真犯人X

 平日の昼下がりの墓地は他に墓参の者もなく、黒いフロックコートのその人物しかいなかった。


 彼女は手桶から柄杓で汲んだ水を丁寧な手付きで暮石に掛けてそれを清め、屈み込むと持参した線香を上げて、供え物だろう小さな包みを墓前に置き、手を合わせてかなり長く故人の冥福を祈っていた。


「高橋未央さんのお墓ですね?」


 一角は静かにその人物に近寄ると後ろからそう声を掛けた。


「大沢もなみ先生」


 大沢先生は


「ああ」


 と、返事をした。

 そしてゆっくりと立ち上がると、優雅な動作で振り向いた。ビロードの黒いワンピース。黒いタイツに黒いヒール。手にはピッタリした黒い手袋をしていた。陶磁器のように白い肌。彼女は清水一角と正面から向き合った。その感情を感じさせない顔の、血のように赤い唇から一角への質問がこぼれ出る。


「君は誰だ?」

「失礼。まずは僕にも彼女のご冥福を祈らせてください」


 一角はその質問をにこっと笑顔で受け止めて、用意した手桶と線香を示して見せ、数分前に大沢先生がしたのと同じように手桶の水で暮石を清め、線香を上げて手を合わせた。

 一角もまた、結構な時間をそのまま過ごし、暮石に一礼すると改めて大沢先生に向き直った。


「きちんとお話するのは初めてですね。二年四組の清水一角です」

「……何故ここが?」

「先生に相談がありまして、お家を訪ねたのですが丁度お出掛けになる所で。お声を掛けるタイミングを伺っているうちにここまで来てしまいました」

「ぬけぬけと。尾行したな?」

「まさか」

「出よう。ここは騒いでいい場所じゃない」


 寺の境内に出ると、大沢先生はタバコを出して火を点けた。深く胸に吸い込んだ紫煙を、彼女は溜息のように吐き出した。


「で? 相談とは?」

「自首してください。先生」


 大沢先生はまたタバコを口にし、吸い込んだ紫煙を再びゆっくりと吐いた。


 くっ、くっ、くっ……


 大沢先生は喉を鳴らす。

 それはやがて本当に愉快そうな笑いになった。


「ふふふ、はは、続けてくれ。詳しく聞きたい」

「柳澤弘樹は売春を斡旋していた」


 笑いが止まった。


「身体を売っていたのは田坂花音、島原志保李、河田ゆう、高橋未央の四人。だが高橋未央が客の一人とトラブルを起こす。売春を辞めたがった高橋未央を柳澤は売春の事実を公表すると脅し、客を取らせ続けた」

「もういい」


 大沢先生は低いトーンで一角を制した。だが一角はやめない。


「高橋未央は耐えられずに自殺。他のメンバーの相談からその事を知ったあなたは、柳澤殺害を決意した。高橋未央の仇を討ち、彼女の売春の事実を隠匿する為に」

「違う」

「あなたは高橋未央の弟、高橋健斗を犯行に巻き込んだ。柳澤を殺さなければ、高橋未央が浮かばれない、彼女の売春が世間に知れる、とでも言ったんでしょう」

「黙れ」

「そしてあなたは、素知らぬ顔で柳澤に接触する。

 高橋未央の自殺以来、校内の人心が浮き足立っている。特に心霊現象の噂が流行していて真に受けた生徒が体調を崩したり休んだりしている。このままだと噂の出どころを詳しく調べざるを得ないがそこまでする時間も惜しい。一芝居打って心霊現象などない事を皆に知らしめたいから協力してくれないか、とでも言ったんでしょう。柳澤は生徒会長だ。先生にそう言われたら断るのは難しい。それに『ぱかぱかさん』の噂の出どころを詳しく調べられたら高橋未央の自殺の原因が売春だったことが……」

「黙れと言ってるッ!!!」


 先生は怒鳴った。我慢も限界だと肩でする息が語っていた。


「死者をっ……冒涜するな!」

「正直、僕はあなたが主犯である証拠を押さえていません」


 一角は大沢先生に背を向けた。


「しかし、柳澤弘樹がいわゆるパパ活を斡旋していた事は証明はできる。高橋健斗が彼のバイクを使って犯行に関わっていたことも。

 柳澤弘樹殺害のシチュエーションは確かに普通に見れば不可解で不気味だ。しかし、エンターテイメントとしてのマジックの世界では──」


 振り向いた一角は手のステッキで先生を指差すようにしながら言った。


「──ごくありふれた光景だ」


 ステッキ? 彼は今の今までそんなものは持っていなかったはずだ。


「何が言いたい?」

「人体浮遊マジックの仕掛けは大別すれば二種類。支柱で支えるか、糸で吊るかだ。柳澤弘樹殺害の状況を考えると支柱はあり得ない。予め柳澤の頭上から糸を垂らしておき、その先端は目立たないように壁のどこかに引っ掛けておく。あの日、体育館に入った柳澤はそれを自分で制服の中に着込んでいたハーネスに取り付けた」

「バカらしい。マンガじゃないんだ。人間を吊り上げるような紐が天井から垂れていて、誰も気付かないわけがないだろう」

「ケブラー129でしょう?」

「…………」

「ラスベガスやハリウッドの大きなステージで行われる人体浮遊マジックの仕掛けの主役だ。ゼロ番手と呼ばれる○.六九ミリ糸……一ミリに満たない細さでも引っ張り強度は約七十キロ。昔はとても手に入れにくい素材でしたが、便利な時代だ。今はネット通販で普通に買える。値段は安くはないですが」


 大沢先生は忌々しげに一角から顔を逸らした。


「周到でしたね。あなたはパワーポイントの映写を理由に体育館の照明を落とした。多分、柳澤弘樹はこの時に糸を回収してハーネスと結合したんじゃないですか? ケブラーは生糸では黄色いことが多いですが、恐らくあなたは事前に黒く塗っていた。そこまでやると髪の毛ほどの細い糸はまず人の目に止まらない」


 言いながら一角は、ぽんっ、とステッキを放り投げた。ステッキは命を得たように一角の周りをクルクルと飛び回り、一度は一角の掌に収まったが、また弾けるように垂直に高く飛び上がった。

 一角はそれを手を差し上げて頭上でキャッチした。

 そしてそのステッキから、糸が出ていることを示すように、ぴんぴん、と空中で何かを引っ張って見せた。あたしの位置からは、そこには何もないように見えた。


「こんな風に」


「お前は……一体……」


「スマホのコール音は柳澤本人でしょう。スマホの設定のコール音視聴でデフォルトのコール音を最大音量で鳴らした。それは柳澤の準備OKの合図であり、ぱかぱかさんを連想させる演出であり、外でバイクに跨る高橋健斗への合図でもあった。柳澤が自分に括り付けたケブラー糸は天井の鉄骨の上を通り、壁の通気口を通り、高橋健斗のバイクのフレームに固く結び付けられていた」


 一角はステッキを突き、大沢先生の周りを歩きながら続けた。


「高橋健斗はバイクをスタートさせる。ギアを上げてフルスロットル。柳澤弘樹は天井に激突。スマホが壊れてコールが止まる。瞬間的な荷重はどう考えても七十キロを大きく超えて吊り糸は千切れ、柳澤弘樹は落下して即死。この世から──」


 一角はステッキを胸元に立てるとクルリとその場で回った。ステッキは消えていた。


「──消えた。あなたは他の先生に指図してまんまと彼の遺体を保健室に運ばせた。彼が着込んでいるハーネスを回収しないといけないからだ。警察、いや、救急か学校提携の嘱託医が来る前に」


「難しいものだな……」


 大沢先生は、ふ、と柔らかな表情を作って空を見上げた。


「……完全犯罪というのは」


「自首してください大沢先生」


 一角は声のトーンを変えた。切実な、哀しげな声だった。


「警察も馬鹿じゃない。鉄骨や通気口、バイクのフレームにはケブラー糸が付けた跡がある。柳澤弘樹の死は殺人としていずれ詳細な捜査の対象になります。さっきはああ言いましたが僕個人は、高橋未央は売春まではしていなかったと考えています。柳澤にそれを強要されて受け入れられず、死を選ばざるを得なかったんじゃないかと思っています」


「…………」


「でも事態があやふやなままマスコミの報道が過熱すれば、高橋未央やその他の生徒が売春していた、という話に必ずなる。高橋未央の死は、不名誉に穢される」


 大沢先生は黙って俯いていた。あたしにはその様子が、涙を流さずに泣いているように見えた。


「あなたに取ってそれは……耐えられないことの筈だ。何故ならあなたは、あなたが柳澤をあんなやり方で殺した本当の理由は……」


「分かった」


 大沢先生は一角の言葉を遮った。


「もう充分だ手品師くん。自首するよ。君のような素人探偵に調べが付いたんだ。君の言う通り警察に尻尾を捕まえられるのも時間の問題だろう。逃げられないなら洗いざらい話して、妙なデマがこれ以上生徒達を傷付けないようにするさ」


 深い溜息をついた大沢先生は携帯灰皿を出すと、その中にまだ長いタバコを揉み込んだ。


「にしてもだ、清水一角」

「なんです?」

「……私が君を口封じに殺そうとしたらどうするつもりだったんだ?」

「あそこで……一部始終を撮影しています」


 あたしは録画状態のスマホを構えたまま、茂みからひょこっと顔を出して、大沢先生にお辞儀をした。


 あたしのその様子がおかしかったのか、先生はあたしのスマホの録画画面の中で、ぷーっ、と吹き出すと弾けるように笑った。


「先生は完全犯罪なんて目指してなかったでしょう。海にでも呼び出して柳澤を突き落とす方がまだ犯人には結び付きにくい」


「少しでも、世間の記憶や関心がそれればいいと思ったんだ」


 一角の指摘に、大沢先生はどこかさっぱりした表情で言った。


「彼女の死から」

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