ペガサス
「では、ショーが始まる前に、私と一つ約束をしてください」
カノマジックのカウンター内で、一角はそう前説を始めた。
「ショーの中で、どこかのタイミングで私がこの蝶ネクタイを触ります。それを見た皆さんは拍手をする。これが私と皆さんとの約束です」
結局あたしは、「チャイナリング」と呼ばれる古典マジックの道具を買った。
四つの金属製のリングが繋がったり別れたりする、というものだ。
道具を開けてみれば仕掛けは単純なものだったが、紙の説明書では手順がよく分からないと愚痴ったところ、一角がアフターサービスの一環として実演を見せてくれることになった。
「あたし蝶ネクタイなんて持ってないわよ」
「別に蝶ネクタイじゃなくてもいいんだ。マジックを見るのに不慣れなお客様はマジックを見終わった後に拍手をする習慣がない。ただ唸って不思議がったり、いきなりタネを聞いて来たり、そのままにするとショーとして締まらなくなる。だからこちらから拍手のタイミングを提示し、協力してもらう」
「そんなこと、説明書には書いてなかったけど」
「サービスさ。マジックそのものの技術かそれ以上に、ショーアップのテクニックはマジシャンに取っては大切だ」
一角は言いながら演技に入った。
四本のリングの内、三本は仕掛けのあるリングで、実は普通のリングは一つだけだ。
一角の手順は滑らかで卓越していた。
掌から掌へ、四本のリングをぱらぱらと落とす。リングはまだバラバラだ。内一本をあたしに渡して両手で持たせると、一角は手にした一本のリングであたしのリングを叩いた。それだけで二つのリングは噛み合って一繋がりになった。彼はその繋がったリングを取り上げ、一度繋がっているのを示してから再びあたしに渡した。それは完全に繋がった二つの切れ目のないリングだった。次に一角は両手に一つずつのリングを持ち、それを目の前でゆっくり重ね、再び離した。リングは繋がっていない。もう一度。今度は離れ行くはずのリングが「チャリン!」と音を立てて繋がった。二繋がりのリングが二組。一角はあたしの一組を取り上げて、指で摘んで吊り下げた。その下から、自分の一組を近づけてひょいっと投げて当てる。「チャリン!」リングはそれだけで繋がって、ついに四つのリングは一つの連なりになった。
こっちに顔を向けた一角は、蝶ネクタイを触ってちょこちょこと揺らした。
あたしは慌てて拍手をする。一角はうやうやしくお辞儀をして「ありがとうございました」と謝辞を述べた。
「ま、こんな感じさ」
一角は赤いナイロン生地のジッパー付きケースを出してリングを片付け始めた。
「え、何そのケース。あたしのには付いてなかった」
「付属品じゃない。自作だ。百均のCDケースの、リーフ部分を切り取っただけだけどな。大きさも丁度いいし、何より安い」
「成る程。真似する」
「女の子なら、部屋に鏡台くらいあるだろう。自分の演技を鏡に写して練習するんだ。上達が早くなる」
「う、うん」
あたしの部屋には鏡台はない。
気まずさを感じたあたしは話題を変えた。
「一角の働きでぱかぱかさんの謎は解けた訳だけど、後は首無しライダーと旧校舎の飛び降り幽霊の謎ね」
「何言ってる。その二つの噂の謎ならぱかぱかさんの謎とセットで解けただろう」
一角はチャイナリングのケースをぽん、とカウンターの上に置いて言った。
「え、どゆこと?」
「柳澤弘樹殺害の大仕掛けをぶっつけ本番でやると思うか?」
「えーと……つまり?」
「大沢先生は高橋健斗と事前に練習してたんだよ。体育館で。多分、巻いたマットを柳澤に見立てて、スマホの音が外でも聞こえるか、糸で六十キロの重さが、殺せるスピードで持ち上がるか、天井にぶつかった衝撃できちんと糸が千切れるか。何度か繰り返しやってみてたんだろう。深夜にこっそりな。行き止まりの路地に繰り返し走り込むのは交差点方向に走り込んだら危険だからだろうし、ドーンという音はマットが天井から床に落ちる音だ」
「待って待って。高橋健斗は首無しじゃないでしょう? それに飛び降りる幽霊が出るのは旧校舎じゃない?」
「首無しライダー。旧校舎の幽霊。君が聞いた噂は本当にそんな噂だったか?」
「え……?」
「僕が聞いた噂は違う。ライダーはただの幽霊ライダーだった。行き止まりの路地に何度も走って行く同じ色のバイクがいる。飛び降りる幽霊はどこから飛び降りるかは触れられてなかった。だけどキュッキュッと足音を立てるっていう話はあった。そんな足音が響くのは体育館だろう」
「あれ? じゃ、なんであたし首無しで旧校舎だと思ったんだろう」
「大沢先生が言ったんだ。柳澤が死んだ日。朝礼で。『旧校舎から飛び降りる霊なんていません。首無しライダーなんていません』ってな」
「あ……ああ!」
「ミスディレクション。上手いと思うよ。体育館や実在のバイク乗りから噂の印象を遠ざけた。大沢先生、マジシャンになったら成功したかも知れない」
残念だ、と言いながら一角はあたしに背を向けて、店のパソコンに向かい始めた。
カノマジックはネット通販もやっていて、実はそちらの収益が店の売り上げの大半を占めるらしい。一角は注文の伝票をプリントアウトし、店の棚から商品を選び出して、小箱や封筒に梱包し始めた。
「手伝おうか?」
「君はお客様だ。これは僕の仕事」
「ね、柳澤先輩たちグループのメンバー、なんで知ってたの?」
「そもそも柳澤弘樹の危機管理意識がガバガバなんだよ。彼は自ら、うちのクラスの高橋未央にしょっちゅう会いに来てたんだ。君のクラスの島原さんや一組の二人を伴っていることもあった。島原さんは名札が見えたから名前を覚えていた。一組の二人は名札のラインでクラスは分かったが、名前までは見えなかったから名前は知らない。クラスも部活も違うし生徒会役員でもないメンバーがしょっちゅう会ってて内一人が自殺したら、良からぬ事でもしてるグループなのかな、くらいはアタリが付くさ」
「そこまで気付いてて先生や警察に言わないんだ」
「確証のない話だし、それは先生や警察の仕事。今回の件だって僕が出しゃ張らなくても、いずれ警察が突き止めたよ」
「大沢先生は、なんで高橋未央にこだわったのかしら?」
一角は小さく肩を竦めた。
「さあな。友情か保護欲か、正義感か教師としての責任感や自責感情か……それともそれ以上の何かなのか。こればっかりは当人にしか分からないな。もしかしたら当人にも、はっきりと説明はできないのかも知れない」
あたしはふーん、と鼻を鳴らした。
「あたしの名前は?」
「なに?」
「あたしの名前よ。初めてここに来た時、フルネームであたしの名前を呼んだでしょう?」
きっかり二秒の沈黙があった。
「前に名札で見て覚えてたんだよ。マジシャンは人の名前や所持品を良く見て覚えておく癖があるんだ。例えば腕時計。例えば指輪。どのお客様がどんな道具を身に付けているかを覚えておけば──」
「うちの学校の名札、表記は苗字だけだけど?」
きっかり二秒の沈黙があった。
「なぜ僕が君のフルネームを知っていたか……勿論タネも仕掛けもある。だけどこの演目は技術がいるから、君に教えるにはまだ早い。まずはそのチャイナリングをスムーズに繋げられるようになって見せろ。そしたらタネも仕掛けも教えるよ、ペガサス」
「……そのダサいを通り越してネーミングなのかすら検討が必要なネーミングセンスなんとかしなさいよ。あたし絶対イヤだからねそんなステージネーム」
言いながらあたしは、カウンターの上に出しっぱなしになっていた一角のチャイナリングケースを手に取った。
中身を出して手に取る。
「あれ? ウソ……何これ」
そこに入っていたのは、あたしが買った道具とは全く違う、タネも仕掛けもない独立した完全な四つのリングだった。
ぱかぱかさんが通る 〜マジシャン探偵 清水一角〜 木船田ヒロマル @hiromaru712
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