終章

最終話 エピローグ

 八月の終わりに開催されたイベントから、また一カ月ほどが経過したある日の朝。

 始業時間に大幅に遅れてロボマルの本社ビル七階にあるオフィスに出社した五島は、窓の外を眺めながら、いつものようにぼーっとした時間を過ごしていた。

 いつの間にか、ここから見える太陽の位置が少しだけ低くなった気がする。

 それに比例するように、ある時までは連日のように更新されていた最高気温は、九月の半ばを過ぎた頃から日を追うごとに少しずつ下降し続けている。

 長く続いた夏が、ゆるやかに終わっていく。

 いよいよ秋らしくなってきたな、と思いながら五島は、顔を外に向けたまま、視線を右から左へゆっくりとずらす。

 と、その時視界の端に珍しいものを見た気がして、そちらへ注意を向けようとしたところを不意に現れた闖入者に邪魔された。

「おはようございます。部長、今朝のニュース見ましたか?」

「――おう、岡田か。ニュースってのはあれか。ソロテックの――」

「それ以外に何があるっていうんですか」

 五島がのんびりとした口調で応じると、岡田は口を尖らせるようにして言った。

 確かに、それ以外に何があろうはずもない。

 少なくとも今日のところは――。

 

 五島達とは因縁が深く、また世界的な大企業でもあるソロテックが、『経営破綻に追い込まれた結果、倒産する見込みが確実となった』というニュースが各種メディアによって報じられたのは今朝早くのことだった。

 一大企業の呆気ない最期。

 実のところ、それは少し前から予期されていたことではある。

 というのも、

 今月に入ってから、自社のロボットが引き起こした傷害事故など、ソロテックが不正な手段で闇に葬って来たかつての不祥事の数々が、内部告発や第三者からの情報提供という形で次々と暴き立てられ明るみに出る事態となり、その責任を追及する被害者により、あちこちから一斉に訴訟が起こされたためである。

 その賠償額の累計は、それこそ、会社の存続が危ぶまれるような莫大な額に上ることが予想されていた。しかし、あるいはそれだけで済んでいれば、倒産という最悪の結果は免れたかもかもしれない。むしろ決定的だったのは、金銭的損失の上に社会的な信用までもを完全に失ったことだ。元々、前回の不祥事によって会社の地盤が揺らいでいたところに、更にその根幹にこれだけの衝撃を受けたとなれば、いかな大企業とは言え持ち堪えるは不可能であった。

 

 とは言え――、

 予期されていたことではあるが、これほどの大企業の倒産となると近年は他に例がなく、恐らく今頃は世界中が大変な騒ぎになっているのだろう、と五島は思う。

 恐らくというのは、朝方ネットでそのニュースを目にして以来、取り立てて新しい情報を仕入れていないせいだった。

「やっぱり倒産するみたいだな」

「この一大事に、部長はまた随分と落ち着いてますね」

「俺が焦ったところで何にもならないからな。それで、何か新しい情報でもあったのか?」

「いいえ、それはまだわかりませんけど、――でも、これでようやく我々も一安心ですね」

「ああ。そういえば、明日の――」

 五島が何かを言い掛けた時、それを再び邪魔するように、

「あ、五島さん丁度良いところに」

 オフィスのドアを開けて廊下から顔を覗かせた織部が、五島を認めて開口一番にそう言った。

「おう、俺に何か用でもあるのか」

「今さっきそこで柏木さんに聞いたんですけど、社長が五島さんに直々に話があるとかで。手が空き次第、部屋まで来て欲しいそうです」

 最近の織部は妙に柏木と仲がいい。

『ユリカ』の今後についてふたりでいろいろと話し合ったというから、そのせいもあるのだろう。結局、今もまだ事推進で管理されている『ユリカ』は、しかし、今後は織部がそちらへ顧問として出向する形で研究が再開されることが決定していた。

 それにしても――、

「社長室にお呼ばれなんて、何やらかしたんです?」

「さあな。少なくとも、今度一緒に飲みに行こうって話ではなさそうだ。しかし手が空き次第とは言うが……」

 五島の手は基本的にいつでも空いている。それはロボマルの社員にとっては周知の事実である。

「――つまり、今すぐに来いってことじゃないですか」

 岡田が当然導かれ得る答えを口にした。

「そういうことになるよな、やっぱり」

「早く行った方が良いと思いますよ」

と、織部からも急かすように言われて五島はようやく重い腰を上げた。

「仕方ない。それじゃちょっと行ってくるわ」


 五島が出ていくと、それからすぐに入れ替わりに佐々木が先技研のオフィスに顔を出した。

 織部が出迎えて言う。

「おかえりなさい、佐々木さん。また何か頼まれごとですか」

 五島や岡田が留守にしていたり、織部が別の作業にかかりきりになってい間、ほとんど一人で事務作業をこなしていた佐々木は、今や名実ともに先技研の長であると言っていい。そして、仕事の出来る彼の元には、人手不足の他部署から持ち込まれる仕事が後を絶たない。

「ええ、〝お得意先〟からいくつか。でもこの分なら、今日はお昼までになんとか全部片付けられそうです。そろそろ私達も、自分の仕事に手を着けなきゃいけませんしね」

 そう言って佐々木は自分のデスクの方に歩いていくと、途中でふと気づいたように足を止めオフィスの中を見回して、

「そう言えば、五島さんは? 少し前に出社して来たところを見掛けたんですが」

「ああ、部長ならついさっき呼ばれて出ていきましたよ。それも、どうやら社長直々のお呼び出しらしくて」

 岡田が事情を説明すると、

「ふむ、なるほど。社長が……」

「佐々木さんはあまり驚かないんですね。……あの、五島さんと社長が知り合いっていうのは本当なんですか?」

 織部は、いつか何かの拍子に聞いて以来、ずっと半信半疑で気に掛かっていたことを佐々木に聞いた。

「それ、僕もずっと気になってたんですよ。以前はどうせまた部長の与太話だろうと思って適当に聞き流したんですけど、事推進が動いたのも社長命令だって言うし、やっぱりふたりの間に関係があるからこそ便宜を図ってもらえたのかなって」

「ええ、どうやら本当みたいですよ。とは言え、立場上はこちらに肩入れし過ぎるわけにもいかず、最初の頃は様子を見ていたようですけどね。私もあまり詳しくは知らないんですが、五島さんがうちに入社する以前からの知り合いだとか」

「部長ってここに来る前は何をやってたんです? どこかから転職してきたって話は聞いたことがあるんですけど」

「おや、ふたりとも知らないんですか? ――まあ無理もないかもしれませんね。五島さんにはあまり吹聴するなと言われているんですが、おふたりになら言っても良いでしょう」

 そう言うと、織部と岡田が固唾をのんで耳を傾ける中、佐々木は少し勿体ぶるように間を置いてから口を開いた。

「五島さんの前職というのは、実は――」




「玉ちゃんの方からお呼びが掛かるなんて珍しいこともあったもんだ」

 五島は目の前に広がる夏と秋を足して二で割ったような中途半端な空に目をやりながら、後ろにいる熟年の女性に向けて言った。少しだけ秋寄りの風が吹き抜けて、ふたりの髪を撫でるようにそっと揺らす。

 彼らが今いるのは、十一階階建てのビルに居を構えるロボマルのその最上部。つまり屋上である。

 社長室に顔を出した五島を出迎えた、玉ちゃんこと、ロボマルの現代表取締役の『王子つかさ』は「外の空気を吸いに行かないか」とこの場所に五島を連れ出したのだった。

「ソロテックのことはもう聞いてるだろ?」

 つかさの男勝りな口調は、凛とした見た目とその毅然とした物腰とに相まって、接する者に自然と魅力を感じさせる。

「ああ、またえらい騒ぎになっているみたいだな」

 五島が答えると、つかさは突然に「ふふ」と笑みをこぼした。

「何かおかしなことを言ったか?」

「いや、随分と他人ごとのように言うなと思ってね」

「こっちはこっちで、自分のことに手一杯なもんでな」

「あまりそうは見えないが? ……まあそれはいい。それより君達の今後についてだ。『STAR&LINEミ☆☆☆スタートライン』と言ったか、彼女達の活動を正式に業務内容の一部とすることが先日の取締役会で承認された。営利目的ではなく、あくまで〝市場調査〟の一環としてな」

「そうか。……無理を言って悪かったな、玉ちゃん。今回のことだけじゃない、予算のこととか他にも色々な」

 由里佳の新型の脚部パーツも、つかさが必要経費を予算に追加計上することを承認してくれたおかげで、ようやく完成の目処が立ったのだった。

「そのあたりについては取締役会で少しばかり詰められたがね。何、ようやく私達の夢が叶ったんだ。そのぐらい安いものだろう。まだ技術者の玉子だった私と、駆け出しのロボット心理学者だった頃の君の夢がね。だからと言っては何だが、こちらこそ礼を言わせてくれ」

「あの頃の夢か――。だけど、まだ終わっちゃいない。俺達が二十年かそこらもかかってようやく実現できたのは、あの頃抱いた途方もない夢の、そのまだ半分だけだろ?」

「――実のところ、どう思う」

 そのもう半分は実現する見込みがあるのか、とつかさが問う。

「さあな、それは俺たちが決めることじゃない。いつだって俺達はそうしてやってきたんじゃないか」

「そうか。……そうだったな」

 五島に倣うように空を見上げて、つかさはあの頃とあまり変わらない少しだけハスキィな声で言う。

 後ろにいるつかさのその表情は、五島には見えない。

 そして五島は振り向きもせずに言う。

「――なあ、明日また秋葉原でライブがあるんだが、良かったら来てみないか。まだあいつらのステージを直に見たことはないだろう?」

「あの頃のように、か? ……うん、久しぶりにそうするのも悪くない」

「おう。きっと玉ちゃんもあいつらのファンになると思うぜ。この先のことはわからないが、そいつだけは俺が保証する」


 ふたりが見つめる先には、変わらない空と絶えず姿を変え続ける雲と、そして少しだけ遠ざかった太陽の上を横切って飛ぶ、三羽の白い鳥。

 あれは鳩だろうか――。

 五島が先ほど、先技研のオフィスの窓から見たのと同じ光景がそこにあった。珍しいからという以外に大した理由はないが、きっとあの時の三羽だ、と思う。

 真白い鳩達は、少しだけ戯れるようにロボマルの上空を飛んだあと、唐突に彼方を目指して方向を変えた。

 

 寄り添うように。

 迷うそぶりもなく一直線に。

 秋を運ぶ風に乗って、どこまでも高く遠くへと。

 

 その姿が点のように小さくなって見えなくなるまで、五島はその行く先を見届けるように、ただじっとぼんやりと霞む目を凝らしていた。


                   

                   

                  ―了―

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