蛇の街
いご
蛇の街
暗い。
右も左も上も下も、懐中電灯で照らさなければ、一寸先すら見えない。
照らしたところで見えるのは、湿った岩肌とそこで蠢く蝙蝠や虫ばかり。正直、気が滅入る。
「おっと、危ないな。大きな穴がある。このまま進んだら落ちるぜ」
前を進んでいた友人から声がかかる。すると、最後方にいるもう一人がそれに応えた。
「それならそろそろ引き返そうよ。さすがにこれ以上進むのは危険なんじゃないかな」
確かにその通りだ。洞窟が真下に続いている以上、進むのであれば虫のように壁にへばりついて降りていくしかない。
それに、僕達は高校生活最後の思い出作りに肝試しをしに来ただけだ。そこまでする気は起きない。
「それもそうだな。あーあ、せっかく蛇の化け物がいるっていう噂を聞いたからここまで来たのによお。拍子抜けだぜ」
前方の友人が文句を言いつつ、引き返そうとする。
僕はなんだかその穴がどんなものか気になって、少し身を乗り出して覗き込んだ。
「なにやってんだ? 危ねえぞ」
「大丈夫だよ。わかってるって」
友人の注意を軽く流し、僕はもっとよく覗き込むために体を穴に近づけた。
――この穴ぼんやりと光っているような
瞬間、足がずるりと滑る。足場を失った体は中空に投げ出され、そのまま穴へと落ちていく。
「宮島!」
僕の名を呼ぶ友人の声が聞こえ、背中に鈍い痛みを感じる。
穴の下はどうやら坂道になっていたらしく、そのまま洞窟の中を転がり続け、しばらくするとまた宙に放り出された。
咄嗟のことで受け身もとれず、体が地面に叩きつけられる。
鈍い痛みに耐えられずしばらくはうずくまっていたが、それほど高さはなかったのだろう。時間が経つと痛みが薄れてきた。
しばらくして周囲に目をやると、そこには驚きの光景が広がっていた。
なんと、僕が放り出された大きな空間は物語の中でしか見たことのないような建造物群と、それを照らす光で埋め尽くされていたのだ。
それだけではない。僕のいる場所から遠くない所にこの地底世界を歩いている住人達がいた。
その生き物はシルエットこそ人間のようだが、その頭部が人間の特徴とはあまりにも異なっていた。
どういうことだ。僕は一体なにを見ていると言うんだ。
自分でもわかる程に動揺していたが、不思議と頭は冴えていて、僕はすぐに友人の言っていた噂を思い出すことができた。
「蛇の化け物!」
思わず口から出たその言葉が聞こえたのだろうか。街を歩いていた化け物のうちの一人――あるいは一匹――が、こちらを向いた。
視線が交差する。その瞬間、僕は身の危険を感じ何処へともなく駆け出していた。
背後から喚くような声が聞こえる。
その言語は今まで耳にしたことのあるどの言葉とも似通っておらず、あれが異形のものなのだと嫌でも再認識させられる。
とにかく逃げるしかない。僕は人気のない路地裏らしき場所に入り、誰も追ってきてないことを確認すると、その場に座りこんだ。
なんなんだあれは。
人間ではなかった。いや、自分と同じ人間だとは思いたくないと言った方が正しい。
あれが未確認生命体といった類の、人知を超えた怪物であることは間違いないはずだ。
もし見つかればなにをされるかわかったものではない。
ポケットの中から携帯を取り出す。さっきの落下の時に壊れてしまったのだろうか。画面に大きなヒビが入っていて、電源もつかない。
思わず、携帯を持つ手に力が入る。
少し落ち着くべきだ。僕は自分自身に言い聞かせる。
いくら嘆いたところで、使えない物は仕方がない。
ならば、今は身を隠し、助けを待つことが賢明だろう。しかし、助けなどはたして来るのだろうか。
「ねえ」
そこまで考えたところで、僕の思考は打ち切られた。
目の前に僕に近い年齢だと思われる、髪の長い少女が立っていたからだ。
「ねえってば、そこのあなた。聞いてる?」
少女は僕の顔を覗き込み、話しかけてくる。
僕は突然のことで慌ててしまい、咄嗟に言葉が出てこなかったので、とりあえず彼女の言葉に頷いておいた。
その様子を見て察したのか、少女は一つ息を吐くと、僕の目をしっかりと見据えて話し始めた。
「どうやら少しだけパニックになっているようね。とりあえず、ここじゃ危ないから私の住処まで案内するわ。ついてきてくれる?」
彼女が何者かはわからないが、化け物ではない人間に出会えたのだ。縋らない手はないだろう。
僕がもう一度大きく頷くと、少女は少しだけ笑顔になって歩き出した。
ここはどこなのだろう。
さっきの裏路地から奥へ奥へと進んでいっているが、本当にこんな場所に住んでいるのだろうか。
いや、そもそもこの状況が常軌を逸しているのだ。僕の常識は通じないと考えた方が自然だろう。
周囲に目をやると、さっきよりも落ち着いたからか、色々なことに気づくことができた。
まず、洞窟の天井部分が光っている。この空間が明るいのはそれが原因のようだ。
それと、全ての建造物が岩で造られている。洞窟の中にあるため、必然的にそうなるのだろうか。
そして、それは渦巻き型であったり、見たこともないような形だったりと、建物と呼ぶには随分不思議な形をしていた。
中には物理法則を無視しているのではないかと思えるような建物もあり、見ていると頭がおかしくなりそうだ。
――それにしても
僕は建造物から少女へと視線を移し替える。
この少女は何者なのだろう。
長い黒髪に僕よりも少し低い身長。さっき使っていた言葉も日本語であることから、同年代の日本人であることは確かだと思っていいだろう。
着ている服がなんだか貧相で、肌がちらちらと見えることが気になったが、今はそんな場合ではない。
歩くスピードは速いが、何度も僕の方を振り返っていることから、配慮のできる人間のようだ。僕を逃がさないためにそうしているという可能性もあるが。
とにかく、話を聞いてみてからだ。彼女が信頼に値するのかは話を聞いてから判断しても問題はないはずだ。
多少怪しかったとしても、彼女に縋るしかないことも確かなのだが。
「着いたわ。ここよ」
そう言うと少女は半球形の建物の中へと入っていく。
その後を追って僕も中に入ると、奇抜な外装の建造物群とは違い、至って普通な造りの内装が僕を迎えてくれた。
「驚いた? ここが私の住処よ。私、ヒトのことを研究してるから、少しだけ詳しいの。この空間は洋風の一般的な住宅をイメージして造ったのだけど、どうかしら」
「ちょっと待ってくれ」
彼女の発言に気になる部分があり、僕は質問に答えずに、質問で返すことにした。
「今、ヒトのことを研究してるとか言ってたよな。君自身が人間なんじゃないのか?」
僕がそう聞くと、彼女は「どう説明したものか」と少し頭を掻いた後、話を始めた。
「そうね。まず、言っておきたいのは、私はヒトのことが大好きだってこと。私は君を地上に帰らせてあげたいと思っているのよ。私も外に出たいからね。そしてその上で言うわ。私は人間じゃない。君も見たでしょう? 頭が蛇の化け物を。私はあれと同じ種族よ」
ほら、着ている服も一緒でしょう? と言って、彼女は身につけているボロきれのような服をアピールしてくる。
さっきのことは動揺していてあまり覚えていないが、言われてみれば化け物もそんな服を着ていたような気がする。
「冗談だろ。それならなんで、そんな見た目なんだ? 僕には同年代の女の子にしか見えない」
僕がそう言うと、彼女は「私達は人間に化けることができるのよ」と当然のように答えた。
「それならなんで僕を助けようと思うんだ。その理由を教えてほしい。そうじゃないと、僕は怖くて君の言うことが信じられない」
彼女は考える間も開けず、即答する。
「言ったでしょう? 私はヒトが大好きなの。それでも信じられないというなら、私に地上のことを教えてはもらえないかしら。ヒトが降ってくるなんて幸運、そうそうないから」
「ダメかしら」と彼女はお願いするように手を合わせる。
僕は少し面食らって、どう答えるべきかと悩んだが、よく考えれば彼女に頼る以外にこの状況を打開できる策があるわけでもない。
――仕方ないか
僕は一つため息をつくと、笑顔を作って彼女の方を見やった。
「わかった。そういうことならお言葉に甘えさせてもらうよ。まずはなにから聞きたい?」
すると彼女は心底嬉しそうな顔になった。
「本当にいいの? それならまずは君の名前を教えてくれないかしら」
言われてみればそうだ。まだ僕達はお互いに自己紹介もしていなかった。
「宮島進だ。君は?」
「私はニィア。よろしくね、進。それじゃあ、なにから聞こうかな……そうだ、外は空に包まれているんでしょう? 空ってどんなものなのかしら」
意外な質問に僕は驚いた。そうか、彼女は空も知らないのか。
「空か。そうだな、空は青いぞ」
「いや、そのくらいは知ってるわよ。馬鹿にしてるの?」
ニィアが呆れたように目を細める。
「そう言われても、僕にとってはあって当然のものだから……あ、そうだ。空からはたまに水が降ってきたりするぞ。あと、太陽っていう光源があって、その光が暖かいんだ」
そう答えた途端に、ニィアの大きな眼が見開いて、笑顔になった。
「そうなのね! それは知らなかったわ」
「それと、建物もこっちとは外観が違うな。こんなに壁が曲がったりしていない。どの建物も割と同じような形が多い」
なるほどと、ニィアは興味深そうに聞いている。
正体は蛇の化け物でも、彼女は割といい人なのかもしれない。
「外に出るのが本当に楽しみね!」
「進、こっちよ」
ニィアと色々な話をした後、僕は彼女に連れられ、暗い道を歩いていた。
「本当にこっちに出口があるのか?」
「ある。前に調査してる時に見つけたの。ちゃんと外に繋がっているはずよ」
岩壁で行き止まりになっている場所まで歩いてくると、ニィアはその壁を登り始めた。
「うわ、ここを登るのか……繋がっているはずって、実際にはどうなのかわかんないのかよ」
岩肌で虫が這っていたことを思い出し、気が引けたが、脱出するためだと自分に言い聞かせ、壁を登り始める。
「まあね。出るためにはちょっと条件があるから。それに一人で外に出るのは怖いからね」
確かに。生まれてからずっと同じ街に閉じこめられていれば、いきなり、それも一人で外に出るのは怖いものなのかもしれない。
「ほら、見えてきたわ。あそこの穴よ」
ニィアの指さした方向を見ると、人ひとり通れるかというくらいの大きさの穴が空いていた。
僕は彼女の後につけ、穴までよじ登る。
その穴の奥には、怪しげな紋様の描かれた門のようなものがあった。
「なんだ、あれ」
「言ったでしょう。外に出るためには条件があるのよ」
ニィアがもったいぶったように話しながら、門らしきものに向かって歩いていく。
「だから、その条件ってなんなんだよ」
「そんなに焦らないでよ。その条件っていうのはね、人間もしくは私達の種族を」
門らしきものに手を当てて、ニィアはこちらを振り返る。
「一人殺すことよ」
彼女の白い肌に気持ちの悪いほど鮮烈な緑の鱗が浮かび、爛々とさせた眼がぎょろりと飛び出す。その顔は紛れもなく、蛇そのものだった。
僕が怯んだ瞬間にニィアが僕に襲いかかってくる。その右手にはいつの間にかナイフが握られていた。
「外に出るのが本当に楽しみね! でも、あなたはいなくていいの!」
避けようとしたが、体がうまく動かず、左の二の腕辺りを切りつけられる。
このままではまずい。
左腕の痛みが気になったが僕は右の拳を握り、目の前の化け物に思い切り叩きつけた。
「ぐえっ」とヒキガエルのような声がして、化け物が倒れる。
――今ならこいつを殺せる
切りつけられたことと化け物を殴り倒したことで、動揺や恐怖が吹き飛ぶ。あとに残ったのは、殺意と憎悪だけだった。
僕はニィアだったものの右手からナイフを力任せに奪うと、そいつに跨り、その胸部を何度も何度も刺し通した。
化け物がなにか言っていた気もするが、そんなことはどうでもよかった。
やがて、僕と化け物の周りに大きな血溜まりができた頃。僕はようやくその手を止めた。
どれほどの時間が経っただろうか。ただただぼんやりとしていると、門らしきものが開き、道が現れた。
これでこの地獄から出られる。
顔についた返り血を袖で拭くと、外を目指してゆっくりと歩きだした。
蛇の街 いご @15679
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます