虚数解の殺人

@otaku

第1話

「いや、オランウータンて!」

 向かいの席に座る角田が声を上げた。ここは私立もずくがに高校新部室棟2階の文芸部室。時刻は夕方17時。俺は現在、とある小説投稿サイトの開催する、何ちゃらweb小説コンテストなるものに応募するとか言って、珍しく執筆にやる気を見せているこいつに付き合わされている。

「読み終わったようだな」

「読み終わったも何もこんなオチ、あんまりです。蜷川先生」椅子をぎっこんばったん揺らしながら角田は言う。別に教師ではないのだが、新進気鋭の天才ミステリー作家として活躍する俺のことを彼女は敬意を持って先生と呼ぶ。

「君が何と言おうとこの『モルグ街の殺人』の世界的評価は確固として揺るがないのだけれど、一応理由を訊こうか」

「それですよ。その世界的評価とやらのせいです。期待するじゃないですか。--舞台は19世紀パリ、モルグ街で猟奇的殺人が起こる、多数の証言者が事件のあった時刻に犯人と思しき人物の声を聞いていたが、ある者はスペイン語、ある者はイタリア語、ある者はフランス語だったと証言はまちまちだ、複数犯だろうか、娘は首を絞められ暖炉の煙突に逆立ち状態で詰め込まれていて、母は首をかき切られて胴から頭が取れかかっていた、一人ではこんなこと出来ないだろう、しかし部屋の扉には鍵がかかっていて人の出入りは出来なさそうだ、では、犯人は一体何者なのだろうか……いや、ゴリラて!」

「オランウータンな」

「そんなことどっちだって良いんです」角田は咳払いをする。「オランウータンが破茶滅茶やった後、その驚異的な跳躍力で窓から避雷針に飛び移って脱走したって……こんなリアリティに欠けるお粗末なオチなのに、無駄に雰囲気がおどろおどろしいし、冒頭の探偵が如何に天才であるかを示すエピソードだっていらないでしょう。前振りに力を注ぎ過ぎなんです。だから今、裏切られたーって気持ちで怒り心頭ですよ、全く」

「これは古今東西流通している全ての推理小説の原型なんだ。天才的な探偵、引き立て役としての凡庸な語り手、密室を初めとする不可能犯罪とそれを可能とする「トリック」——君が酷評したこのオチも、当時は斬新なアイディアだと称賛の嵐だったんだぞ。君にどんな構想があるのか知らないけど、いきなり発展形にチャレンジするんじゃなくて、まずは基本を学ぶべきだ」

「こんなトリックでいいならすぐに思い付きますよ」彼女は言った。どうせ売り言葉に買い言葉で、つい口を衝いて出た戯言に過ぎないだろう、とその時は高を括っていた。

 翌朝、いつも通りホームルームの五分前に登校すると何やら門の周りがいつもより騒がしい。

「おい、この騒ぎはなんだ」

 丁度知っている顔を見かけたので訊いてみると、何やら校舎内で不可解な事件が発生したようだ。授業どころではないため、生徒は速やかに帰宅するようにとのお達しだった。

 以下はSNSで得た情報である。

 2年A組の"新潮すばる"という女生徒が教室で死んでいた。遺体の手にはピストルが握られていて、脳天を弾丸で貫かれていた。教室が完全な密室であったので、自殺だろうというのが大方の見解だった。彼女の机の引き出しから『自殺の手引き』という書物が出てきたことが、その論に更なる説得力を持たせていた。

 これは自殺なんかじゃない。天才ミステリー作家の嗅覚がそう告げている。どうやら、今夜は眠れなさそうだ。武者震いが止まらなかった。


「いやあ、昨日は何だか大変なことが起こっていたみたいですね」放課後、あくび混じりに角田がそう呟いた。

「みたいですねってなんだ、隣のクラスのやつだろう。緊張感に欠けるな」

「いやあ、実は昨日朝寝坊しちゃいまして、起きたのが十二時とかだったんです。すばるさんの死も休校も全部SNS上で知ったんで、何か現実味に欠けるんですよね」

「夜更かしでもしていたのか」

「つい執筆に夢中になって」

「いや、違うな」と言ってみる。

「え?」

「君は夜更かしして朝寝坊をしたんじゃなくて、早朝すばるさんを殺した後、家に戻って二度寝をしたんだよ。違うかい?」

「突拍子もないですね」角田は笑った。「すばるさんは自殺だというのが大方の見解です。もし仮に他殺だったとして、わたしがやったという証拠はあるんですか?」

「彼女の持っていた『自殺の手引き』だが、あれは僕の友人が自費出版した本で、従って殆ど世に出回っていない代物だ」

「そうだったんですね……」

「君が文芸部室から持ち出して彼女に渡したんだろう。今の文芸部員で、生前の新潮すばると交流のありそうな人間は君くらいしかいない」

「確かにそうかもしれません。でも、じゃあどうやってわたしは彼女を殺したんですか? だって、完全な密室だったんですよ」

「そうだ。部屋は完全な密室だったんだよ。それがそのまま答えじゃないか」

「えっと、もう少しちゃんと説明して頂いてもよろしいですか?」

「つまり、彼女は空気すら入り込まない完全な密室に閉じ込められて、窒息死寸前に追い込まれたんだ。そこで、ふと床にピストルが落ちているのを発見する。『自殺の手引き』を一度読んだ者なら、この世で一番苦しい死に方が窒息死であることは知っているはずだからね。君が直接手を下さずとも、そうして新潮すばるは自らの頭に銃を突きつけたんだよ」

「……ご明察です。流石は新進気鋭の天才ミステリー作家といったところでしょうか」

 そう言って彼女は力無く笑うと徐に携帯を取り出す。意図に気がついた俺は、速やかに彼女のその細い腕を握りしめ、それを制した。

「いや、俺の負けなんだ。実はどうやってその完璧な密室を作ったのかが、手持ちの情報からではどうしても導き出せなかった。自首をするのはそれのからくりを俺に教えてからにしてくれないか?」

 彼女の不思議と透き通った瞳をジッと見つめながら、まるで愛の告白でもするかの如く真面目な表情で俺は訴える。

 しかし、5秒の沈黙の後で、それは無理なんです、と彼女はきっぱりと言った。

「どうして?」

「それは、わたしにも分からないからです」

「何が?」

「完璧な密室の作り方」

「は?」

 その返答に虚を突かれて全身の力がくまなく抜けてしまい、俺の手からは彼女の手が携帯ごとするりと抜けていった。そうして、バツが悪そうにぺろっと舌を出し反省の意を示したが、閻魔様の代わりにそれを無性に引っこ抜いてやりたくなる。

「お前、こう言うのもなんだけど人が死んでるんだぞ」

「いいんです。新潮もすばるもわたしを一次で落としたんですから」

「何の話だよ」

「それに何の策が無いわけでもありません」彼女は答える。「……きっと、編集Wが何とかしてくれます」

「……ああ!」

 編集W、出版業界に携わっていて知らないヤツはモグリだ。大正義KAD○KAWA社のホープとして、スーパー(株)、△スタッバー等々、数々の不朽の名作を世に送り出してきた天才編集者である。彼の手にかかればどんな致命的欠陥を孕んだお話もたちまちにスタイリッシュな作品に生まれ変わると聞くが、そうか、その手があったか。それは盲点だった。

「ははは、ちげぇねや!」思わず笑いが込み上げてくる。

 牛丼でも食いに行くか。はい! そうして二人は部室を後にし、駅前の松屋へと向かったのだった。

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