第10話 フェネクスと”畏域”の上層域

「やはりここに出たか」

 魔素の奔流に押し流されて、私たちは”畏域”を飛び出した。だが、放り出されたそこは、ただ白いだけの空間だ。

 そう、白いだけである。自分たちが浮いているのか、地に足をつけているのかすらも分からないほど、ただ、白い。

 ”畏域”の上層だと、先達には聞かされている。


「何か考え方が違うのか──彼奴は現界に出ると言っていたのに」

 私の使った術は、先達から作った術を改良したもので、彼奴の使う術は独自仕様。おそらくはその辺りに違いがあるのだろうが……もう少し頑張るか。聞けば教えてくれるのはわかっているが、どうにも悔しいし。


「意地っ張りだな、あんた。雲のくせに」

「そうか?」

 意地というか、プライドだな。それに、必須というわけでもないし、そんなものは他人に聞くより、自分でゆっくりと作っていきたい。


「ただの暇潰しだしな」

「暇潰しかよ。オレを連れ出したのも暇潰しって?」

「いや。それは──ついで、だな」

「なんのついでだよ!?」

「捜し物。…何を探してるのか、わからないが、な」

「は?」

 まあ、当然の反応だな。

 言葉を続けなかった私に何か思うところがあるのか、それ以上の問いはなかった。

 ”畏域”でしか見つからない何か、それを探していることは間違いない。だが、それが何なのか、思い出せないでいる。”畏域”を訪れることは珍しくなかったから、他の誰もその理由を知らないし、見当もつかないらしい。


「……なあ、ここは何なんだ?」

 抱えた中から揺らぐ声に苦笑しつつ、抱える腕に力を入れる。取りあえずはこれで、見失うことはないだろう。


「”畏域”の──先ほどまでいた空間の上層らしい。私も詳しくは知らないが、そう聞いた」

「……よくわからんが。オレは今、どうなってるんだ?」

「ああ、カタチを失っているな。まあ、ここの特性だから、あまり気にするな」

 この領域に来ると、私も含めて皆が見舞われる症状だ。四肢の感覚はあって視覚も生きているのに、自分の身体がどこにあるかわからない状態になる。

 先達によると、「情報の変換と認識までに若干のタイムラグがあるから」ということらしいが。


「意味はわかるんだが意味がわかんねぇな……」

「そうか、大したものだな。私には意味すらわからない」

 素直に感嘆を伝えておく。先達もその言葉だけを覚えて置いたということで、理解はしていないらしかった。曲がりなりにもわかると言える奴は、初めてだ。


「それはいいとして、自分の手すら見えないってのは、気にするとかしないとか、そんなレベルの話じゃないと思うんだが、どうよ?」

「どうよと言われてもなぁ。気にすればするだけ、悪化するぞ?」

「悪化って何だよ?」

「今の私たちだな。溶け合いかけてるぞ」

「は!?」

 若干大袈裟に伝えてみた。私はきっちりと自覚しているから、溶け合うことはない。ただ彼が溶けて、意識が拡散してしまうだけである。


「ちょっと待ておい、どうしろって!?」

「自分で立って見ろ」

 抱えていた記憶イメージを解放し、一歩を下がる。その場には私から切り離された、霞のようなものが残っている。

 腕を上げたり下げたりしているところを見ると、うまくいったようだ。


「……なんで、あんたは人形なんだ?」

「慣れだろう。面白いな、お前」

 くすくすと笑みを漏らす私に、憮然とした感情が伝わってくる。ああ、まだ完全に分離したわけではないようだ。


「……どうなってんの。何なんだよ、この身体?」

「簡単に言うなら、自分を見失ったというところだな。とりあえず、自分の姿を思い浮かべてみろ。それで変わるはずだ」

「自分の?」

 人型の霞が、首を傾げた。ああ……そう言えば首だけだとか化け物だとか言ってたな。とすると、敷居が高いか。

 私はその霞に手を伸ばした。先ほど見た少年の姿を伝えようとして、だ。けれど触れた瞬間に、赤い髪が翻り、イメージが霧散する。


「え」

 それは一瞬で消えた。錯覚と思えなくもないけれど、…その原因を思いつかない。翻るほどの赤い髪──見間違えるような何かを、私は見たのか?


「自分…じぶん…?」

 私が困惑しているうちに、人形は崩れかけていた。あわてて掴み直そうとしても、私の手に捕らえられない。

 まずい、自我の拡散が始まったようだ。


『俺…オレ──わたし…ワタシ──おれ……』

「考えなくていい! 私の声だけを聞け!」

 私は叫んだ。冗談じゃない、ここまで連れてきたのに消えられてたまるか。


『こえ…こえ。コエ。こーえ…声?』

 あ、と呟くような声が聞こえて、私の手に何かが触れた。ゆっくりとそれは濃さを増し、また、人型を取る。

 間に合った。思わず溜息を吐いてしまったのは、流石に緊張したせいか。


「ずっとオレと話してた、あの声だ」

「ああ、そうだ」

 その言葉に、少年の姿が戻った。その髪は青く、やはりあの赤く長い髪は彼ではないようだ。

 自分の手を見てみれば、これもはっきりとしたカタチに戻っている。どうやら、落ち着いたようだ。


「ではまあ、座ろうか」

「え、……え!?」

 私は卓袱台ちゃぶだいと茣蓙を作り、彼を促した。向こうからすれば、いきなり現れたように見えただろう。

 とりあえず、混乱を収めるのは面倒……いや、大変そうだったので、座るように再度、促してみる。


「……いや、あの…」

「卓袱台と茣蓙だが…わかるか?」

 テーブルのほうがよかったか? 単に私の好みなんだが。


「──”卓袱台”。四本足の短い机。旧世界に於いて、東の果ての国で用いられた家具。特徴として、足を畳むことが出来る。

 ──”茣蓙”。草などを編み上げたもの。旧世界に於いて、東の果ての国に古くから伝わる家具」

「え」

 何だ、今の。無機質な──まるでただ何かを読み上げただけのような声だ。そう言えば先にも──…博識だと思ったが、違ったか。

 戸惑ったのは少年も同様らしく、その表情が困惑に彩られている。


「……今の、おれ?」

「ああ、そうだ。──そうか、おまえ、メモリアか」

「メモリア?」

「メモリアだ。わかるか?」

「──いや、まったく…」

 驚いた──まさか、拾うことが出来るとは。

 幾人もの妖魔を拾い上げて来たけれど、メモリアだけは見つからなかった。そんな存在がいることも忘れていたのに、まさか、出会えるとは。


「まあ、まずは駆けつけ一杯。──茶を入れよう。緑茶でいいかな」

「ばあちゃんかよ」

 余分な一言だったが、少年が笑ったのでいいとしよう。

 卓袱台の上に茶道具を一式、用意する。まあ、急須と湯飲み程度だけどな。茶道を披露してもしてもいいが……あれは正座が出来ないと面白くないので、自重する。

 茶筒の蓋をとって、中にある匙で茶葉をすくい上げ、急須へ落とす。と。


「──あれ、急須は温めないのか?」

 へぇ…珍しい、知っているのか。だが、そこに抜かりはない。


「温めてある。さわってみるといい」

 少年が手を出して急須に触って、一言。


「理不尽だ」

「はは、便利でいいだろう。これは”術”というんだが、妖魔の特性だな」

 それのことを、我らは”術”という。人間で言う魔法のようなものだが、イメージするだけで瞬時に発現させられる便利なものだ。

 ただまあ、本来は形状変化するものが出来るわけではないので、温めた急須やら茶やらが出せるのはこの空間だけなのだが。


「便利……なのか?」

「旅するときにはそこそこな。その場で作ればいいから、荷物はかなり減らせるぞ」

「……なるほど」

 そんなことを話しながら、注いだ茶を差し出す。少年は、躊躇わずに口にした。


「…意外だな」

「ん?」

「いや、躊躇わないのかと」

 言ってはいないが、原料不明である。目の前で煎れたのは確かだが、不安にならないのだろうか。

 今までにも同じように提供しているが、皆少しは躊躇ったし、それを振り切るまでの葛藤が面白くて可愛かったのだが。うん、彼奴もな。


「躊躇うだけ無駄っていうか無意味かなって」

「無駄?」

「あんなところから引っ張り出しといて、今更毒を盛るとか、ないだろ?」

 ……ふむ、正論だ。いや、確かに毒はないが、原料は……まあ、魔素なんだろうが、私も知らんぞ。いいのか、それで。


「……後はまぁ、どう見ても俺の方が弱そうだし。逆らっても無駄だろうなとかも思うんだけど」

「──弱い? お前が?」

 ああ、そうか。メモリアには妖魔の強弱など判断が付かないわけか。

 では一つ、試してみるかな。

 いたずら心を起こしたと同時に、煌めく光が少年を取り巻く。その輪が縮んで巻き付くが、彼のちょっとした身動みじろぎで弾けて消えた。


「……何、今の?」

 いやそうな顔で少年が問いかける。ま、そうだろうな。


「隷属の鎖。魔力の差がそのまま反映される……まあ、人間風に言うなら奴隷にするための術のようなものかな」

「っておい!?」

「効かなかっただろ。魔力の差だよ。ま、かかったところで、大した効果はないけどな」

 彼我に相当の魔力差がなければ成立しない”隷属の鎖”は、使われることが滅多にない術だ。かかったところで今のように簡単に解けるので、同等の妖魔間ではまず、成り立たない。


「いやでも…魔力って言われても……」

「うん、わかりやすく言おうか?」

「お願いします」

「あれだけ簡単に弾いて置いて私より弱いとか、あり得ない」

 思いっきり簡単に分かりやすく告げてみたら、思った以上にぶすくれた声だった。

 ……認めるのはやはり、少々、かなり悔しいか。

 ぶふ、とメモリアが吹き出す。


「止めろよそれ、いい男が台無しだから」

「え?」

「頬杖。顔がひしゃげてるぞ?」

 …いつの間に、そんな姿勢になったのだろう。私はあわてて居住まいを正した。

 改めて少年と向かい合うと、…その特異性に気がついた。いや、主に着衣だが……。


「お前、いつの間に──…いや、どうして出来る?」

 いつの間にか、私と同じものを身につけていた。

 それは妖魔にならば出来ることだが、メモリアに出来ることではない。少なくとも、今──。


「何か、触ったら変わった。少し、変だったし」

 あっさりと言われて、私は絶句する。変──なのは、たぶん認識が甘かったということだろう。それ自体は気にならないが、”触ったら変わった”だと?

 触れることで発動する術を作ることは出来るが、着衣に関しては違う。あれは”その場に相応しい装いに勝手に変わる”という術の一種であり、意識して変えるようと思ったら相当な慣れがが必要だ。

 それが生まれたてのメモリアに出来ただと?


『メモリアはねぇ、存在からして例外だらけだから、覚悟しなよ?』


 脳裏にそんな言葉が響く。ここを訪れた先達が、珍しく疲れたような顔でそんなことを言っていたなと思い出す。

 なるほど確かに、覚悟がいりそうだ。

 私は黙ったまま、二煎目の湯を注いだ。先ほどよりも長く時間を置いて、茶を注ぎ、彼に渡す。


「…口に合わなかったか?」

 一煎目は礼儀として受け取っただけで、口に合っていなかったのかもしれない。緑茶を知っているようだったので安心して出したけれど、知識と好みが違うことは珍しくもない話だ。


「あ、いやその……」

 少年は戸惑ったような顔で呟いた。


「味がぜんぜん、わからなくて。匂いも、ぜんぜん……」

「──ああ、そういうことか」

 その言葉で合点がいった。まだ彼は、成長が途中なのだ。

 妖魔の身体は魔力であり、作られる。彼の場合はその魔力が余りに多いから、身体が出来るのが速すぎて知覚関係の成長が追いついていないのだろう。

 うん、そう考えると、自分が首だけだとか奇妙なことを言っていたことも、納得がいくな。必要な部分だけ促成栽培されたようなものだ。

 だがまあ、これは別に、取り返せないようなことではない。ついでに……うん、ここで使う術を試させようか。何がいい…あ。


「茶菓子を出さなかったな。何か、出してくれないか?」

「”茶菓子”──茶道に於いては茶よりも先に味わう菓子を指す。通常は茶とともに食べるものであり、干菓子、水菓子、駄菓子、米菓子、砂糖菓子など、何でもよい」

 …む、そう来るか。


「では、砂糖菓子──金平糖はどうだ、出せないか?」

「”金平糖”──芥子の実を芯に、ザラメ糖の蜜をかけながら転がすことで、角が立った菓子。果汁などを加えることで、風味を変えることも出来る」

 そう言いながら、手をかざしたところに金平糖が現れた。


「なに、これ……オレが出したってこと?」

「ああ、そうだな。思い描いたものを実体化させる、妖魔の特性の一つさ」

 まあ本来は術に分類するべきだとは思うが、まあその辺りはどちらでもいいだろう。


「特性──…今の、しゃべるやつも?」

「しゃべるやつ? ……ああ、知識の読み上げか。いや、あれは妖魔の特性ではなくて、メモリアの特性だろうな」

「その、メモリアって?」

「そうだなぁ……新世界の知識を持たないかわりに、特殊な知識を持って生まれた妖魔──ってとこかな」

 理解できないという顔で、少年は首を傾げている。

 妖魔の術は新世界の知識に含まれるらしくて、メモリアは術を使えない状態で生まれてくる。もっとも、後天的には扱えるようになるので、さほどのデメリットではないだろう。


「ま、食べて見ろ。難しく考えることはないさ」

 手を出さないようなら口に流し込んでやろうかと考えたら、あわてたような顔で金平糖を口に放り込んだ。はて、また心を読まれたか?


「わかりやすいんだよ、あんたは……!」

「失敬な。ポーカーでは負け知らずだぞ。で、どうだ、味はわかるか?」

 一つを私も食べてみる。カシリと音を立てて噛み砕くのが、実は楽しい。うん、甘いな。


「……わからない。噛み砕くとそのまま消えるだけだし」

「味覚以前の問題だな、それ。わかった、急ぐ必要もないからまあ、気にするな」

「さっきもそんなこと言わなかったっけ」

「言ったかもな」

 実際、気にしてどうにかなるものではない。ならば気にしないのが、心安らかに過ごす方法だと私は思う。


「あのさ」

 沈黙に耐えられず、少年が口を開いた。


「……オレ、何?」

「メモリアだな。妖魔の中の特殊個体」

「じゃあその、妖魔って?」

「”畏域”で生まれる魂の中で、知性と自我を得た存在だ」

 よどみなく答えては見たが、さて、消化出来るだろうか。


「この説明じゃ無理だろうな。順番に行こうか」

 まずは、この世界のこと。魔素を得た新世界と、化石燃料を持っていた旧世界の違い。

 次に妖魔と、この国と、メモリアのこと。そして少年は、旧世界の記憶持ちではないかということ。

 最後に、人間のこと。

 ゆっくりと、お茶を煎れなおしたりしながらそれらを語る。


「──てっきり、どこかの王子様かと思った」

「やめてくれ、私はただの魔王だよ。末席に名を連ねるだけの数合わせだけどな」

「へー……魔王さま、なんだ?」

 感心したような声が聞こえた瞬間、なにやら額がむず痒くなった。反射的に手を伸ばせば、そこに山羊のような角が生えていた。


「おいおい……って、背中もか?」

 角は触れるし、堅い。ということはこれ、実体化しているのか。

 背中に違和感を感じたと思ったら、ばさりと音がして、大きな羽が生えていた。……これは、鴉か?


「お前なぁ」

 苦笑しながら、ちょっとだけ力を入れてそれを消す。なのに、代わりとでも言うかのように、羊のような丸角と、蝙蝠のような翼と、長い爪、そして猫の尻尾──が、九本?


「あれ、間違えた。狐にするはずだったのに」

「狐って──九尾の狐か?」

「そう、金色の奴」

「あれに角も翼もないだろうが」

「おまけ?」

「……」

 私は無言のまま、少年に尻尾を生やした。彼の望んだとおり、ふさふさの狐の尻尾だ。

 ばさばさと、尻尾が動く。


「あ、すげぇ、動く」

「そのくらいは、まあ」

 少年の意志そのままに動いているらしい。特にその辺りは考えなかったが、まあいいか。


「お遊びはいいとして。お前は魔王をなんだと思ってるんだ?」

 いや、わかったけどな。うん、今のでよくわかったよ。


「お前の認識では”魔物の王”──で、いいか?」

「──違うんだ?」

「ああ。魔物の中に長はいるが、王という存在はないよ」

 とは言え、魔王と聞いて役人を思い浮かべる奴は、少数だろう。この国くらいだよな、それが通じるのって。あ、さっき説明し忘れたからそのせいか。


「エレーミア妖皇国の魔王は、ただの役人だよ。外交官だったり、内政だったり──いろいろだけどな」

 ただの…だな。そこらの魔法使いが束になっても敵わないとか、その辺りは無視しての話だが。

 まあ、私もその一人なので、一応禄をもらってはいるのだ。……出仕してないけどな。いい加減返上したいのに、受け取って貰えないので只飯食らいだが。


「……なんで、魔王?」

「初代妖皇の趣味らしい。あと、私は二代目にスカウトされての任命だから、初代について聞かれても答えられんぞ」

 初代の在位は意外と短く、二代目に譲った後で世界を放浪する旅に出たらしい。私は世界を放浪していたころにスカウトされているので、会ったことはない。


「じゃ、魔物と妖魔の違いは?」

「ああ、それは簡単だ。知性があるかないか、だよ」

「知性?」

「そう、知性。簡単に言うなら──そうだな、”国”や”世界”を理解出来るか、だな」

 ”畏域”で妖魔が生まれることは見てのとおりだ。だが中には、知性を持たない魂や、獣の姿を取る魂がある。それらをどう扱うか──その基準が、知性となっている。

 助けを求めてエレーミアを頼るなら妖魔。求めずに反撃するなら魔物。そういう線引きになっている。


「え、でもそれって……知らなかったら、出来ないよな?」

「そうだな。だから毎年、魔王の幾人かが各国を回って、迷い出た妖魔を保護している」

 各国に通達も出ているので、よほどのことがなければ隠蔽は出来ない。それが、魔王と人間の差だ。


「まだエレーミアが出来たばかりのころは、魔王の存在は知られてなくてね」

 思い出したついでに教えておこうか。


「世界各地を放浪していた私に、白羽の矢が立った。好きに動いていいから、虐げられる妖魔の保護をしろってね」

「あ。スカウトってそれ?」

「そう、それが始まりだ。いきなり現れて、二代目の妖皇だと名乗ったあげく契約を迫られたときはどうしようかと思ったな」

 実際、一度は逃げ出したのだ。”畏域”を抜けて姿をくらましたはずが、それを追われた。捕まった時点で諦めて、相当な条件を突きつけられると覚悟もしたが──実際に聞いたら、拍子抜けだったな。

 ……後日に至るまで、ずいぶんとからかわれたので、今も奴は苦手だが。


「ま、そんなこんなでも二代目の側近筆頭だ。私はこの世界に、そこそこ詳しい。妖皇直々のスカウトを受けたこともあって、一目置かれてもいる。だからさ、……私と来ないか?」

「へ? 何、いきなり?」

 いきなりかな? うん、いきなりだな。


「魔王の役目の一つに、メモリアの保護がある。保護したなら、妖皇宮へ連れて行かなければならない、とね。で、お前はメモリアなわけだ」

「あー…え、でも別に、悪い扱いは受けない……よ、な?」

「保証の限りじゃないんだよ。三代目はいやな噂ばかり聞く」

 何しろ親しい間柄の魔王はほとんどいないし、信用出来る奴は私と同じく一線を退いてしまって、情報に疎い。

 どこまで本当かはわからないが、死にたいと答えたメモリアの自我を壊して、どこかの一室に閉じこめてあるなんていう噂まであるくらいだ。


「だが契約済みとなれば話は別だ。妖皇の元へは行かなくていい。そもそもが、自立出来ないメモリアを保護するための施策だからな。生きるために必要な知識ことは教えよう。お前を狙う輩からも守ってやる。──だから、私と来い」

 イヤじゃないけどさ、と少年が戸惑い顔で答えを返す。


「──俺なんか狙う奴、いないだろ?」

「いや?」

 話を聞いていたのか、此奴は。妖皇が狙っているのだと、どうして通じない?


「…ああ、いや。そうだな、おまえ個人が狙われるかと言えば、そうではないか」

 うん、そうだな。メモリアだということを除けば、この少年が狙われる理由はない。狙われる理由はメモリアだからなのだが──そこが理解出来ないのかな。


「周りにしてみれば、メモリアは知識の塊という見方もある。その自我を壊せたら、この上もなく重宝すると──そう思う思考は、理解出来るか?」

「は? ……待てよおい、なんだよそれ!?」

「過去にいたそうだ。…人里に生まれたメモリアの末路だ」

 だから、と感情のない先達の声が脳裏に響く。

 だから、とメモリアが無表情に問いかける。


『”畏域”で見かけたら、保護してやってほしい。君の配下にしていいから、守り抜け──』

「自我を壊されるよりも囲い込もう──ってことかよ?」

 は。

 笑うしかないな、この温度差は。

 まあ、概ね間違いではない。自由を好む妖魔を配下に置こうと言うのだから、それは囲い込み以外の何者でもないのだし。


「よ」

「余計なお世話だ、ってかもっと分かり易く言え、何言えばいいのかわかんねぇよ。……か?」

 少年が口をあけたまま固まった。

 別にこれは読心術ではなくて、ただ私が昔、妖皇に対して思ったことをそのまま、言ってみただけだ。…彼の口調に近づけてはみたけどな。


「図星か。説明下手は自覚している。すまんな、報告書なら、もう少し分かりやすく出来るんだが」

「……報告書? ……マジで役人?」

「役人だが?」

 少年が沈黙し、私を見た。…なので、見返して見た。

 視線を反らすだろうと思ったのに、その様子がない。……外せない。

 緊張が続く。視線がはずれたら、何かが起きる──そんな予感が……。


「疲れた」

 起きるわけがない。如何に魔力量が上の相手とは言え、私は百戦錬磨の魔王。生まれたてのメモリアに、何が出来るか。

 それに気づいて、私は深く溜息をつく。

 ──パン!

 鋭い音が、私のすぐ前に響いた。音を立てたのは少年で、…その手が何か、合わさっている。

 

「──なんだ?」

「幸せ」

「──は?」

「溜息を吐くと幸せが逃げるっていうからさ、捕まえてみた」

 にやりと笑いながら答える彼に、もう溜息は出なかった。


「……で、どうするんだ、その叩き潰した幸せとやらを?」

「いや、この程度で潰れるものじゃ……潰れたかな」

「人の幸せになんてことを。…捕まえた意味がないな、それ」

 そもそもそんな方法で捕まえようとか、おかしいだろう。幸せとは何かとか、捕まえるようなものじゃないだろうとか、つい思いっきり言い募っていたら。


「けっこう乗るね、魔王さま?」

「ま、たまにはな」

 仕掛けておきながら呆れたような風情でメモリアが苦笑した。


「側近とか、からかって遊んでたり?」

「いや、側近はいない」

「あ、じゃあ秘書とか」

「いや、それもない」

「てことは、愛人?」

「──……」

 最後の問いに、私は答えなかった。身動ぎもしなかった。

 ただそれでも、──少年の首が転がった。私と少年しかいないこの場所で。


「そういう冗談は、嫌いなんだ」

 私は立ち上がり、転がっていった首を追いかけ、拾い上げる。

 空の彼方、深い夜を宿す髪。閉じられた瞳の色は、今は見えないか。


「──宵闇アーヴェント

 私の呼びかけに、少年はゆっくりと瞬いた。夜闇のような瞳が私を見て、周囲を見る。自分の状況を悟ったか、彼は不思議そうに呟いた。


「──…おれ、生首になっちゃった?」

「ああ、私がやった。痛いか?」

「……痛みはないけど」

 そうか、まだ知覚が成長途中だったのが幸いしたな。


「詫びる気はないよ」

 だって、そうだろう。知らなければ許される──そんな類の言葉ではないだろう?

 私を知る者たちはけして口にしない言葉。知らぬ者であっても、礼儀として避けるであろう言葉だろう?

 アーヴェント、と私は一度呼びかけた。


「私の元に、下るか?」

「え?」

「決めろ」

 それだけ突きつけて、私は答えを待った。

 ”隷属の鎖”は弾かれたけれど、方法はいくつでもある。特に──今の私なら。


「──わかった、下る」

 さほどの間をおかずに下されたその決断を得て、私は術を発動させた。

 ”隷属の枷”──魔王にしか使えない、永遠の隷属を誓う契約だ。

 首の周りを光が取り囲み、枷を形作る。倒れていた身体が解けて枷に吸い込まれていく。

 身体が完全に消えると、枷が光を放った。首までもがその光に隠されて──刹那、新たな身体を得た配下アーヴェントが現れる。

 その両腕に、その首に、その足に、煌めく光の枷を付けられた姿で。


「──配下になって、何をすればいい?」

「何も」

 私は静かに笑って答えた。


「何もって……」

 一線を退いて久しい魔王に、配下など必要はない。これはただ、私の所有物であることを示すための物にすぎない。

 でないと、当代妖皇に奪われるからな。


「──この、鎖……」

 少年がその煌めきを辿り、私を見た。正確にはそれが繋がる私の心臓を。


「なんで、心臓に?」

「そういう術さ。捧げられる忠誠に、心臓こころからの加護を約束する。ま、騎士の誓いと似たようなものだな」

 違うのは実効があって、裏切ろうとすれば即座に枷が閉まること。切断された部位はすべて吸収されて、それで終わること、だろうな。

 この説明に、少年アーヴェントは口を開きかけ、また閉じた。ぱくぱくと、まるで空気を求める金魚のようで面白い。


「お…おかしいだろそれ!? なんでおれ──隷属って奴隷の事じゃないのかよ!?」

「さて、そんな術には心当たりがないんだが」

 先ほど弾かれた”隷属の鎖”も、実は成長段階にある妖魔子供向けの術である。ある程度育つとかけられた側から解けるので、妖魔によっては卒業試験と位置づけることもあるくらいだ。


「なんでだよ、オレ…、お前を怒らせたのに」

「ああ。──それはまあ、首を落としたことで終わってる」

 戸惑うアーヴェントに、それを教えておくことにする。私の怒りは、さほど長くは続かない。ま、それは秘密だがな。


「隷属の枷を嵌めるのにちょうどよかったから、そのまま利用したけどな」

「へ?」

 あはは、戸惑っているな。悪戯が成功したような気分で、ちょっと楽しい。


「首が落ちたことで、修復作用が働く。その原料もとは当然魔力だ。枷にお前の魔力を吸わせたら発動出来ると踏んだのさ」

 正直なところを言えば、普段の状態では発動させられない術である。というかまあ、……首を切らないと発動出来ない術なので、魔王の中でもこれを好んで使う奴はいないのが実状だ。この術自体、瀕死の友人を救うために編み出されたらしい。で、下手に使われると惨劇が待っているので、魔王専用術として使用が規制されていたりするのだが。


「え、でも──、めっちゃ怖かったけど……?」

「ああ、切れてたからだろう」

 彼奴にも「お前は切れると冷酷で怖い」と言われたことがあるので、それは認識している。実を言えば、あの時点で戻ることも出来た。戻る必要もなかったから、意識して戻そうとしなかっただけで。


「大丈夫。あの言葉を聞かないかぎり、切れたりしないさ」

「──覚えとく」

 まるで頭痛がするかのように、アーヴェントはこめかみを押さえながら頷いた。


「あとさ。さっきから、オレをアーヴェントって呼んでないか?」

「ああ、呼んでるな。気に入らないか?」

「んー……まあ、別に?」

「なんだ、張り合いがないな。意味はわかるか?」

「”──宵闇アーヴェント”。宵のうちから月が昇るまでの青く昏い空を指す」

 ふん、とアーヴェントが鼻で笑う。髪を触っていることから、理由を悟ったのだろう。


「じゃあお前は──イーリスだな」

「え?」

 バサリ、と風にあおられたかのように私の髪が広がり、鮮やかに輝く。虹の七色──いや、もっと複雑な──…本来の色に。


「……何を、した?」

「霞みたいなのが掛かってたから、取った。綺麗だなって思ったし」

「取るな、勝手に!?」

 思わず叫んだものの、アーヴェントの言葉に、私は震えた。

 今までに、見抜いた奴はいない。妖皇でさえ、気づかなかった。皆、私の髪は銀色だと──彼奴でさえ、そう信じているのに。


「どうしてわかった?」

「見えたもん。さっき──首切られたときに」

 その言葉に私は絶句した。あの瞬間、あの状態で、そんなことを見ている余裕があったのか。


「イーリス?」

「綺麗、か」

 そう言われて、悪い気分ではない。そうだな、それなら──やめようか。どうしてそんなことを始めたのか、思い出せもしないような理由なら、忘れていいだろう。


「ああ。私は、イーリスだ」

 新しい名も、悪くない。


「さて、アーヴェント。最初の命令だ」

「……なんでしょう?」

「魔力生成を止めろ」

 この一言で、アーヴェントは呼吸が出来なくなったかのように喘いだ。

 やはり、魔力生成型か。枷を嵌めて正解だったな。


「魔力生成を制御しないと、お前、早晩死ぬぞ」

 一応、脅しておく。事実ではあるが、まあ私が死なせたりしないということは黙っておこう。

 多くの妖魔は、魔素を取り込んで錬成し、魔力を生み出して利用する。この過程は、人間も同じで、錬成型と言われている。

 一方、ごく一部ではあるが魔素を取り込めない妖魔が存在する。魂をフル稼働して魔力を生成するので、こちらは生成型と言う。魔素を必要としないがその分魂が休まらず、疲労しやすい。今は主としての命令で無理矢理制御させたが、何かのはずみでまた生産が始まるだろう。

 私が側にいるなら命令することは出来るが、毎回このレベルの苦しみを味わうことになる。死ぬよりマシとは思うが、あまりやりたいことではないな。


「まあ、そういうことだ。落ち着いたか?」

「一応、は。たのむ、から」

 肩で息をするアーヴェント。さほど時間は経っていないが、どうにか折り合いがついたようだ。


「先に説明してくれ……」

 それだけ言って、その場にへたり込む。ふむ……いや、説明しても理解しづらいだろうから、実演したのだが。ダメか、このやり方は。

 ま、睨まれても怖くないよ、少年。

 ちなみに気づいたのは、私相手に角やら尻尾やらを生やしたときだ。あれだけ自在に術を使うとなると、実は相当な魔素がいる。実際、私は同じようにやろうとしても尻尾しか作れなかったわけだし。


「──あれ、そう言えばお前、術が使えるんだな」

 メモリアは、術が使えないとされている。実際、私が今までに出会ったメモリアは皆、術を使えずにいた。もちろん、教えれば使えるようにはなっていたのだが──?

 アーヴェントは曖昧な笑みで、何も言わない。術についてを説明しようとして、ふと違和感に気がついた。


「──お前、その瞳」

 何も考えないまま、感じたままに私は言葉を紡ぐ。


「そんな色じゃなかったよな?」

 くす、とアーヴェント──のふりをした誰かが笑う。

 アーヴェントの人は夜闇の青──髪の色とよく似た色だ。だが今は、夕暮れの空を思わせるようなグラデーションとなっている。それが、違和感の正体だ。

 ああ、そうか。あの赤い髪──錯覚のはずがないのだから、あの場で考えるべきだったか。

 まあ、構うまい。この状態でも枷が消えていない。つまり、契約は有効で、私には逆らえないということだ。


「身体を作ってやる。アーヴェントから離れられるな?」

 驚いたように目を見開いた後、静かに頷いた。私はそこらに散らばった品々を消し、変わりに一つの人形を作り出す。性別も何もない、ただの素体だ。

 アーヴェントの手がそれに触れると同時、魔力が流し込まれるのがわかる。強制制御したはずの魔力生産を復活させたか?


「──ああ、違うのか」

 流し込まれているのはアーヴェントの魔力で間違いないが、生産は止まったままだ。周囲に溢れていた彼の魔力を集めて利用しているのだろう。他者の魔力を利用するとなると、かなりの熟練が必要なはずだが……?

 小さなビスクドール程度の大きさだった人形は、我らと変わらぬ大きさになった。そのまま宿り変えるかと思ったがそうではなく、要所が柔らかみを帯びた身体へと作り替えられていく。

 着衣までも同時に作り上げたところで、人形が起きあがる。まるで踊るかのように手足を動かして、カーテシーを披露した。そこから起こされた身体にはもう、人形の気配は欠片も残されていない。


「──見事だな」

「これくらい出来なくて、魔王の側近は勤まりません」

「側近?」

 誰のことかと言外に問いかけても、答えは返らない。夕暮れの髪、夕陽の瞳──シンプルな黒のドレスに映えるその美しさは、噂にならないとは思えないけれど、私には覚えがない。

 確かに、魔王の中には補助としての側近を置くものもいる。私の場合は側近というより、各地の情報を集めさせるための密偵だったが。


「──フェネクスさま。わがままを申し上げても?」

「ん? 聞くだけは聞いてやるが?」

 丁寧な態度は崩れないが、下手な答えは命取り──そんな雰囲気が、この女からは漂っている。まあ、私に何か出来るとは思えないが、何しろ、アーヴェントがいる。


「あの方に出会えるそのときまで、わたしをお側に置いてください」

「あの方って、誰だ?」

 私の問いに、微笑むだけで答えない。……これで側に置けとは、また無理を言う奴だ。


「私でなければ、一笑に付して終わりだな」

「はい」

 嬉しそうなその声に、私は苦笑した。


「名は?」

「──……」

 口を開きかけて、噤む。幾度かそれを繰り返し、やがて諦めたように溜息を吐いた。


「どうぞ、お好きなように」

 封じられたか、奪われたか。ま、名に力などないし、それはあり得るが。

 さて、そうなると──。


夕辺ソワレ。私に仕えるか?」

「はい」

 迷いのない答えはが返された。

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