝縮し、実体化したもの。その魔力は、魔素を取り込んで錬成し、発生させるものだ。ここで数日を過ごすだけで身体は安定し、魔力の出力にも波がなくなるので、生まれたての妖魔を安定させるのに都合がいいので、今まではぎりぎりまで止まっていた。

 だがアーヴェントは魔力生成型だし、魔素があっても意味はない。長居する理由にならない。ソワレに至っては、どう見ても相当な熟達者だし。

 …ああ、そういう手もあるか。


「……ここから抜け出すほどの術は、持ち合わせがありませんが」

「ああ、かまわない。穴を空けるだけだ」

「穴?」

 疑問符を浮かべるソワレにかまわず、私はその頭に触れた。”異域”へ入るときに使う術を、そのまま送り込む。


「っ……」

「どうだ、使えそうか?」

 そこそこ複雑な手順を踏むから、けっこう厳しいはずだが、どうかな。


「……”異域”の魔素を、前提に、しないで下さい…」

「そうか?」

 けっこう苦しんでいるようだが、そこまで無理な情報を送り込んだつもりはない。


「無理ならほかの方法を考えるが」

「無理とは言いませんけど! この空間の魔素で代用できませんよね、これ!?」

「え、無理か?」

「出来るわけないでしょう!? 貴方は魔王なんですよ、それも二代目側近筆頭の! それが出来るからこその魔王だってこと、忘れてませんか!? 忘れてますよね、っていうかそもそも理解してませんよね!?」

 その勢いに、私は思わず手をひっこめた。目の端で何かが動いているが、それが何かを認識する余裕もなく後ずさる。


「ああ、早まりました。どうして私は表に出てしまったのか。いえそもそも、この坊やを助けようとか思わなければこんなことにはならなかったのに、ああもう、どうして──」

「──ソワレ!」

 叫んだ──いや、怒鳴りつけた私に、ソワレはびくりと震えた。そして後ろを振り向く。

 アーヴェントが目を覚ましていた。その口元が小さく動き、手が延ばされて──…隷属の枷、その鎖に触れる。しまったという顔で、ソワレがその手を止めるが、鎖は切れた。それも、ソワレの鎖だけが。


「あ……」

「…うそだろ…?」

 切れた鎖が魔素となって飛び散り、消える。当然のように枷も消えて、ソワレを繋ぐものは何もなくなった。

 また、アーヴェントの口が動いた。かすかに聞こえた声は「ありがとう」、だ。

 まさか…ではないな。隷属の枷を壊したようだ。アーヴェント自身の意思で。いや…ちょっと、待て。それ、反動があるぞ?


「違…違います、わたしは、そんな意味で…っ」

 むろん、そのことはソワレも知っているようだ。隷属の枷は、鎖と違って術者が解かなければならないものになっている。でなければ、術者が死んだときに開放されるか、だ。そもそもが互いの同意なしに成り立たないから、それで事足りることになっている。

 だが、それを嵌められた側が無理に外したら、どうなるのか。他人が無理に外したらどうなるのか。

 まあ、自分自身の枷を外したわけではないから、死ぬようなことはないだろうが、外した相手に相当な報いが返るはずだ。

 泣きそうな顔で、ソワレが唇を噛み締めて私を見た。ああ、まあ私はわかっている。今のはどう見ても、そういう意味ではないし、落ち着いて聞いていればアーヴェントにもわかっただろう。なんというか、間が悪い。今更枷を外したところで、反動は免れない──。


「イーリス。女の子にこんなの、つけさせるなよ」

「……は?」

「可哀そうだろ、奴隷みたいで。俺は別にいいけどさ」

「奴隷って…いやまあ、元はそうらしいが……ちょっと待て。何を言っている?」

 だからさあ、と言いつつ、アーヴェントが手を握り、また開く。その手に現れた指輪を、ソワレに嵌めて。


「これで充分だろ?」

 そこから鎖がレースのように編み上げられてその腕を覆い、まるで鎖で出来たボレロのようなものが出来上がる。同時に、私の首にも一筋の鎖が巻き付いたが。


「え…あの…?」

「……お前、何をした?」

「何って、見た目があれだったから。こっちもちょっと変えるけど」

「そうじゃなくて。いや、そうなんだが、たしかにそのことなんだが!」

 目に見えないはずの鎖が、実体化している。首の鎖がそうなら、ソワレのボレロもそうだろう。そのうえ、アーヴェントの手にある鎖も消えて、その両腕に鎖で出来た腕輪が現れた。当たり前のように、それは何処にも繋がっていない。


「ソワレ、お前…アーヴェントに術を教えたか?」

「いえ…でも、彼の体にいるときに使いましたから、コツは掴んでいるかもしれません。ですが、それとは関係ありませんよね?」

「……」

 私は、答えられなかった。いや、ほかのだれであっても答えられないだろう。

 すでに発動済みの術を書き換えるとか、それは何の冗談だ?


「これさ、いちおう両方とも、刻印入ってるから。イーリスのものっていう印ね」

「刻印?」

「ほら、ここ。フェネック」

「フェネック?」

 ソワレの指輪は、石が嵌るであろうところにメダルのような刻印。私の鎖にはないようだ。差し出されたそれを見れば、…これ、狐か?


「フェネックって、なんだ?」

「”フェネック”──哺乳綱ネコ目、または食肉目。イヌ科キツネ属に分類される食肉類。警戒心が強く、臆病で神経質。砂漠で育つ狐の一種。とても大きな耳が特徴である」

「……つまり、狐か?」

「ああ、可愛いですね。普通の狐より耳が大きいです。こういう生き物なんですね」

 ソワレが笑うのは、……たぶん現実逃避だろう。まあ別に、この称号に拘りはないから構わないんだが…いや、それでもな?


「お前さ、フェネクスって何か、わかってないだろ?」

「え? ……ふぇねくす?」

 ボケではないらしい。本気で言っているらしい。どうしてくれようかとソワレを見るが、にこにことボレロの感触を楽しんでいて、私に視線を向けないのは、わざとだろうな。

 魔王のなんたるかはどうでもいい。どうでもいいんだが、どうしてこういう生き物のことがわかって、フェネクスが何かわからないのか、私としては非常に問いつめたい。

 だがとりあえず、フェネクスが何か、見せてやろう。その勘違いを知ったとき、どういう反応が返るか見物だな。


「ちょっと見てろ」

 掌に炎を浮かべ、アーヴェントの視線を固定する。

 一瞬だけ炎が羽ばたくかのように広がりを見せ、そのまま収縮して卵の形に。赤く丸い炎が揺らめきつつ金色に輝いて、美しく長い尾を持つ鳥が孵化する。それは私の腕に留まり、口を開いて──…炎を吐いた。もちろん、アーヴェントに向かって。


「おわーっ!?」

 ふん。狐扱いされたお返しである。不死鳥を意味するフェネクスという称号、それ自体は気に入っているのだ。狐が嫌だとは言わないが、私の所有物に狐の印とか、何の冗談か。


「…あ、あれ?」

 間の抜けた声だが、痛みを感じた様子はない。ま、只の幻影なので当たり前だが。


「何を遊んでるんですか、フェネクスさま……魔素を無駄に消費して……」

 冷たい声が、それ以上に冷たい吹雪を伴って私にまとわりつく。遠慮のないソワレの仕業である。

 そう思うならやるなと思いつつ、私は不死鳥を解き放つ。


「魔素は、消費していませんよ?」

 にっこりと笑うソワレの言う意味がわからなかった。魔素を消費せずに術を使うなど、出来るはず──…あ。


「アーヴェントの魔力か……」

「はい。溢れているようですから、少し頂きました」

 なんだ、その器用さ。私に出来ないとは言わないが、こんな簡単に出来る真似ではないぞ?


「その程度の才覚もなしに、魔王の側近は勤まりませんから」

 いや、別に勤まるが。側近なんぞ只のお気に入りだし、書類仕事が出来れば事足りるから、極端な話、人間でも勤まる仕事だ。──やはり何か、まずい奴を引き取ったかもしれない。


「で、アーヴェント。この意匠、変えられるんだろうな?」

「あ、えっとー……」

 慌ててコインを掴み、何かしようとがんばっていたが、やがて。


「ごめん、無理」

「……そうか」

 ……所有権主張して、通じるかなこれ。鎖がまるきり見えないんだが……。

 まあ通じないようなら、書面で登録するしかないし、とりあえずここにいてわかることでもないか。


「フェネクスさま?」

「──此処にいてもどうにもならん。やれるか?」

「フォローは期待してもいいんですよね?」

「ま、何とかしよう」

 そもそも二人で分担するという提案自体、リスクを分散するためだ。やろうと思えば独りでも出来なくはない。要は、二つ目の術を発動するときに制御があまくなるから、その分を負担してほしいだけのことだ。

 アーヴェントを近づかせて、ソワレが結界を発動させた。ごそっと魔素が減った気がするが、まあ仕方ないだろう。空間を破るだけの魔素はあるし、問題はない。


「──あのさ。女の子にすっごい無理、させてない?」

「………”子”?」

 女であることも、無理をさせていることも否定はしないが……子?

 まあ確かに、見た目は十六,七に見えるが、あの物言いといい、術の熟練度といい、下手をすれば私と同じだけ生きていそうだが。


「てか何でこんな無駄な効果要求してんだよ。これと、あとこれ。わざわざ動かさなくたって……ってこれ見た目重視かよ。お前が使う分にいいんだろうけどさぁ」

 ソワレが発生させた結界に、アーヴェントがダメ出しをしている。ソワレ自身は制御に必死で、聞こえてすらいないようだが……グサグサくるんだが。


「円軌道のことを言ってるなら、それは必要な処置だ。三百六十度どこから来るかわからないものを手っ取り早く防ぐには、それが一番楽なんだ」

「あー、そう。でもさ、今それ、必要?」

「今?」

 ……まあ確かに、此処から現界へ直接飛び出そうとしているのだから、そういう意味では不要と言えなくもない。だが、強度自体は必要だ。光弾を減らすことは出来ない。


「だからさあ、とりあえず動かなくていいんだからさ、全部まとめて強度を上げればいいわけだろ? 違う?」

「それも一つの手だが、今から構築なんかしてたら」

「ならこれでいいよな」

 私の言を全く聞かず、アーヴェントは結界に──光珠に触れた。瞬きの間も置かず、それがふわりと広がって私たちを包み込む。それも、浮いていた光珠全てが同時に。


「……は?」

「──楽に、なりました……」

 間抜けな声を出した私以上に、ソワレが驚いている。これは……あれか、もしかして先ほどと同じ事をやったのか?


「ほら、やっぱり無理させてたんだ。大丈夫? これならいける?」

「ええ、問題ありません。これなら結界の維持に専念出来ます」

 ……ああ、そう言えばあの光珠、動きを把握するようにしてたな。そうでないと、壊れた分の軌道が補えないから。”畏域”では必要な措置だが、ここでは不要…なるほど、そういう意味か。


「ってお前、何やった!?」

「何って………何?」

 そこで首を傾げられても、可愛くないからやめてくれ。うん、ソワレも追随しなくいていい。

 ……まあそうだな。メモリアに問いかけたところで、術についての答えが返ってくるわけはなかったな。


『メモリアはねぇ。規格外とか、そう言うんじゃないよ、うん』


 唐突に、先達の言葉が脳裏に響く。その瞬間に見せた、妙に疲れたような表情までもがフラッシュバックで蘇る。

 そういえば、そんな話を聞いたから興味を持って、”畏域”で出入りするようになったのだったか。もしかしたらメモリアに出会えるかもしれない、と。

 はは、面白いな。こういうことか。


「そうか……こういう意味か……」

 相変わらずこちらを見る二人だが、もう聞かないことにした。とりあえずは、消滅が近づいたここを抜け出さなければ。


「ソワレ、そのままでいけるな。アーヴェント、この術は使い慣れてるから、手は出さないでくれ」

 二人の是を確認し、こちらも術を発動させる。

 この空間は、風船の中だと思えばいい。空気の代わりに魔素が満たされていて、それで膨らんでいるような状態だ。だから、そのどこかに、穴を空ける。そこから魔素が抜け出す流れに乗って、外へ出るだけだ。

 もっとも、……実践するのは初めてだが。


「っておい、待てお前、いま何つった!?」

「フェネクス様、さっき自信満々だったじゃないですか!?」

 失敗などするはずがないからな。幾度も成功させた術だし。というかおまえたち、よくも私の心を読めたな。これこそどうやったのか、後で聞き出さなくてはならないだろう。


「アーヴェント、おとなしくしてろ。ソワレ、結界を壊すなよ」

 ピンホールほどの小さな穴。そこへ魔素が殺到し、一気に穴が広がって──


「おお」

「え。空?」

 ああ、あの空間から出ると何処に出るか、まったく予想がつかないのが難点だな。まあでも、これだけ高度があると、余裕が出来ていい。

 私は一瞬で背中に翼を作り、二人をそれぞれ脇に抱える。ソワレの結界に収まる翼ではないが、まあ滑空しているだけなので問題はないだろう。


「と、飛んでる?」

「いや、滑空してるだけだ。方向の調整は出来るが、滞空は出来ん」

 何故かというのは簡単で、上空になればなるほど魔素が少ないためだ。この翼も、先ほど同時に漏れ出ていた魔素を使って作り上げたが、それ以上のものが作れない。地上ならもう少し凝ったものが作れるが、維持は困難で、実は妖魔にとって空の上というのは、ある種、未知の世界である。

 とりあえず、眼下に広がる景色から居場所の見当はついた。ついたが、…あまり嬉しい場所ではないな。そうそう甘くはないか。


「……もしかして、妖皇宮に向かってます?」

「正解。まあ、どうせ行かずにはいられないんだが」

 ソワレの読みが当たりである。この国の中枢、妖皇宮に近い辺りに出てしまっている。時期的には市が近いから、そのときにまとめてと思ったが、出直すことになりそうだ。


「フェネクス様。あの辺り──屋上庭園に降りられますか?」

「庭園て、あれは魔王不在で閉鎖されてるぞ?」

「入ったことは?」

「いや、ないが」

「では、向かって下さい」

 ソワレはそれきり、口を噤んだ。なにかあるようだし、まあ一応、そこへ進路を定めてみるか。そう言えば、扉は閉鎖されているが、それだけだな。



 庭園に降り立つその瞬間、私は目眩に襲われた。いや、目眩ではない。強制的な空間移動を認識出来ず、そう感じたのだ。それでも無様に尻餅をつくことはなく、どうにか膝をつくだけで耐えられたようだが。


「アーヴェント、ソワレ!?」

 抱えていた二人の感触を失い、私は周囲を見回した。見覚えのある部屋だが、二人は──…


「…なんですか、これ。趣味の悪い……」

 不機嫌さを隠しもしないソワレが、檻の向こうにいた。正確には、私も檻の中にいるようだが──うん、まるで出来の悪い鳥籠だな。アーヴェントも同じく、別の籠の中にいる、ひとまずは安心か。


「なんだ、この部屋──」

 丁度のサイズは普通に、私たちの大きさも普通。だが、互いに触れようとすると檻が現れてそれを阻む。まるで、牢獄だ。


「不法侵入者は牢獄に入るのよ?」

 子供のような声が響き、寝椅子に転がる女が現れた。なるほど、ここは彼女の部屋か。道理で見覚えがあるはずだ。


「ふふ、すごおい、今日は二人も連れてきたんだ。ふふ、お姉さまも退屈しているし、これはあれかな、舞踏会開かないと、だよね」

 私は何も言わない。答えない。幸い、二人も私の様子を見て何かを悟ったようで、何も言おうとしない。


「あれぇ……しかも片方はメモリアくんだぁ。ふふ、強運だねー。でもちょっと子供かなー。でもいいや、お姉さまに任せちゃお。素敵なパートナーになってあげてねー。じゃあ、お姉さまが来るまで、大人しくしててね?」

 そもそもがこちらの話を聞く気がないから、一方的にまくし立てるだけの幼女。アーヴェントが幼いとか、よく言えるものだと思うが、その辺りの認識はないらしい。


「ああそれから──妖皇として命じておくよ、魔王フェネクス。その二人と契約したらダメだからね。ぼうやたちも、その人と契約したら、死んじゃうからねー?」

 その言葉を最後に、幼女──三代目妖皇は姿を消した。

 しばしの沈黙──私の溜息を機に、アーヴェントと視線がぶつかった。


「……妖皇って言った?」

「ああ、三代目のな」

「二代目は、……あ……彼女に譲位を?」

「……まあ、簒奪ではないな。何を考えたかは知らないが」

 ソワレ。今、あのガキとか言いそうにならなかったか?


「側近──いる?」

 あんなので、と言外に聞こえた気がする。が、まあ気のせいと言うことにしておこう。


「一人だけな。もう一人は──…あれはまあ、魔王じゃないしな」

 面倒だから、出来れば関わりたくないんだが……彼女が出てくるとなれば、そうはいかない。


「しかし……こんな罠が仕掛けられているとはな」

「許されません、こんなこと──…!」

 何かを言い掛けたソワレが目を閉じて、意識を落とす。同時に扉が開いて檻が消え、ぎりぎりでアーヴェントが彼女を支えた。

 扉が音も立てずに開き、一人の少女が姿を見せる。三代目妖皇只一人の側近魔王、レディ・グリモアだ。


師匠先生──何をしたんですか……!」

「さてね? 気づいたらこの有様だ。まさか魔王を罠にかける妖皇がいるとは思わなかったな。で、お前は何を言われてきた?」

 私の問いに一瞬だけ口を噤み、レディは視線を外す。側近とは言え、妖皇の命には逆らえない。いや、だからこそ逆らえないと言うべきか。


「舞踏会当日までの御世話をいいつかりました。そちらのお二人は、わたくし付きになります。部屋を用意しますので、着いてきて下さいね」

「は?」

 思わず、と言った体で聞き返したのは私ではなく、アーヴェントだ。ソワレは……これを見越してか、意識を落としたのは。


「不要だ、二人はまだ安定していない。私のところで預かろう」

「ですが」

「契約は禁じられた。この宮の中で、誰が逆らえる?」

「それは、──…そう、ですが」

 妖皇側近筆頭の肩書きを持ちつつも、妖皇に逆らうことが出来ないよう縛られている彼女に、それ以外の答えがあるはずもなく、握りしめた手が震えているが、追求を緩める気はない。


「それに、お前では存在を安定させられないだろう。出来るのか?」

 それを知らずに魔王と成った哀れな娘ではあるが、間違えば──死ぬのは彼女ではないのだから。

 アーヴェントは何かおろおろしているようだが、口を挟もうとはしない。


「……では、わたくしを招いていただけますか?」

「断る。誤解を招くような真似をする気はないからな。──ああ、仕立屋も不要だ、落ち着き次第、自分で呼ぶから、構うな」

 どうにか是を引き出そうと必死のようだが、関わる気がないことは、これで通じるだろう。後は、あれに出くわさないように部屋へ行かなければならないが……。まあとりあえず、部屋を出ようか。ここは彼女の部屋だし、長居は無用だ。


「来い、私の部屋を教えてやるよ」

 ソワレを抱き抱えるアーヴェントを呼び、部屋の戸を開ける。──が、その向こうに、レディの姿がある。


「何の真似だ」

 誰の仕業かなど、問うまでもない。この程度の空間歪曲は、魔王でなくても出来るしな。


「……控えの間を貴方の分も用意しますので、こちらに滞在を」

 私を見ずに、レディがそれだけ告げる。


「筆頭魔王として──」

「レディ!」

 振り返らずに怒鳴りつけて、その言葉を遮る。現無位の魔王としては、その先を聞くと少々、面倒なことになる。答えは変わらないが、な。


「お前に弟子として以外の興味はない。そんな男に抱かれたいか?」

「ですが、わたくしは……っ」

「では、試してみるか? お前相手に、一瞬でもその気になるかどうかを…あのときのように?」

 ゆらりと扉の向こうのレディが歪む。精神の同様で術が乱れたその扉を、私は強引に通り抜ける。もちろん、アーヴェントたちを連れて。


「おわ…っ!? なにこれ、どうなってんの!?」

 扉を閉じて、その先には”畏域”とも違う空間が広がっている。


「ああ、狭間と呼ばれる領域だな。歪曲空間を無理に抜けたから、迷い込んだようだ」

 歪んだ扉、曲がった道、幾つもの分かれ道。浮かぶ時計には針がないもの、延々と回り続けるだけのもの。”畏域”に似て非なる領域だ。


「ソワレ、ここなら何を言っても聞かれる心配はないぞ。起きろ」

 え、とアーヴェントがソワレを見る。彼女はそっと目を開いて、アーヴェントの首に腕を回した。


「ありがとう、アーヴェント」

「あ、いや…おれも、助かったし」

 その頬に口づけたように見えたが、アーヴェントの様子からして気のせいらしい。気のせいではなかったら、大物だが。

 というか、意識を落としただけではなかったのか?


「鎖を通して、アーヴェントにリンクしました。警告する暇がなかったものですから。あれで、よかったのですよね?」

「ああ、問題ない。…だが、よくやれたな」

「あの程度は出来ないと、魔王の側近としては不足かと。アーヴェントの教育は、お任せいただけますね?」

 ソワレは涼しい顔で言い放つ。…ま、元が魔王の側近だったという事を認めるのは吝かでもないな。いいだろう、とりあえずは任せてみよう。

 頷いてやると、ソワレがアーヴェントに抱きついた。……策士というには、若いかな。というか、分かりやすい。まあ、…いいか。何やら焦っているようだが、任せてしまおう。


「さて、行くぞ。人前で派手なことはしてくれるなよ」

 二人に声をかけつつ、私は髪を一本引き抜いた。同時にそれが鍵の形に変化する。というか、鍵そのものだ。


「なにそれ、鍵? まさか、それが合う扉を探すとか?」

「いや、探さない。外に出られる扉はこれ一つきりだから、その必要はないんだ」

 様々な大きさの扉が其処彼処にあるが、どれも外へは繋がらない。面白い物が見られることもあるが、まあそれは何れ、時間があるときに教えてやろう。


「覚えておけ、アーヴェント。この歪んだ扉に合う鍵を作り出せなければ、ここからは抜け出せないんだ。さらに言えば、救助も見込めない。扉を潜るときは、気をつけろよ」

 幾つもの扉の中で、唯一の歪んだ扉。それはいつでもすぐ傍らにあるが、鍵を作り出すことに失敗することもある。私でも一度や二度は失敗するしな。

 今回は不本意だが失敗はするまい。目指すは離宮──二代目妖皇の側近用に作られた、朔宮さくのみや、その中でも私に与えられた一室だ。

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魔王が逃げて、何が悪い? 冬野ゆすら @wizardess

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