第6話 人魚の足跡

夜半に嵐は一過し、澄みきって明けた朝からの、よく晴れた午前中である。

低い気圧と強い風に強く揉み込まれたばかりの海は、よく見ると濃い青のところもあれば、不機嫌な白っぽいチャートを溶かした川水の軌跡もあり、波間をよく見たなら、大きな木の根や、よくわからない大きなものもまた浮いているのがわかるだろう。

この日、ブラウン神父とフランボウは朝の早いうちから海岸に出て、網をうったり磯の岩のすきまをのぞいたりと、探し物に明け暮れていた。

誰ともしれぬ匿名の主が依頼である。せんだっての人魚姫の末路を知って、いささか菩提心にめざめた関係者がいるものらしい。肉体は泡となっても、なにかしか弔いのよすがになるものがないか、というのである。「真正十二人の漁師会」に浅からぬ縁をもつ神父とフランボウなら、あたらずといえども遠からず、人魚と縁もあろうと考えたのか。

肉体は泡になったとはいえ、服なり靴なり、寄り物のある磯浜であれば見つからないか、というのである。

かくてブラウン神父は、小鬼の角じみたつばをもつ黒帽子を、磯の凸凹した大岩小岩のあいだにぴょこぴょこ出入りさせており、フランボウ君は小舟をあやつり、漕ぎ出しては網打ち、網打っては砂浜にひきかえして、網の中身をあれこれよりわけているのだった。

「服か靴か、はたまた人魚姫ですから、シャコ貝かホタテ貝の乳バンドか、みつかるでしょうかねえ」

何回目かの投網の中身を砂浜にあけたフランボウが、どっかりと腰を下ろした。二枚貝の貝殻、小石に海藻、小魚が何匹、といった収穫である。

「そこにわけてあるのは何ですかな」

磯から戻ったブラウン神父は、フランボウの傍らによけられたこまごましたものを指してたずねた。

「小さいけれどきれいな貝殻、波に磨かれたガラスびんのかけら、といったもんです、失礼しました、これはうちの子供らにとおもいましてね。

いえ、神父さん、真面目にさがしてますよ、人魚姫の痕跡も」

ブラウン神父はしばらく目をぱちくりとさせていたが、フランボウのかたわらにやはりすわりこんだ。

「痕跡、そう、痕跡ですな。いや、フランボウ、今回はきみもすべてわかっているものとおもっていたんだが」

フランボウ君はめずらしく、すこし難しい顔をつくった。

「すべてわかっている、ですか。

すべてかどうかとなると、心もとないですが

、匿名の依頼人が、隣国の姫と結婚したばかりの王子だろう、というのは予想がつきます。それと、痕跡が"ない"ことを確認したいのではないか、ということも」

ブラウン神父は小さな眼鏡をいちどはずし、目の下から額の汗をぬぐってから、フランボウ君に答えた。

「そこは全くもって正しい。だが足りない」

「正しいが足りない、と、おっしゃいますと」

「人魚姫が、声と引き換えに得た足は、歩くたびに激痛が走った。魔法で得た足にしては、ずいぶんと不出来だ」

「まあ、いわれてみれば、たしかに」

「不出来な魔法は、限界のある医学と区別がつかない」

「新しい警句ですか、いや本歌がありますかね、じゅうぶんに発達した魔法は、という」

「さよう。限界のある医学を示唆した話のように、わたしにはおもえるのだ」

「限界のある医学、ですか」

「足を得るために、魔女のあたえた薬液を飲み、声を失い、得た足は歩くと激痛がはしる。似ているとおもわないかな、君は」

外した眼鏡をかけなおした神父は、沖の方をみて目を細めると、自分の黒いカトリックの神父の服をあちこち探り、ちいさな畳めるタイプのオペラグラスを取り出して開いた。その間も喋ることは止めていない。

「薬液は、全身麻酔の薬ではないかね。麻酔下で、いわゆる外科的な処置のもとに、人魚姫は足を得た」

「魚の尾とひれを足に変えるとなると、ぼくはやはり、魔法のほうに軍配をあげたいなあ。医学として、難しいでしょう。魚のしっぽを人間の足につくりかえるなんて、できますかね」

「わたしも最初はそう思ったのだがね。だが、フランボウ、人魚とはなんだろうか。おもいだしてみたまえ」

フランボウ君は、砂浜に置いてあった、半透明のうっすら白い小石のようなものをいじりはじめた。磨かれたガラス片だ。

「アンデルセンの人魚といいますか、ローレライの歌姫といいますか。上半身は人間、下半身は魚、という」

フランボウは片手で半透明の白っぽく曇ったガラス片をひとつ拾い上げ、のこる片手では濃い青のガラス片をひとつ、指先につまむ。マーキュロのびんのかけらだろうか。

「さよう。半分ずつが人間であり魚である。ということは、どういうことかな」

ブラウン神父も、フランボウが子供のためによりわけたもろもろから、半透明の白っぽく曇ったガラス片と、濃い青のガラス片をよりだして手にとった。

「君はあの若い画家の絵を見たかい、フランボウ。マグリットという画家でね。頭と胴が魚で、足や腹が人間の、われわれが思うのとは逆の、あべこべな人魚を書いていたのだ」

「その絵はぼくも知っていますよ。奇妙なものを書いたもんです」

「もし、奇妙な人魚ではなくて、あのような人魚もいる、としたら、どうかな。

上下や前後にべつの生き物がつながることは、人魚やグリフィンやスフィンクス、まあいろいろある。

ふつうの生き物でも、チョウやカブトムシのたぐいで、一体で左右が雌雄べつの特徴をもっていることがあるね。ほかにもあるだろうな。

(作者注: このあたりのくだりを書いているときに、朝日新聞digital「頭はオス?だけどメス 野生の希少キジ、福井で撮影成功」(佐藤常敬 2020年5月13日14時44分)という、首から上にオス特有の色の羽を生やしたメスの雉が発見されたニュース記事を偶然目にした。左右や上下で別々の特徴で分割された個体は、自然界にしばしばあるようである)

人魚姫には姉が何人もいた。もしかすると、ほんとうは、姉はもっとおおかったのではないかな。

かならず双子としてうまれ、片方は上半身が人間、下半身が魚。もう片方は上半身が魚で、下半身が人間。そんな生まれかたをしたとしても、おかしくはない」

ブラウン神父は、ガラスのかけらを四つえらびとった。白っぽい曇りガラスを二つ、青いガラスを二つ。

砂の上に改めてならべなおす。縦にひとつずつ白・青とならべたとなりに、やはり縦にひとつずつ青・白とならべる。

「そして、陸上に上がって暮らすことをえらぶときは、双子の片割れとのあいだで、人間の足と魚の尾を切り取ってつけかえる」

白・青の並びも青・白の並びも、ブラウン神父の指が、手前にあるほうをすっと入れ替えるようにすべらせ、白・白と青・青のならびになった。

「いや、それは……もはや魔法では、ありませんな」

「ああ。魔法だったら、どんなによかったことか」

座り込んでしまったふたりから、少し遠い沖のほうから、ゆっくりと、海草やごみのからみついた大きな塊が、岸のほうへ、波に押されてくる。

まだ、ブラウン神父もフランボウも、寄せてくるものがなにかを知らない。

近づいたなら、胴を一周する継ぎ目のある、人間のように大きな魚の死骸だとわかるだろう。




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贋作・ブラウン神父のお伽噺 積読荘の住人 @tsundokulib

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