西方の謎――ウエストサイド・ミステリー――

穂乃華 総持

西方の謎――ウエストサイド・ミステリー――

 この国の最西端の岬に抱かれる港湾都市、ボンドヴェイは噂以上の賑わいだった。


 まだ明け染めぬ早朝。

 港の位置を教える尖塔せんとうに灯された火があんな遠くになったというのに、港へ向かう人波は途切れることがない。

 大荷物を背負う男、手車を押す男たちは、港で行われる朝市に出店するのだろう。空のかごを抱えて楽しそうに笑い合う女の一団は、掘り出し物を求めた一番乗りを目指してか。


 カシムは御者台に座り、荷物を満載した幌馬車を人波に逆らい、ゆっくりと慎重に走らせていた。

 道の両脇に並ぶ色とりどりの天幕からは、香辛料をふんだんに使った辛そうなスープの白い湯気がもんもんと立ち昇る。


 前方の緑の天幕の下から、頭に猫耳を持った目をまん丸に開いた女将おかみが背負った赤子も気にせず、大声でオタマを振って誘いを掛けている。しかし連れは干し肉の塩味でさえ、水に漬けるほどの繊細な舌の持ち主なのだ。

 カシムが顔のまえで手を振ると、それにもめげず、次の客へと声を張り上げる。


 この成長著しい都市の原動力は、港だろうが目抜き通りだろうが、どこでもその姿を目にする獣人たちだ。

 東方イーストサイドでは差別の対象でしかない、獣人たちがである。


 目抜き通りの客足が絶えぬ大きな店を訪れたさいも、呼んでもらった店主はとがったキツネ耳とふさふさの尻尾を持つ、まだ若い獣人だった。しかし、その口のうまさは、鮮やかな魔術の呪文を紡ぐのと同じくらいに長けていた。

 連れが耳元で「底辺を知るだけに、げに恐ろしいぞ」と囁かなければ、二束三文で身包みぐるみ剥がされていたことだろう。


 昨夜はとうとう噂にしか聞いたことのなかった、人魚マーメードを目にした。

 最後の晩餐を祝うために選んだ、運河にはしけを並べたレストラン。

 料理を運んでいたのは、小さな貝殻で胸の先端だけを隠した人魚だった。その豊満な肉体に思わず目を奪われ、「ぬしの目の前におるのは、誰じゃ!」と連れにコズかれ、この連れにもコンプレックスがあったのかと知ったのは、この都市で一月ひとつきあまりを過ごした最後のおまけだ。


 背後から迫る威勢のいい掛け声に、先を急がせる車輪の音。

 カシムは歩く人波に注意を払いながら、ゆっくりと幌馬車を端に寄せて道を譲った。

 すぐ横を、荷物を積めるだけ積んだ荷馬車が駆け抜けて行く。


 本来なら、あの荷馬車の後を追うべきなのだろう。

『一度行けば、町に自分の店が持てる。

 二度行けば、一生遊んで暮らせる。

 三度行けば、そいつは墓石の下だ』

 とは、東方の商人たちの間で、至極しごく真面目に流れる、その利益と道中の危険を語った笑い話だ。


 カシムは今、一年半もの長旅を経て、その半分を手に入れた。

 振り向かなくたってわかる荷物の数々。

 大きめの幌馬車に、一人が寝れるだけの隙間を残して満載した荷物―――香辛料は連れの助言に従い、重さのわりに場所をとる胡椒やナツメなどの粒のものは極少量にして、タイムやローリエなどの軽いわりに値の張るハーブを中心に積み込んだ。


 そして積み重ねた、華やかな色合いの真麻の織物。木の棒に巻かれた反物の隙間の至るところには、真麻の端切はぎれが差し込まれていた。

 連れの言葉に寄れば、最近になって出回り始めた紙の経典きょうてんの裏に張り付ければ、引っ張っても伸びることのない麻布が補強財となり、あのぺらぺらの紙が破れることなく長持ちするそうだ。

 丹念に服の仕立て屋を回ってみれば、どこでも驚くほどの安値で手に入った。一件の仕立て屋のオヤジに聞かれ、その用途を話してみれば、仕立て屋のオヤジでさえ知らない知識だった。


 その山積みとなった荷物のうえに、専門知識が無ければあがなうことさえ出来ない、高額な薬草の箱が並ぶ。どれも問屋を直接訪れ、まだ乾燥してもない生の葉をそのまま仕入れたものだ。

 湿気しけった海風にカビぬよう、宿屋の一室に綺麗に並べて乾燥させ、言われるがままに切り刻んで、自分で加工を施したものだ。

 その匂いに辟易へきえきさせられはしたが加工賃を含め、差額分はまるまる利益になる。


 連れのこの辺りでは奇異に映る容姿に、特段の関心をよせた役人たちに多少なりの心付けを握らせても、まったく惜しくないほどの額だ。

 これだけの物を手にしたのだから、本来なら夢の途中で亡くなった父の面影を追いかけ、故郷に残してきた母と弟妹たちに想いを馳せ、幌馬車を疾走させてもおかしくはない。

 しかし、カシムは心を覆い尽くす寂しさを拭いきれずにいた。


    *    *    *    *     *


 やっと人波が途切れてきた。もう都市を離れ、街道へとつづく坂道に差し掛かろうとしてやっとだ。

 カシムは手にしていた手綱をしならせ、馬に気合を入れて坂道を登る。来るときに轢かせていた馬にくらべ、馬体も尻も一回りは大きい青毛馬だ。


 その立派な尻に、誰とはなく話しかける。

「たいした奴だろ、あいつは」

 すると、背後から歌でも唄うような澄んだ声で、毒舌が吐かれた。

「その畜生に惚れられでもしたら、ぬしはどうするつもりじゃ」


 ちらりと振り向けば、そこに絶世の美女が立っていた。

 腰まで届くサラサラな金髪に、北国の湖水のような大きな青い瞳。通った鼻筋は高く、唇は桜色に色付いている。これで化粧などまったくしていないのだから、その噂のたぐいまれなき美女ぶりを体言して他ならない。

 夜明け前の寒気のため、身体に毛布を巻き付けていても、その姿態のしなやかさを隠しきれずにいる。


 一年以上、一緒に旅を続けて来たというのに、未だにカシムはその姿に見惚れてしまう。しかし、その毒舌にはもう慣れた。

 カシムは目を細めて言い返す。

「その人魚に焼餅妬く胸で、たいした自信だな」

 けれど、シーリアは鼻を鳴らした。

「フンッ、われはまだ成長途上じゃ」


 その姿は十代後半から、せいぜいが二十歳はたちそこそこ。カシムからすれば、すぐ下の妹くらいにしか見えないのだが、その笹型の長い耳が証明するように、人の寿命からすれば、永遠とも言える時の狭間はざまを生きるエルフだ。

 カシムより、遥かに年上なのは間違いない。


 偉そうに、フンッと手を差し出され、

「寝てなくて、いいのか?」

 カシムが首を傾けて問う。

 最近のシーリアは、どうもおかしい。以前のキビキビとした動きがなくなり、わざわざゆったりとした動きの合間に休憩を挟むようになった。具合が悪そうに、下腹辺りを妙に気にしているようにも見えるのだが。

 だからって気を使ってやれば、

「病気ではないわっ」

 この通りだ。


 男としては「月のお客さんか?」と問うわけにも行かず、その手を取って隣に座らせてやるしかない。

「こやつのほうが、ぬしより余程きれいな目をしておるわ」

 さっそく吐かれる毒舌に、カシムはいつもの挨拶のように返す。

「ボロ布みたいなフード付きのマントを羽織っていたのだぞ。物乞いか浮浪児に見られなかっただけ、まだマシだろ」

 毎朝、出会ったときのことを挨拶のように突っつかれるのだ。


 あれはこの旅を始めて、二ヶ月も経ったころだった。

 途中、三つの村に立ち寄り、行商を商ったとき意外は話し相手もいない一人旅。話し掛けても返事もしない馬の尻に、とうに飽きあきしているときだ。


 一本道の変わり映えもしない、立ち枯れた雑草が鬱蒼と繁る街道。

 前方に、ポツンッと一人で歩む姿が見えた。

 小汚い姿だったが、退屈よりいい。


 カシムは小走りに幌馬車を走らせ、その姿に並びかけると声を掛けた。

「坊主、一人か?」

 さらに、

「坊主、乗ってくか?」

 三度みたび

「心配しなくたっていい、坊主」

 そう呼びかけたところで、無言で殴られた。

 しかし、殴り倒しといて、その御者台にチョコンと納まるのだから、大概にシーリアもいい度胸をしている。


 その身形みなりのわけを聞けば、魔物に襲われていた大荷物の親子の助けに入ったら、そのうちに荷物も馬も親子にさらわれたという。

「主ら、人族が強欲なのが悪いのじゃ」

「大荷物を持っているってことは、食い詰めて村を捨てた流れ者だ。どこかの町に流れ着いても、生活の保障はなし。―――だったら子供のためにも、金ピカのエルフの荷物を拝借するさ。おまえが魔物にやられちまえば、もう用無しなんだからな」

 カシムは悔し紛れもあって、大笑いに笑ってやった。


 エルフはカシムの故郷から、さらに東方の樹齢何千年を数える木々の森に、同族だけで住む。その長い寿命から、あらゆる物の知識を広く持つが、人との付き合い方がまるでわかってない。

 するとシーリアは憮然として唸った。

「エルフだったら、親子共々、潔く餓死を選ぶわっ」


 こうして始まった二人旅。

 果てしなく続くかに思えた砂の砂漠に、一杯の水を分け合ったこともあった。

 一寸さきも見えない猛吹雪に、身体を寄せ合って暖をとったことも。

 襲い来る魔物や夜盗に力を合わせて撃退したときは、これ以上ないほどのいい相棒だった。

 時には喧嘩して意地の張り合いに、まる一日話さなかったりもしたが、長い旅路を経て二人でこの地に立ったのだ。

 あれから一月ひとつき、とうとうこの日が来た。


「主に見る目があったなら、我の高貴なる後光が見えたはずじゃっ」

 カシムは諦めの境地で、ため息と一緒に弱々しく吐き出す。

「はいはいっ、おれが悪ーございましたよ……」

 シーリアは満足そうに頷き、その身を寄せてカシムの肩に頭を持たせ掛けた。一年以上の長き時を、楽しいときも、苦しいときも、二人で一緒に乗り越えてきたのだ。

 そうならない方がおかしいだろう。


 カシムはその腰に腕を回し、柔らかな身体を抱き寄せた。毛布越しの感触に、まだ護身用の革鎧も帯びず、剣さえ佩いてないのがわかる。

 この坂を登り切ったところに、街道への二つの別れ道があった。

 一方はカシムの故郷、この国の東方へとつづく元来た道。また一方は、さらなる西方諸国へとつづく、シーリアの新たな旅立ちの道だ。


 一度、丘の上で幌馬車を停め、シーリアの旅立ちの用意を待たなければならない。しかし、そんな僅かな時間がどうしたって言うのだ。

 カシムはその柔らかな身体に回した腕に、力を込めて抱き寄せる。

 あの二人が出会った街道の道すがら、キラキラした目で語ったシーリアの姿は、今でも眩しいほどに脳裏の奥に焼きついている。




 我らエルフはな、その持て余すほどの長い命に飽いて、うんざりしているのじゃ。

 だから、その暇つぶしのためだけに命を賭け、新たな謎を追い求める。我らエルフの脳に、何の役にも立たぬ情報が山ほど詰まっているのは、そのためじゃ。

 しかしな、我らエルフにもわからぬ事がある。

 この大陸の西方の突端。その地に立ち、情報を持ち帰ってきた者は一人も居らぬ。

 我らエルフに語り継がれる、西方の謎じゃ。

 我はその謎を追い求め、旅に出た。

 必ずや、この大陸の西の端に立ち、その情報と、なぜ一人として戻らぬのか、その謎を解き明かしてみせる。


 今からすれば、この年上とも思えぬ無邪気な娘に、その時から恋をしていたのだと思う。

 それも今日までだ。

 シーリアはこの地から、新たな西方への旅に出る。彼女ならきっと、この大陸の西の端に立つことだろう。

 ―――だけど、その横に俺がいることはない。


 出来る事なら、この荷のすべてを投げ捨て、シーリアと共に行きたい。しかし、それは叶わぬ夢だ。

 この荷の元となった全ての物、夢も希望も金も、この幌馬車さえもが、行商人だった亡き父が残したもの。朝から晩まで汗水垂らして働き、妻と子にいい暮らしをさせる、その一念でコツコツと貯めたものだ。

「いつの日か、町に商店を構える」

 その夢と希望を背負い、母と弟妹たちに見送られて、この旅に出たのだ。それを投げ打つことなど、出来ようはずがない。


 だいいち、この心優しきエルフの娘がそれを許すはずもないだろう。

 いつも毒舌で、我が儘で、えばりん坊なくせに、純真無垢な幼子のような心のシーリアが。

 もうわかっているんだ。

 あの荷物を盗んだ親子。

 それにかこつけ、人族の悪口をあげつらってはいるが、あの親子のことを罵ったことなどないじゃないか。ほんとうはその訳を何故話してくれなかったのか、何故に頼ってくれなかったのか、それが悲しいだけなのだ。


 この坂道がいつまでも続けばいい。

 カシムはぴたりと身を寄せる、シーリアのぬくもりに思う。しかし、坂道の終わりはあっけなかった。

 幾人もの旅人たちで踏み固められた丘の頂は平地になって、天幕こそ張られてないが、ちょっとした休憩地になっている。カシムが幌馬車を乗り入れたときも、そこかしこで旅人たちが休息を取っていた。


 雲の一つもない空は明るさを増し、もうすぐ夜明けなのがわかった。

 カシムは御者台から降り、両手を伸ばしてシーリアを降ろす。振り返ってみれば、白く浮き上がるようなボンドヴェイの街並みと、その向こうに何処までもつづく黒々とした海原が見えた。その海平線にぴかりと光が走る。

 今日という日の誕生だ。

 二人は並んで立ち、無言で登り来る朝陽を見詰めた。



     *    *     *     *


 どのくらい見ていたのだろう。

 カシムは吹きくる海風に、ぞくりと身体を震わせた。隣に並び立つシーリアの毛布を直してやろうと手を伸ばしかけ、息を飲んでその手を止める。


 陽の光が帯となってシーリアを包み込み、きらきらと髪を輝かす。深く陰影を刻まれた顔は、まるで聖母像のような優しさで溢れていた。

「きれいだ……」

 カシムの唇から思わず言葉が零れた。


「朝陽は向こうじゃぞ」

 いつもの毒舌に、いつもの軽口で返そうとして思い直した。最後くらい、バカにされたって構いやしない。

「おまえが綺麗だって言ったんだ」

 シーリアがフンッと鼻を鳴らす。「主が言うと、変な下心があるように聞こえるぞ」

「俺は商人だからな。―――でも、たまには本当のことも口にするさ」

「ほんに、たまにじゃがな」

 そう囁くように言って、カシムに身を寄せる。


「主が素直で優しいのは、一緒に寝るときだけじゃ」

 そして、上目使いでカシムを見上げる。

「それも、いずれは我が泣かされた」

「おまえが綺麗過ぎるからだ」

 照れたように言い、視線を反らして不安そうに問う。

「嫌だったか……?」

 しかし、その頬にそっと手をあてられ、視線を元に戻された。シーリアがクスリと笑みを零し、爪先立つように背伸びして顔を近づける。

「嫌な男などに、抱かれるものか。我は夜もたくましい男が好きじゃ」

 そっと唇が重なった。


 この国には、人前で口付けを交わす習慣などない。

 おぉぉ!というどよめきの後、やんやと囃し立てる声が響いた。

 ―――言いたい奴には、言わしておけっ!

 カシムはその細い腰に腕をまわし、シーリアを抱き寄せた。


 長い口付けを終え、シーリアはカシムの広い胸に顔をうずめる。

「なぁ、主よ……」

 微かな声が、胸を震わす。

「我はな、まだこの大陸の西の端には立っていない。それでも、わかってしまったのだ」

 カシムが視線を落として見れば、その目をじっと見詰め返して言葉を紡いだ。


 ここまで来る間に、いろいろなことがあったじゃろ。

 あの茹だるような暑さに、干からびてしまいそうな喉の渇き。

 身も心も凍りつきそうな、あの雪山の寒さ。

 襲い来る、数多の魔物に夜盗ども。

 如何いかに長き寿命を持つエルフと言えども、あの道程を一人で来たとは到底思えぬ。きっと商人なり、商隊キャラバンなりと力を合わせ、一緒に辿り着いたはずなのだ。


 するとな、出来てしまうのじゃ―――しがらみと言う、大切なものがな。

 どのエルフたちもきっと、このしがらみがどうなるのか、見たくて堪らなかったはずじゃ。


 しかしな、人族の移り変わりは、まことに早い。ちょっとの寄り道のつもりで見ているつもりでも、このしがらみは新たなしがらみを生むのだ。そいつが、また新たなしがらみを生み、また新たなしがらみが……。

 こうなれば、如何に長き寿命を持つ我らエルフと言えども、もうお手上げじゃ。

 だから、どのエルフたちも戻って来ぬ。

 これが我らエルフの言う、西方の謎の正体じゃ。




 静かに話しを締め括ったシーリアを、カシムはじいっと見詰めた。

 心の内に、新しい希望がふつふつと湧きあがってくる。

 もしかしてシーリアは……。


 おずおずとその目に訊ねる。

「そのしがらみとは、俺のことか……?」

 しかし、シーリアはキッと眉根を寄せた。

「主は何を聞いておったのじゃ!」

 希望が急速に萎んだ。

 やはりな……。


 落ち込む気持ちを悟られぬよう、視線を遠くに向けて彷徨わせる。

 大海原の波が朝陽にきらきらと輝き、目に眩しいくらいだ―――と、小耳を摘ままれ、無理に顔を戻された。

「このニブチンめっ」

 シーリアが憮然として、下腹に手をあてた。

「主と我のしがらみなら、ここに居るわ!」


 わけもわからず茫然とし、やっとその意味がわかった。

「おまえ、まさか……」

 シーリアが赤く染まった頬を隠すように、クルリと背を向ける。

「こやつがな、行くなと騒ぐのじゃ。特に今日は、ずっと騒ぎよる。きっと主に似た、捨て犬みたいなエルフも放っておけぬ、お節介で優しき捻くれ者じゃ」


 カシムがその背に手を伸ばし、こちらを向かせた。

「何で、早く言わなかったんだ?」

 覗き込むカシムの目を避けるように、シーリアが目を伏せた。

「我はエルフぞ。

 やがて主が老いて死に、その骨が土に還ろうとも、我の姿はこのままじゃ。

 そのさきの長い年月、一人で生きて行くのは悲し過ぎる―――それなら、いっその事このまま別れようとも。

 じゃがな……」


 シーリアが顔を上げて、微かな笑みを浮かべた。

「こやつがな、教えてくれよった。

 やがて主が逝なくなろうとも、我が居るだろと暴れてな」

 カシムがその細い身体に腕を回した。

「そう簡単に死んでやるものか。あと百も、百五十年も生きてやる」


 シーリアを抱き寄せると、辺りからは呆れたような声が上がる。

 その声に、カシムは叫び返した。

「俺の子だ! 俺の子が居るんだ、この腹に!」

 あっという間に広がる祝福の声のなか、カシムは周囲の目も気にせず、シーリアに口付ける。

 朝陽の幾重にも重なる目映いばかりの光の帯が、二人を包み込んでいた。

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