第31話 アイドロイドガール
「ねえふたりとも。まだ起きてたら少し相談したいことがあるんだけど、いいかな」
由里佳が遠慮がちに口を開いたのは、合宿の最終日の夜、その最後を飾るにふさわしいイベントを終え、後はもうは眠るだけ、と三人が揃って川の字に並べた布団に仲良くもぐりこんでから少ししてのことだった。
暗闇の中、右隣の布団の中で椎奈がもぞりと動く気配がする。
「改まってどうしたの?」
由里佳は、ええとね――、と左隣の反応を窺うが、そちらはまったく身動きする気配もない。
「真以子はもう寝ちゃってるかも。寝起きは悪い癖に寝付きだけは良いんだよね」
そういうことなら仕方ない。起こすのも悪いと思って、由里佳はそのまま椎奈だけに聞こえるような声の大きさで言う。
「あのね、あまりうまく言えないんだけど、もしわたしが自分がロボットだってことをずっと黙っていたとしたら、ふたりはどう思ったかなって」
「うーん、どうだろう。言われなければ、秘密にされているっていうことに気づくこともなかっただろうし、今はそうしなきゃならなかった事情も知ってるしね。…でも、そういう事情を抜きにして言えば、やっぱり、本当のことを話してもらいたかった、って思うかな」
「そっか、……やっぱりそうだよね」
「……もしかして由里佳さんは、わたし達以外の人にもそのことを打ち明けたいの? 例えばファンの人達とかに」
「……」
「今、どうしてわかったの、って顔してるでしょ。わかるよ、それぐらい」
椎奈は「ふふ」と笑って、続けて言う。
「わたしも、みんなに知ってもらいたいかな。由里佳さんのこと。だって、由里佳さんがどんなに可愛いかってことを、その魅力をわたし達だけが知っているっていうのも、何だか勿体ないじゃない。でしょ」
独り占めしてるみたいでそれも悪くはないけれどね、と椎奈は付け足すように笑って言う。
「だけど、中にはわたしがロボットだってことを知ってがっかりする人もいるんじゃないのかな」
由里佳がそう言うと、その疑問には答えずに椎奈は思いがけない話を切り出した。
「……ねえ、実はわたしも由里佳さんにまだ話してないことがあるんだ。丁度いい機会だから、今話しても良いかな?」
「ええと――、うん、聞かせて」
突然のことに戸惑いながらも頷きを返すと、
「わたしね、実は昔、ロボットが引き起こした事故に巻き込まれて怪我をしたことがあるの」
由里佳は思わず椎奈の方に顔を向けて、「えっ――」と短く驚きの声を上げた。
暗闇に慣れた目にも、椎奈のその表情までは判然としない。
「わたしはまだ軽い方で、わたしよりもずっと酷い怪我をした人が何人もいて、ニュースにもなったくらいには大きな事故だったんだけど、そのロボットの製造元の会社は巧妙に責任逃れをして、結局は原因もよくわからないまま有耶無耶にされちゃったんだ。だから今も、公式には偶然が引き起こした不幸な事故だったってことになってる」
「もしかしてその会社って……」
由里佳はその話が転がる先を予期して、恐る恐る聞いた。
「――ああ、ううん。違う違う」
すると、
由里佳が何を言わんとしたのか察したらしく、慌てたように椎奈が否定する。
「えーと、何て言ったかな。うーんと……、とにかく由里佳さんとは全然関係がない会社だよ。……それにね、誰に責任があるとか、シャザイとかバイショーとか、そういうのはもういいんだ。――少なくともわたしはね。そんなことよりもわたしにとってつらかったのは、その事故のせいでロボットのことが少し苦手になっちゃったってこと。……これでも最近は随分マシになったんだけど、今でもたまに街でロボットを見掛けたりすると、ちょっとドキッとしちゃうことがあるんだ」
「でも、それじゃあ――、」
「うん。だからね、この間の事故の後に由里佳さんのことを聞いた時は、びっくりもしたけど、やっぱり少しだけドキッともしたんだ。でもね――、」
言葉を探すように間を開けてから、椎奈は再び口を開いた。
「ドキッとしたのは最初だけだった。落ち着いて考え直してみると、由里佳さんのことを怖いとは少しも思わなかったんだ。……自分でも不思議なくらいだけど、きっとそれは、わたしが由里佳さんのことを良く知っていたからだと思う」
「わたしのことを知っていたから?」
由里佳が聞くと、隣で大きく頷きを返す気配があって、
「うん、そう。由里佳さんは自分の意思で誰かを傷つけたりするような子じゃないって知っていたし、そう信じてたから。だってあの時、由里佳さんはわたしを助けようとしてくれたでしょ?」
「でも、あれは――」
「それはもういいよ。大丈夫、これでも由里佳さんの気持ちはわかっているつもりだから。もう十分過ぎるほどに伝わっているから。それに、謝ってほしくてこんな話を始めたわけじゃないしね。――とにかくね、わたしがそうだったように、きっと他のみんなもわかってくれると思うんだ。たとえ、ロボットに対して良い感情を持っていない人だったとしても、人間と同じように、ロボットにも色々なロボットがいるんだって。由里佳さんみたいな、親しみやすくて可愛らしい女の子のロボットもいるんだって」
「椎奈さん――」
すると突然、由里佳の左隣の布団の山が音を立てて割れ、その下から真以子が顔を出して言った。
「わたしもそう思う」
「なんだ、真以子。起きてたの」
椎奈の驚いた声にこっくりと頷きを返す気配。それに続けて言う。
「でもすぐには難しいかもしれない」
「うん、そう、きっとすぐには受け入れられない人もいると思う。だから、由里佳さんが自身が本当にどうしたいのかをもう一度よく考えてから、それでも良いって思えるなら、その時はそうすれば良いんじゃないかな」
「由里佳さんがそうしたいと決めたのなら、わたしはそれを応援する」
「……そうだね、うん。もう一度よく考えてみる。ありがとう、ふたりとも」
由里佳はもぞもぞと頭を動かして、椎奈と真以子を交互に見て言った。
「ううん。お安い御用だよ。それじゃ、もうそろそろ寝よっか。明日もまたレッスンだしね」
「わたし、明日早起きできたら由里佳さんの寝顔を写真に収めるんだ」
「真以子、それっていわゆる死亡フラグってやつじゃない?」
「――じゃあ、どっちが早く起きれるか競争しようよ。真以子さんが勝ったら、真以子さんの好きな卵焼きをいっぱい作ってあげる」
由里佳が不敵な笑みを浮かべて、挑戦的な声で言う。
「受けて立つ」
真以子がこっくりと頷きを返すと、椎奈が疑問を口にした。
「由里佳さんが勝ったらどうなるの?」
「ええと、椎奈さんが朝ご飯を作る」
「えっ、わたしが!?」
「椎奈が作った料理を食べさせられるなんて、それ何て罰ゲーム」
「流石に罰ゲームは酷くない? 真以子もわたしのサンドイッチは美味しそうに食べてたくせに」
「あれは料理のうちに入らない」
「ええー、そんなぁ……!」
「――あはは」
季節柄、少しだけ気の早い鈴虫の音のような笑い声が、ぼんやりと輪郭だけを浮かべる暗い室内にこだまする。三人が寝静まったのは、結局それから一時間以上も後のことだった。
そして時間はまた八月三十一日のイベント当日に戻って、
公演開始の時間が迫って、熱気がいや増す会場の関係者席の一角。
岡田が疲弊した様子で、呑気に座席に座っている五島の横に立って声を掛けた。
「こんなところにいたんですか。もう探しましたよ。部長の端末、ちゃんと電源入ってます?」
「ああ」
五島は前を見たまま、岡田の方に顔も向けずに短く答える。
「ああ、じゃないですよ。……良かったんですか。三人のところにいかなくて」
「あいつらにはもう、その必要もないだろ」
「まあそれもそうですね。みんなしっかりしてますし」
「お前が頼りないからな」
「部長にだけは言われたくないですよ。それ」
岡田が負けじと言い返すと、五島は少し黙ってからぽつりと言う。
「悪かったな」
「どうしたんですか。急に」
「新曲用のプログラム、無駄にさせちまっただろ」
「そのことなら別にいいですよ。織部さんに見てもらったおかげで良い勉強になりましたしね。それに――」
「それに?」
「……あんなに楽しそうに踊る由里佳を見ていたら、今までの苦労なんてどうでもよくなりますよ」
「そうか」
短く答えて、五島は力を抜くように鼻からフッと息を吐いた。
「前から気になっていたことがあるんですけど」
「何だよ。藪から棒に」
「どうしてアイドルだったんですか」
「本当に今更だな」
「初めの頃はそんなことを考える余裕もなかったですし。で、実際どうなんです?」
五島は天井を見上げるようにして考えてから口を開いた。
「オフィスの織部のデスクの上にな、小さいフィギュアが置いてあるだろ」
「フィギュア? ――ああ、そういえばそんなものもありましたね。……それが何か?」
「お前は知らんだろうが、あれは昔やってたアイドルもののアニメのマスコットキャラなんだ。俺も最初は忘れていたんだが、後になって思い出してな」
「何で部長がそんなものを知っているんですか……。まあそれはいいですけど、とにかくそれがきっかけで思いついたと」
岡田は不承不承という感じで頷いて、五島に先を促した。
「そのアニメが好きだってんなら、織部もこの案に食いついてくれるんじゃないかってな」
「……彼女がやけに乗り気だったのは、そういう理由もあったんですか」
「でもな、俺だってまさかあれ程トントン拍子に事が運ぶとは思わなかったぜ」
「おかげでこっちは色々と厄介ごとを抱え込まされましたけどね」
そう言う岡田の声は、言葉ほどには恨みがましくない。
「お前達は良く働いてくれたしな。今度、特別手当を申請しておいてやるよ」
「何ですか、それ」
「モナカアイス三日分。もちろん板チョコ入りだぞ」
「何ですか三日分て。それは部長が食べたいだけでしょ。大体、夏はもう終わりですよ」
「別に冬にアイスを食ったって良いだろ? それに、〝俺達の夏〟はもう少し長く続くかもしれないぜ」
五島がいつものように嘯くように言うと、
「俺達の夏、ですか。……結局のところ、この三カ月の間、僕らがやっていたことに意味はあったんでしょうか」
岡田は誰にともなく言うように、ポツリとこぼした。
「少なくとも、あっち(ユリカ)については結果オーライだろ」
そう言うと五島は再び天井を見上げて、
「こっち(由里佳)の方は――、あるいは今日のステージでその答えが出るかもしれないな」
「何か知ってるんですか?」
「いいや、ただの勘だけどな」
「勘、ですか」
「何だよ」
岡田の思うところがありそうな口ぶりを聞き咎めて五島は言った。
「さっきの〝どうしてアイドルだったのか〟っていう話なんですけど」
「またその話か。もう文句なら聞き飽きたぞ」
「いや、そういうわけじゃなく。これもただの勘なんですけどね。ロマンチストな部長のことだから、『ロボットは戦争の道具なんかじゃない。みんなに夢を与えるためにあるんだ!』とかなんとか。そういう理由もあったんじゃないかなって」
「……」
「――あれ、もしかして図星でした?」
こいつ、分かっててやってやがるな、と思う。どんな反応を返したところで、結局は岡田の思うツボになりそうなので五島はだんまりを決め込んだ。
「でもまあ嫌いじゃないですよ、部長のそういうところ」
「うるせー、別にお前の意見なんて聞いちゃいねーんだよ」
「はいはい、生意気なこと言ってすいませんでした」
生意気な岡田の生意気な一言には答えずに、五島が憮然とした顔でステージの方に目をやると、女性の声で『まもなく、開演時間となります』というアナウンスが会場に響いた。その瞬間会場の熱気がまた一段と増した気がした。
「いよいよですね」
「――ああ」
五島はまだ誰もいないステージの中央をひたと見つめて、短く答えた。
〝胸がばくばくと高鳴っている〟
でも、きっとこれは気のせいだ。
だってわたしには、脈打つべき心臓などありはしないのだから。
〝心がどきどきとときめいている〟
でも、たぶんそれはニセモノだ。
なぜってわたしには、出来あいの感情しか与えられていないのだから。
ニセモノのココロが、誰かの心を動かすことなどできないと、
ずっと、そう思っていた。
――あの時までは。
繋いだ手の平を通して、ふたりの体温が伝わってくる。
わたしのこの熱も、ふたりに伝わっているのだろうか。
〝開演〟を知らせるブザーが鳴った。
会場を満たしていた小さなざわめきが、ぴたりと止んだのがわかる。
束の間、深く沈むような静寂に包まれていた。
――ここは、まるで海の底だ。
リフトの穴から見上げる大きな照明は、さながら、夜の水面(みなも)に光を注ぐまんまるのお月様。
小さな音と共に昇降機が滑るように動き出す。あの月に向かって、まっすぐに上っていく。
わたしは目を閉じると、息を吸い込んで吐いた。
その自然な所作に、自分でもちょっと驚く。
繋いだままの手と手に、誰からともなく、微かな力が込められる。
できることならあと少し、このままで――、
ふと、そんなことを思った。
きっとこの一瞬は、これから何度も思い出す。
忘れることができないわたしにも、忘れられない瞬間はあるのだ、と。
加速が止まった。
期待に胸を躍らせる心に身を委ねて、わたしは閉じたままの目蓋をそっと開く。
視界が戻ったとき、そこに広がっていたのは、
――眩いばかりの、一面の星の海だった。
視界一杯に瞬くのは色とりどりのペンライト。
様々な色が入り乱れているかと思えば、一斉に、揃って同じ色になったりするのは手元の操作で簡単に切り替えられるからだ。
由里佳はもうその正体とカラクリを知っている。
でも、違う。
由里佳の目の前にあるのは、慣れ親しんだ景色とは似ても似つかないまったく別世界のような風景だった。
その輝きに目を奪われて、
胸を衝くような感情の波に激しく揺さぶられる。
それはきっと、
あるはずのない場所に、あるはずのなかったものがあるから。
イントロが始まる。
照明のパターンが変わる。
繋いだ手を放すのは怖くなかった。
そうしたいと望めば、いつでもそうできると知っているから。
流れるように体が動く。
滑るように歌声を紡ぐ。
曲のリズムに合わせ、星の海に波が生まれて、
時折、フォーメーションを変えるたび、ふたりの笑顔が視界に入る。
それは光が溢れるこの場所にあってなお、
まるでそれ自身が輝いているかのようなとびきりの笑顔だ。
きっとわたしにも同じ笑顔が浮かんでいる、と由里佳は思う。
でも――、
もしかしたら、ふたりのそれには少し及ばないかもしれない。
だって仕方ない。
良い笑顔をしようと意識しているわけではないのだから。
意識していなくても、勝手にそうなってしまうのだから。
きっとこれが好きなるってことなんだと思う。
わかってしまえばそれは難しいことなんかじゃなかった。
つらくて苦しくて、時に泣きたくなることもあるけれど、
それを乗り越えて、最後にはやっぱり笑えることが好きになるってことなんだと思う。
好きなことを続けるっていうのは、そのサイクルを繰り返していくことなんだと思う。
それならば、わたしは――、と由里佳は改めて決意する。
好きを続けよう。
行けるところまで行ってみよう。
その先に何があるかはわからないけれど、
始めるよりも続ける方がきっと難しいけれど、
好きでいる限り、 最後にはきっと笑えるはずだから。
一曲目が終わり、途切れることなく二曲目が始まって、
そしてそのアウトロが鳴り止んで、再び束の間の静寂が訪れた。
まるで、それ自身が熱を放つかのように火照った顔と体。
同時に感じるのは確かな手応え。
間違いなく、今までで最高のパフォーマンスだった。
それを裏付けるように、
会場の静けさの中に、隠しようもない興奮と期待が渦巻いているのがわかる。
次はいよいよ新曲のお披露目だ。
けれどその前に――。
最後のフォーメーションのまま両隣に並んだふたりに目配せすると、ふたりとも力強い頷きを返してくれた。言葉はもう必要ない。
あの夜から、由里佳はずっと自問自答を繰り返していた。
自分が何を望んでいるのか。
そのために何をすればいいのか。
そうして出した答えを、ふたりにはまだ告げていない。
だから、これはふたりに向けた意思表明でもある。
だからこそ、ここから先はひとりでやると決めた。
由里佳はふたりをその場に残したまま、ステージの前方へ歩み出た。
これから始めるのは、つまり『自己紹介』だ。
誰にともない誰かへ向けて。
誰にともない自分へ向けて。
信じてもらえなくたって構わない。
どんな反応をされたって怖くない。
ううん、それはちょっとだけ嘘。
でも、本当の自分を好きになりたいし、好きになってほしいから。
推定年齢十五歳の女の子で、
先端技術の粋を集めたロボットで、
やる気だけは一人前の、駆け出しのアイドル。
そんな、本当のわたしを。
由里佳は小さく息を吸い込んで、遥か星の海の向こうまで届くような声で言った。
「はじめまして、わたしは――」
これはひとつの終着点。そして新しい始まり。
由里佳が、次のステージに進むための第一歩。
ゴールの先には、いつだって新しいスタートが待っているのだから。
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