緞帳を上げるため
@mihunen511
第一幕「第一印象には気をつけろ」
言葉が出なかった。
ただ目の前の光景に見とれていた。
中学生の頃、母と一緒に観に行った演劇に河野美月は心を奪われていた。
抑揚の付いた強く伸びのある声、臨場感のある音楽に派手な演出、煌びやかな衣装に身を包んだ美人な演者達。それを観てからというもの美月は演劇に興味を持つようになった。
中学には演劇部が無かったため高校に入ってからは演劇部に入ろうと心に決めた。それからは発声の仕方をインターネットで調べてみたり、友人を連れて何回か観劇をした。
あの舞台にいつか私も立つことができたら……
大勢の観客の前で役を演じる。そんな夢を何度も何度も見てしまうほど美月は演劇に焦がれていくようになった。
それから一年が経ち、美月は高校の合格発表に来ていた。まだ寒さが残る季節。緊張を吐き出すように白いため息を出し、鞄から受験票を取りした。
「113か……」
不安に駆られながらも合格者の番号が張り出されたボードの前に群がる人の群れを掻き分け、最前列に出る。緊張で受験票を持つ手が震えている。頭には入試で間違えた問題ばかりが浮かんでくる。
数ヶ月前、急遽引っ越しが決まり知り合いが誰れもいない高校の試験を受けることになったが、慌てずしっかり勉強を積み重ねて来た。きっと大丈夫。
美月は深く深呼吸をしボードに目を向ける。
110番台のところを見ると美月の受験番号があった。
「あった。あった!……はぁ〜〜よがっだぁ〜〜」
緊張の糸が解け、体の力が一気に抜けていった。彼女はこのことを家族に連絡し、緩みきった体で校内へ書類を取りに行く。
書類を受け取り校内から出る。その時、美月の隣を1人の少女が通り過ぎた。それは一瞬だったが、美月の記憶にはその少女の美しい顔立ち、風になびく艶やかな髪、少女の匂いがこびりついた。その可憐な姿に一目惚れした美月はしばらくその場に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。その時は部活勧誘の声すら耳に入ってこなかった。
美月ははっとして我に帰り、帰路に就く。
歩いている間ずっと先程の少女のことが頭から離れなかった。もし同じクラスになれたら真っ先に話しかけようなどと考えていた。
そんなことをぼうっとしながら考えていたので美月は電柱に三回程頭をぶつけてしまった。
家に帰ってからもその記憶が頭の中を占拠していた。
「お姉ちゃん?なんか元気ないけど、大丈夫?」
帰ってから家族からの祝いの言葉にも耳を貸さず、自分の部屋に閉じこもった姉を心配して声をかけに来たのは妹の奈津美。
「あのね、うちね、帰りにすごい美人さんとすれ違っちゃってね、一目惚れしたの」
美月は力の抜けた声で答える。
「えっと、それは男の人……だよね?」
「ううん、女の子」
「はぁ?えっ、女!?」
「ちょっ、声でかいから!」
「びっくりしたぁ……まぁ、でも昔っから美人には目がなかったからねお姉ちゃん」
「そうだったっけ?はぁ……同じクラスになれたらいいなぁ……」
ため息まじりに呟く美月に奈津美はさらに質面攻めをする。
「同学年なの?ってかどんなタイプの美人?髪型とかは?なんで声かけなかったの?」
「受験番号確認してから校内入ってたし、多分同学年。どんなタイプって言われても説明むずかしいよ!ってか質問多いし」
「えへへへ!お姉ちゃんが一目惚れするくらいの美人だからどんな人かなって思ってね」
「もしまた会えたら写真撮らせてもらうから!それでいい?」
「うん!わかったよ。でも、お姉ちゃんそういう時言葉詰まったりするよね。昔も……」
「うるさいなぁ!もう十分でしょ!ほら、出てって!」
奈津美の言葉を遮り、部屋から出す。ちぇ〜と舌打ちをしながら去る妹を見送るとまた部屋へ篭った。
そして迎えた入学式当日。
新しい友達はできるのか、先輩とどう接したらいいのか、あの娘と同じクラスになれるのか。などと考えていたらいつの間にか朝が来た。すっかり寝不足だ。寝不足の頭を必死に働かせ、欠伸をする口を押さえて歩く。女子高生がこんな姿を見られてしまっては恥ずかしい。自宅から徒歩数分で行ける場所に高校がある。
美月は考えていた。自己紹介で自分をどうアピールするか。第一印象は大切だ。あまりに奇をてらった自己紹介では「なんか変な人だ」という印象がついてしまう。無難なものもつまらないとは思うが変な印象を与えてしまうよりはマシだろう。そもそも自己紹介のテーマは先生から与えられるのがほとんどなのでふざけすぎては先生からの印象も悪くなりかねない。そんなのは困る。
そんなことを考えながら数分後、高校に着いた。
春風が舞う校門近くの桜の下に人影が見える。
校門近くの時計を見る。まだチャイムが鳴るまで時間はあるようだ。そっとその人影を覗くとそこに居たのはあの時すれ違った少女だった。これはチャンスだと思い、彼女にかける言葉を探す。
「あ、あのっ!」
思い切って声をかけてみる。緊張しているためか声が震えてしまった。
「な、な、何かしら?」
急に声をかけられたせいか動揺しているのがわかる。彼女は目を合わせようとしてくれない。そんな姿も可愛いと思いながら会話を続けようとする。
「髪、お綺麗ですね……」
「あ、ありがとう……」
少しの間の後、そう呟やいた彼女は玄関へ走り去ってしまった。
「あ、ちょっと!」
突然のことに追いかけることもできずただただ彼女の後ろ姿を見ることしかできなかった。
「自己紹介とかよりあの娘に話しかける言葉考えてればよかった……」
恥ずかしさと後悔で顔を赤くしながら玄関へ向かう。暖かかった風もさっきより冷たく感じる。
「結局名前も聞けなかった……これでクラスも部活も違ったら話す機会ないよ……」
ため息をつき、とぼとぼと肩を落としながら教室へ向かう。
重い足取りで上る階段はとてつもなく長く感じる。長く感じた階段もいつの間にか上り終わり、教室へ向かう。美月のクラスは一年二組だ。教室に入るとそこは少しざわついていた。
みんな少しでも馴染みたいのか近くの席の人に挨拶をしたりしている。美月も近くの席の人に話しかけようと座席表を確認する。美月の席は六列あるうちの三列目、前から四番目の席。
席に着こうとするとどこかで嗅いだことのあるような品のある香りがした。振り向くとそこには校門近くであった少女だった。彼女は一列目の一番前の席に座っていた。
「あなた……さっきの……」
彼女は美月の顔をじっと見つめている。美月はそれに耐えられずに目線を逸らす。怒っている表情には見えなかったが、きっと先程の急な発言に不快感を示しているに違いないと勘ぐっていた。
「さっきは急に変なこと言っちゃってごめんなさい!」
「いえ、それは気にしてないけど」
「ほ、ほんと?」
「ええ、むしろ嬉しかったわ。ありがと」
うっすらと笑みを浮かべる彼女の表情に美月はまた惹かれていった。
「そっか、変なやつだと思われなくてよかった」
彼女にそう言われ安心した美月はほっとして胸を撫で下ろした。
「そうだ!名前聞いてもいいかな?」
彼女が答えようとした瞬間タイミング悪く予鈴が鳴ってしまった。
「あぁ〜予鈴なっちゃった。じゃあまた後で」
急いで座席につく。それから予鈴がなり終わり先生が教室に入って来た。
「おはよーございます。今日から一年このクラスを担当する朝倉雪江って言います。よろしく〜」
おっとりとした口調で話す茶髪のハーフアップに少し垂れ目の彼女は教師にしては若い印象を受けた。
「入学式が始まるまだ時間があるので自己紹介をしましょう!名簿順に出身中学校、中学校でやっていた部活、今年入る予定の部活を言ってください」
ついにこの時が来た。美月は人前に出ると緊張するのが昔からの悩みであった。演劇の役者に憧れたのもそんな自分から脱却したいと言う気持ちがあったからかもしれない。
面と向かって話すことなら大丈夫なのだが、人前となると急に噛みやすくなり、声も小さくなってしまう。そんなことをずっと考えてしたらますます緊張して来てしまった。自己紹介のトップバッターはあの娘だった。
「秋川雫です。中学では……えっと部活には入っていませんでした。高校では演劇部に入る予定です」
中学の部活の話で若干の間があったことを疑問に思ったが、それよりも彼女の前を知れたこと、そして彼女も同じ部活に入ることを知り、美月は心の中で大喜びしていた。クラスメイトは緊張する様子も噛む事もなく自己紹介をを終えていく。そして自己紹介の順番は回り美月に。
座席から立ち、大きく息を吸って呼吸を整える。
「こ、こ、こ、河野みちゅ……美月です!中学はテニス部に入ってました。こ、高校では演劇やります!」
美月は赤面し、すぐに席に座った。クラス全員の拍手は憐れみで叩かれた音にしか聞こえなかった。
こんなことも上手くできない自分が情けなく、恥ずかしく思った。
自己紹介が終わり、数分の休み時間の後入学式が始まる。その休み時間の間美月は誰とも話すことができなかった。自己紹介を話のネタにされるのが怖かった。いつもならそんな事は余裕で笑い飛ばせたのだが、今日は何故だかそんな気分にはなれなかった。もちろん雫の席の方へ向かおうとしたがその周りは人で囲われていたため割って入る余地などなかった。
雫は人に囲われるのが苦手だった。助けを乞うように美月の方へ視線を送っていた。しかし丁度美月が窓の外の方へ視線を向けていたためそれが届くことはなかった。入学式の間美月はずっと考えていた。
(まだ初日なんだから気を落とさずにどんどん話しかけなきゃ!第一目標は秋川さんと友達になること!悔やんでばかりじゃダメだよね!)
自己紹介の後からいつもの自分らしく振る舞えなかった美月は前向きに考えていくことにした。
入学式が終わり放課後……今度こそ話しかけに行こうとして雫の席の方を見るがそこに彼女はいない。鞄も掛かっていないので恐らく帰ったのだろう。
「うそん……」
美月が少し俯いていると、背後から声が聞こえた。
「こ、う、の、さ〜〜ん!」
「うぴょえい!」
急に肩を叩かれ驚いた美月は奇声を発した。
「うおぉ〜〜!すっごい驚き方するね〜〜!私もびっくりしちゃったよ〜〜」
語尾を伸ばすような口調で話す彼女は新崎箏葉と名乗った。
「噂で聞いたよ〜〜。河野さんも引っ越してきたんだって〜〜?」
「そうだけど……そんな噂どこで?」
「風の噂ってやつだよ〜〜気にしない気にしない〜〜」
「気になる……で、うちに何か用かな?」
「実は私もね〜〜引っ越して来たばっかりで今日なかなかクラスの人と話せなくてさ〜〜」
「新崎さんも?引っ越し仲間だね!」
箏葉の言葉に食い気味で話す。同じ境遇の人がいたことに嬉しさを感じたのだった。
「そうだね〜〜!でね、お願いがあるんだけど〜〜いいかな?」
「何?うちにできることならなんでも言って!」
「と、友達になってほしいの!!」
美月は驚いた。まさか相手からそんな言葉が出てくるとは思っていなかったのだ。
「うちでいいの?」
「河野さんがいいの!」
語尾を伸ばさず喋るところに真剣さを感じる。
「だって、河野さん私と同じでクラスの人と全然喋れてなかったし、自己紹介でも噛んだり、休み時間もキョロキョロしてて友達いないのかなって思ったら可哀想になってきて……」
美月には箏葉が悪気があって言っているのか、悪気がないのかいまいちわからなかった。
「めっちゃうちのこと見てたんだね……」
美月は顔を引きつらせながらそう呟く。
「見てたわけじゃないよ〜〜ただ目に入っただけ〜〜」
本当にこの娘は自分と友達になりたいのだろうか。可哀想な娘とでも思われてしまったか。
「ご、ごめん〜〜!言いすぎた〜〜わ、私ね昔っから余計な事ばっかり言っちゃって友達傷つけたりしゃうの〜〜ごめんね〜〜。でも、河野さんと友達になりたいのはほんとなの!信じて〜〜!」
箏葉は目に若干涙を浮かべている。
これでは私が泣かせてるみたいだと思った美月は慌てて箏葉を慰める。
「わかった!わかったから!ありがとう。友達になりたいって言ってくれたの嬉しいよ。これからもよろしくね!」
美月は握手をするため手を差し出す。箏葉はそれを強く握り上下に激しく振りながら
「よかった!よろしくね、みつきち〜〜!」
「ん?ちょっと待って!何今の」
自分のことを指すあだ名のようなものに疑問を感じた美月は聞き返した。
「何ってあだ名だよ〜〜?友達になったらあだ名をつけるものでしょ〜〜?美月ちゃんだからみつきちってあだ名にしたんだよ〜〜」
箏葉はいたって真面目に答える。
「ごめん、それ却下で」
「え〜〜なんで〜〜?」
新しく出来た友達のネーミングセンスに不安を感じた。こうして河野美月の高校生活初日は終わっていった。
自宅に戻ると玄関から妹の奈津美が出迎えてくれた。姉の失敗談を待ちわびていたかのような意地の悪い笑顔をしていた。
「お姉ちゃんおかえり。どうだった?学校」
「自己紹介で噛んだ」
奈津美はその答えに吹き、そのまま含み笑いで質問を続けて来た。
「で、あの美人さんとはお話できたの?」
「逃げられた」
「逃げられた?」
美月は今日学校で起こった事を懇切丁寧に妹に説明した。
「やっぱりだめだったの?同じクラスだったのに!?なっさけないなぁお姉ちゃんは」
呆れたという表情で溜息をつく奈津美に美月は必死に言い訳をする。
「だって……秋川さんめちゃ人に囲まれてたもん。めちゃ人気だったんだもん」
「そこは空気読まずに突っ込みなよ!そんなんじゃいつまで経っても仲良くなれないよ?」
「そんなことできたら苦労しないから!」
「でも友達できてよかったじゃん?その人可愛い?」
「奈津美大概女好きだよね。まぁ、可愛かったよ。なかなか毒舌だったけど」
「毒舌じゃなくてほんとのこと言われただけじゃん」
奈津美の言葉が刃のように心に突き刺さる。確かにあの言葉に傷つきはしたが、あれは全て心の弱さが生んだ情けない自分の姿、紛れも無い事実だ。
「明日は頑張るよ。明日は」
「それ頑張らないやつだから」
「うちはそこら辺の学生より決心固いよ?ダイヤモンドくらいだよ?」
「じゃあハンマー用意しなくちゃね〜〜」
「やめて!砕かないで〜〜!」
二人で談笑しているといつの間にか夕飯の時間になっていた。奈津美は微笑みながら姉に言う。
「お姉ちゃんなら大丈夫だよ。明日は頑張れ!」
「うん!ありがと。頑張る」
妹からの励ましに姉として情けない気持ちもあったが、自分の事を気にかけてくれる事に喜びも感じていた。
同時刻……
夕飯を食べ終わった雫は部屋へ戻っていた。
ベッドで仰向けになり今日の事を後悔していた。
今日の放課後休み時間に席に来た人に誘われて一緒に帰ることになったが、全くと言っていいくらい話が合わなかった。
雫は今朝予鈴が鳴った時美月が言った「また後で」を気にしていた。雫も明日から頑張ろうと決意するのであった。
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