第30話 線香花火の終わり

「「合宿?」」

 椎奈の突拍子もない提案を受けて、由里佳と真以子が異口同音に聞き返した。

「……それって、学校の部活動とかでしたりするあれのこと?」

 由里佳の疑問に、「そう、それ」と椎奈は頷いてみせる。

「でも、合宿なんてそんなの、どこでやるの。大体、わたし達のレッスンはいつものスタジオじゃないとダメじゃない」

 真以子は至極もっともな疑問を口にした。場所の問題もさることながら、いつもレッスンを指導してもらっているトレーナーの都合もあるので、おいそれと場所を変えるというわけにもいかない。 

「この土壇場で本格的な合宿を計画するのは流石に無理があるってことぐらい、わたしだってわかってるよ」

「何かいい案があるの」

 真以子が小首を傾げるようにして聞くと、

 椎奈は「うん、とっておきがね」と悪戯めいた笑いを見せてから、

「それでね、本格的なものが無理ならせめて形だけと思って考えたんだけど、うちの事務所に泊まらせてもらうのはどうかなって」

「事務所に?」

 由里佳が興味津々といった風に聞き返す。一方の真以子は、黙りこくったまま胡散臭げな視線を椎奈へ向ける。

 すると、椎奈は得意気な顔で〝とっておき〟のアイディアとやらを語り始めた。

「そう。たしか空き部屋がいくつかあったでしょ。割と広いのもあったと思うし、そこに三人で一緒に寝るってのはどうかな? それで一緒の時間に起きて、一緒に朝ご飯を食べて、一緒にいつもの場所へレッスンに行くの」

「――楽しそう!」

 椎奈の説明を聞き、いよいよ由里佳は目をキラキラとさせながらはしゃいだ声を上げる。

「うんうん、絶対楽しいよね! 真以子はどう思う?」

 椎奈が真以子の方へ顔を向けて聞くと、真以子がそれに答えるよりも先に、

「ねえ、真以子さんも一緒にやろうよ、合宿!」

 由里佳が、真以子の方に身を乗り出すようにして言った。

「……由里佳さんがそう言うなら、わたしもやってもいい」

「もう、素直じゃないなあ、真以子は。ほんとうはやりたいくせに」

「別に。椎奈と由里佳さんをふたりきりにするのは危ない気がするからわたしもついていくだけ。そんなことより、やるならやるでちゃんとプロデューサーなりマネージャーなりに許可はとらないとダメでしょ」

「全然危なくないよ! ……でもまあ許可は取らないとだよね」

「それならわたしにまかせて!」

 由里佳はここぞとばかりに挙手をしながら「はい!」と勢いよく立ち上がった。

「おお、由里佳さんやる気満々だね」

 椎奈にそう言われ、さすがに張り切り過ぎたかと由里佳は急に恥ずかしくなった。

 再び椅子に座ると、上目遣いに小さな声で言う。

「だって、一度でいいから友達と一緒にお泊りっていうのをやってみたかったから」

「ふふ。そんな風にお願いされたら絶対に断れないね。そういうことなら由里佳さんに任せちゃおうかな」


 その日の夜。

 帰宅した由里佳は早速、夕食を食べ終えたタイミングで織部に『合宿』のことを話した。

 すると織部は少し考えてから、

「合宿――か。うん、いいんじゃない。わたしからも五島さんに頼んでみるよ」

「本当?」

「でも、ちゃんと椎奈さんと真以子さんもご家族の許可をもらっておくように言っといてね」

「今聞いてみるね」

 善は急げ、と携帯端末でふたりに宛てたメッセージを送ると、それからすぐに、ピコンという可愛らしい音が立て続けに二度鳴った。

「わ、もう返事が来た。……ふたりとも大丈夫だって」

「きっとふたりとも合宿が楽しみなんだね」

 織部が柔らかい笑みを浮かべてそんなことを言う。

「そうなのかな。――うん、そうだったら嬉しいな」


 

 

 あの日の後に由里佳達はもう一度打ち合わせをして、最低限必要な計画を練った。その結果、日程は八月十九日の火曜日から二十二日の金曜日までの三泊四日に決まった。

 そして、その最終日は例の〝期日〟の二日前に当たるので、由里佳達は合宿の締め括りとして、その日のレッスンの場でトレーナーに三人のダンスの完成度を評価してもらうつもりでいた。

 形だけとはいえ、目標が定まれば俄然意欲も増すというもの。

そんなこんなで、それぞれの思いを胸に、三人だけのささやかな合宿が始まった。

 

 由里佳達の一日は、空が青みを増していく午前六時に始まる。

 夏のこの時間帯と言えばすでに日が昇って一時間は経過しているものの、早朝と言えば早朝である。一方、スタジオでトレーナーが参加する本格的なレッスンは昼から始まるので、実のところ、そんなに早く起きる必要はないと言えばない。

 けれど、形だけの合宿を少しでも〝らしく〟したいと思ってそう決めたのは、ほとんど由里佳の一存である。椎奈は「それっぽい方が達成感があって良いかもね」と賛成してくれたが、真以子は最後まで反対の姿勢を見せていた。しかし結局は由里佳の、ふたりと一緒に本物の合宿がしたいという、真っ直ぐで純粋無垢な気持ちを前に成す術もなく陥落した。そして、真以子が強硬な態度を取った理由はすぐに由里佳の知るところとなった。

 

 朝起きると、すぐ両隣にふたりがいる。

 それは由里佳にとって、唯一無二の特別な時間だった。

 仮に起床時間がもっと遅い時間に決まっていたとしても、由里佳はこの時間に起きただろうと思う。まだふたりが目を覚まさないこの時間に。

起きる順番は決まって、由里佳、椎奈、真以子の順だ。由里佳がまず目覚めると、少しして椎奈がもぞもぞとし始め、いつまでも布団をかぶったまま動かないのが真以子。

「真以子は低血圧だから朝弱いんだよね」

 一度目の朝が来た時、起き抜けでまだ少しだけぼーっとした顔に笑みを浮かべて、微動だにしない掛け布団の山を見て椎奈が言った。

 つまり、それが真以子が早起きを拒絶した理由だった。

それから十分ほど待って、      

「ほらー、真以子ー。そろそろ布団片付けるよー」

 と椎名が呼びかけると、真以子は布団から頭だけを覗かせて、

「もう少し待って」

 目も開けずにそれだけ言うと、再び布団を被ってしまう。

 実のところ、ここには他にも空き部屋のような場所があるので、この部屋は寝室と割り切ってしまえば布団を敷いたままでも良いのだが、やはり〝合宿とはかくあるべし〟というわけで「布団は毎朝片付けること」という不文律が敷かれている。

 どういうわけか椎奈や真以子が教えるまでもなく、いつの間にか由里佳は出所不明のその手の知識を大量に仕入れてきていたので、どんなところにまで由里佳の目が光っているとも知れず、ふたりは片時も手を抜くことを許されないのであった。

「それじゃわたしは、先に朝ご飯作ってるね」

 『STAR&LINEミ☆☆☆』スタートラインの関係者が『事務所』と呼んでいるこの建物には、簡単な流し台の外に、手狭ではあるがきちんとした台所が設けられていた。やけに部屋が多いことなどからして、あるいは元々は宿泊施設として作られたものなのかもしれない。

 そして、その必要にして十分の台所で、真以子が起き出してくるまでに朝食の準備をするのが由里佳の日課になった。

 六時起きを強行した負い目からその罪滅ぼしという意味もあったが、それよりも何より、ふたりにはいつか手料理を食べさせるという約束をしていたので、それがようやく叶って嬉しいという気持ちの方が大きい。

 この合宿のためにひそかに新調したエプロンを身に着けて、どことなく静謐な感じのする朝のキッチンに立ってふたりのために腕を振るうのが由里佳は好きだった。

 それからまた三十分ほどして、

 朝ご飯を食べる頃には、真以子もすっかり目が覚めて普段通り、

 というわけにもいかないようで、

「おはよう、由里佳さん」

 というその声からしていつもよりテンポが遅い。

 朝食を食べ始めてからしばらくしてようやく目が覚めて来るという有様で、

「由里佳さんの作った朝食を食べないと、目覚めない体になっちゃうんじゃない」

 と揶揄するように椎奈が言う。

「それでもいい。そうなったら、由里佳さんに毎日朝ご飯作ってもらうから」

「残念。じつはわたしが先約してるんだなこれが」

「それなら、今みたいに三人で住めば解決」

「さては天才か……」

 そんな、不意討ちのようなやり取りに少しだけドキドキしながら、

「その時は、たまには二人も作ってくれると嬉しいんだけどなあ」

 と由里佳は困ったような笑みを浮かべて言うのだった。


 朝食を食べ終えた後は、三人で後片付けをして、その後で一緒にお昼用のお弁当を作る。主食はサンドイッチで、付け合わせは朝食の残りに二、三品追加して出来上がりという簡単なものだ。三人で作るというのは椎奈の提案だったのだが、その言い出しっぺの椎奈が料理などほとんどしたことがないということが判明したため、彼女はもっぱら食パンを切って具を挟むだけの機械と化した。ロボット以上にロボットらしい見上げた働きぶりだった。

 昼飯の準備を済ませると、一時間ほど自主トレーニングをして、少し休憩を挟んでから出掛ける準備をして、作ったお弁当を持って貸しスタジオへと向かう。

 そこではまた自主トレや準備体操をし、お昼を食べ、午後一時にトレーナーが来るなり、本格的なレッスンを小休憩を挟みながら六時までの五時間みっちり行う。

 最後に復習として三十分ほど三人でダンスを合わせて、スタジオに備え付けのシャワー室で汗を流して帰途に就く。

 やっていることは普段とほとんど変わらないはずなのに、三人一緒というだけ無性に楽しく、練習にもより熱が入った。そのせいか、由里佳の技芸は短期間のうちに見違えるようになり、コツをつかんでからの伸びは更に目覚ましいものがあった。

 

 初日の練習を終えた後、事務所までの帰り道の途中で、

「汗をかいた後のシャワーは気持ちいいけどさ、どうせなら皆で温泉に入りたいよね」

 と椎奈がふいに思い出したように言った。

「それは流石に贅沢を言い過ぎでしょ」

「調べてみたら、この近くに銭湯があるみたいなんだけど、ちょっと寄ってみない? きっと、由里佳さんはそういうとこに行ったことないよね。――あ、もしかして、お湯に浸かっちゃダメだったりする?」

「ううん、平気。だけど、さっきシャワーを浴びたばっかりなのに変じゃない?」

 由里佳は必要以上に〝合宿のしきたり〟にとらわれ過ぎていて、気にするところがずれている。

「ほら旅館とかだと一日に何度も温泉に入ったりもするし、それとおんなじだよ」

「同じって……、もしかして椎奈は合宿を温泉旅行か何かと勘違いしてるんじゃない」

「いいからいいから。細かいこと気にしない。それにほら、いわゆるスーパー銭湯ってやつみたいで、中で食事もできるんだって。ね、だから夕飯もそこで済ませちゃえば一石二鳥でしょ」

 結局は椎奈に押し切られる形で、一行は近場の銭湯へと向かうことになった。。

 由里佳がそうして椎奈に連れられて、得体の知れない場所に行くのはこれで二度目のことである。そして、背の高い煙突が方々から突き出て、朧な月を背にまるで魔城のように聳え立つその建物は、前回とは比べ物にならないほどの妖気を放っていた。

 ここで言う〝妖気〟とはつまり、何かとんでもない事が起こるのではないかという予感のことである。

 予感はほどなくして的中した。

 そもそも、人がたくさんいる場所で裸になるということからして衝撃だった。カルチャーショックを受けたと言っても良い。知識としてそういうものだと知っていても、実際にやってみるとなると話は違うのだ。脱衣所で由里佳がどぎまぎしていると、椎奈と真以子は手際良くさっさと服を脱いでしまい、気づけば素肌にタオルを巻いただけのあられもない姿になっている。

 由里佳がまだ一枚も脱いでいないことに気づいた椎奈が、

「ほら、由里佳さんも早く」

 と少し意地の悪い笑みを浮かべて急かすように言う。

「でも、わたし、こういうの慣れてなくて、」

 椎奈がつつ、と近寄って来たせいで、余計恥ずかしくなって目のやり場に困りながら、たどたどしく答える。

「へいきへいき。恥ずかしいのは最初だけだって。――どうしても踏ん切りがつかないなら、わたしが手伝ってあげよっか?」

「えっ――」

「椎奈、抜け駆けは良くない」

 なぜか真以子は、獲物を前にした猫のような目をこちらに向けながら怪しげな手つきをして言う。

「だ、大丈夫っ。自分で脱げるから……!」

 言うが早いか、由里佳が目をつぶって一息に服を脱ぐと、

「おお、良い脱ぎっぷり」という椎奈のはしゃいだ声と、「残念」という、なぜか言葉以上に残念そうな真以子の気落ちした声が聞こえた。

 そして、

 服をすべて脱ぎ終え、見よう見まねでタオルを巻いてようやく一息ついた由里佳を、ほどなくして更なる衝撃が襲うことになるのだが、それについては由里佳の名誉のためにも詳しいことは伏せておく。

 とにかく、世の中には知らない方が良いこともあるということを由里佳は知った。

 真実は時に残酷なのだということが身に沁みてわかった。

 けれど、風呂上がりに三人で飲んだコーヒー牛乳の味は格別だった。仮にそれを知らないままだったら、きっと人生の半分は損していたかもしれないと思えるほどに。


 


 二日目と三日目の夜は、事務所で夕飯を食べた。

 水曜日は、これから帰って夕飯を作るのも大変だよね、とコンビで買って済ませてしまったのだが、木曜日は事務所まで様子を見に来た織部が、三人のために食事を作ってくれていた。

 四人で一緒に食卓を囲む。

 椎奈と真以子は、

「由里佳さんのお姉さんの手料理、一度食べてみたかったんだ」

とふたりとも嬉しそうにしていたので、由里佳としても満更ではなかった。

「本当は、お姉ちゃんみたいなもの――、だけどね」

 今更のように一応訂正を入れると、

「でも、本当の姉妹みたいに見える」

 まじまじと、由里佳と織部を見比べた後で真以子がそんなことを言う。

「うんうん。だけど、どうせならもう少し妹力を上げたいよね」

 続いてそう言ったのは椎奈。

 すると再び、真以子が重大な秘密を明かすような口ぶりで、

「わたし、簡単に由里佳さんの妹力が上がる方法を知ってる」

「え、なになに、教えて教えて」

「それはわたしも知りたいな」

 いつの間にか織部までノリノリで話に加わっている。

「――ええと、妹力って?」

 話に乗り切れていない由里佳が疑問を口にすると、

「由里佳さん」

「う、うん」

「織部さんのことを〝お姉ちゃん〟って呼んでみて」

「えっ――?」

「ほら、いいからはやく」

 そう言って急かす真以子の目が、怪しい光を帯びて見える。

 織部の方を見ると、彼女は何やら期待しているような目をこちらに向けていた。

 しまったと思う。

 そんな目を見てしまったら、知らんぷりなど出来そうもない。

 由里佳は恥ずかしさで顔が火照るのを自覚しながら、今までは実際に呼んだことのなかった呼び方で織部を呼んだ。

「……、お姉ちゃん――」

 

 夕飯を食べ終えると、椎奈と真以子のふたりが皿洗いなどの後始末を買って出た。由里佳も手伝おうとしたところ、「由里佳さんはいつも朝ご飯作ってくれてるんだから、今はお姉さんとゆっくりしてて」と言われてしまった。

 せっかくの好意を無駄にするのもどうかと思い、由里佳はお言葉に甘えることにした。

 居間のように使っている部屋へ戻り、そこでひとりでくつろいでいた織部に、

「追い返されちゃった」

 と舌を出すように言う。

「ふたりとも、良い友達だね」

「うん――」

 すると、織部は由里佳があまり見たことのないような悪戯な笑みを浮かべて、

「ねえ、もう一度〝お姉ちゃん〟って呼んでみて」

 先ほどの一件を思い出して、にわかに恥ずかしさがぶり返した由里佳はそっぽを向くようにして言った。

「ええと、今日の分はもう終わり」

「一日一回限定?」

「……今のところは」

「そのうち増えるんだ。ふふ、じゃあ、楽しみにしてるね」


 


 そして四日目、ついに合宿の最後の一日がやって来た。

 最終日ということで、前述の通り、今日は例の〝試験〟をすることになっている。すなわち、由里佳の実力がステージに立つに足るものになっているかどうかをトレーナーに判定してもらうのだ。新曲のダンスを三人で合わせて踊り、トレーナーから合格が出なければ、あの話はなかったことになる。

「まあ最終日っていっても、どうせまた明日からも普通にレッスンするんだしさ。そんなに気負うことないよ」

「いつも通りやればへいき」

「うん、ふたりともありがとう」

 試験の結果いかんによっては、今後は由里佳が練習に参加する必要はなくなってしまうかもしれないのだが、それはそれ。由里佳はふたりの気持ちを素直に受け取ることにした。

「ねえ、今夜は最後の夜なんだし、何か特別なことがしたいよね」

 椎奈がそう言って、由里佳は期待を滲ませた声で聞く。

「特別なことって?」

「うーんとね、それはまだ考え中」

「椎奈はもう少し集中して」

「前から思ってたんだけど、真以子って私にだけ冷たくない?」

「うん」

「えっ……。ちょっと待って、真以子。そこはふつう否定するところだよね……?」

 由里佳の頬に思わず笑みが浮かぶ。

 割と本気でショックを受けている椎奈には悪いとは思うものの、ふたりのいつも通りのやり取りは、いつも通り由里佳を安心させてリラックスさせてくれるのだった。

 

 そして、三人は出せる力をすべて発揮して試験に臨んだ。

 すべてを出し切って、由里佳は確かな手ごたえを感じた。

曲が終わって少しして、トレーナーが言った。

「三人とも、よくやったね」

「それじゃあ――、」

「うん、合格」

「「「やった――!」」」

 三人の声が重なる。

「ただし――、」

 その一言に同時にギクリとする。

「三人ともまだ少し甘いところがあるから、本番までに完璧にできるように今まで以上に気合入れていくからそのつもりでね」 

 それは厳しくもあり、力強く頼もしい宣言でもあった。

 三人は顔を見合わせてから、

「「「はい!」」」

 負けじと力強い返事を返した。


 その日は、自主練習を早めに切り上げて帰途に就いた。三人が事務所に帰ると、

「よう、お疲れ。聞いたぞ。合宿の成果、あったみたいだな」

 由里佳達を待ち構えていたらしい五島の出迎えを受けた。

「ご褒美はないんですか?」

 椎奈が期待を込めた声で聞く。

「そう来ると思ってな、良いものを用意してやったぞ」

「もしかして、またドクペじゃないですよね」

「そう根に持つなよ。今回はこれだ」

 じゃーん、という効果音付きで取り出したのは、中にカラフルな包装がいっぱいに詰まったビニールの袋だった。ぱっと見はお菓子の詰め合わせのようだが、それにしてはやけに大きい。

「それって……、もしかして花火ですか?」

 もしかしても何も、よく見ればパッケージにそう書いてある。

 それはやはり由里佳の知識にはあるものの、目にするのは初めてのものだった。

「合宿と言ったらこれだろ」

「とか何とか言って、本当はプロデューサーがやりたいだけなんじゃ」

「なんだ、文句あるか。お前らはやりたくないのか? なんなら、俺一人でやっても良いんだぞ」

「流石にそれは寂しすぎてかわいそうなので付き合ってあげます」

 椎奈が悪戯な笑みを浮かべてそう言うと、五島は心得ているとばかりにニヤリと笑って見せた。 

「ったく、やりたいって素直に言えよな」


 事務所の敷地内の使われていない駐車スペースに、水を張ったバケツを設置して四人で花火をやった。

 

 さっきから椎奈と真以子はお互いに、くるくると回って最後にパンと弾ける花火を足元に投げ合ってふたりで盛り上がっている。あれはネズミ花火というらしい。

 「あの、五島さん」

 ふたりから少し離れた場所で一人寂しくしゃがみこみ、何やら小さな花火の火を見つめている五島に近寄って、由里佳はその背中に声を掛けた。

「おわっ――」

 すると、驚いてビクリとした五島の手元から花火の火がぽとりと落ちて、それは地面の上で呆気なく燃え尽きてしまった。

「急に後ろから声を掛けるなよ。びっくりするだろうが」

「ええと、ごめんなさい。何をやってるのかなと思って――」

「線香花火だよ。お前もやるか?」

 そう言って、紐のように細く小さな花火を差し出してくる。

「線香花火、これが……」

「火つけてやるから、動かさないようにじっとしてろよ」

 由里佳がしゃがみこんで受け取った花火を地面に垂らすように持つと、五島は筒の先から火が出る細長い形のライターを使って着火してくれた。

 先端にふるふると震えるような光が灯り、それが次第に少しずつ大きくなる。

 由里佳が見入っていると不意に小さな風が起こり、それに煽られた火は、ぷつりと焼け切れるように白いコンクリートに吸い込まれていった。

「あっ――」

「惜しかったな。この花火はな、最後まで燃やせるかどうかが肝なんだ。今のはまだ半分ぐらいってところだな」

「もう一回やらせてください」

「なんだ、気に入ったのか? ほれ」

 五島から新しい花火を受け取って、また火をつけてもらう。

 今度は落とさないように、指先に神経を集中する。

「どれ、俺もリベンジといくか」

 五島がすぐ近くにしゃがんで、花火に火をつけた。

 肩を並べるようにして、勢いよくパチパチと爆ぜる小さな火の玉を眺める。

「あの、五島さん」

「ん」

「今度のイベントのことで、もうひとつお願いがあるんですけど」

「お次は何だよ」

「実は――」

 由里佳が口を開いて何かを言い掛けたその瞬間、ふたりの背後でパンッという一際大きな音が鳴った。ビクリとしたふたりの手元から同時に火の玉が落ちる。

 何事かと振り向くと、

「ふたりとも、上!」

 椎奈の声に釣られて見上げると、見計らったようなタイミングで中空に色鮮やかな花が咲いた。

「すごいでしょ。ほかにもまだ面白そうなのがあるから由里佳さんもこっちおいでよ!」

「うん、今行くからちょっと待ってて――、」

 

「仲良いんだな」

「はい、おかげさまで。……わたし、これでも五島さんには感謝してるんですよ」

「改まって感謝されるようなことをした覚えはないぞ?」

「五島さんがいなければ、あのふたりに出会うこともなかったし、そもそもわたしという人格が生まれることもなかったはずですから」

「別に俺はお前の生みの親でも何でもないんだけどな。……でもまあ折角だから、気持ちは素直に受け取っておいてやるよ」

「いちいちそういう言い方をするのは、素直とは呼べないと思いますけどね」

 由里佳はくすりと小さく笑いながら言う。

「ほっとけ」

「それで、さっきの続きなんですけど、」

「お前達の好きなようにしろよ」

 五島は新たな花火を取り出しながら、さも何でもないように言った。

「ええと、まだ何も言ってないんですけど……」

「だから、俺に許可を求めるようなことはしなくていいってことだ。その代わり、あのふたりと三人でよく考えて決めるんだ。そうして決まったことに、今後俺は口を出さない」

「それは、どういう……」

「勘違いするなよ? 別に俺が始めたことの責任を今になって放棄しようってわけじゃない。それに、お前達がやると決めたことはこれまで以上に全力でサポートしてやる。もし大人の意見が欲しいってんならそう言ってくれれば助言もする。……まあその時は、俺よりも適任が他にいるだろうがな」

 そう言って五島は線香花火に火をつける。手元をじっと見つめながら、

『STAR&LINEミ☆☆☆スタートライン』はお前達のものだ。もう俺たちの事情に縛られなくていい。そんなものがなくたって、今のお前には道標になるものが他にあるはずだ」

「でも、もうひとりの『ユリカ』はどうなるんですか? わたしはもう、織部さんの悲しそうな顔は見たくないんです」

「ああ、そのことなら――、お前のお陰もあって事情が変わったんだ。じきに織部の元に帰してやれるはずだ。今まで通りに研究を続けられるかどうかはまだわからないけどな」

「……それなら、わたしはそのためにもアイドルを続けますよ。織部さんや、五島さん達が本来の仕事を続けられるように」

「おいおい、だからもうそんなことは考えなくても良いって話をだな……」

 焦るように顔を上げた五島の手元が揺れ、終わりかけの線香花火が落ちそうになる。

「五島さんこそ勘違いしないでください。命令されたからそうするんじゃありません。わたしがそうしたいから、そうするんです。それに今のわたしには、ちゃんと、アイドルを続ける理由が他にも沢山あります。五島さん達のためっていうのはそのひとつに過ぎなくて、あくまで〝ついで〟みたいなものです」

 由里佳のその声は、有無を言わせぬ意志の強さを感じさせるものだった。

 それが、不意にいつかの誰かの姿に重なる。

「――まいったな。ついでときたか。……しかし、それじゃあ結局今までと何も変わらないじゃないか」

「全然違いますよ。だって、これからはわたし達のやり方でやりますから。そうしても良いって、さっき五島さんが言ったじゃないですか」

「そんなこと言ったか?」

 この期に及んで、五島はとぼけた声を出した。

「言いましたよ。ちゃんと録音もしましたもん。何なら再生しましょうか」

「ばかいえ。お前にそんな機能までつけた覚えはないぞ」

「『お前達の好きなようにしろよ』」

「『お前達の好きなようにしろよ。お前たちの好きなようにしろよ。おまえた』」

 あまり上手いとは言えない口真似付きだった。

「――わかったわかった。そう何度も繰り返さないでくれ。……やれやれ。時間を戻せたら、あの時の自分に『もう一度よく考え直せ』と言いに行くところだぜ」

「でも今更後悔しても遅いですよ。ちゃんと責任取ってくださいね。

 悪戯っぽい声でそう言うと、由里佳はくるりと踵を返して五島に背を向けた。

「あ、あと、線香花火残しておいてくださいね」と言い残して、由里佳は椎奈と真以子がいる方へ駆けて行った。

 残された五島が思い出したように手に持ったままの花火を見ると、それはとっくの昔に燃え尽きていた。最後まで燃やしきることができたのか、今となってはもうわからない。

「はあ、ったく、仕方ねえな――」

 けれど、五島のその顔にはどこか満足そうな、何かをやり切った後のような、そんな達成感のある表情が浮かんでいた。

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