第39話 エピローグ


「ふぅ、疲れた〜」


 私は椅子の上で背伸びをする。もう何時間も机に向かっていて、体がカチコチになってしまっていた。旦那は「もうちょっといい椅子買ったら?」と言うが、そういう問題でもないし、そもそも身体に馴染んでしまっているので、なかなか他に良いものがないのだ。


 ふと時計を見ると、針はすでに夕方あたりを指していた。


「いけない! 買い物行かなくっちゃ!」


 大慌てで席を立つと、階段を降りてリビングルームへと向かう。冷蔵庫の中身は頭に入っている。今夜の献立も既に決めてある。スーパーの特売情報だって、インプット済みだ。


 お財布良し! スマホ良し! 鍵持った! よし行こう!


 自転車に乗って近所のスーパーへと漕ぎ出す。 夕方前ということもあって、田舎の道には車の通りもほとんどなく、疲れた頭でぼけーっと自転車を走らせていても、危険なことはない。


 夏にはまだ早い季節だけど、まだお日様が高い時間帯は、そこそこ暑くなってきている。「着てくる服を見誤ったか」一瞬そう思ったけど、頬に当たる風が少しだけ気持ちいいので、これはチャラってものだ。


 スーパーに到着し店内に入ると、もう冷房が効いているらしく少し寒かった。やっぱりね、ここのスーパー、暖房を入れるのは遅いんだけど、冷房だけは真っ先にいれるのよね。


 外は暑かったけど、羽織りものを着てきて正解だった。


「えっと、何を買うんだっけ?」


 メモを見ようとスマホを取り出したら、画面には書き終えたばかりの小説が表示されていた。ついさっき最終話が完成して、チェックのためにスマホに送っておいたんだった。


 私は指先でスクロールさせて、小説を流し読みしてみた。小説の終わり方は、いつも書き始める時に決めている。それでもやっぱり、最終話を書く段階になると、いつも迷ってしまう。今回も随分迷って末に、やっぱり当初案通り行こうということになった。


 小説を書くということは、楽しいことではあるんだけど、どうしても苦しいことも出てくる。今回のように展開で悩むこともあるし、本当にそれでいいのかな、と何日も考え込むこともある。


 誰かに読んで欲しいと思う反面、たくさん読まれるとプレッシャーに押し潰れそうになったりもする。


 今の読者がどんな小説を求めているのかが、分からなくなって色々調べてみたり、そんなことをやっていると、自分の書きたいものが何だったのか分からなくなることもしょっちゅうある。


「小説をただ楽しく読んでた時には、こんなこと思わなかったのにな」


 とは言え、もちろん楽しいことの方が多い。


 読者さんに「楽しかった」と言われれば舞い上がってしまうし、たくさんのPVやハートマークが集まると何時間でも画面を眺めてニヤケてしまう。他の作家さんとの交流も、読むことしかしなかった頃に比べると、格段に密度の高いものになってて、それがとても面白く、幸せに感じる。


 だから「読む」だけから「書く」ことも始めたのだし、こうやって続けていられる要因でもある。


 晩ごはんの材料を買い込んで、それを自転車のカゴに押し込む。もう一度スマホの画面を見てみた。最後の一文を小さく口に出して読み返してみる。


 うん、やっぱりこの終わり方でよかった。もっと凄いどんでん返しも考えてみたけど、私にとって、小説はこんな感じの終わり方が一番ベストだと思う。特に今回の話ではそうだろう。


 そんなことを一人で考えていると、突然背後から声を掛けられた。自分の世界に入り込んでいた私は、不覚にも驚いて声を出してしまった。


「ひゃっ!」


 少し挙動不審になりつつも振り返ると、そこには友人がニコニコしながら立っていた。片手を振りながら、私の名前を人懐っこそうな声で呼ぶ。


 私は軽く手を上げて、彼女に話しかけた。


「あら? まーちゃんじゃないの」

「恭子ちゃん、晩ごはんのお買い物?」

「そそ、ちょっと小説に夢中になってて、遅くなっちゃった」

「あ、もしかして最終話できた?」

「うん、ついさっきね」

「見せて見せて〜」


 武田雅世、まーちゃん。私の友人が甘えるようにそう言ってるのを見て、私は思わず吹き出しそうになったけど「ダメダメ、ちゃんと投稿したのを見て」と言った。


 まーちゃんはちょっとだけふてくされたような顔をして「知りたいんだもん〜」と子供のように甘えてくる。いい歳して何言ってんだ、と思うけど、まーちゃんがやると、嫌味ったらしく見えないから不思議だ。


「けど、まーちゃんに先に見せたら、家に帰ってみんなにすぐ話しちゃうでしょ?」

「そりゃ……そうかもだけど」

「啓太くん、この前『母さんに先に見せないで下さいよ。ネタバレばっかりするんですから』って怒ってたわよ」

「しょうがないじゃない? 早くみんなに教えてあげたいし」


 私は思わず声に出して笑ってしまった。そうそう、まーちゃんはそういう人だった。


「義弘さんにも、啓太にも、雫にも言わないから! ね?」


 私は「ダメだったら」ともう一度断ろうとしたが、少し考えてからスマホの画面を見つめた。元々、彼女がいなかったら出来なかった作品なんだ。もちろん、全てではないけれど、彼女が語ってくれた「お話」がなかったら、この小説は生まれなかった。


 私はスマホの画面をタッチして、書き終えた小説を表示させると彼女へと手渡した。


 素敵な話を教えてくれた恩人への感謝の意味を込めて。

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家族編集部 しろもじ @shiromoji

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