絶対霊度

桜庭かなめ

『絶対霊度』

『絶対霊度』




『72%』


『95%』


『38%』



 これらは、僕の視界に入っている人達全てに付いている数字だ。頭上に表示される。心身共に健康な人ほど100%に近く、死に近いほど0%に近い数値となる。僕はこの数字のことを『生命率』と勝手に呼んでいる。


『5%』


 おっと、コンビニ横に危険水域の若い男性がいるな。彼のことをよく見てみると、顔が青白くなっているのが分かる。


「どうしたんですか?」

「……給料日が今週の金曜日なんですけど、全然金が無くて。もうお腹がペコペコで死にそうなんですよ……」

「じゃあ、これを使ってください。昨日、バイト代がたくさん入ったんで」


 と、僕は男性に5000円札を渡した。

 すると、男性の生命率は一気に『30%』まで上がった。お札を手にしたことで何とかなると思ったのかな。体力が落ちていても、気力があれば生命率はグッと上がるのだ。


「ありがとうございます! 金曜日に給料が入ったらお返ししますので、金曜の今ぐらいの時間にここに来てください! そこで必ず返しますから!」

「……返す必要はありませんよ。使わないので。それでは失礼します」


 僕は男性の元から立ち去った。あの様子なら、今後は高い生命率を維持したまま生きていくことができるだろう。

 生命率が見えるようになったのは、僕の彼女・水野真衣みずのまいが交通事故で亡くなってから3年ほど経ったときだった。ある日突然、あらゆる人の頭上に数字が見えるようになった。色々な人の数字を見ていくうちに、この数字は生命に関するバロメータであると分かったのだ。

 最初はこういった光景に気持ち悪さもあったけど、すっかり慣れてしまった。むしろ、0%でない数字を見ると、確かに生きているのだと分かって心が安らぐくらいだ。


「おい、あのビルの屋上に……女の人がいないか?」

「た、確かにそうだな。飛び降りようとしてないか? ま、まずいんじゃね?」


 そんな男性達の会話が聞こえたので、彼等の視線の先を見ると……10階ほどの高さのビルの屋上にスーツ姿の女性が立っている。その様子を多くの人が見つけたのか。

 目を凝らして見てみると……女性は思い詰めた表情をして、柵を跨いでいるところだった。まずい状況だな。しかし、


『30%』


『40%』


『70%』


 と、彼女の頭上に生命率が表示され、どんどん上がり続けている。飛び降り自殺しようとしているように見えるけど、とても高い数字だ。

 とりあえず、彼女のところに行くか。


「ちょっと待ってください」

「えっ?」


 女性のいる場所に辿り着いたときは、彼女は柵の向こう側に立ち、地上を覗き込んでいた。いつでも飛び降りができる状況だった。


「あなたは飛び降り自殺をしようとしていますが……実は生きたいというどんどん膨らんでいる。実際に高いところに来て怖くなったからでしょうか。理由は定かではありませんが……」

「……そんな感じです。よく分かりましたね」

「……分かってしまうんです。とりあえず、こちらに戻りましょう」


 と、僕は女性の体を持ち上げて、安全なところまで運んだ。


「え、ええと……あなたは……」


 女性は非常に困惑しているようだ。突然、目の前に僕が現れ、自分の心を見透かされ、更には軽々と体を持ち上げられたのだから。


「申し遅れました。僕は大学生の吉岡怜よしおかれいです。あなたは?」

「ま、槇嶋綾乃まきしまあやのです。社会人2年目です。そういえば、あなたの顔をどこかで……」

「……僕のことはいいんですよ。ところで、あなたは今……死にたい気持ちが薄れてきている」


 すると、槇嶋さんはゆっくりと頷いた。


「……長時間労働が続いて、その上に職場の人間関係のストレスが溜まって。心身共に疲れがピークになっちゃって。死にたいというよりは、今の職場から逃げたい気持ちが大きくて。でも、どう逃げればいいのか考える余裕がなくて。死ぬという選択肢しか思い浮かばなかったんです。でも、実際にここに来たら、結構高くて。死ぬのが怖くなってきて。地上の落ちた瞬間は物凄く痛そうだし……」

「そうですか……」


 やっぱり、死ぬことの恐怖で、生命率が上がっていたのか。

 それにしても、長時間労働に加えて、職場でのストレスか。それらが問題になっているとネットのニュース記事で見たことがある。また、これらのことが原因で自殺した人もいるという記事も。死ぬことが唯一の救いの道を考える人もいるのだろう。


「……僕は学生ですので、職場でのことは想像することしかできませんが……槇嶋さんは今の職場から離れたいということですよね」

「……ええ」

「でしたら……今のお仕事を辞め、転職するのも一つの立派な選択肢だと思います。仕事を辞めて、静養して、次の仕事に向かって動き始める。実際には大変なことなのかもしれませんが。すみません。学生がこんなことを言って……」


 大変かもしれないけど、生命率がかなり高い槇嶋さんの場合は……死ぬよりはよほどいい選択肢なのかなと思う。


「……気にしないでください。むしろ、ありがとうございます。吉岡さんに話すまで自分の悩みが言えなかったので……ようやく気持ちを落ち着かせることができそうです。そうですよね、辞めればいいだけなんですよね……」


 そう言うと、槇嶋さんから穏やかな笑みが見えるようになった。

 悩みや不安を口にするだけでも気持ちがだいぶ軽くなる人もいる。どうやら、槇嶋さんはそのタイプのようだ。


「……何だか、心を包んでいた分厚い雲が取れたような感じがします。勇気を出して一度、お休みをいただいて……ゆっくりと今後のことを考えたいと思います」

「そうですか。槇嶋さんによっていい未来が思い浮かべられるといいですね」

「……はい。その……初対面でしたのに、私の話を聞いてくださってありがとうございました」

「いえいえ。僕は……1人でも多くの方に自殺を思い留めてほしいだけですから」


 そう、彼女には生きる道があるんだ。僕はそんな道へと導くためにここにいる。今日は彼女を導くことができて本当に良かった。


「あっ! も、もしかして……」


 すると、槇嶋さんは目を見開いて、驚いた様子で僕のことを見る。


「あの、勘違いでしたらすみません。思い出したのですが……吉岡怜さんって半年ほど前にあった強盗殺人事件の被害者の……」

「……ええ。気がついたらそうなっていました」


 そう、僕は半年前に……自宅で強盗殺人事件に遭い、ナイフで刺殺されたのだ。ただ、睡眠中だったので刺された瞬間の痛みは覚えていない。その事件は大きく報道され、被害者の僕の顔写真も公開された。だから、槇嶋さんも僕のことを覚えているんだと思う。

 そして、殺害された日を境に僕は生命率が見えるようになった。

 そう、これは僕が幽霊になったから得た能力だったんだ。

 ちなみに、惨殺された僕の遺体を見たとき、僕の頭の上に見えた生命率は当然『0%』だった。


「でも、どうして亡くなった方が私の目の前に……」

「……どうしてなのでしょうね。ただ、僕は……知らない人間による不本意な理由で、人生を終えてしまいました。そして、僕と付き合っていた彼女も同じように。ですから、まだ人生を続けられる可能性がある人を救いたいという僕のエゴが理由だと思います」

「……そう、ですか」


 なるほど、と今の僕の話を槇嶋さんは理解しているようだった。普通に過ごしていれば幽霊と会うことなんてないと思うけど……実際に信じられないことが起こると意外と冷静でいられるのかな。


「またいつか会いましょう。できれば、何十年後で……年老いたあなたと」

「……はい」


 槇嶋さんは柔らかな笑みを浮かべながら小さく手を振っていた。けれど、彼女に僕の姿を見えなくさせた瞬間にキョロキョロし始めた。


「お疲れ様、レイ君」

「うん。ありがとう、真衣」


 振り返ると、そこには僕が卒業した高校の制服を着た真衣が立っていた。

 3年以上前に交通事故で亡くなった真衣とは、僕が殺されたこともあって、半年前にあの世で再会した。ただし、真衣は高校生のときに亡くなったので、今でも姿は当時のままだけれど。


「彼女は大丈夫そう?」

「きっと大丈夫だと思う。定期的に彼女の様子を見に行くことにするよ」

「それがいいね。さっ、一緒に帰ろう」

「……そうだね」


 殺されてしまったことの悔しさは尋常ではないし犯人のことは絶対に許さない。当初は犯人を殺そうと思っていたけれど、僕を殺害してから数日も経たないうちに警察に逮捕されたので思い留まった。


「そうだ、お疲れ様のキスをまだしてなかったね、レイ君」

 そう言うと、真衣は俺にキスしてくる。真衣が交通事故で亡くなったとき、またこうして彼女とキスできるなんて想像もしなかったなぁ。


「3年経ったら、レイ君よりかっこよくなったよね」

「……どうかな」

「かっこよくなったよ。再会してから毎日そう思ってる」

「その言葉、真衣が生きているときにも言っていたような」

「えへへっ、いいじゃない」


 真衣、本当に幸せそうだな。

 こういった生活がいつまで続くかは分からない。けれど、これが課せられた役目でもあると信じ、僕は今日も人々を見守っている。




『絶対霊度』 おわり

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