第十三撃 特別出撃


 

 第一遺物倉庫を後にした二人は窓のない廊下を走る。苦しそうに走るフスーの胴を掴むとイハは肩の上に抱えあげた。

 

 「降ろせっ、ゲホッ、降ろせよこの馬鹿!」

 「ガキはじっとしてろ。どこで曲がるかだけ言え」

 

 節々が痛むが、フスーを無理に走らせて追従するよりもこの方が速いだろうとイハは考えた。バタバタと暴れていたフスーもそれをすぐに理解したのか、舌打ちをして大人しくなった。

 

 「……右だ」

 

 イハはすっかり人気のなくなったゼー棟を走り抜ける。素足で床板を蹴る度に、いつもより強い衝撃が膝に走って顔を歪める。ガーム棟に差し掛かろうとして、イハは向かってくる足音を察知した。

 

 「ヴィヌヴ先生!」

 

 嵐が去った後の森のように、癖のある髪は荒れて汗で額にべっとりと貼りついていた。片眉を上げた独特の笑い方でヴィヌヴは応える。

 

 「ったく……非戦闘要員を無闇に走らせてんじゃねぇよ。これから第四遺物倉庫に向かう。特別出撃だ。有難く思えよぉ」

 「特別出撃!?」

 

 ぱっと目を輝かせるイハに頷いてから片目を閉じてみせると、ヴィヌヴは早足で歩き始めた。

 

 「こっちだ。……あーそうだ、フスー、もういいだろ。降ろしてもらえ」

 

 言い切らないうちに、フスーは乱暴にもがいて肩から抜け出た。大きく蹴られたイハは不快そうに呻く。

 

 「フスーてめー、もっと、こう……なんか、あンだろが!」

 「僕だってあの見栄張り男の相手をしてやったんだ。一歩間違えれば君は謹慎処分を食らっていたんだぞ。君こそ僕にもっと何かあるだろうが!」

 「あーあーなるほどね……」

 

 くっくっくっく、と口を抑えてヴィヌヴは笑った。

 

 「ヴィヌヴ先生あいつのこと知ってんすか!?」

 

 イハが小さく拳を握りしめるのを確認して、ヴィヌヴは簡単に三人の間に起こったであろう口論を察した。

 

 「お前まぁたこっそり出撃しようとしてたろ? んでルガシアがそれに食いついて、お前煽ってガームに不祥事起こさせようとでもしてたんだろうなぁ」

 

 多くはない情報から経緯を概ね言い当てたヴィヌヴに、イハは舌を巻いた。

 

 「すっげー……やっぱ先生アタマいいんすね……」

 「いやぁ、ガームに入ったんならルガシアは要注意人物なんだわ」

 

 頭を掻きながらヴィヌヴはスェンソ棟へと渡った。得物が長いスェンソのために天井が他の棟より高く設計されていて、急ぐ三人の足音がより大きく響く。

 

 「なんでなんすか? あいつガームに何の恨みが……」

 

 眉をひそめるイハに、ヴィヌヴは大きく笑った。

 

 「なぁに、大したこたぁねぇ話さ。あの別嬪べっぴんさんの副拳長ガーノだよ」

 「ツェナーさんが!? どうして!?」

 

 てっきりダンと因縁があるものだと考えていたイハの驚いた声に耳をつんざかれて、フスーは顔をしかめた。

 

 「なぁに三年ほど前にツェナーにこっぴどく振られたのさ。物理的にもな」

 「振られる? ブツリ的にも……?」

 

 イハの察しの悪さに苦笑いして、ヴィヌヴは付け足した。

 

 「ルガシア、あいつ見栄張りだからさぁ、わざわざ公衆の面前でツェナーに想いを伝えたんだ。ま、その方が断りづれぇとも考えたんだろう。――でもよぉ、相手はあのツェナーだ。『自分より弱い男には興味が湧かない』なんて言って、おっぱじめた訳さ。もちろん本気でな」

 

 イハは関心深そうに聞いていたが、フスーはつまらなさそうに窓の外に目をやりながら足を素早く回転させていた。

 

 「で、どうなったんすか」

 「入って二年しか経たないまだ新人の剣は、ツェナーを斬るには余りにも遅すぎたのさ。いくら抗マナ加工の鎧だろうと露出部を突かれちゃあ吸収もされちまう。衆人環視の中で三分もかからずにこてんぱんにされたんだ――それも女に」

 

 イハは昨日の吸収訓練での鬼のようなツェナーを思い出していた。あの若さで、しかも女で、副拳長ガーノを務めているのだ、伊達ではない。

 

 「ルガシアは恥かかされたって相当根に持ってるみたいでよ。あの手この手でガームに泥を塗ってやろうと考えてるみたいだぜ。ほんとあいつめんどくせぇよ。俺ぁ好きじゃねえな」

 

 手をひらひらと振りながら、ヴィヌヴはにかにかと歯を見せた。

 

 「俺もあいつのやり方は嫌っす。今度会ったら絶対ぶっ飛ばしてやる」

 

 殺気立ち紋様をじわりと初期位置から拡げるイハに、フスーはため息を吐く。

 

 「お前は本当に馬鹿だな。非生物である剣からはマナ吸収が出来ない。故に魔生物の皮殻と違って鈍化及び脆弱化させられない。ルガシアにその空っぽの頭蓋を真っ二つにされるのがオチだ」

 「うるせえ、そんなのやってみねえと分かんねェじゃねえかよ!」

 「はいはいおっつけおっつけぇ。着いたぜ」

 

 ヴィヌヴが軋む木製の重い扉を押し開けると、バスよりは随分と小さな燃料車が現れた。つやつやした鉄の肌は僅かな曲率で、浜蜜柑の葉のような深緑に嘘みたいな真白の長細い光が映っていた。

 

 「わっすげえ! 俺これに乗るんすか!?」

 「そうさ。フスー、頼むぜ。観測点十七だ」

 

 そういうとヴィヌヴは操作輪ハンドルの付いていない左座席に勢いよく飛び乗った。

 

 「え、これ先生が操作するんじゃ」

 「馬鹿! 早く乗れ!」

 

 イハに乗車を促したフスーは、高く上げられ酷く前に飛び出た右座席に乗ると、腰から小さな鍵を取り出して乱暴に刺し回した。燃料車の咆哮とともに、聴いたことのない前文明の音楽が流れ始める。

 

 「何だこの音――」

 「イハぁしっかり掴まっとけよぉ、フスーはちょっと運転荒ぇからな」

 

 ヴィヌヴの忠告とともに、フスーは加速操作板アクセルを一気に踏み抜いた。

 

 「オアッ!?」

 

 背もたれに見えない力で抑えつけられたイハは硬直した。

 

 「どうだぁ? これが慣性の法則ってやつよ。座学でやったこと覚えてっかぁ?」

 

 愉しそうに後部座席を振り返るヴィヌヴを、急すぎる方向転換が左に振った。小石を蹴飛ばしながら加速していく車の中から、イハは三台のバスを見つける。

 

 「あ、ダンさん達が乗ってるバスだ! ……あれ、ちょっと待って! 向かってる方向が逆だ!! おいフスー!! 道間違えてんぞ!!」


 ルメリア火山を下り街へと向かうバスを尻目に、イハを乗せた車はどんどん山を登っていく。しかしフスーはイハの言葉に耳を傾けようとしない。

 

 「いーや。これで合ってる。もうすぐ着くぜ」

 

 ヴィヌヴの言葉に勢いよく振り返るとイハは左座席を掴んだ。

 

 「どういうことなんすか!? 俺は出撃出来るんじゃなかったんすか!?」

 

 ヴィヌヴは鏡越しにイハの様子を把握してから大笑いした。

 

 「ああ、今からお前は出撃するのさ。それもお前にしか出来ねえ仕事だ」

 「先生! 俺をどこに連れてくつも――ウグッ!?」

 

 ギギギギギギ、と車が手荒く止められてイハの身体は前部座席に押し付けられた。

 

 「お待ちどうさん。着いたぜ。フスー、お疲れさん」

 

 身体を座席に固定していた黒い帯を手早く外して、ヴィヌヴは車から出た。

 

 「俺は降りねェ! フスー! みんなのとこに俺を連れてけ!」

 

 血相を変えて怒鳴るイハに舌打ちすると、フスーは腰に刺していた小鳥ほどの黒い塊を車の天井に向けた。

 

 ダァン!

 

 窓に嵌めてある硝子が大きく揺れるほどの衝撃と音が、車内を支配した。左耳を塞ぎ右肩を耳につけていたフスーは身体の向きを変え、銃口をイハに向けた。

 

 「このガキッ、俺を脅すつもりかよ!」

 

 大きすぎる音で耳鳴りが微かに残っていたが、イハは構わずに戦闘態勢を取った。弾を使い切らせればただの子供。こっちのもんだ。そんなイハの思考をヴィヌヴがせせら笑う。

 

 「やめとけやめとけ。座学でやったろ? 古代遺物の自己修復性について――」

 

 光る粒子が集まると、フスーが撃ち抜いた孔は何事もなかったかのように塞がった。

 

 「古代銃も弾丸を零点五秒で自動回収するんだぁすげえよな。いくら無駄撃ちさせたって意味ねぇってことさ。もちろん非生物だからマナ吸収も出来ねぇ」

 

 イハは目をぎらつかせながらゆっくりと車を降りた。

 

 「念のため用意しといて良かったぜ。話も聞かずに暴れられたらひとたまりもねぇからな」

 

 高笑いするヴィヌヴの声が車から流れ出る音楽と交じる。銃口を睨みつけたまま、イハはフスーとの距離を詰めようとした。それを見計らって、ヴィヌヴは大きく声を出した。

 

 「イハ・リューソ。出撃許可だ――魔弾デーテとしてのな」

 「魔弾デーテ!? 俺はガームっすよ!? 何言って――」

 

 刹那、ハォビの花の甘酸っぱい芳香が鼻を掠めた。

 

 「イハくん。おはよう〜。」

 「は、ハイビスカス、様!?」

 

 理解が追いつかないイハに女神は後ろから抱きついた。ヴィヌヴはくっくっくっく、と笑うと、眼下で蠢く魔生物を指した。

 

 「今から暫くの間、お前はガームじゃなく――巫子スァーナとして働くってわけよ」

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