男装王女の華麗なる輿入れ/朝前みちる

ビーズログ文庫

とある一等書記官のひそかなる備忘録

先進的にして排他的と評される科学大国、ヴィッセン帝国。

 その広大な帝国を治める皇帝に、一等書記官――フーゴ・バッカーは重用されていた。

 平民出身だが確かな能力はもちろんのこと、相手が皇族だろうと貫くふてぶてしい態度……いや据わった肝っ玉も買われての重用だが、一見どこにでもいる青年である。

 ゆえに、最近はとある仕事ヽヽヽヽヽも兼任しているせいで大忙しだった。


 一見どこにでもいる青年とは、つまり『目立たない』ということだ。

 隠密に行動するにはもってこいの人材であり、逆に不向きなのが某皇太子である。

(あれほど無駄に目立つ人もいないっすわ)

 フーゴはしみじみと思う。

 某皇太子――アルトゥール・フォン・ヴィッセンは文句のつけどころのない美形だ。

『美しすぎていっそ悪夢のようだ』と最初に評したのはどこの誰であったか。

 右目にかかる黒い絹糸を耳にかけており、その奥で切れ上がった菫色の瞳が覗く。口許の黒子と相まってどこか気だるげで、『魔性』との比喩は的を射ているだろう。

 今は幾分か和らいだが、雰囲気も圧倒的に近寄りがたい。

 皇太子ほどいくら変装しようが、その端麗な顔面だけで無効化する人間もいなかった。

 そんな皇太子の無駄美貌は置いておいて、そう。とある仕事についてだ。

 フーゴ・バッカーの信条は適度にサボりながら効率よく仕事をすることである。

 その信条から考えると、とある仕事はチョロいうえに特別手当までつくとか楽勝すぎて大笑いするレベルなのだが――――ここのところ、割に合わなく感じはじめていた。


 その日のフーゴはとある仕事のため、皇太子の私室にお邪魔していた。

 ちょうど夕食の頃合いだったのでご相伴に与っているが、もちろんわざとである。

 この時間帯に訪問すれば押し問答せずとも、皇太子と一緒にいる相手が招き入れてくれるので仕事がはかどるのだ。

 フーゴは帳面を片手に少し離れて腰かける。テーブルを挟んで向かい合う二人を眺めた。

 皇太子にしきりに話しかける相手は騎士服をまとっている。

 結い上げた銀朱色の長髪に、切れ長の天藍石ラピス・ラズリの目。長身で、整った容貌は中性的だ。声色も高すぎず低すぎず、透き通っている。加えて振る舞いまで紳士的ときた。

『女顔の男』と思っても致し方ない要素しかない。実際、自己申告されるまではフーゴはもちろんのこと皇太子も勘違いしていた口だが――れっきとした『女』である。

「アルトゥール、ごちそうさま! 今日もすごくおいしかったよ、いつもありがとう。君の料理を食べると訓練の疲れも吹き飛ぶね」

 そう言って、男装の麗人がきれいに平らげた複数の皿を前ににこにこしている。

 彼女――リュカリス・ディオ・アルビレオは建国以来敵対関係にあったアルビレオ星王国の第二王女にして、皇太子の婚約者だ。

 フーゴのとある仕事というのが、この王女の行動を記録することである。ついでに皇太子の様子も報告するだけの簡単な仕事だというのに、げっそりとした気分を隠せない。

「…………あ、そ。アンタはいつも大げさだな」

 王女より一足早く食事を終えていた皇太子は頬杖をついたままそっけなく返す。

 それを受けて、王女は「そんなことないよ!」と握りこぶしを作る。

「だって、アルトゥールはいつも忙しいのに、毎日たくさんの料理を用意してくれるじゃないか! 量だけじゃなくて品数も多いし、すごいよ!」

「たいしたものは用意してないだろ」

「そうかな? 少なくとも、私は野営料理くらいしか作れないよ。お腹が満たせれば充分みたいな感じの。野営している時に調味料まで持ちこまないからね」

 うわあ、さすがは脳筋王女。

 戦闘民族国家の王女らしい発言に若干引いてしまうが、皇太子も微妙そうな顔だ。

「野営料理……まぁアンタらしいけど」

「でも、私も料理を作れるようになった方がいいかな。アルトゥールの料理はすごくおいしくて、毎日食べても飽きないけど、君にばかり負担をかけちゃっているし……」

 王女は珍しく真剣な面持ちで考えこんでいる。

 そんな彼女に、皇太子の目元がわずかに赤らむ。視線を落とすと、やおら口を開く。

「――――別に」

「ん? やっぱり私も手伝えるようになった方がい――」

「物のついでに、負担もなにもあるわけないだろ。それに……ア、アンタが……おいしいなら、俺も……別に、悪い気はしないし……充分だ。手伝いはいらない」

「アルトゥール……」

 息を呑んだ王女は目を丸くすると黙りこむ。その頬は上気していて、今の彼女が『男』と勘違いされることはないだろう。そのくらいしおらしい雰囲気だ。

 …………こいつら、自分の存在を忘れていないだろうか?

 あえて存在感を消しているとはいえ、フーゴはジト目になってしまう。

 真っ赤になった顔を突き合わせてもじもじしている空気が最高にしんどい。

(あの怠惰殿下がねぇ)

 ヴィッセン帝国の皇太子といえば優秀な科学者であると同時に、大の人嫌いで有名だった。さらに引きこもりで、毒舌家……と負の要素を列挙しようと思えば枚挙に暇がない。

 しかし、星王国への二ヶ月の遊学を経てからの皇太子の挙動は変わった。

 国民のことしか気にかけていなかった皇太子が、自身の婚約者のためにあれこれと奔走する情報を得るたび、「人って変わるもんっすねぇ」としみじみしたものだ。

 今のやり取りにしたってそうだ。以前の皇太子ならこんなくそ甘ったるいことを思うどころか、口にさえしなかっただろう。

 王女はそわそわと目を泳がせてから、意を決したように顔を上げる。

「あの……あ、ありがとう。じゃあ、君の優しさに甘えさせてもらおうかな。……アルトゥールの料理を食べられる私は幸せ者だ」

「こんなの優しさでもなんでもないし、アンタの幻想だっていつも言っているだろ」

「ふふ、そうかもね。ずっと、君の料理を食べられたら嬉しいな」

 皇太子が思いっきり顔をしかめようが、王女は嬉しそうだ。

 笑顔の彼女を一瞥し、皇太子はため息をつく。しかし次の瞬間、菫色の瞳が優しく細まる。呟かれた言葉はため息と裏腹に胸焼けしそうだった。

「…………アンタが望むなら、いくらだって作ってやる」

 んああああああああ! フーゴはテーブルに額を打ちつけそうになった。

(これは仕事……これは仕事……これは仕事……)

 そう念じるものの、ただひたすらに虚しい。

 給料がいくらよくても割に合わなく感じはじめた理由はこれだ。

 仕事とはいえ、なにが悲しくて他人の恋路を野次馬しなければならないのか。

 ――そう、恋路。

 そろそろ物言わぬ彫像のふりはやめよう。

 このふさげた空気をぶち壊すべく、フーゴはこれみよがしに長息して見せた。

「はぁあああっ! あのー、ご両人さん。自分がいるってこと、忘れてないっすか?」

「んあ!?」

「あっ! ご、ごめんね! さっきまではフーゴのことも覚えていたんだけど……えっと、食後の紅茶くらいは私が淹れるね! って――アルトゥール!?」

 王女の記憶力にはなにも期待していないが正直すぎる。頭を下げながら腰を上げたかと思いきや叫ぶ。皇太子が椅子に座ったまま仰け反ったせいで倒れそうになっている。

 王女はいつにない俊敏さを発揮し、寸前のところで椅子を支えた。

 ホッと胸を撫で下ろす王女を横目に、呆然としていた皇太子の喉が鳴る。今の状態だと、二人の物理的な距離は限りなく縮まっていた。特に、顔なんて息がかかるほどの近さ。

 皇太子が赤面した瞬間、フーゴは死んだ魚の目になった。

「ぎゃあっ!」

「ど、どうしたの? なにか虫でもいた? 虫なら私に任せてくれて大丈夫だよ!」

 素っ頓狂な声を上げて椅子から飛び降りた皇太子に、王女はおろおろしている。

 その様子を、皇太子は乱れた髪を撫でつけながら睨みつけた。

「虫とかどうでもいいッ、顔を近づけるな!」

「顔……?」

 王女は目をぱちくりさせて首をかしげる。

「近いってなんのこと?」

「ぐっ! むしろなんでアンタは平然としているんだよ……!」

「平然……?」

 ぼやきは心底悔しそうだ。けれど、相手にはなにも伝わっていない。

 再び二人の世界ができはじめたので、フーゴは半眼のまま帳面に書きつける。

(……思春期……? 違うか……遅い春を迎えた皇太子殿下の懊悩が、っと)

 今みたいなことはなにも初めてではない。遠い目になるくらい何度も目撃してきた。

 十九歳の青年とは思えないあまりに初々しい反応で――鳥肌が立ちそうだ――、王女も王女で天然鈍感を極めすぎたがゆえのまどろっこしさといえよう。

「……そういえば」

 王女が一歩踏み出せば、皇太子も同じだけ後退る。それを数度繰り返すと、さすがの王女も不審そうに眉根を寄せた。

「どうして遠ざかるの?」

「近づく必要もないだろ。アンタは席に戻れ、俺も座る」

「椅子はそっちにはないよ?」

「アンタが座ったあとで、椅子に戻るんだよ。いいから、とにかく座れ」

 そう促されても王女は動かず、眉尻を下げた。

「私の気のせいなのかもしれないけど……もしかして、私はアルトゥールに避けられるようなことをしてしまったのかな」

 ほーん? フーゴは感心する。

 いかな超絶前向き人間でも、ここまであからさまに忌避されたら気づくらしい。

 皇太子もハッとしたようで、気まずそうに顔を背ける。

「……違う」

「本当? 私の察しが悪いせいで、無理とかしてない?」

「アンタが鈍感だってことは否定しないけど、本当にそういうんじゃないから」

「そっかぁ。大切な君にイヤな思いをさせてないならよかった」

「うぐぅ!」

 向けられたふわりとした微笑みに、皇太子は胸元を押さえてよろめく。

 例の持病の発作だ。飽きてきたフーゴは記録の手を休めてあくびする。

「アンタの大切ってどういう意味……」

「ん? アルトゥールのことが好きって意味だよ?」

 にこにこと邪気なく放たれた言葉の威力は無限大だ。

 皇太子はとうとう崩れ落ち、うなだれた。地の底を這うような低声が垂れ流される。

「……もうやだ、同じ次元で生きている気がしない……その『意味』を訊いてるってのになんなのこれ? いっそ地底人なら諦めがつくんだけど。間違っていないようでいてすさまじい齟齬を感じる……! 期待するな、これは絶対にわかってないオチだ……!」

「アルトゥール、やっぱり仕事のしすぎで疲れているんじゃ……?」

「うっ……!?」

 表情を曇らせた王女も膝をつき、皇太子の背中をさすりながら顔を覗きこむ。

 間近に現れた婚約者の顔に怯んだのか、また懲りずに仰け反ろうとしたものの失敗する。

 王女は皇太子の両手を握りしめると、ずいっと距離を詰めた。きらめく天藍石の双眸で、この後の展開に怯える菫色の瞳を見つめる。

「本当に、大丈夫? あのね、いつも言っているけど私だって君の力になりたいんだ」

「リュカリス――」

「君の力になれることがあるなら言ってほしい。私にできることならなんでもするよ!」

「はっ!? な、なんでも……!?」

 赤面し、動揺をあらわにしながらも食いつきを見せる。

(思春期が遅すぎるにもほどがないっすかねぇ)

 フーゴは口に出せないかわりに胸中で愚痴る。

 王女が表情を明るくした。花でも飛んでるかのような笑みがひらめく。

「なに!? なにかあるの? なんでも言っていいよ!」

「…………本当に――なんでも、いいのか?」

「うん! 君のお願いを聴けるなんて、すごく嬉しいことだ。教えてくれる?」

「………………アンタは」

 言いよどみ、上唇をひと舐めする。

 握られる一方だった手をぎゅっと握り返すのが、フーゴの位置からも窺えた。

 数ヶ月前からは想像できないほど感情豊かになった皇太子は深呼吸したことで、いったん落ち着いたらしい。真摯な面差しで王女を見つめ返すと、今の今まで平然としていた彼女の表情に揺らぎが生じる。皇太子の瞳に惹きこまれたように、ぽうと頬が赤らんだ。

 そこには気恥ずかしさ以外の感情もたたえているようだった。

 その感情の種類はあまりに明白で、傍目からこれほどわかりやすいこともない。

 なのに、気づかないのはお互いに夢中な当事者たちばかりなのだから皮肉だ。

「アルトゥール……?」

「俺のことを――」

 王女の耳元に、唇が寄せられる。そうして囁きを落と――――させねえからぁ! というわけでフーゴは「うぉふぉん!」と大げさに咳払いしてみた。

「ごほん! げっほ……げふん! げほげほ……うぇぷっしょい!」

「!?」

「わっ! び、びっくりした……」

 ついでにくしゃみまで出たのはご愛嬌だ。

 案の定、二人は示し合わせたかのように飛び退いた。素晴らしい脊髄反射だ。

 すべてを悟った皇太子が怒りに震えているが、ここまで空気扱いに甘んじていたことを感謝してもらいたい。仕事のためとはいえ、フーゴはかなり我慢した方である。

 というか、こいつらいい加減にしろ。自然と半眼になった。

「そこの王女サマは脳筋族としても、殿下まで脳細胞が死滅したんっすか? 三歩も歩いてないのに自分の存在を忘れるとか、もはや鶏以下の記憶力っすわぁ」

「……空気を読んで出て行くくらいしろ……」

「空気を読むなんて奉仕は特別料金制なんで、別料金でお願いしゃーす」

「お前、これ以上金を取るつもりなのか……」

 フーゴは大真面目に頷く。金は大事だ。平民出身の自分にとっては特に。

 そんなやり取りを尻目に、王女はそわそわとテーブルに戻ってきた。

「そ、そういえばフーゴにも紅茶を淹れようとしていたんだった。えっと……ちょっと待っててね」

「すでに待たされまくったんでぇ、ゆっくりでいいっすよ~」

「本当にごめんね……私、一つのことに意識がいくと他のことを忘れがちで」

「知ってたっす」

 うん、と力強く首肯する。

 申し訳なさそうに謝る王女とは対照的に、皇太子はふて腐れた様子で席につく。

 頬杖をつき、憂鬱そうに目を伏せる様は一幅の絵画に切り取られた情景のようですらあったが――やれやれと、フーゴは肩をすくめた。

(見るからに両想いだっていうのに、両方無自覚とか……救いようがないっすわ)

 あまりにバカバカしくて、当てられるのもごめんこうむりたい。

 ちゃんと記録は取れた。あとはサボっても問題ないだろうと帳面を閉じ、大きく背伸びする。


「……これが人の恋路を覗くヤツは馬に蹴られてなんとやらってことっすかね」


 ああ、割に合わないったらない。

 ふわぁとあくびをすれば、王女がちょうど紅茶を差し出してきた。

 にっこりと笑いかけてくる彼女に会釈一つだけして、陶坏に口をつける。


 ――こうして、フーゴ・バッカーのとある一日のひそかなる備忘録は綴じられたのだった。


〈Fin〉

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