第二幕「発声は腹から声を出せ」

 午前の授業が終わりチャイムが鳴る。


 生徒は鞄から弁当を出したり、購買へと昼食を買いに行く。美月も弁当を取り出し箏葉の席の近くに座る。昨日のように心に痛い言葉は特に無く、たわいもない話が続いていく。


 箏葉より少し早く昼食を食べ終えた美月は呆然と雫の方を見つめている。今日は昨日のように彼女の周りに人だかりはできていない。チャンスだとは思うのだが、昨日のように話しかけて警戒されてしまうのも少し怖い。


「ちょっと〜〜みつきち〜〜?さっきからずっと秋川さんの方ばっかり見てるけど……もしかして一目惚れ?わかるよ〜〜秋川さん美人だもんね〜〜」


 図星を突かれて少し動揺したが、冷静になって弁解する。結構鋭いタイプなのかもしれない。


「ち、違うよっ!今日は秋川さん1人なんだなぁって思っただけ。昨日はあんな人気だったじゃん」


「あ〜〜そういえばそうだったね〜〜。じゃあ話しかけにいってみる〜〜?」


「急に行って迷惑にならないかな?」


「大丈夫でしょ〜〜。そんな冷たい人じゃないでしょ〜〜」


 美月も流石に2度も逃げられないだろうと思い箏葉と共に雫の席の近くへ行く。


「秋川さん。こんにちは」


 昨日の朝のように変な事は言わず無難に話しかける。


「こんにちは……私に何か用かしら?」


 彼女の顔からは警戒している様子には見えなかった。美月は遠慮がちに雫に訊いた。


「用があるってわけじゃないんだけど……お話したいなって思って。ダメかな?」


「いいわよ……」


 雫は微笑みながら言った。


「隣にいる方は新崎さんだったかしら?」


「そうだよ〜〜よろしく〜〜」

 美月達は雫の席の近くの誰も座っていない場所に腰掛ける。それから雫は美月の目を見ながら重たそうな口を開いた。


「昨日はごめんなさい……貴女から逃げてしまって……」


 雫は申し訳なさそうに頭を下げた。


「いやいや!うちこそ昨日は変な事言っちゃったし………全然気にしてないよ!」


「なんの話をしているんだろ〜〜」


 箏葉がそう呟くのも無理はない。昨日の朝の事を何も知らない箏葉にとっては蚊帳の外にいる気分だった。そのことを察したのか雫は話を変えた。


「新崎さんは部活決めてないの?昨日何も言わなかったけど」


「あれね〜〜。まだ部活決まってなくてさぁ〜〜。明日から部活見学あるし〜〜、それで決めようかな〜〜って思ってね〜〜。あと名前で呼んでいいよ〜〜」


「ええ、わかったわ箏葉」


 こういうことに慣れていないのか少し照れ臭そうに呼んでいる。


「よろしくね!しーちゃん」


「え……ああ……よろしく」


 急にあだ名で呼ばれたため動揺してる雫を見ながら美月は何故こうも箏葉のあだ名のセンスは微妙なのだろうかと思っていた。


「そういえば河野さん、貴女演劇部入る予定なのよね?明日の見学よかったら一緒に……」


「行かせていただきます!!!!!!」

 雫の言葉に被せるように勢いよく答える。

 まさか彼女の方から誘ってくれるとは思っていなかったので驚いたが、それよりも嬉しさの方が大きかった。

「じゃ、じゃあ明日の放課後一緒に行きましょう?」

 あまりの勢いに雫は引いてしまっているが、美月は気づいていない。彼女に一目惚れしてしまった美月は「一緒に」という言葉が自分に向けられてとても舞い上がってしまっていた。


「箏葉も一緒に行かない?」

「いや〜〜私はいいかな〜〜先に他の部活見たいから〜〜」

 なんとなくで美月の気持ちを察したのか、箏葉は誘いを断る。やはりそういう勘は冴えているようだ。

「そ、そう……残念だわ……」

 断られた雫はどこか悲しそうにしていた。美月は舞い上がりテンションが高まりすぎていたため、その日は結局なぜ今日は雫が1人なのか訊き忘れてしまった。その事を思い出したのは放課後になってからだった。その時は後悔の念に襲われたが、直ぐになんとかなるだろうと楽観的な思考に変わっていった。


 帰宅するとまた奈津美が出迎えてきた。高校での姉の失敗談が聞きたくてうずうずしているようだった。また意地の悪いにやけ顔をしている。


「お姉ちゃん?何か進展はありまして?」


「それがですよ。なっちゃん。うちから話しかけることに成功したのです。」


 それからまた今日の事を丁寧に説明していく。


 奈津美は劇的なニュースでも告げられたかのように良いリアクションで驚いた。


「マジかっ!おめでとう!!妹としては姉の成長に涙が出てしまいそうだよ……」


 ひっそりと小さい声で話す。誰もこの話を聞くわけではないが。


「そんなに!?ってか涙もう出てるよ?ほら、拭いて拭いて!」


 借りたハンカチで涙を拭うと少し鼻声のまま話す。姉としてはそれはなんとなく複雑な気分になる。


「またなんかあったら話してね!私はお姉ちゃんの味方だから!」


「シスコンなのは今も昔も変わらないなぁ……」


 妹の変わらなさに呆れながら苦笑していると奈津美が肩を掴んできた。


「お姉ちゃん!これはチャンスだよ!ガンガンいこうぜ!」


 奈津美は鼻声のまま熱烈にそう言った。


「なんで当事者より熱いのかなぁ……?でもありがとう。ガンガンいくよ!」


 美月は気合いを入れる。雫と「友達」になりたい。そうなるにはどうしたらいいか……


 きっと美月が思ってるよりそれは簡単な事なのかも知れない。しかし今の美月にはどうすれば彼女に好かれるか、どうすれば彼女に嫌われないか、そう考える事しかできなかった。


 日付は変わり部活動見学期間。その日最後の授業は集中が保てなかった。一分一秒が長く感じた。放課後に早くなってほしいと思うほど時が経つのは遅く感じる。


 美月はずっとこの時を待っていた。二人きりになれる時間は数分程度。しかしその時間を大切にしなければならない。


 部室にについてしまったら2人きりで話すことはできない。部室に着くまで彼女とどんな話をしたいか一応メモは取ってある。頭の中にもしっかり入ってる。準備は万端だ。


「みつきち〜〜じゃあね〜〜」


「そのあだ名やめてってば!」


「いいと思うんだけどな〜〜」


「全然良くないわ!」


 箏葉と挨拶を交わし、席から立ち上がる。


 ただ同じクラスの人と話すだけなのに緊張している。それは好きな人と話す気持ちにも似ていた。

 廊下で待っていた雫の佇まいはどこか気品を漂わせている。


「河野さん行きましょう」


 彼女はそっと微笑みながらそう言うと美月の真横に立つ。雫のあまりの距離の近さに美月は少し動揺している。もう少しで肩がぶつかってしまいそうだ。


「どうかしたの?ずっとキョロキョロしてるけど?」


 美月がちらちらと見ているのが気になって仕方がなかった雫はたまらず疑問を投げかけた。


「う、ううん。なんでもないよ!あ!そうだ!秋川さんに訊きたいことが沢山あったの!」


 制服のポケットからメモを取り出し、質問を探す……予定だったが、焦り過ぎたためか手を滑らせてメモを落としてしまった。美月はそれを拾い、ふと思い付いたことを訊いた。


「昨日秋川さんはなんで1人だったの?この前はいろんな人に囲まれてたけど?」


「あれは……あの後数人と帰ったのだけど全く話が合わなくて……私一人だけ置いてけぼりって状態だったわ。冷たいでしょ?話が合わなくなった瞬間にこれよ?」


 美月は入学式の時に似た後悔を感じていた。訊いてはいけない質問を訊いてしまったような気がした。


「あ、ごめん。変なこと訊いちゃって……」


「大丈夫よ。あの囲いが無くなったから貴女達と話せたんだもの。むしろ嬉しいくらいよ」


「ほんとに?うちも秋川さんと話せて嬉しいよ」


 雫の言葉に素直に答えた後、今度はメモから質問を出そうとしたが、そこには書いていない疑問が頭を過った。


 入学式の日。自己紹介の時に妙な間があった気がした。あの違和感の正体は何だったのだろうか。


「あのさ、秋川さん自己紹介の時なんか妙に間があったよね?特に中学の部活言う時かな?」


 雫は驚嘆の表情を浮かべた後、感心したように言った。


「貴女結構鋭いのね。私ね中学の頃演劇やってたの。でも途中でやめちゃってね……だから言うべきか言わないべきかで一瞬迷ったの。でもなんでそんなこと気づいたの?」


「たまたま!たまたま変だなって思っただけ!」


 美月は慌てて言い訳をする。貴女の自己紹介だけじっくり見てました、などと言えるはずもない。


「じゃあ一応経験者なんだ!」


「一応よ?一応」


「それでもすごいって!」


 そんなことを話してるうちに気づいたらもう部室に着いてしまった。教室棟から渡り廊下を通って特別棟の3階にある教室。普段は英語で外国人講師が使ったりしている。


「ここだね!……あのさ秋川さん?なんかおかしくない?」


「何が?」


「何がって……演劇部が使ってるんだよね?声の一つも聴こえないっておかしくない?」


 二人の声がよく響くほど辺りは静まり返っている。この時間であれば発声や読み合わせの声くらい聞こえて来てもいいはずだ。


「そうね。私達日にち間違えてないわよね?」


「そんなことはないと思うよ。ポスターにはちゃんと書かれてたし。」


 ここに来る前に廊下で見た演劇部のポスターには確かに今日の日付が刻まれていた。恐る恐る扉を開けてみるとそこは暗く、動きやすいよう机椅子が片付けられ、がらんとしていた。


 奥の方をよく見ると、部屋の片隅に一人だけ椅子に座り、ぶらんと腕を垂らしている女がいた。女は垂れていた首を上げ、目を大きく見開き、美月達の方を凝視し始めた。


 その視線に気づいた二人は叫びにも似た素っ頓狂な声を上げ扉を勢いよく閉める。


「え?え?え?何今の?幽霊?幽霊だよね!!」


「み、み、見間違えに決まってるでしょ?演劇部なんて最初からなかったのよ。あれは演劇部で上位大会に入ることができなくて成仏出来なかったの少女よ!幽霊じゃないわ!」


「それを幽霊と世間一般的に言うのでは!?」


 いきなりの出来事に二人は混乱してしまっていた。ホラーものが苦手な二人にとってあれは恐怖でしかなかった。


「私達で演劇部を作りましょう!確か生徒会に申請して規定数部員を集めればいいらしいわ。じゃあ私は生徒会に行くから、あとはよろしくね?」


 雫は早口でそう提案するが早いか特別棟2階の生徒会室に駆け足で向かって行く。


「ちょっとぉ!うちを置いていかないでよ!」


 ここに一人されるのは流石に不安のある美月は雫の腕を掴み行かせようとしない。雫もそれに抵抗しようと踏ん張るが美月の方が力が強く引きとめられてしまった。


「に、が、さ、な、い、よ」


「は、な、し、な、さ、い」


 互いに譲らず廊下を行ったり来たりしている。不意に美月が何かを思いついた様子で言った。


「2人で生徒会室行けば万事解決じゃない?」


「あ、そうね」


 そのことにやっと気づいた二人は力が緩み勢いよく離れお互いにしりもちをついてしまった。美月より早く立ち上がった雫は美月の手を取り立ち上がらせる。そして二人で生徒会室に向かおうとした時だった。背後から不気味な声が聞こえる。


「行かセナイ……アナたたちは……コこで……」


 振り返るとそこにはさっきの女が立っていた。


 爛々と光るその目は先程と同じように二人を凝視し、目線を外すことはなかった。二人めがけて伸ばされたては瞬きの間に近づいていた。


「に、逃げるしかないよね!」


「そ、そうね!行きましょう!」


 2階に下る階段はそんなに遠くはない。逃げ切れる可能性は十分にある。しかし女の方も速い。このままでは追いつかれてしまう。そう悟った美月は走るペースを下げた。


「秋川さん……私のことを置いて、先に行って!」


 雫だけは逃がしてあげたい。美月は雫のために犠牲になる道を選んだ。例えどんな状況でも彼女には生きて、生き抜いて欲しかった。


「そんなことできるわけないでしょっ!」


 慌てて雫は美月のもとへ駆け寄る。


「お二人さん?何か勘違いしてませんか?」


 女は急に足を止め二人に声をかける。


「寄るなっ!お化けなんて大嫌いだっ!悪霊退散!悪霊退散んんんんん!!!!!」


 美月は雫を庇うようにして女に塩を投げつける。


 効果は今ひとつのようだ。


 女は前髪をかきあげると自慢げに訊いてきた。


「私の演技、どうだったかな?君達の演技もなかなかだったよ!」


「演技?」


 二人はキョトンとして聞き返す。


 彼女が何を言っているのか分からなかった。

 

「いやぁ〜〜ごめんごめん!!まさかそこまで驚いてくれるとは思わなくてさ〜〜!二人のもてっきり演技かなって思ってね」


 橋本時雨と名乗った彼女は大笑いしながらそう言った。二人のリアクションが大層気に入ったらしい。


「笑わないでくださいよ!こっちは真面目に驚いたんですよ!」


 美月は地団駄を踏みながら怒る。


 あれだけ驚かされてはいくら先輩といえど許せない。ホラーものに耐性がなければなおさらだ。


「ごめんって〜〜!あ、そうだ。二人は見学希望?」


「ここが演劇部ならそうですね。オカルト研究会とかじゃないんですよね?」


 美月はあれだけ驚かされたことに随分とご立腹な様子だ。


「悪かった!私が悪かったから許して!長い付き合いになるかも知れないし。ごめんて〜〜ゆるして〜〜」


 美月の肩を掴みぐらんぐらんと揺らしながら謝罪の言葉を続ける。


「分かりました!ちょっと!止めて!吐く!」


 断固として許さないつもりだったが、あまりの強い揺さぶりに吐き気を催したあたりで降参してしまった。


「そういえば部員先輩だけなんですか?」


 ふと周りを見渡し、誰もいないことを疑問に思った雫が口を開いた。


「他にもいるけど、一人は風邪、二人はバイト、一人はサボりって感じ。因みに部長は私!」


 時雨は自分を指差し、ドヤ顔でそう言った。


 サボりがいる事よりも目の前にいる彼女が部長だということに驚きを隠せなかった。


「先輩が部長?冗談はやめてくださいよ〜〜」


 笑いながら美月は言うが、時雨はいまだにドヤ顔をやめようとしない。本当にそうみたいだ。


「やっぱり演劇部入るの考え直した方がいいんじゃないかしら?」


 時雨が部長であることを不安に思い、美月に相談する。


「本人の前でとんでもないかと言うなぁ君達。こう見えて私、部内じゃトップレベルの演技力だし!」


「まあ、さっきのはトラウマもので怖かったですからね。演技力はあるんでしょうね」


 美月はさっきのことを未だに引きずっている。


「でも部長ってのは何かと大変だよ。いろいろやらなきゃいけないし。まとめるのは大変だし。でも楽しいからいいんだ」


 そう言う時雨の笑顔にまた雫の時と同じような違和感を感じた。しかしそれは触れてはいけないような、何かが壊れてしまいそうな、そんな危うい雰囲気を醸し出していたため訊くことはできなかった。


「そうだ!折角来たんだから何かしていかない?見学っていうか体験になっちゃうね。今できることは発声練習くらいしかないけど。いい?」


「はい!」


 やっと演劇の道に一歩踏み出せる。美月にとってはこの時も待ち焦がれていたのかも知れない。


「まずは腹式呼吸で鼻から息を吸って、お腹を膨らませることをイメージして。すぅ……ああ〜〜」


 演劇部らしく彼女の声は遠く、大きく、美しく、校内に響き渡っている。


「腹式呼吸?ちょっとよくわかんないなぁ……秋川さんはどう?」


 雫の声もまた大きく、美しく校内に響き渡っていった。


「あーーー」


 美月の声はまだ響かない。まだ喉に頼ってしまっている。発声は基本的には腹から声を出さなくてはならない。


「腹式呼吸はね?こうして……」


 雫は美月の腹に軽く拳を当てるようにしながら肩を抑えた。雫に体を触られながら教えてもらうことに少しくすぐったさを感じる。


「私の拳を跳ね返すくらいにお腹に力を入れてみて」


「わ、わかった!やってみる!」


「あ〜〜〜〜」


 美月が腹に力を入れると雫の拳が少しだけ動いていった。まだ二人のようにできてはいないが、初日の初心者であれば上出来の部類だ。


「もしかして、雫ちゃん、経験者?」


「えっと……経験者です……一応?」


 返答に困った雫は言葉を付け足した。


「すごいじゃん!経験者がいるのは心強いよ!私の指導で何か不備があったら教えてね!」


 手を握られ期待の眼差しで見つめられた雫の顔は若干引きつってしまっている。


「次は滑舌訓練してみようか!」


 時雨は様々な早口言葉が書かれた紙を教室の隅にある箱から取り出し、二人に手渡す。


「秋川さんはこういうの得意?」


「あまり得意ではないわね」


「そうなの?ちょっと意外かも」


「ふっふっふっ!二人に私の滑らかな滑舌を見せつけてやるよ!」


 時雨はよくわからない決めポーズを不敵な笑みを浮かべながら、高らかにそう言った。


「見てな!お綾や親にお謝り お綾ややおややややお?ん?」


 思いっきり噛んでしまったのに何故かドヤ顔をしている。二人は見てて恥ずかしい気持ちになった。美月はそれを嘲笑うように見ていると、時雨は顔を赤くしながら


「なんだよ!こんなの本番できっちり台詞言えてりゃいいんだよ!」


 そんな元も子もないようなことを言いながら、紙を元の箱に戻した。


「二人が後輩とか絶対仲良くできない。」


 時雨は肩を落としながらそう呟いた。


「うちも見学する人驚かせるような先輩とは仲良くできませんよ!」


 二人は睨み合う。このまま入部して部内の雰囲気が悪いままでは困ると思った雫は二人を宥める。


「落ち着きましょう?先輩も美月も!美月?先輩はさっき何度も謝ったんだから許してあげましょう?先輩も2度とあんなことしませんよね?」


「わかったよ。約束する。私、今日は一人で寂しくてさ。調子乗っちゃったよ。ごめん。許してくれるならこの手を握ってくれないか?お姫様」


 時雨は王子様のように声を低くして手を差し出す。美月もそれに応えて手を握ると


「ええ、許しましょう。貴方と私の仲が悪くなったらこれからが困るもの」


 お姫様のように優しい口調で手を取りそう言った。急に始まってしまった即興劇に置いてけぼりにされた雫はこの部の先行きに不安を感じた。


 それから時雨の話を少し聞いた。演劇部での練習、校内公演や大会のことなどだ。時雨と共に机を元に戻してから帰る。


 二人にとっては部長からもう少し話を聞きたいところだったが、時雨は教室の鍵を返すため二人より早く帰ってしまった。そうなるとまた二人きりになる。


 美月はここに来るまでとは違い、何故か緊張することはなかった。その後二人は取り留めもないような話をしながら歩いた。


 歩いて数分、別れ道に着いたらお別れだ。それはやはり心細いものがあったが、また明日も会えるのだと我慢して笑顔で手を振った。


「じゃあ、また明日ね。……美月」


 雫は照れ臭そうにそう言って手を振る。


「うん!また明日ね!雫ちゃん!」


 彼女が自分の名前を呼んでくれたことに喜びを噛み締めた。


「雫ちゃん!私頑張る!演劇部で雫ちゃんと一緒に!」


 雫に向かって決意を叫ぶ。きっと二人なら一人よりも……


「ええ!一緒に頑張りましょう!」


 それだけ答える。今の二人にはその言葉だけでいいだろう。美月は嬉しいことがあった子供のようにスキップしながら鼻歌を歌う。今度は電柱に気をつけながら。


「あの娘となら楽しくやれそうだわ。よかった……」


 雫は立ち止まりそう呟いた。


 それから緩んでしまう頬を抑え、また歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る