番外編

 

 「……で……んか……」


 酷く顔の腫れ上がった女性が懸命に四肢を動かし、大男に両脇を抱えられたシャーロットのもとへと這い寄る。

 彼女が吐き出した大量の血が、廃工場の地面、更には長く美しかったブロンドの髪までをも真赤に染めていた。


 『チッ、しぶとい女だ。……おい、もう片方の足も折れ』

 

 身なりの良い若い男に指示され、背後に控えていた手下の一人がゆっくりと動く。

 その手には激しく凹んだ金属バットが握られている。


 今回の犯行はアジア系の組織によるものだった。

 日本がM国と親密な関係になる事を良しとしない国による、身代金目的の誘拐に見せ掛けた犯行だったのだ。

 身代金として要求した一億ユーロは、勿論彼らの取り分となるのだが、それとは別で彼らには犯行を依頼した国から、莫大な報酬が支払われる事となっていた。

 つまり彼らからしてみれば、身代金が手に入ろうが入らなかろうが、既に目的は達成されているのである。

 シャーロットとエレーナの生死については、報酬の額が変わるだけの問題だったのだ。


 「も……もうやめとくれ……やす」


 微かに震えた声で呟いたシャーロットの願いも虚しく、彼女を守ろうと必死に足掻く女性、エレーナへと凶器は振り下ろされた。


 「!!……っ」


 埃を被った廃材が転がる工場に、鈍い音が響き渡る。

 しかしそれでもエレーナは気を失う程の激痛に耐え、唇を噛み切り何とか悲鳴を堪えた。


 もし悲鳴を上げてしまえば近所の住人が不審に思い、この工場に訪ねて来たり警察を寄越したりするかもしれない。

 今なら身代金を支払えばシャーロットは助かるかもしれないのに、誘拐犯達が急遽計画を変更して、余計な危険が迫るかもしれない。

 そう考えたエレーナはただ只管激痛に耐え、声を押し殺し続けているのであった。


 (……少し、ほんの……少しの間でも、殿下の御身が安全であるのなら、……この身など、どうなっても構わない)


 彼女の頬には一筋の涙が伝っていた。


 勿論痛みで涙を流しているのではなく、彼女は自分の浅はかだった考えを悔んでいたのであった。

 幼き頃より武術の鍛錬を積み重ねて来た自分が護衛に付いていれば、シャーロットの身は守れるだろうと安易に考えていた事。

 タケルから注意を促されていたにも拘らず、シャーロットの我が儘を許してしまった自分の判断が間違いであった事。

 そして何より、無力で役に立たなかった自分の姿を見て、シャーロットに大粒の涙を流させてしまっている自分が酷く許せなかったのだ。


 (……私は今まで……一体何の為に……殿下に仕えて、来たの……)


 そしてシャーロット自身もまた、自分が仕出かした事の重大さに、危機に陥ったこの時になって漸く気付いた。


 (泣いてる場合やあらしませんえ。エレーナが……このままやとエレーナが……。ウチが我が儘うたばっかりに、エレーナが死んでしまいますえ……)


 エレーナが声を上げない理由を悟ったシャーロットは、大声で助けを呼んだり無駄に抵抗したりはせず、じっと機会を窺い頭を働かせているのであった。


 (エレーナが身を削って時間を稼いでくれてる間に、何とか脱出する方法を考えな……)


 『……ボス。ヤンが息を引き取りました』

 『これで九人目……か』


 手下からの報告を受け、ボスと呼ばれている中華系の男性がエレーナを見下ろす。


 今回、エレーナは簡単に犯行を許してしまったわけではなかった。

 女官の二人が武術の達人であるという情報を事前に掴んでいた彼ら犯行グループは、少人数で襲うのではなくチームで一斉に襲い掛かった。

 あまり人目に付かないようにと、シャーロット達が裏路地を選んで移動した事が仇となってしまったのだ。

 取り囲むようにして襲われたのにも拘らず、押し寄せる屈強な男達を相手に、エレーナはシャーロットの盾となりながらも十数名を返り討ちにしていたのであった。


 『……ヤンホンの身内だったな。アイツに仇を取らせよう。洪を呼べ』


 外で見張りに就いていた洪を呼び寄せる為、壁際に控えていた手下の一人が外へ向かった。


 『王女の目の前で、この女を洪に犯させるというのも悪くないが、流石にこのつらでは洪が可哀相だな。我らの同胞の命を奪った恨み、死で以って償って貰うぞ。クックック……』


 エレーナの傍らに屈み、整った身なりの男が下衆な笑みを浮かべた。

 

 『……おい、まだか? いつまで待たせるんだ! 早くしろ!』


 男が声を荒げると、更に二人の手下が表に向かって走り出した。

 洪が見張りに就いている場所は近く、走って向かえば数秒で辿り着く。


 ……しかし二人の手下が向かってからも、洪が姿を見せる事はなかった。


 『……フン。どうやら我々の忠告は無視されたようだな。よし、王女とこの女はここで始末して退却するぞ』


 (……何かあったんどすか? 言葉が分からへんさかい、状況が掴めへんどす) 


 シャーロットは状況を把握する為、慌ただしく動き始めた連中をじっくりと観察し始めた。


 (移動……どすか?)


 シャーロットが分析を続ける中、両脇を抱えていた男の一人が、腿に装着していた刃物に手を掛けようと動き始めた、次の瞬間――

 数十名の武装した男達が、まるで死神に魂を引き抜かれてしまったかのように次々とその場に倒れ始めた。


 (ななな、なんどすのー!)


 真っ先にシャーロットを拘束していた二人が倒れ、その後瞬く間に犯行グループの男達は全滅に至った。

 ボスと呼ばれていた一人の男を除いて――


 『なな、な、何事だ! 一体どうなってやがる!』


 無様に狼狽える男の声が、静まり返った工場内に響く。

 突然の出来事に全く対応出来ず、シャーロットの拘束が解けている事にすら気付いていなかった。


 (……どうした、の? た、助けが……来て――)


 全身を襲う激しい痛みにより、エレーナの意識は途切れる寸前であった。

 衣類はズタズタに裂かれ、傷付いた体は地面の汚れと血液が入り混じった物でまみれている。

 普段の美貌とはかけ離れた姿となって、地面に横たわる彼女の瞳には、薄っすらと人影のような物が映っていた。 

 霞み掛かった視界では、歩み寄って来る人物が誰なのか判断する事など到底出来ず、今のエレーナには誰か助けが来てくれたのだと信じる事しか出来なかった。


 『だだ、誰だテメー!』

 『誰だ! って言われてもなー。この二人の友人とだけアンタ、ファンさんには言っておきますよ。じゃあもう用はないから――』

 『は? 何を言ってや――!!!!』


 意識が朦朧とする中、エレーナの耳には微かに聞き覚えのある声が届いていた。

 そして――


 「もう大丈夫ですよエレーナさん。……ぼそ【シャイニングオーラ】」


 (……に、日本、語……!!!)


 飛びそうになっていたエレーナの意識は、すぐさま普段通り冴え渡り、全身を襲っていた痛みは何処かへ消し飛んでいた。


 (な、え? ど、どういう事――)


 突然起こった信じ難い状況に、エレーナは酷く混乱していた。

 自分が初対面の男性に、抱え起こされている事にすら気付かない程に。

 そしてその男性が自らが着ていたジャケットを脱いで、そっと羽織らせてくれた事にも気付かない程に……。


 「あ、あの、貴方は――はっ! 殿下、殿下ー!」


 エレーナは考えが整理出来ないまま、脇目も振らずシャーロットのもとへと駆け寄った。


 『殿下! 私が至らないばかりに、こんな目に遭わせてしまって。お怪我はありませんか!』

 『――えー、あー、うん。私は大丈夫よ。っていやいやエレーナ、貴方何故普通に動けるの? おかしいでしょ!』

 『全く分かりま゛ぜん!』

 『何よぞれ゛!』


 二人共が混乱したままだったので、会話は成立しなかった。 

 会話は成立していなかったのだが、抱き合う二人はお互いに涙を流している。 

 自分達は助かったのだという事だけは理解出来ていたようだ。



 そして助けに来た男性、タケルがこの救出劇で本当に苦労したのはここからだった。


 ……


 「絶対に嘘どす。タケルはんとは見た目が違い過ぎますえ。ウチを騙そうとしても無駄どすえ」

 「ホントなんだって。シャーロットが誘拐されたってマリアさんに聞いて、助けに来たんだって」


 怖い目に遭ったシャーロットが疑り深くなって、タケルがどれだけ説明しようとも一切信用しなかったのだ。

 そして――


 (……こ、この男、一切隙がないわ。一体どういう鍛錬を積めば、この境地に達する事が出来るのかしら……。後ろから急所に蹴りを入れる事が出来れば、私でも――)


 「あの、エレーナさん。後ろからいきなり蹴って来るのとか、本当に止めて下さい」

 「まままさか、そんな事するはずないですよー! あははー」


 (くっ、行動を先読みされてしまったわ……。こんな達人に出会えるとは――)


 タケルの強さに興味津々のエレーナだった。


 (エレーナさん、ゲーム内では物静かなイメージだったのに、現実世界リアルだとこんな人だったのか。性格変わり過ぎだろ!)


 「……ホンマにタケルはんどすかー?」


 怪しい者を見るように、シャーロットは眉を『ハの字』に顰めている。

 

 (全っ然信じてくれないな。……じゃあ、これならどうだ?)


 タケルはシャーロットに向けて、ゆっくりと手を差し伸べた。


 「豚の喜劇団ピッグス・シアターズは目の前で困っている友人を見捨てたりはしません」

 「……あっ!」


 OPEN OF LIFEで、シャーロットをパーティーに誘った時のセリフを言った事で、漸くタケル本人なのだと信じて貰えたのであった。

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頭がデカ過ぎてVRMMOのヘッドギアが入らなかった件 山田の中の人 @gejigeji

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