番外編.その隣人は凶悪である 前編



 ふと、ダンジョン内では馴染みのない気配が同階層に現れたのを察し、オリバーは瞼を上げた。

 広範囲に広げていた警戒が途切れ、視界が鮮明になる。反対側の壁にセラスがいるのを視認した。

 同時に気配が安全地帯へ飛んでくる。転移だ。光が収束すると立っている影は2つ。


「やあ、邪魔して悪いね」


 散歩のついでに来たとばかりに片手を上げるギルドマスターに、オリバーは眉をしかめた。背後に控えるグロースへ視線を投げるが、いつも通り、反応は薄い。

 秘書兼、護衛だというなら抑えろよ。誰もが思い、呑み込んできた言葉だ。何を言ったって堪えない相手に、無駄な労力は避けたい。オリバーも面倒になったので、控える事にした。

 ダンジョンヘルラース108階の安全地帯。そこへ前触れもなく現れたダリルとグロースは、周囲を見回してオリバーとセラスしかいないのを確認した。するとグロースは明らかに肩を落とし、興味が失せたようにぼんやり遠くを見始める。露骨すぎる……とオリバーは思い、


「露骨にもほどがあるでしょ。お茶中毒」


 セラスは容赦なく吐き捨てた。彼女はそういう所があるので、うっかり同意しないよう目を閉じた。

 セラスって喧嘩売るの得意だよね……!


「今日は2人だけ?」

「私とオリバーは瞑想、他は探索よ。ルイとテクトは約束の日じゃないから、どこにいるか知らないわ。今日はすれ違ってもいない」


 最後のだけは嘘だ。

 探索に行こうと思ってたんですけど、可愛い子ども達が珍しく喧嘩しちゃいまして……今日は引きこもります。

 子どもって何するにも全身で元気を示してて、すごいね。毎日びっくりする。

 そう微笑みながら朝の行商を手早く済まし、小さな2人は不可思議な扉の奥へ姿を消したのだ。ほんの、数時間前の話。

 バカ正直に言う事でもないので、もちろん黙っているが。


「おやまあ。常にここに住んでるものかと思ったけど」

「私達だって毎日ここに来てるわけじゃないし、嫌がられたくないから詳しく聞いてないわ。安全な所に住んでます、とは言ってたけど……商品の補充もしなきゃなんだから、ずっと留まってはいられないんじゃないの?」

「それもそうだね」


 うんうん頷いたダリルは、残念だなぁ、と呟いて敷布を取り出し座った。グロースは立ったままふらふらと安全地帯を歩き回っている。

 話があるのはギルドマスターだけのようだ。


「はーあ。あの可愛い笑顔とおもてなしを楽しみにしてたのに」

「悪かったわねぇ、お構いもせずに」

「ははは、前はすまなかったねぇ。たくさんご馳走になっちゃって……常日頃消費するから、持ち合わせはあるんだけどね」

「最初からそうしてちょうだい。シアニスは優しいからお茶菓子くらいは出してくれるけど、私達はそうじゃないからね」


 などと、とりつく島もないセラスに微笑み返して、ダリルはアイテム袋を漁った。

 あ、今日はグロースに持たせてないのか。珍しい。

 がさりと紙袋を取り出し、ぶら下げた。大きなパンがいくつも入りそうなサイズだ。珍しい大盤振る舞いだな、と思った。


「これ皆で分けてね、ルイ君とテクト君にもよろしく……ついでに僕の話も聞いてよ。後で他の人達にも話す予定だけど、先に2人だけでも、ね」


 どうやら前置きもほどほどに本題へ入るつもりだったようだ。という事は本気で残念がってるし、心底めんどくさい案件を持ってきたなこのじいさん。

 そう当たりをつけて、オリバーは座禅を解いた。同じくセラスもダリルの方へと近づいて、聞く姿勢を取る。

 ダリルから手渡された紙袋には、焼き菓子がたくさん入っていた。種類も豊富だ。

 その中からメレンゲの焼き菓子を取り、口に放り込む。歯に当たって砕けたと思ったら、しゅわりと溶けた。舌に乗る甘さは後を引かず、しつこくない。

 この上質なくちどけ、バニラの店のやつだな。瞬時に機嫌が上向いたセラスを一瞥し、オリバーは2個目を手に取った。


「さて、実はここの隣にいる問題の牛についての話なんだけどね」

「へぇ。もしかして私達以外に挑むパーティが現れたとか?」

「そうだったら助かるんだけどねぇ、君らだけに命懸けていただく事もなくなるし」


 でもわかるでしょ。アレク君の所も、クリス君の所も、100階から先へは慎重に進んで行ってるんだから。

 そう続けて、ダリルはふう、と息を整えた。


「グランミノタウロスの脅威度を改めて調べるべきではって意見が、ギルド内で出てるんだよね。調査隊も出さないまま108階を進入禁止にしたから、情報が不足してるって言われて」

「提出したディノの盾じゃ足りなかったんですか」

「製造元からは返答貰ったよ。『うちが作った盾で間違いない。このナンバーは頑丈さにおいて会心の出来のはず。それがそこらのモンスターでは比にならない力で裂かれてる。人の手では成しえない所業。未曽有の脅威にも等しい。素晴らしいので今度特攻したい場所を教えろ何階だ』ってね」

「相変わらずの生き急ぎ具合で笑えやしないわ……念のため聞くけど漏洩してないわよね?」

「もちろん。守秘義務があります、で通したよ」

「よかった……弟子達に泣き縋られて恨まれるかと思った……」


 あそこの工房は猪突猛進に突っ走っていく親方に、いつも振り回されている弟子達が日々騒がしいものだが。あのすべての悲鳴が恨み言に変わってしまったらそら恐ろしい。

 平穏が人知れず守られた事に、ホッと胸をなでおろした。


「108階の事は、僕の独断で決めちゃったからねぇ。ほら、ルイ君との契約も僕とグロース君のみが受け持ったでしょ。情報の隠蔽が過ぎるってギルド内で首傾げられちゃって」

「……つまり108階以降の情報はデマカセで、実は俺達が宝を占領してるんじゃないかって訴える人がいるんですね?」 

「あはは、困ったもんだよねぇ。僕も疑われてるのよ。結託して金儲けしてんじゃないかってさ」

「いやーーーーー……ごめんだわそんなの。鳥肌立っちゃう」

「こうもはっきり嫌そうに否定されると悲しくなってしまうじゃないか。しくしく」

「はっ、わざとらし」


 セラスが鼻で笑うものの、ダリルに堪えた様子はない。わかってて楽しんでいるなあ、この人は。


「そんな事実はまったくありませんよって所を示すために、今度何人かここに連れてくるんだよ。ルイ君にも会ってもらって、裏がない事を実際に感じてもらいたいし」

「私達にルイとテクトの護衛をしてもらいたい、って事かしら?」

「出来れば僕らの方にも少しついてもらいたいけどねぇ。実際に行って状況説明してくれれば、素直に受け入れてもらえるかもしれないからさ」

「こっちの身はまったくもって潔白だっていうのに、勝手に疑ってかかってくる奴らにかける情けって必要かしら? こっちは恥を呑んで盾を提出してるのに? 信用ならないって言われて納得できる? 私達があなたのお願いを聞く理由ってないわよね? ルイとテクトに心無い発言をしかねない奴の有無も聞いてないわよ。あの牛が恐ろしいかどうかの説明なんて見ればわかるんだから、私達は必要ないわ」

「わあ……保護者怖い」

「セラスを敵に回すべからずですよ」


 そして俺達が恩人にかける思い重さを甘く見てる。

 俺達は冒険者、根無し草。一処ひとところに留まらず、気の向くままに進む者。

 そんな奴らが、1人の男の動向に拘ってパーティを欠かす事無くここまで来た。自分以外に対する執着心の強い者しかいないのだ、俺達は。

 そんなのが揃って小さな少女に恩義を感じ、繋がりを切らないように取り繕い、仲を育もうと寄り添い、庇護しようと苦心する。その重大性を、このギルドマスターはまだ認識できていないのだろう。


「(何でもない顔しながら心の内では必死だからなぁ、俺達)」


 そしてそれを見逃されている。

 少女の隣に佇むクリーム色。柔らか毛の内から時折覗く、冷めた緑を思い出す。

 ルイに害がないのなら、益になるのならば、すべて黙っていてくれる。そんな保護者の気遣いにひっそりと感謝しているのは、当の少女には秘密だ。

 ダリルは取り付く島もないセラスから、俺の方へ視線を移し、そして顎を撫でた。


「仕方ない、ルウェン君にも聞こう」

「……どっちに転ぶかは保証しかねます」


 とは言うものの、十中八九、了承するだろう。

 ルウェンはそういう男だ。











「──わかりました。調査隊には俺がつきましょう」


 ですよねーー、と口に出さずとも皆の表情が物語っていた。

 昼休憩を目安に集まったルウェン達にも同じ説明をすると、彼らのリーダーはやはり想定通りの返事をしたのだった。

 まあ、そりゃそうだ。理不尽な話でなければ──仲間に無理を強いるものでなければ、すぐ頷くのだ。こいつは。


「情報が不足しているとなると、つまり奴と戦った当時の話が聞きたいということですよね? それなら俺一人で事足ります。安全は宝玉で保たれることは確認済みなので、それぞれに予備を含め持って行けば問題ないかと」


 おいそれ情報! 貴重な!! 情報!!

 全員の心が一つになったが、もはや遅い。ダリルはニコニコと頷いた。


「宝玉効果あったの? その情報はありがたいねぇ。じゃあ、ちょうどいいからルイ君達から買おうかな」

「いいですね。実際に利用すれば、素晴らしい店だとすぐわかります」


 自信満々に頷いているが、何でお前が誇らしげなんだ。やはり誰も口には出さないが、そんな雰囲気になっている。

 単純に、ルイ達の店が多数の人に認められると信じているし、それが嬉しいんだろう。

 まったく疑う気がない。誰が見ても素晴らしい店だという自信がありありと感じられる。もちろん、他の5人も同じ気持ちだ。

 が、このジジイが持ってくる案件が簡単な話な訳が無い。わざわざ事前に話しに来たということは、厄介な奴が当日来ると言っているようなものだから。

 なので、すぐに口を滑らすお人好しを1人にしてなるものか。誰もがそう思い、アイコンタクトして、瞬時に頷いた。


「ちょっっっと待て。おめぇ1人で行かせるかよ。当日は俺も牛の方へ行く」

「ディノ」

「実際に狩りしてる場面見せれば臨場感出るだろ。オーク共を追い立ててやろうか?」

「エイベル」

「それなら俺も手伝えるよ。引き付けて逃げるのは得意だからね」

「オリバー」

「では私とセラスがルイ達の側にいましょう。怖い隣人との案件ですからね、不安がるといけません」

「シアニス」

「はぁ……皆がやる気なら仕方ないわね。手伝ってあげるわよ」

「セラス……ありがとう皆。とても助かる」

「「どういたしまして」」


 手伝ってもらえて嬉しいです! と言わんばかりの笑顔を浮かべられては、素直に受け入れるしかあるまい。本当に顔に出やすいんだから。

 各々、笑ったり肩をすくめて見せた。


「ところで報酬は弾んでもらうわよ。わざわざ、私達の時間を割いて、あなたギルドの問題を片付けてあげるんだから。それから牛に宝玉が効くっていう情報料!!」


 ギラリと、セラスの視線が光る。鋭いだけじゃなく、圧もある。

 ので、ダリルはふざける事なくすぐに了承した。


「もちろん、任せてくれたまえ」


 まだまだ命は大事にしたいので。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

聖獣と一緒!~ダンジョン内に転生したからお店開くことにしました~ 時潟 @yagi0419

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ