第三幕「居場所は自分で作るもの」

 私に居場所はあるのだろうか。


 そんな悩みを北沢恵理は抱えていた。


 中学からずっと一緒だった友達ともクラスが離れ、新しいクラスではなかなか友達も作れずひとりぼっちの状態だ。


 同じ部活だったその友達も一人はバイトをよくするようになり、もう一人は親が倒れ、家のことで忙しく、しばらく部活には来ていない。


 部活の先輩達も今年から受験勉強に集中したいと言ってから来ていない。


 昼休み、二人のクラスに行き一緒に昼食を食べる、それが唯一心が落ち着く時だった。


 だが二人は恵理よりも先に友達を作り、その友達と一緒に昼食を食べていた。


 二人の楽しそうに話しながら笑う顔に恵理はある疑問を持ってしまった。


 何故二人は私がいなくても平気な顔をしているのだろう……


 いつの間にか三人でいることが当たり前だと思っていた。友達ができないのも二人以外の友達を必要としなかった。自分から殻に篭ったからだった。


 それから恵理は二人と昼食を食べることはなくなった。


 何故私だけあの二人と離されてしまったのだろうか、そんなことを悩んでも答えなど出るはずもなかった。


 恵理は二人に誘われる形で演劇部に入り、二人以外とは仲良くすることができなかった。元々人付き合いが苦手であり、その二人のことも最初は急に話しかけられたため敵視していた。


 特に恵理は時雨のことを敵対視していた。


 どれだけ練習しても時雨の方が先輩に賞賛される。恵理は先輩に見向きしてもらうために必死だった。なのに何故時雨だけ……悔しかった。それでもそれは仕方ないことなのだと思うしかなかった。


 先輩達の劇を台無しにしてしまったのだから……


 時折、時雨が自分のことを見る時、蔑まれてるような感じがした。


 どれだけ努力をして手を伸ばしても先輩にも時雨にも届かないのではないか。そんな考えだけが恵理の頭の中を支配していた。


 そして本格的に二人と先輩達が来なくなってから数日後、恵理も部活に足を運ぶことはなかった。


 

 部活見学3日目。


 「さあ!今日も張り切っていこー!」


 先程まで体育で走り続けで体力を消耗しきった二人は時雨のテンションに鬱陶しさを感じていた。


 「元気ないぞ!そんなんじゃ演劇は無理だぞ!やめてしまえ!!」


 時雨は野球漫画の鬼コーチのような口調でそう言う。


 「あ、じゃあ帰らせていただきます」


 走り疲れた上階段で転倒した美月はいつになくストレスがたまっていた。すぐさま帰宅する準備を整えようとしたが、


 「ちょいちょい!冗談だから!帰らんといて〜!」


 美月の腰辺りを抱きしめるようにして帰宅しようとするのを阻止する。


 「あんまりくっつかないでください!帰りませんから離れろぉ!」


 腰に巻かれた両腕を引き剥がそうとしたが思ったよりも強く、びくともしない。


「ふわははははは!!逃がさぬぞ貴様ぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


「ひぃぃ〜〜お助け〜〜雫殿〜〜」


 「くだらないことしてないでください。それで今日は何をするんですか?」


 二人のやりとりに呆れながら雫は訊いた。


 「今日はねぇ、スタッカートをやってみよう!」


 雫の質問に答えると同時に解放された美月は首を傾げならが訊く。


 「スタッカートってなんですか?」


 「昨日もやった発声のやり方で一つ一つ区切りながらリズムよくやっていくんだけど……お手本見せた方が早いね」


 時雨は急に真剣な顔をし、深く息を吸い、腹に手を当てて発声を始める。


 「あ、え、い、う、え、お、あ、お、か、け、き、く、け、こ、か、こ……こんな感じかな?」


 「意外と上手いんですね先輩!」


 感激したという表情で拍手を送りながら美月は言った。


 「意外とは余計じゃない?ほら二人もやるよ!はい、せーの!」


 時雨は手拍子でリズムを取る。


 教室内で三人のスタッカートをする声が響く。


 初心者の美月は二人に比べて腹に力が入っておらず、気が抜けているように感じる。


 「はーっ、意外と苦しいですね、これ」


 五十音全てをやり終え、呼吸を荒げながら美月は言う。しかし雫は美月とは違い涼しげな顔をしている。


 「まぁ、確かに初めての人には辛いかも。でもしっかり肺活量鍛えないとね」


 「せやなぁ……雫ちゃんは平気なの?」


 「私は平気よ。あと数回は余裕でできるわ」


 雫は平然とした顔で言う。一回で既に腹筋が疲れている美月にとってはそれが信じられなかった。


 「はぁ〜すごいなぁ雫ちゃんは、これが経験者との差かなぁ?」


 「そんなことないわ。いずれその差も無くなるわよ」


 ため息を漏らす美月を励ます。それからふと疑問に思った事を時雨に訊いた。

   

 「そういえば昨日風邪引いて来れなかった先輩今日も来てないんですか?」


 「ああ!実は今日も風邪引いたみたいでさ。帰ったらお見舞い行こうかなって」


 雫はその答えを聞いてからもう一つどうしても気なったことがあり、教室内を見渡しながら時雨に訊いた。


 「この部活、もしかして新入部員私達二人だけですか?」


「…………」


 その質問の所為で一、二分場が凍りついた。


 この学校では演劇部は不人気なのだろうか。そう思ってしまうほど見学生が少ない。


 たまに二、三人程度覗き見しにくるくらいでしっかりと体験しているのは雫と美月くらいだ。


 明日から入部届けを提出する日なのだが、この二人以外に見学する生徒が来ていない。結局箏葉も見学には来なかった。


 「そ、そ、そ、そ、そんなわけないって!来るよ!部員は!絶対!私は信じてる!」


 時雨は焦った様子で目を泳がせながら言った。


 このまま二人しか新入部員がいず、二年生も時雨以外来ないとすれば活動するのはだいぶ困難になる。大会時の様々な役割分担を一人でいくつか担当しなければならないし、荷物運びなども大変時間がかかってしまう。


 これは困った。そう感じた美月は焦り、声を震わせながら言った。


 「せ、先輩……このままで大丈夫なんでしょうか?」


 涙目になるなりかけている美月に時雨は頭を優しく撫でながら慰さめる。


 「大丈夫だよ。心配しないの。私がこれから部員たくさん集めるから!」


 美月にとって今まで頼りない先輩だった時雨はその時だけ頼れる姉のような存在に見えた。


 「策はあるんですか?」


 「ゼロでございます!」


 雫の質問に時雨は即答した。


 頼れる姉に見えたのは一瞬だけだったようだ。


 「まぁまぁ、部員なんてこれからいくらでも集められるんだし、へーきへーき」


 何故このような人が部長になれたのだろうか。


 楽観的な時雨の姿勢に雫は辟易していた。


 「あ、そーだ!連絡先交換しない?どうせ入部確定でしょ?」


 「いや、気が変わるかもしれないですし」


 「これから違う部活見ようかなって思ってます」


 二人はそれぞれ理由を述べ時雨の提案を拒む。


 「そ、そっか。そうだよね!2日連続で来てくれたからてっきり勘違いしちゃった」


 時雨は沈んだ表情を見せた後、頰を掻きながら微笑みそう言う。


 その笑みは一昨日違和感を感じたものと同じなことに美月は気づいたが、またしてもその真意に触れることはできなかった。



 次の日の放課後、雫は一枚の紙を手にして廊下を歩いていた。


 今は美月は隣にはいない。たった数分だが話し相手がいないと言うのも寂しいものがある。


 美月は課題でどうしても解けない箇所があり箏葉に教えてもらっている。


 箏葉は頭がいい。雫は実力テストの成績表を見せてもらったが、どれも高得点でとても敵う気がしなかった。


 「私もしっかり勉強しないと……」


 そう呟き外の景色を見ながら歩いていると、前方から走ってくる人と衝突した。


 「きゃっ!」


 その悲鳴とともにぶつかって来た衝撃で二人は転倒した。その時彼女が持っていたであろうプリントが宙に舞う。


 「すみません!余所見をしてたので気づかなくて」


 「私も急いでいて……すみませんでした……」


 互いに謝りながら床に落ちたプリントを拾う。雫はちらっとそのプリントに目を通すと何やら重要なことが色々と書かれてある。


 これは見てしまっていいのだろうかと困惑しながらも散らばってしまったプリントを拾い続ける。


 全てのプリントを拾い終わり、雫がそれを手渡すと受け取りながら彼女は口を開く。


 「ありがとうございます。これ生徒会で使う書類でして……先程まで刷っていてこれから持って行くところだったんですよ」


 「そうなんですか。お疲れ様です」


 「いえいえ、これも仕事なので」


 「でも、生徒会室は二階ですよね?何故三階へ?」


 生徒会役員ともあろう人が階を間違えるなどおかしいだろう。よほどのドジっ娘でなければ。


 「いつもの場所と間違えてしまって……おっちょこちょいですよね、私。あ、そろそろ行かなくては!ではでは」


 苦笑いしながらそれだけ答えると長く綺麗な黒髪を靡かせ去っていった。


 「いつもの場所?」


 結局どういうことなのか理解できず、頭の上に疑問符が浮かんだまま部室へ行く。


 教室の扉を開けるとそこには時雨が待ち構えていた。腕を組み仁王立ちしている姿に苛立ちを覚えた雫は一度扉を閉め、また開け直す。


 今度はポーズを変えてまた時雨が立っていた。


 「邪魔なんですけど……」


 雫は冷ややかな声ではっきりと告げる。


 「ここを通りたくば入部届けを出すのじゃ!」


 その格好のまま時雨は入部届けを要求してくる。雫はそれに苛立ち、何も言わず帰ろうとする。


 「ちょいちょいちょい!ごめん!ちょっと待って!うざかった?もしかしてうざかった?」


 両腕を掴みながら引き止める時雨を睨み、微笑を浮かべて言い放つ。


 「後輩に泣きついてまで入部届けが欲しいんですか?哀れですね本当に」


 「怖い怖い!笑みが怖いよ!」


 雫の凍えた目線と冷めたように笑う様子を見て怯えた時雨はすぐさま手を離した。


 「はい!離したから入部届けちょーだい?」


 「仕方ないですね……はい」


 雫は渋々と入部届けを手渡し、教室へ入る。


 今日はいつもの様に机と椅子が片付けられていない。この前はこの部長一人でも片付けられていたのでいくら適当な性格とはいえ、流石に面倒くさがったわけでもないだろう。


 理由を聞いてみるとどうやら今日は練習は無いとのこと。部員が集まり次第、自己紹介と今後の日程を連絡して終了らしい。


 一昨日美月に一緒に頑張ろうと誓った雫にとっては少々不満はあった。しかし、今日はいつもより多く課題が出されてしまい少し早めに帰りたいところだったのでちょうど良かったとも思ってしまった。


 「それにしてもみんなおっそいなぁ〜〜」


 時雨は不満げに頬を膨らまし怒りの表情を見せる。確かに遅すぎる。箏葉も美月に勉強を教えるのが難航しているのだろうか。


 そんなことを考えていると扉が開き誰かが入ってくる。


 「あら〜〜?今日はこれだけですか〜〜?」


 現れたのは雫の担任 朝倉雪江だった。


 まさか自分の担任が部活の顧問だとは思わなかった雫は驚いていた。


 「先生が顧問だったんですね。昨日も一昨日も来なかったですけど」


 「わ、私は生徒の自主性を重んじているので、手伝える時にしか来ないんですよ〜〜。本当にこれだけしかいないんですか?」


 雪江は慌てて話をそらす。その言葉から数秒後、また扉が開き誰かが入ってくる。


 「すみません!遅れました。生徒会の仕事長引いてしまって」


 息を切らして入ってきたのは先程雫がぶつかった生徒会役員だ。


 彼女は雫の方を見ると申し訳なさそうに


 「さっきはすみませんでした」


 と言って頭を下げてきた。


 「いやいや!あれはよそ見してた私が悪いですから!」


 その後もしばらく自分が悪い、自分悪いとの言い合いが続き呆れた時雨が止めに入った。


 「何があったか知らないけどもういいでしょ!過去のことは水に流して!」


 「すみません時雨さん……あ、私皇京華と申します。よろしくお願いしますね?」


 京華は握手をすべく手を差し伸べてくる。雫もそれに応える。雫は心の中で何故こっちのまともそうな人が部長にならなかったのだろうかと思った。


 京華の同級生に対する言葉遣い、仕草なども丁寧で美しい様に少しの憧れを抱いた。


 時雨は開かれたままの扉の奥を気にしている。


 「なんか視線を感じるなぁ……えいっ」


 「あっ!それ私の入部届け!!」


 時雨は教壇の上に置かれた一枚の紙を丸め、扉の奥に投げつける。


 「いってぇな!何すんだよ!」


 扉の奥から声が聞こえる。


 先程時雨が視線を感じていた正体がわかった。


 顔を出してきたのはショートボブに若干のつり目をした少女だ。


 彼女は雫の入部届けを元に戻しながら強い口調で言う。


 「時雨!なんで私にこんなんぶつけんだよ!」


 「だって、恵理がどこぞのモンスターみたいに見えたからゲッチュしなきゃかなと思って。滅多に部活に来ないレアキャラだもん」


 「だったらちゃんとしたボールで捕まえろ!紙はないだろ!紙は!」


 そう言い返すと恵理は大きく振りかぶり時雨めがけて丸めた紙を投げる。


 それは一直線に飛んでいく時雨の顔面にヒットする。恵理はぶつぶつと文句を言いながら早足でその場から去っていった。


 数秒後、恵理が早足で戻ってきた。


 「忘れてた」


 そう言ってくしゃくしゃになっている紙を時雨に手渡すとまた早足で去って行った。


 「あの人何しに来たんでしょうか?」


 雫は不思議そうに扉の方を見ながら呟いた。


 「まあ、入部届けの提出だろうね。サボりのくせにそういうのはしっかりしてるんだから」


 床に落ちた丸まった紙を拾い、元に戻すとそれは恵理の名前が書かれた入部届けだった。


 二年次も継続する場合は入部届けを出さなくてはならない。これを忘れると厳しい部活では強制退部させられる事もあるらしい。だが演劇部は基本緩いので届け忘れ、途中入部などもありなのだ。


 「恵理さん根は真面目なんですけどね……なぜ急にサボりなどするようになったのでしょうか?」


 「さぁ?思い当たる節がありすぎてわかんないね!」


 「そんなにあるんですか!?」


 時雨の言葉に思わず突っ込む。


 「まずは、仲良い友達がバイトだらけで来れなくなったことでしょ?でも二人からは休み時間に入部届け貰ったから落ち着いたら来るでしょ。多分。あとは先輩が来なくなった事とか、去年の大会でやらかした事とかいろいろあるからなぁ……あとは私の事が嫌いとか!」


 「それは許せませんね」


 京華は最後の言葉だけに何故か素早い反応を見せた真剣な顔でそう言った。その顔には雫達に見せた微笑みが無くなっていた。


 「なにやら大変なことになりましたね〜〜」


 「うわっ!」


 「きゃっ!」


 「ひっ!」


 今まで雪江は黙っていたため、完全に存在を忘れられていた。急に口を開いたことによりその場にいた全員が変な声を上げて驚いた。


 「急にビックリさせないでください!」


 「心臓止まるかと思いましたよ」


 「私もです」


 それぞれ雪江に文句を言い出す。


 「ええっ!?そんなにですか!それより北沢さんのことですよ!どうしますか?」


 「どうするって言われても本人の意思次第じゃないですか?来ない奴無理に連れてきてもやる気出さないと思いますし」


 その時の時雨は珍しく真剣な面持ちだった。


 恵理について今後どう扱っていくかが今日の話題になりそうだ。


 雫がそう考えていると美月が教室へ飛び込んできた。美月は走って来たのか息を切らし、少しだけ額に汗を浮かべている。


 「すみません!おくれました!これ入部届けです……」


 「あ、そこ置いといて〜〜」


 美月はその時初めて時雨の真面目な顔を見た。


 普段は適当に笑っている彼女しか知らない美月にとっては意外という言葉しか浮かんでこない。


 そんないつもと違う雰囲気に違和感を感じた美月は雫に理由を訊いた。


 「この前話していたサボりの先輩のことよ」


 「ああ!あの事ね!」


 美月は納得したように拳を手のひらに乗せ頷く。


 「時雨先輩が真面目って相当な案件ですな……」


 「そうね……」


  二人は時雨の方を見ながら呟く。


  二人も協力したかったが、何も知らない自分達が会話に参加していいのかと思い、躊躇っていた。


 時雨も今回ばかりは真面目になる他なかった。


 今まで幾度も彼女に出会うたび戻ってくる意思はないかと訊いていた。しかし、何度訊いても答えは「戻りたくない」の一点張りだった。


 漸く後輩も入って来た。暫くすれば校内公演や大会だってある。彼女の演技力は実際時雨にも劣っていない。同等と言っても良いくらいだ。


 そんな貴重な戦力を逃したままにしたくはない。


 それ以上に彼女にこのまま演劇部に来ず、演劇を辞めて欲しくない。その気持ちの方が強かった。本当は演劇が好きな気持ちは同じはずなのに……


 どうすればいいのか。時雨は一人でずっと考えていた。もちろん一人では答えも出るはずがなかった。


 しかし今ここには頼れる親友と先生がいる。


 何か有効な策を見出せれば。そう期待していた。

 結局出た案は恵理の友達二人に口添えしてもらう、というものだけだった。


 確かに彼女はその二人とは仲が良かったが、それだけで動くとは考え難い。


 入部届けを持って来たという事はまだ戻ってくる意思はあるはず。口では戻って来ないと言いつつも、きっと本心ではどこかに居場所を探してるはずだ。時雨はそう考えるしかなかった。


   

 その頃恵理はまだぶつぶつと文句を言いながら歩いていた。


 「やっぱあいつムカつく顔してるよなぁ。ヘラヘラ笑いやがって」


 「あれ?恵理ちゃん?」


 急に彼女に話しかけて来たのは恵理の友人の一人田中雛乃だ。誰に対しても優しく接することのできる彼女は去年も今もクラス内でも人気だ。


 「雛乃じゃん。今日は兄妹の世話いいのか?」


 「今日は買い物してから帰ろうかと思ってね。ここの近くのスーパーは野菜安いから」


 「そうか」


 それだけ聞いて恵理は去ろうとすると雛乃は少し寂しそうな声で引き止める。


 「恵理ちゃんまだ部活行ってないの?時雨ちゃんから聞いたわよ。あ、今日の入部届けは——」


 「出したよ。それだけか?聞きたいことは」


 恵理はその言葉に被せるように答えた後、強い口調でそう言いながら睨みつける。


 「私はただ、恵理ちゃんのことが心配で……新しいクラスで一人になっちゃったし……去年同じクラスで仲よかった人とも離れちゃったって聞いたから……」


 恵理は何も言わない。ただ立ち尽くしたまま彼女の言葉を黙って聞いている。


 「恵理ちゃん態度大きい時あるから友達できるかなって……思ったりするのよ?移動教室の時とか一人になってない?大丈夫?」


 そう言って心配している雛乃の姿はまるで母のようだった。


 ひと通り話を聞いた後、恵理は静かに口を開く。


 「私はお前ら以外の友達はいらない。だから一人でいい。去年仲良くしたやつだって、お前らが仲よかっただけで私は少ししか話してない。私はお前達以外いらない!なのに!なんでお前らは……」


 恵理は歯を食いしばり、次に出したいはずの言葉を我慢する。


 数分の間の後、恵理は逃げるように雛乃の前から去っていった。


 「なんで私を一人にするんだ」そう叫びたかった。しかし一人を選んだのは自分の方だった。


 二人が部活に来なくなる。それでもクラスではいつでも三人で集まることができた。


 中学の頃からずっと同じクラスで気づいたら三人で遊ぶことや話すことが多くなっていた。


 だから恵理は三人でいるのが当たり前。今年のクラス替えまでずっとそう思ってた。だがそれは違った。


 恵理と彼女達は壁に隔たれてしまったのだ。


 本当は自分の居場所など作ろうと思えば作ることは可能だった。


 しかし恵理は居心地のいい場所から離れることを拒んだ。それが結果として自分の居場所を失うこととなった。


 雛乃の事情を知っているためもっと一緒にいてほしいとも言えなかった。言えるはずもなかった。


 ただ恵理は「当たり前」をずっと側に置いておきたかった。それだけだった。

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